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Layer45 後片付け

いい加減に泣き止んだ姫石と立花を交えて、俺達は実験の後片付けをしていた。
あれだけ泣いていた二人は、今じゃ片づけをしながら楽しそうに話に花を咲かせていた。

久しぶりに客観的に姫石のことを眺めていると、いきなり両手にものすごい重みが伝わってきた。
見ると、俺は八雲から電源発生装置を持たされていた。
電源発生装置ってこんなに重いのかよ。

「おい、八雲。これを一人で運ぶにしては重すぎないか?」

「いや、大丈夫だ」

「俺は大丈夫じゃないんだが……」

「大丈夫だ」

どうも八雲の様子がおかしい。
声や表情には一切出ていないため俺の直感的な感想にすぎないのだが、八雲は俺に少し怒っているような気がする。
俺は何か八雲を怒らせるようなことをしただろうか?
たしかに、姫石を眺めてたせいで片づけをする手が止まってしまっていたが、そんなことで八雲が怒るとは思えない。
そもそも、八雲自身が片づけができない人間なんだぞ。
この片付けだって、立花が八雲に促して始まったことだしな。
なら、八雲は怒っていないことになる。
もしかすると、姫石と立花が楽しそうに話しているのを見ている俺が八雲からは変質者にでも見えたのだろうか?
それで、俺に忠告の意味で……

あぁ、そういうことか。

「なぁ、八雲。俺は立花のことは素直で従順な良い後輩だとは思うが、それ以上は特に何か思うことはないぞ」

「うん? 急に何を言っているんだ? 玉宮香六が立花後輩のことをどのように思っているのかは理解したが、それを私に言う必要はあったのか?」

「ハハハ、何事も知っているに越したことはないだろ」

俺はわざとらしい愛想笑いとともに答えた。

「まぁ、そうだな」

怪訝な表情で八雲は言った。
八雲は自覚していないのか、それともポーカーフェイスが得意なのか。
俺には判断できないな。
ま、どっちでもいいか。

結局、八雲は手伝ってくれなかったので電源発生装置は俺一人で片づけることになった。
姫石に手伝って貰おうと思ったのだが、「あたしの方が玉宮より力が強いって言いたいわけ!?」と言われて足を踏まれるような予感がしたのでやめておいた。
俺はプルプルと震える両手で、八雲に指示された場所に電源発生装置を片づけた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

片付けが終わった俺達は、化学室の黒板の前にある横長の黒いテーブルに集まっていた。
授業の時は先生がいる位置に八雲が先生のように立っており、その向かいに俺、姫石、立花が近くにあった椅子を引き寄せて座っていた。

「まずは、実験が成功したわけだが、どうだ? 体や意識に何か異変があったりはしないか?」

八雲は経過報告を聞くかのように俺と姫石に尋ねた。

「入れ替わっていたことが嘘みたいに、これといった異変はないな」

「うん、あたしも。けど、自分の体っていう安心感はすごくあるかな」

俺も姫石と似たような感覚だな。
姫石の体が動きづらかったというわけではないが、自分の体の方が慣れている分やっぱり安定感があって動きやすい気がする。
入れ替わりも相性とかあるんだろうか。
もしあるなら、俺と姫石はとてつもなく相性が良いんじゃないだろうか。
こんな感想がわかり合えるのは入れ替わりを経験した俺と姫石ぐらいしかいないけどな。

「そうか、なら良いんだ。仮に今後、何か異変を感じたらすぐに私に連絡してくれ。状況によっては直接会う必要があることもあるだろう。学校がある日は私は基本ここにいるが、その他の日の場合は私の家に来てくれ。玉宮香六は私の家の場所を姫石華と立花後輩に共有しておいてくれ」

八雲は姫石に向かって言った。

「おい、八雲。俺はこっちだ」

「なッ!? あーそうか、すまない……どうも私の中では姫石華の容姿が玉宮香六という認識がまだ強く残っているようだ。科学者であろう者が情けないな……」

目頭を押さえながら八雲が言った。

「先輩は情けなくなんてありません! 元々先輩は入れ替わった後の姫石先輩達としてしか会ったことはなかったんですからしょうがないですよ!」

言われてみれば確かにそうだ。
俺も姫石も八雲とは初対面だった。
つまり、八雲にとっては姫石の姿の時の俺と俺の姿の時の姫石しか知らないわけだ。
それなのに、急に俺の姿をしている方が俺だって言われても中々ピンとこないだろう。

