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23、庭園にて


 お茶会は早々に終わった。

「わたくしはまだまだ話し足りないんだけど、ミロスワフから気を利かせてくれって言われているのよ」

 盛大にバラすイザに、ミロスワフは苦笑いする。

「その通りですよ、母上、若者に気を使ってください」
「はいはい。またね、アリツィアちゃん。楽しかったわ」
「はい! わたくしもです」

 アリツィアは、会う前はあれこれ悩んでいた自分がバカみたいだと思った。イザは、そのままの自分を見てくれる人だったのに。一度も、アリツィアの魔力のことを話題にしなかった。それに対して無理をしている様子もなかった。 

 ーーもしかして、いえ、もしかしなくても。ミロスワフ様と結婚したら、イザ様がお母様になるんだわ。

 アリツィアは胸がいっぱいになった。
 ブランカが亡くなってから10年。
 そんな日が来るなんて想像もしてなかった。

 イザが立ち去るのを見届けたミロスワフはアリツィアに提案した。
 
「少し歩かないか?」

 アリツィアはもちろん了承する。
 手入れの行き届いた、広大な公爵家の庭園を二人は並んで歩いた。濃淡が美しい緑の生垣に、時折、鮮やかな花がアクセントとして目に飛び込んでくる。

「綺麗ですわ」
「新居もこんな庭にしようか」
「……本当に幸せですわ、わたくし」
「庭を歩いただけで、そんなに言ってもらえるなんて予想外だよ?」
「だって本当に幸せですのよ」

 カミルのことや、仕事の引き継ぎ、新しい生活。心配事がないといえば嘘になるが、ここにはそんな自分を丸ごと見守ってくれる人がいる。何かあれば一緒になって考えてくれる人たちがいる。
 そう思えることは、アリツィアにとって紛れもない幸せだった。

「ミロスワフ様、ありがとうございます」

 ミロスワフはアリツィアを包み込むように見つめた。

「僕はなにもしてないけど、アリツィアの笑顔が見れるのは嬉しいな。あそこで少し腰を下ろそうか」

 屋根付きの休憩所が見えてきたので、そこで休むことにした。

「どうぞ」
「ありがとうございます」

 隣に並んで座ると、沈黙が下りた。
 気詰まりなものではなかったが、ミロスワフが何を考えているのか知りたくて、アリツィアは、ちらりとその横顔を盗み見る。ミロスワフはほんの少し、真剣な目つきで遠くを見ていた。
 え、あれ、どうした、これ、とアリツィアはさっきまでと違う種類の緊張を覚えた。

 ーーな、なんだかドキドキするんですけど。

 だって、とアリツィアは胸を押さえながら考えた。
 
 ーーこんなに近くで、こんなに長くそばにいられるなんて、まだ信じられないときがあるんですもの。無理もないわ。
 
「不思議だな」
「はい!?」

 同じことを考えていたのか、ミロスワフも懐かしそうに言った。

「手紙じゃケンカばかりしてたのにな。会うとまったくそうはならない……母上はアリツィアに感謝しているそうだよ」
「わたくしに!? なぜですの?」

 イザと話をしたのは今日が初めてだ。

「アリツィアのおかげで僕が真っ当になったと」

 ミロスワフは苦笑した。

「ミロスワフ様は一度も真っ当じゃなかったことなどありませんわ?」
「そうかもしれないけど……昔の僕は人の言うことをまったく聞かず、自分だけが正しいと思うところがあったみたいなんだ。それが突然、人の意見にも耳を傾けるようになったと母上は密かに驚いていたらしい」
「まあ」
「それが君と大ゲンカしたことによる行動の変化だとわかって、よくぞケンカしてくれたと思ったそうだ」
「……ケンカしてよかったのかしら」
「多分ね」

 まさかそれを誉められると思ってなかった。
 それにしても。

「よくあんなに書きましたわよね、わたくしもミロスワフ様も」
「まったくだ。分厚すぎるから、寮の奴らは君からの手紙を手紙だと気付いてなかったよ。頻繁に参考書を取り寄せていると思い込んでいた」
「うちもですわ。支店から送られてくる帳簿だとみんな思い込んでいました」

 会いたいのに会えない寂しさを、お互い手紙で相手にぶつけていたあの頃。それでも話したいことが次から次へと出て、止まらなかった四年間。

「今だから言いますけど、わたくし、次の日手が痛くなっておりました」
「僕もだよ。周りの奴らには勉強のしすぎだと思われてたけどね」

 ふふふ、と二人は顔を見合わせて笑う。
 けれど。
 笑いが終わっても、ミロスワフはアリツィアから目を離さなかった。
 ミロスワフが目を離さないので、アリツィアもミロスワフをずっと見てしまう。
 長い睫毛。青い瞳。
 今は触れられるほど、近くにいる。

「本当に、本物なんだな……」
「ミロスワフ様も」

 同じことを思っている。
 
「アリツィア、目を閉じて?」
「ひ、人が見ますわ……」

 潤んだ瞳で言っても、止められるわけはない。

「大丈夫だよ。この壁際は死角になってる」
 
 その声はすぐ耳元で囁かれた。

「アリツィア……愛している」

 ミロスワフがそう言って唇を近付けた。アリツィアはゆっくり目を閉じてそれを受け止めた。

          ‡

 その後。
 照れを含んだぎこちない雰囲気の中、ミロスワフが言った。

「ひとつ、お願いしてもいいかな?」
「……ええ」
「婚約もしたことだし、これからはミロスワフじゃなくミレクと呼んで欲しい。その方が呼びやすいだろ?」

 確かにその方が呼びやすい。呼びやすいけど、呼びにくい。アリツィアは何回か口をパクパクさせてから、絞り出すように声を出した。

「……ミ様」
「それは省略しすぎだよ」
「ああ、やっぱりまだ言えませんわ!」

 アリツィアは赤くなった自分の頬に手を当てた。

「練習しておきますから、もう少しお待ちくださいませ」

 懇願するように上目遣いになると、なぜかミロスワフまで顔を赤くしていた。

「……今これ、外じゃなかったらヤバかった」
「え?」
「まあ焦ることはないか」
「そうですか? そうおっしゃっていただけるとありがたいですわ。結婚式までに練習しておきます!」
「そのことじゃないんだけど、まあいいか」
 
 ミレク、ミレク様。
 そう呼ぶときのことを考えて、アリツィアは結婚式がさらに待ちきれなくなった。

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