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第四十話 厄災の娘(3)

「ねぇ、ちょっと。山の事故の原因がわかってるの?」
 レイヒはシハルの袖を引っ張って人の輪から抜け出す。
「山の事故の原因ですか?」
「しっ! 声が大きいよ」
 本当に空気を読まないんだから。レイヒは地団駄を踏みたくなる。
「山の事故はあんたのせいだよ」
 何故か先ほどの子供がくっついて来ていた。
「ちょ、ちょーっと! なんてこと言ってくれるの」 
 相変わらず何を考えているのかわからないような顔をしている。
 レイヒはあわてて辺りを見渡した。幸い怪我人を医者のところまで運ぶ算段をしていてみんな忙しそうだ。誰かが荷車を取りに行っているらしい。怪我人は薬のせいか朦朧としていて、誰もこちらを気にしている様子はない。レイヒはほっと胸をなでおろす。
「どうしてレイヒさんのせいなんですか? 私はそうは思わないんですけど」
 別にレイヒに肩入れをしようというわけでもなさそうだが、シハルは首を傾けている。
「あなた、薬屋さんなんでしょう? 何か分かるの?」
 レイヒにシハルを問い詰める意図はない。やはりばあちゃんと同種の人間のような気がしてならなかった。何かわかるならなんとかしてほしい。
「薬屋さんではありません。――かといって特に何者というわけでもないのですが」
 よくわからない。
「薬は故郷の村でよく作られているので、たまたま持っていただけです」
 薬は高価なものだ。必要ないのにたまたま持っているなんてことあるだろうか。あやしい。この町でも医者のところか行商が来ないとちゃんとしたものは手に入らない。それにこの町の人は怪我のような、具合の悪い原因が明らかな状態でない限り、医者よりもまずばあちゃんのところに駆けこんでくる。幸いまだレイヒのところには話が来ないし、ちょっとしたことならハルミが対応してくれている。
「たぶんよく調べれば山の事故の原因がわかると思いますし、それを競争してるんです」
「競争?」
「ヴァルダと。どっちが先に仕留めるか」
「仕留める?」
 シハルはにこにこしているだけでそれ以上説明をしようとはしない。仕留めるって鹿や猪みたいに言うけど……。
「それなら、ぼくが誰だかわかる?」
 じっと会話を聞いていた先ほどの子供がシハルの袖を引っ張る。話に入りたいのか。
「いいえ。人ではないことはわかります」
 人ではない?
 じゃあ、何なの。気持ち悪い。
 レイヒは表情のない不気味な子供をしげしげと観察する。町の子供たちのようなはつらつさがまったく感じられないが、体が弱そうというわけでもない。姿だけが子供で中身がばあちゃんみたいだと考えると不思議としっくり来た。
 人ではないと暴言を吐かれた子供はただまばたきをしている。相変わらず表情はないが、少しだけ目を見開いるように見えた。
「上位の者が正体を隠そうとすれば下位のものにはわからないよ。人じゃないのがわかるって、それ、嘘でしょう」
 子供は淡々と何かを読みあげるような声で言う。
「正体を隠そうとしてるんですか?」
 子供はほんのわずか眉根をよせる。
 レイヒはばあちゃんの意味のわからない言動の数々のを思い起こしていた。間違いなくばあちゃんとシハル、そしてこの子供は同じ。ヤバいやつだ。
「わからないことが証拠です。私より上位ということは、少なくとも人でも低俗な悪霊でもないはずです」
 それからシハルはじっと子供を見る。
「あなた、神ですね」
 神?
