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【第二話】魔王、馬車に乗る。

 馬車で家に帰った俺は、使用人がいない伯爵邸において、真っ直ぐに洗面所へと向かった。昔より進化している点としては、魔導水道などは本当に発展したと思う。だが俺はそれを見に来たわけではない。顔、だ。自分の顔を見に来た。

「――っ、俺と同じ顔……! いや、俺は俺なんだから、同じでもいいけども!」

 こうして見ると、本当に俺は魔王の知識が甦っただけで、そのまんま俺である。俺も何を言っているのか自分でよく分からないが、俺はグレイルであり、そして魔王でもあるというわけだ。繰り返すが、魔王時代と性格もほぼ変化していない。

「魔力は? 魔術は? 全部使えるのか……?」

 ブツブツと呟きながら、俺は両手を見た。そして脳裏に魔法陣を思い浮かべる。取り急ぎ、普通の人間は一つから二つしか使えないが、魔王は全て使える五属性魔術を試す事に決めた。俺が瞬きして、発動の無詠唱で念じた瞬間、俺の前には五芒星が浮かび上がり、そのそれぞれに、魔導元素の煌めきが宿った。土・水・風・火・雷である。

「使えるな。王族のみの魔術は――……さすがに無理らしい」

 王族のみが使える魔術は、透過・結界・転移の三魔術だ。その個々人で、一つだけ使える場合もあれば、二つや三つ全てを使える場合もあるようだ。なおこの世界には、変わっていなければ他に、召喚魔術と治癒魔術が存在する。これらは魔力さえあれば、誰でも習得可能だ。

「俺、記憶が戻る前に治癒魔術は習得してる。そうだった、魔王なのに治癒……」

 どちらかというとこれは聖ヴェルガルド教という宗教よりの、特殊な光の魔術であるから、本来あまり俺は好まない。だが、食わず嫌いだっただけで、俺が先天的に持っていた魂が含有していた魔力量のおかげで、結構いい線をいく段階まで習得済みだと思い出した。その後も俺は、あれやこれやと魔王時代を思い出しながら、一つ一つ細かい魔術や体の動きを確認してみた。魔王だった頃と、ほとんど変化が無い。いいのか悪いのかは分からないが、それが事実だ。それから改めて俺は、鏡を見た。

「……勇者の末裔と婚約? 魔王の俺が? 冗談だよね」

 そう呟いて無理に笑ってみると、鏡の中の俺も引きつった顔で笑った。
 どうやら夢ではなさそうだ。

「爵位的に、絶対断れないしな……」

 はぁ、と、俺は溜息をついた。正直気が重い。記憶は戻ったものの、一つ確かな事として、俺はもう魔王ではなく、グレイル・ベルツルードという一人の人間だ。魔族ではない。魔族と人間の違いは、昔は生まれ方で、それ以外の差異は無かった。そして今世の俺は肉体の記録をたどる限り、今は亡き母の胎内に宿って生まれたのだから、人間で間違いない。

 人間である以上、今の社会の枠組みの中で、俺は生きていかなければならない。
 そうでなくとも、魔王だったと露見したら、悪くすればまた魂を飛ばす形で封印される事だってあり得る。俺はもう、そんなのは嫌だ。

「とにかく、大人しく生きよう。そして、リザリアだって俺を好きじゃないんだから、円満な婚約解消を目指そう……!」

 そう一人決意し、俺は洗面所を後にした。なお、両親亡きあと、一気にこの伯爵家の財政は傾いたため、使用人は現在、馬車の御者以外は全員日雇いだ。顔ぶれもいつも違う。馬車の御者だけは魔術学院への登下校手段であるから、お願いして朝夕に来てもらっている。あとは特別な夜会や催し物の際もお願いしている。そう思いだしながら、俺は寝室へと向かった。

「とりあえず、今日は眠ろう……疲れた」

 ポツリと呟き、俺は寝台に身を投げ出した。そして毛布に包まり、無理矢理目を閉じたのだった。



 ――翌日。
 俺は朝早くから使いの者が鳴らした呼び鈴の音で目覚めた。朝が得意な方ではないのは、昔からだ。目を擦りながら階段を下りてエントランスへと向かうと、扉の先にナイトレル公爵家からの使いの者が立っていたというわけだ。

「グレイル卿。畏れ多くもルキアス・ナイトレル宰相閣下からのお招きです」

 その言葉に、俺の頬が引きつった。敏腕宰相と名高いルキアス卿は、リザリアの父親だ。迎えの馬車まで邸宅の前に停まっていたので、俺に断る権利は完全に無さそうだった。

「着替えてきます」
「その方が良いでしょう」

 大きく使いの者が頷いたので、俺は踵を返した。そしてクローゼットがある私室へと入り、慌ててなるべく質の良さそうな服を選んで、袖に腕を通した。首元を整えてから、一度大きく吐息して、階下へと引き返す。そのまま使いの者に促されて、俺は馬車へと乗り込んだ。