「そうそう! 歩乃架ちゃんの言う通りだよ! 八雲君はあたしと玉宮を元に戻してくれた命の恩人なんだよ! あたしも玉宮も本当に八雲君には感謝してもしきれないぐらい感謝してるんだよ! 本当にありがとう!」

「わかったから、姫石華も立花後輩も前のめりになって迫ってくるのはやめてくれ」

二人の気迫に押されて八雲が参ったように言った。

「まぁ、できるだけでいいから早くこの状況に慣れてくれ」

俺は姫石と立花を座るように促しながら言った。

「勿論だ。善処する。それで、ここからが重要な話なんだが、今後の対応についてだ」

八雲が切れ長の目を光らせるように言った。

「今後の対応って、実験も終わったんだし他に何かやることでもあるの?」

姫石がポカンとしたような顔で聞いた。

「場合によってはいろいろあるぞ。初めに全員に聞いておきたい。この入れ替わりという現象を世間に公表するか?」

考えてもいなかった。
いや、そこまで頭が回っていなかったというべきか。
元の体に戻ることだけを考えていたため、その後のことについてはノータッチだった。
冷静に考えれば、その通りなのだ。
俺達に起こった入れ替わりという現象を世間に公表するのかしないのか。
公表するとするならば、どのような段取りで公表するのか。
いろいろと考えるべき、対応すべきことはたくさんある。

姫石も立花も表情から見るに俺と同じような心境らしい。

「あたしは公表とかはしなくていいかな。公表するって言ってもこんな話を皆が信じてくれるとは思えないかな。あたしも皆と同じ立場だったら信じられないと思うしね」

どうせ誰も信じてくれないから公表する必要がないというのが姫石の意見だった。

「そうとも限らないと思うぞ。こうして実験が成功しているんだ。入れ替わり現象に再現性があると確認できたんだから、これを八雲が正式な論文とかとして世間に公表すれば科学的根拠に基づいた現象として認められるんじゃないか? 最初の頃は誰も信じないから、時間はかかるかもしれないけどな」

「そっか。八雲君ならやろうと思えばできちゃうのか。けど、それでもあたしはなんとなくだけど公表しなくていいかな。玉宮はどうなの?」

「俺も公表しないに一票だ。こんなことを世間に公表したらロクな目に合わないに決まっている。面倒事に巻き込まれるのはごめんだ」

その面倒事に自ら巻き込まれに行かなければならないことも時にはあるがな。

「私も玉宮香六と同意見だな。人類にこの現象は少し早過ぎる」

「そうだな。今の人間にこんなとんでも現象扱えるわけないよな」

「その通りだ。立花後輩はどうだ?」

最期に八雲は立花に尋ねた。

「私も先輩達が言う通り公表はしない方が良いと思います。実際に入れ替わりを体験したのは姫石先輩と玉宮先輩ですし、それを解明したのは先輩です。先輩達が公表しないということでしたら、その通りにするのが一番だと思います」

「本当にそれで良いんだな?」

「……はい!」

八雲に念を押された立花だったが、満面の笑顔で答えた。

「わかった、では入れ替わり現象については世間には公表しないことにする」

八雲が俺達の意見を総括した。

「公表しないとなると、俺達は入れ替わり現象に関わる一切のことは他言無用ということだな」

「そうなるな」

「え!? 他言無用ってことは家族にも言っちゃいけない感じ?」

どうやら姫石は姫石の母親にだけは入れ替わりのことを話たかったようだ。

「あたり前だ。姫石のお母さんなら、入れ替わりのことを話しても頭がおかしくなったと思われて病院に連れて行かれることはないだろうが、それでもリスクは避けるべきだ。それに信じてもらえるかどうかは微妙なところだしな」

