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状況証拠

状況証拠としてサリーシャが査問会に呼ばれた点だ。幽霊騒動の事実確認は元舎監をわざわざ召喚するまでもなく日誌等を精査すれば聴聞するまでもない。

にもかかわらず当時の担当者を呼んだということは無言の威圧が見て取れる。
それに気づいたオプスが俺の母親と共にこの部屋に来たのだがそこで偶然にも同じ内容のことをエリファスが口にしていたらしくハルシオンはその会話についてディック氏と実の母親に問いただしたのだという。

するとディック氏とハルシオンの母親はお互い顔を合わせて笑っていた。その反応を見たハルシオンは何とオプスにその事を注進したのであった。

それを聞いてハルシオンが俺の部屋に来るまでのことがなんとなく理解出来た。俺は「そうなのか……」と言うしかなかった。

彼女は言ったのだ。

「うん……やっぱりそうなんじゃないかって思って……それに私自身、最近気づいたんだけど……お母さんと同じ考えをしていたんだよ」と寂しげに呟いた。

その様子はとても苦しんでいるようだった。そして、俺は彼女に対して言うことを迷ったが、俺なりに思うところがあるので口を開いた。

「俺は……君にとって何だろう……俺はただ君が喜んでくれると思ってやって
きただけで……正直に言えば俺のしたことはあまり褒められた行為じゃないと思うんだ。君は俺を信用してくれるかもしれないけれど……でもそれは君自身が俺を認めてくれたわけであって俺を君の研究に利用するという意味でしかないから……それで君の母親は、いや違うな……エリファスさんは俺を君の研究のために利用していると俺に言っているようで……ハルが言ったこともそういうことだと解釈することもできて……」

そこまで言った時、ハルシオンは俺の顔を見ながら涙を流したのであった。
俺はそれに戸惑う。ハルシオンは
「オプスも私もあなたの力になれたらってずっと考えていたんだよ」

そう言ったのである。彼女の目には確かに悲しみの色が見て取れて、涙を流す彼女に俺は何も言ってあげられなかった。しばらくしてハルシオンは自分の顔を隠すようにしながら立ち上がったのだ。ハルシオンはそのまま部屋から出て行こうとした。俺は「待ってくれ、どこに行くんだ?」
そう尋ねるとハルシオンは足を止め、俺の方を見て言った。
彼女は泣いていたが、もう泣くことはないような感じであった。
ハルシオンは言ったのである。