 ナイトレル公爵家は、王都のすぐ隣が領地だが、王都邸宅(シティハウス)もきちんと貴族街の一等地に存在している。俺の伯爵家の三倍は大きなその邸宅の前に、俺は馬車から降りて静かに立った。すると俺が呼び鈴を鳴らす前に扉が開き、執事らしき人物が顔を出した。

「ようこそお越しくださいました。ご案内いたします」

 皴を深くして笑った初老の人物は、俺を応接間へと案内した。中に入ると、昨日会ったリザリアのほか、弟らしき少年と、宰相閣下の姿があった。三人は、リザリアを中心に座っている。そのテーブルをはさんで正面の席しか空きはない。そう考えていると、宰相閣下が立ち上がった。

「どうぞおかけ下さい」
「失礼します」

 俺は逃げられない空気に絶望的な感覚を抱きながら、会釈をして長椅子に座った。すると侍女が俺達の前に紅茶のカップを並べていく。ティースタンドもすぐに置かれた。まだ朝食を口にしていないから、サンドイッチを手に取りたくなったが、爵位が雲の上過ぎる宰相閣下の前で失態を犯したら、家が潰れるので、俺は堪えた。

「グレイル卿。娘から話は聞いた。婚約の承諾、本当にありがとう」
「……いえ、その……何故、俺なんですか?」

 率直に俺は疑問を尋ねた。するとリザリアが、口元を綻ばせ、見る者を惹きつけるような可憐な表情で笑った。

「好きだからです。グレイル卿をお慕いしているからですわ」

 いやいやいや。昨日ステータスで好感度を見た俺は、それが嘘だとよく知っている。だが、これ以上ここで聞いても本音が出てくるようには思えなかった。とにかく理由は不明だし、何を考えているのかはさっぱり分からないが、家が潰されたり、国外追放されるのは、絶対に嫌だ。そうである以上、一度は婚約する以外にない。そう思っていると、宰相閣下がテーブルの上にあった羊皮紙を俺の方へと差し出した。見れば、『婚約宣誓書』と書かれていて、リザリアのサインと、保護者欄の宰相閣下のサインは既にそこにあった。

「これに記載してくれるのだろうね?」
「……はい」

 記載しなくていいなら、そうした。だが諦めて俺は、自分の名前を紙に書いた。筆跡まで昔と同じだった。そんな事を考えていると、ぼそりと呟く声が聞こえた。

「私に好きだと言われるのが、そんなに嫌なのかしら」

 嫌だよ! と、心の中で思ったが、俺は聞こえないフリをして誤魔化した。
 とにかく、あとで円満にこの婚約は解消しなければならない。迂闊に喋って関係が悪化するのは望ましくない。そう考えていたら、宰相閣下が庭を見た。

「そうだ、ナイトレル公爵家の庭園は、私が言うのもなんだが非常に美しいんだ。リザリア、グレイル卿を案内して差し上げたらどうだね?」
「そうですわね、お父様」

 余計な事を言うなと俺は思ったが、必死で笑顔を浮かべた。その結果、リザリアが立ち上がったので、俺もついていかないとならない空気が漂い始めた。仕方がないので立ち上がる。

「あとはお若い二人でね。楽しみなさい」

 宰相閣下が朗らかな声を出した。終始無言だった弟らしき少年は、興味がなさそうに足をぶらつかせている。こうして俺とリザリアは、応接間から出てエントランスを抜け、庭へと向かった。実際、心に余裕があれば、この庭園は綺麗だろうと俺も思った。だが現状では、理解が追い付かない現実が過酷すぎて、花や緑を楽しむ余裕が無い。

 そう考えながら池を眺めていると、リザリアが俺の隣で小さく吐息した。そこには笑みが含まれていた。

「昨日は驚かせましたね」
「ええ。非常に驚きました。ずっと好きだったなんて、初対面の方に言われたものですから」

 多分そのはずだと思いながら、俺はあえて断言してみた。するとリザリアが頷いた。

「お名前は知っていたのです。お顔も魔導写真を見て存じていました」
「何がきっかけで?」
「私は医療魔術に興味があるのです。グレイル卿は国内で今のところもっとも治癒魔術の能力に長けていらっしゃるでしょう? だから興味があったのです」

 それを耳にして、漸く少し、俺は腑に落ちた。医療魔術というのは、治癒魔術を一掃しそうな勢いで広がっている、俺の知らない新魔術だ。誰でも習得可能な治癒魔術であるが、現在は廃れている様子だ。確かに俺は王国で五本の指に入る治癒魔術の使い手かもしれないが、そもそも国内に、五人も使い手がいないというのが理由だ。

「私はそれぞれに良さがあると思っています。貴方とならば、ともに、国内の医療を発展させられると信じているのです!」

 明るい声音でリザリアが言った。

「それが俺を婚約者に指名した理由ですか?」
「……ええ。本音を言えば、そうなりますね」
「なるほど」

 その後俺は、リザリアから庭の説明を受けたが、ほとんど頭には入ってこなかった。
 そして昼食をご馳走になってから、馬車で送ってもらったのだった。




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