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前世の知識

 先に離れの方へ案内してくれると言うことで、侍従一人が付いてきた。

「あの、お忙しいでしょうから、閣下まで付いてこられなくても」

 そして何故かそこにエルネストも付いてくる。

「看護人として君の目に離れがどう写るのか、気になって。それにお金を出すのは私だからね。興味がある」

 そう言われれば同行を断れない。
 
「ここは曾祖母が住んでいた。彼女も晩年体が不自由だったそうだ。私が生まれたときには既に亡くなっていたが」

 離れは小さな池の側にあって平屋の造りになっていた。イメージはプールハウスといったところだ。白い壁に蔦が美しく巻き付いていて、全体的に可愛らしい。

「池を眺めて過ごすのが好きだったそうだ」

 入り口は緩やかなスロープになっていて、段差も少ない。そしてどの部屋にも大きな窓があって池が見える。

「どうだ?」
「そうですね。思った以上にバリアフリー化されていて驚きました」
「ばりあ・・?」
「あ、えっと何も無いときは気にならないと思いますが、体が不自由になると、これくらいの些細な段差も足が上がらなくて躓くんです。床材を滑り難くするとか、手すりを付けるとか、そういった工夫をするんです。それをバリアフリーと言います」
「ではあまり手を加えなくてもいいということか?」
「水回り。特にバスルームは少しリフォームの必要があると思います」
「りふぉ?」
「改修することです」

 猫足のバスタブは高さがあって、足を上げて入るのは大変そうだ。手すりも必要だ。浴槽は変えた方がいい。それらをアリッサが口にして侍従が書き留める。
 日本ならショールームなどで一通り揃うだろうが、この世界にはないものもあるので、そうなるとゼロから造らないといけない。
 看護師をしながらケアマネージャーの資格も取ったので、その知識が役に立つ。バスタブの深さや広さなどを知っている範囲で伝えた。

「初めて聞くことや言葉ばかりだ。それも看護学校で教えているのか」
「いえ、これは・・」

 前世の知識だとは言えない。

「そうです。患者の住環境を整えるのも大事なことですから」

 説明できないので、そういうことにしておこうと思った。

「ただ薬を飲んだりして治すことが治療だと思ったが」
「薬では失った機能は戻りません。残された機能でどこまでできるか。それをどこまで補えるか。どこも悪くなくても使わなければ機能は衰えますから。リハビリなどの回復訓練も必要です。マージョリー様は内臓はどこも悪くありませんから、特に薬は必要ありません」
「そういうものか・・」
「はい」
「その人の体の状態に住居を合わせるか。考えたこともなかった。すごいな」

 色々と注文ばかりで生意気だと思われないかと思ったが、彼は感心してアリッサを見た。
 褒められて少し照れる。

「本当に驚かされる。昔の君からは想像できない」
「あなたは、どこまで私のことを知っているのですか?」

 昔と今、比べられるほど彼が自分を知っていたとは驚きだ。当の自分は彼のことを全く知らないのに。

「ただ耳に入ってきたブリジッタ・ヴェスタの評判は、言葉数の少ないおとなしい性格の令嬢だということだけだ。でも今の君は、言いたいことを言い、放っておくといつまでも喋り続けそうだ」
「すみません。おしゃべりで。でも、言いたいことではなく、言わなくてはいけないことを言っているだけです」

 確かに遠慮がなさすぎたかも知れないが、マージョリーのためには必要なことだ。それに、こんなに口うるさいことを言われるなら、やっぱりアリッサを雇うのを止めると言う言葉を少し期待していたのもある。
 でも彼は彼女の言葉に耳を傾け、受け答えしてくれる。ジルフリードの、暖簾に腕押しの手応えのなさとは違う言葉のやり取りに、アリッサは新鮮な気持ちになる。

「悪いと言っているわけではない。流行のドレスがどうとか、誰かの噂話や自慢話のような無駄なおしゃべりではないのだから。それも時と場合で鬱陶しいと思っていた。女性とそれ以外の話をしたのは初めてだな」
「殿方はそういう女性がお好みではないのですか? 難しい政治の話や世情についての話は、女性には出来ないと考えている方は多いですね」
「嫌いな人やどうでもいいと思っている人とのおしゃべりは、苦痛でしかない。それならいっそ黙っていてくれと思う」
「それはお互い様でしょう。女性ばかりが無駄なことをしゃべっているように思われては心外です。殿方の自慢話や実のない会話は女性にとっても苦痛です」
「私とはどうなのだ? 今の会話は君にとって苦痛か? ルクウェルとはどんな話をしていたのだ?」

 答えにくい質問に躊躇する。
 
「閣下は雇い主になる方です。業務上の話は必要な会話であって、そういったものではありませんから。それに…」

 ジルフリードと交わした数少ない会話の内容を思い出すが、いつも「そうだな」「そうか」「わかった」と、彼女の話に気のない言葉しか帰ってこなかったので、話すことが何もない。

「いや、いい。後のは個人的な内容だな。話したくないなら言わなくていい」

 沈黙を否定と取ったのか、質問を撤回された。

「ここはこれくらいか?」
「そうですね。大体は」
「すぐに職人を手配しよう。改修の間に引っ越しの準備をしておくといい。職人には君のところへ足繁く通うように行っておこう。気になるなら、いつでも状況を見に来ればいい。連絡をくれれば馬車を行かせる」
「お心遣い痛み入ります閣下」
「それから、私のことはエルネストと名前で呼んでくれ。閣下はまだ慣れなくて」
「わかりました。エルネスト様」

 いきなり名前呼びを許されて戸惑いながら、アリッサは彼の名を呼んだ。

「では、ドロシーの所へ。カイル、ドロシーの部屋へ彼女を案内してくれ」
「はい。では、こちらへ」
「話が終わったらまた来てくれ。先程の執務室で待っている」
「わかりました。では失礼いたします」

 一礼してアリッサは侍従の後ろをついていく。
 そんな彼女の背中を、エルネストは複雑な表情で見つめた。

「本当に、変わったな。まるで別人だ」

 彼女の背中を見つめながら、初めて彼女を見た時のことを彼は思い出していた。

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