「自分の研究のために有利な状況をとことん利用しても……あなたのためなら私、構わないと思ってる」

「ハルちゃん……」
オプスが呼び鈴も押さずに飛び込んで来た。
「官学の癒着は決して許されることではないと思うわ。」
俺はそれ以上、何も言えない。
「私もうすうすおかしいと思っていました。魔導応用工学研究費の増額。タイミングが良すぎます」
俺が口を閉ざしているとハルシオンは
「今までありがとう。本当に助かったわ。貴方抜きじゃダメね」
ハルシオンはそう言ってから一礼して部屋を出ていったのである。その時の顔が印象的で今でもはっきりと思い出せる。
何かしてあげたいと焦ってる間にいつの間にハルシオンからたくさんもらっている。そう思えてくる。
俺は、俺は……どうすればいい。俺は、この先どうしたらいいのだろうか。
「ハルシオンのことは心配ない。俺が何とかする。それより君の方は大丈夫か?」
「はい。なんとかやっています。」
「そうか。」
ディック氏がハルシオンの去った扉を見つめながら言う。「あいつには幸せになって欲しい。だから頼む」とだけ言い残して彼は去っていった。
俺は彼の背中に向かって言う。
「はい。」
ハルシオン・カルタシスは部屋を出ると廊下を小走りで駆け出した。
彼女の向かう先は地下にある研究室だ。その道中、彼女は思った。
『ああ、これでいいんだ。』
と。
ハルシオン・カルタシスは思う。
『私は、私のことだけを考えて生きていこう。』と。
彼女はそう決意したのであった。
彼女はこれから自分がやろうとしていることを、『研究』と呼ぶことにしたのだった。
ハルシオン・カルタシスは部屋に戻ると机の上に置いてある小さな箱を開けた。
そこには指輪が入っている。
それは、ハルシオンとオプスが二人で選んだものだった。
ハルシオン・カルタシスはこの指輪を指にはめ、目を閉じ、祈る。
『どうか、神様、私達の願いを聞き届けてください』と。
ハルシオン・カルタシスは、研究を続けることに決めた。
しかし水星を司る守護神メルクリウスは水星逆行期間中は真逆の働きをする。すなわち願望を成就するどころか妨害した。
ハルシオンはそのことを重々承知の上でイチかバチかの賭けに出たのだ。ノース研究員が呪術医学会と癒着して医療機器メーカーから多大な研究費を頂戴しているという内部告発。それに関してハルシオンは疑問を抱いていた。ディック氏は胡散臭い部分があるがハルシオンにとっては実の兄だ。裏切るとは思えない。誰かが一族や学院や魔導査察機構を嵌めようとして虚偽の告発をしたのではないか。そして研究が研究が破綻すれば犯人にとって御の字である。ならば、全ての願いがあべこべになるこの時期に置いてハルシオンが研究の存続を願えばどうなるか。
「研究を失敗させる企み」が失敗して犯人は破滅するはずである。もちろん、水星逆行中は全て確実に反作用が働くという補償もない。
本当にハルシオンの研究が失敗し、犯人も捕まるという最悪のケースもありうる。その場合は俺もハルシオンももちろん犯人も逮捕されるだろう。
オプスもノースもディック氏もお縄になる。
それでもハルシオンは覚悟を決めて祈った。
一番のハッピーエンド。それは無実が証明され、嵌めようとした奴だけが捕まること。
ハルシオンは一心不乱に祈った。
すると、グルッパと名乗る公益通報者から驚くべき告発がなされた。数日後、オプスから呼び出しがあったのだ。
オプスから話を聞いた後、俺達はメルクリウス寮の移転作業を一時中断することにした。俺達も一緒に行くことになったからだ。オプスに連れられ、俺達は旧寮の幽霊騒ぎについて話し合った会議室にやってきた。「ここが、私達が使っていた会議室よ」
オプスが言った。
俺達が入ると、中にはオプスとディック氏とノースがいた。
ディック氏の表情はどこか強張っているように見えた。
オプスが俺達に座るように促した後、俺達の前に立つ。「オプス教授は、エリファス様の査問会に召喚されたのよ。」
オプスが言った。
「エリファス様は、オプス教授がグルッパと名乗る者からの匿名通報によって査問会に召喚されたのです」
オプスが言う。「私は、エリファス様に呼び出され、事情を聞いた後、すぐにここに駆けつけたのよ。」
「オプス教授、私達は一体どうすれば良いのでしょうか」
俺がオプスに聞くと、彼女は答えた。「私達は、エリファス様を信じましょう。」オプスがそう言うとディック氏とオプスは俺を見た。
「そうだな、俺が間違っていた。エリファスは俺の妹だ。信じなくてどうする」
「私もエリファスのこと、信じるわ」
俺達はオプスの言葉を聞いて安心した。「では、誰を信じるかという話になりますが…」ディック氏は言いにくそうに切り出した。
「だいたいどこの馬の骨ともわからない匿名の告発を間に受ける方がおかしいですよ」