 レイヒは目眩を感じる。確かに普通の子供ではないのはわかる。こんなかわいくない子供は見たことがない。神というとやはり神様のことか。もはやレイヒは話についていけない。
「すごい自信だね。自分に見抜けないのは神しかないということ?」
 子供は今度こそしっかりと目を見開いている。
「そういうわけではないんですが。私も知らないものは当然正体の判別がつきません。――それで、何のご用でしょうか。神様はそんなふうに歩き回って人間を相手にされることはないでしょう」
「そうなのか」
 じっと感情のない目でシハルを見つめる。シハルはしばらく黙っていたが「……神様によりますね」と、なぜか少し渋い顔で言った。
「本当にいろんな神様がいらっしゃいますから」
 シハルは何故かぼんやりと宙を見ている。神様の話は気乗りしないようだ。
「そ、そんなことよりも! 何とかなるの? その、山の事故とかいっぱい起こるやつ。まさか、この子、神様が原因? このままだと、私、ごはんが食べられなくなるかもなんだけど」
 シハルたちが「いたのか」と言わんばかりに同時にレイヒを見る。そらからしばらく黙っていたが、急にシハルがぽんと手を叩いた。
「レイヒさん、私に協力してれますか? ヴァルダより先に仕留めたいんです」
「だから仕留めるって何?」
「わかりません」
「じゃあ、どうやって協力するの!」
 レイヒは泣きそうな声をあげた。何とかなるなら協力はしたいが、一体どうすればいいというのだ。
 めそめそしているレイヒの横で例の子供がシハルの袖を引いた。
「手伝ってあげようか」
「それはお断りします」
 即答するシハルにレイヒは思わず「なんでよ!」と、声をあげた。得体が知れないが神様が手伝ってくれるなら心強いではないか。シハルは困ったような顔をしてレイヒを見た。
「代償が高くつきますよ。おばあさんからはそういうことは何も聞いていないんですか?」
「いろいろと聞いたような気がするけど何をいっているのかまったくわからなかったわね」
 レイヒは無駄に胸を張る。
「それにヴァルダと競争中なんですよ。ズルをして勝っても仕方ないです」
「勝ったら何かもらえるの?」
「……いえ、別に。ただの遊びです」
 人の町で遊びやがって。レイヒはとうとう地団駄を踏む。
「ヴァルダはレイヒさんの家に何かあると言っていましたが、私は祠の方があやしいと思うんです」
 レイヒを無視してシハルが話し出す。
「でも祠を見ても何の気配もありませんでした。ヴァルダの方が正しかったのかもしれません。このままでは負けてしまいます」
 そう言ってしょぼんと肩を落とす。無表情の子供よりもよっぽど子供みたいだ。
「あの祠は毎朝山仕事の安全を祈るための場所だよ」
 ばあちゃんが死んでから全然祈ってないが。
 シハルは祠のある辺りをじっと見つめている。それからゆっくりと山の方へ視線をあげた。
「遥拝所……」
 シハルがぽつりと呟く。
「山にいるのが見える?」
 子供がさっきとまったく同じことを聞いてくる。シハルはしばらく山を見つめていたが、そっと荷を下ろす。それから胸元から黒くかがやく入れ物を取り出した。レイヒにはそれが化粧道具に見えたが、ここでそんなものは必要ないだろう。
「これはズルではないはずです」
 よくわからないことを言いながら入れ物を開ける。ふわりと嗅ぎ慣れたにおいを感じた。これは香だ。ばあちゃんの使っていたものとは違うようだが憂鬱な気分になる。
 シハルはその香を指先につけると、それを額に滑らせた。見ると金色の粉で額の赤い紋様の上にまた別の紋様が描かれている。ずいぶんと器用だ。そういうところもばあちゃんに似ている。
 それからシハルはすっと山を見あげた。
「なるほど。山……ですね」
「山にいるのが見えた?」
 子供がまたシハルの袖を引く。相変わらずの無表情だが、どうもシハルにかまってほしくて仕方ないように見える。
「見えました。しかしなぜ見えなかったんでしょう? あれを仕留めるのは大変ですね。ヴァルダはとっくに気づいていたかもしれません」
 またしょぼんと肩を落とす。
「誰かが見えないようにしたんだ。きっとあれを仕留められてしまっては困るんだよ。もしかしたらレイヒのおばあさんはシハルより『上位』だったのかもね」
 シハルは子供の言葉をぷいと無視した。
「レイヒのおばあさんはどうして亡くなってしまったんでしょう」

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