「う〜ん、やっぱり、そうだよね」

姫石もいくら家族だからといっても話してはいけないとは薄々わかっていたようだ。

「私も何があっても入れ替わりのことは決して誰にも話しません! もし、誰かに話したくなったらここにいる私達に話してください。私達にならいくら話してもらっても問題ないですからね!」

立花が姫石を励ますように言った。

「秘密っていうのは一人で抱え込むより、誰かと共有していた方が守れやすいこともあるからな。立花が例のメッセージグループを作った時に言っていたように、これは俺達四人の秘密だ。入れ替わり現象が夢だったんじゃないかって不安に思ったら、いつでも俺達に聞きに来い。そしたら、全力で夢ではなく現実のことだったってことを俺達が証明してやる」

「うん、ありがとう。じゃあ、その時になったらちゃんと証明しなさいよ!」

そう言って姫石が俺の肩をぺしっと叩いた。

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「そういうことなら、俺達は先に帰らせてもらうぞ」

「あぁ、構わない」

「元に戻ったばかりですし、お二人とも気を付けて下さいね」

今後の方針を諸々と決めた俺達は、今日はこのまま解散ということになった。
八雲はまだ化学室でやりたいことがあるらしく、それを聞いて立花も手伝うということで俺と姫石だけが先に帰ることになった。

「うん。二人とも今日は本当にありがとう! 今度この四人でどっか遊びに行ったりしようね!」

「それいいですね! ぜひ、そうしましょう! いいですよね、先輩?」

「玉宮も良いよね?」

「「あ、あぁ」」

テンションが上がっている女子二人の投げかけに、男子二人は考える間もなく体が反射的に承諾していた。
テンションが上がった女子高生の力は凄まじいな。

「じゃあ、俺達はこれで。本当に今日はありがとうな。俺達がこうして無事に元通りの生活を送れるのも八雲と立花のおかげだ。それじゃあな」

「じゃあね、二人とも! また、明後日学校で会おうね!」

そう言って、俺達は化学室の扉から一歩外に出た。

「あぁ」

「はい、そうですね! また、明後日!」

八雲は軽く手を挙げて別れの挨拶をし、立花は俺達に向けて手を振った。

そうして、俺も姫石もいつものように学校から家へと帰る帰路についた。
この数日間の不思議な体験を思い返しながら。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「さて、立花後輩。私達もそろそろ帰るか」

そう言って私は白衣のポケットに入れていた科学室の鍵を探り当てながら言った。

「ちょっと待ってください、先輩! スマホ忘れてましたよ」

立花後輩が私のスマホを持って駆け寄って来た。
私はもう片方の白衣のポケットを探りスマホが入っていなかったのを確認する。
入れ替わりという現象に触れたせいか、私は注意散漫になっているようだ。

「わざわざ、すまないな」

「いいですけど、気を付けてくださいね。もう、これだから先輩は……」

私は立花後輩から受け取ったスマホを今度こそ白衣のポケットに入れた。

「あ、あと、さっき先輩のスマホにメッセージが来てましたよ。そのメッセージの受信音で先輩のスマホに気づけたんです。もちろん、内容とかは見ていないので安心してください! プライベートなことですから見たい気持ちを抑えて我慢しました!」

立花後輩は私のプライベートなことが見たいのだろうかと思ったが、慌てふためく姿を見て言葉にするのはやめておくことにした。

「そうか、ありがとう」

「確認しなくても大丈夫なんですか? 急ぎの用件かもしれませんよ」

「いや、大丈夫だ」

「そうですか。先輩がそう言うなら良いんですけど、早めに返信してあげてくださいね」

立花後輩は時々、私に対して非常に過保護になる時がある気がする。

「あぁ、わかっている」

実を言うとメッセージの送り主と大体の内容はわかっている。
先程、ポケットにしまう際に一瞬だけメッセージ通知が見えたからである。

「立花後輩。鍵を閉めるからすぐに出てくれ」

「あ、はい! わかりました」

荷物を抱えた立花後輩が出たところで、私は科学室を見渡してから立花後輩と同じように科学室から出た。
科学室の扉を閉め、鍵穴に鍵を差し込みひねった。

カチャリ

鍵を閉める音が薄暗い廊下にやけに響いた。

しおり