俺がエリファスを擁護する。何しろ彼女はハルシオンの母親だ。信じる信じない以前の問題だ。
「だけど、添付してあった領収書にはノースの署名が入っていたの。パルスマギメーター機器メーカーと会食した時のものよ。動かぬ証拠だけに頭が痛いわ」とオプスがため息をついた。
「サインは偽造できます。領収書ってそれ、学者カフェのものですよね? だったら真犯人は割と身内にいるかもしれませんよ」
俺はそう指摘した。「すると容疑者がかなり絞られてきます。この中の誰かが嘘をついていることになります。まさか…」
「それはありえない。断固としてありえない」
俺はディック氏を遮った。ハルシオンを疑うなんて愚かなことだ。だいたい、彼女に何のメリットがあるのか。金や名誉とは一切無縁の女だ。
「と、なると、該当者は唯一人しかいない。それを君は受け入れられますか」
ディック氏は苦虫を嚙み潰したような表情で俺を睨んだ。「辛いでしょうから私が代理で申し上げます」とオプスが口を開いた。
「ええ。構いません。口が裂けても俺からはその名前を出せませんよ。大切な人を売ることになるのですからね」
俺は引き裂かれる思いでその名を聞いた。
「あの時、エリファスに嚙みついていた人物といえば、サリーシャ」オプスの口から発せられた言葉に俺は絶句しそうになった。
「ええ、そうです」とディック氏が答える。
「やっぱりそうなんですか?」とオプスが言った。「ええ、間違いありません」
「どうしてそんなことを!」と俺は思わず声を上げた。
「メルクリウス寮の解体はハルシオンが言い出したことです。サリーシャはそこの舎監でした。彼女にとって寮生たちは我が子も同然。計り知れない思い出が詰まった建物です。いくら老朽化で建て替えが必要だと言っても霊的汚染がひどくなったからという理由は納得できないでしょう。もとはと言えば魔導査察機構が幽霊退治を先送りしたのが悪いのです。だから、サリーシャはでっち上げで魔導査察機構に復讐しようとした」
オプスが言った。「だからといって自分の息子やハルシオンまで巻き添えにするでしょうか」
ディック氏は異議を唱えた。そこで俺はサリーシャの気持ちを代弁した。自分の母親だけに手に取るようにわかる。
「サリーシャ――俺の母は俺に対して淡白なところがありました。なにしろ暴力夫の息子ですからね。俺が生まれてすぐに分かれたそうですけど。で、実家よりメルクリウス寮に泊まることが多かった」「でも、あなたはいつも楽しそうだったわよ」とオプスが言う。
「それは母さんのおかげさ」俺はそう言ってから続ける。
「俺が物心つく前に離婚したから、俺の記憶にあるのは母さんの笑顔だけだ。確かに俺の顔はDV夫似ですよ。でも俺は性格までねじくれていない」
「フムン」
ディック氏は首をひねった。「確かに君はまっすぐで一生懸命だ。ハルシオンに相応しい相手だと俺も思ってる。君みたいな立派な息子さんを産む女性がでっち上げなんかするかね」
それを聞いてオプスは何か閃いたようだ。「あの法具よ!ほら、グルッパに与えたあの魔法具。あの時ハルシオンは何と言ってたか覚えてる?」
俺は翡翠タブレットに駆け寄り、監視カメラ映像の記録を再生した。
「しかし、このペンダントは呪力消費が激しいから注意しろよ。下手すりゃすぐにガス欠になるからな。それと、地縛霊以外のモノに憑依したらすぐバレるからな。あと、憑依された奴にも影響が出るから要注意だ。そこら辺をうまくやってくれ」
彼女はグルッパに向かってそう説明している。
「すぐにガス欠、地縛霊以外の者が憑依?! そうか、魔法具の効力が切れて何か得体の知れない物がグルッパになりかわったんだ!」
俺がそう推理した。
「それよ。私たちを、英国を滅ぼそうとしている悪霊がいるのよ。その手始めに私たちを嵌めて仲たがいさせようと企んでいる!」
オプスが慌てて出かける支度を始めた。悪魔祓いの道具や銀の武器などものものしい。
「何処へ行こうというんだ。心当たりはあるのか?」
ディック氏がおっとり刀で準備する。
「ハルシオンの地下研究室よ。あの子に危険が迫っている。それも敵の術中よ。私達が助けに来ると思ってあの子に何か仕掛ける筈」
「そんなこと、絶対に許さない!」
ヒステリックな声に振り向くとエリファスが青筋を立てていた。「わたしの可愛いハルシオンに何かあったら悪霊だか死神だか知らないけど八つ裂きにしてやるから」「落ち着け。俺達も行く」
俺はエリファスを宥めた。「大丈夫よ。あの子は強いもの。それに、私には最強の守護霊がついているの」
エリファスは胸を張った。「オプス教授も来てくれるのか」とディック氏が訊いた。

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