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5-10 Melancholie

 2025年を迎える瞬間は、起きている宿泊客がほぼ全員共用エリアに集まって、ジルベスターコンサートの中継をテレビで流しながらカウントダウンした。
 そして、ホールセールストアで売られていたシャンパンとジンジャーエール、それにチーズを載せたクラッカーで祝った。寝ている宿泊客もいるからささやかなものだったが、それでも大半の宿泊客がいた。
 ジンジャーエールが注がれたグラスを手にした流雫は、カウントダウンが終わると同時に、入力ボックスに入れていたメッセージの送信ボタンを押した。それと入れ違いになって、澪からのメッセージが届いた。
 澪と送り合うのはこれで2回目だが、去年は澪のメッセージが先に届いた。今年は流雫が先だった。……これでイーブン。どうでもいいことだが、どうでもいいことで楽しめること自体、ささやかな幸せで、年明けの瞬間に享受できることが何よりの幸せだった。
 今年こそは、平和であってほしい。どう足掻いても絶望的としか思えないが、或いは……と思いたかった。

 和風のモーニングが振る舞われ、流雫もその手伝いに追われる。その間に、流雫のスマートフォンには日本より8時間遅れて新年を迎えた、フランスの両親からのメッセージが届いていた。手伝いを一段落追えて部屋に戻った流雫はそれに返信し、着替え始めた。
 元日は全国的に、めぼしい百貨店や駅ビルなどはほぼ全て休業で、河月駅ビルの商業施設も入り口前のホットドッグ屋しか開いていなかった。その分、ショッピングモールやアウトレットへの初売りを狙った客で、臨時の直行バス乗り場は長蛇の行列ができていた。
 普段の服の色違い……白シャツにネイビーのUVカットパーカー……の流雫が乗った特急列車の、乗車率は半分ほど。明日あたり、都心の初売りを狙って乗客が増えるのだろうか。
 列車が河月を発ったと同時に届いた澪からのメッセージは、何時ものごとく何時に着く列車で何号車かと云うものだった。澪はそれに合わせて新宿駅に向かう。
 何時ものケープ型コートを羽織った澪は、何時ものようにプラットホームの真ん中にいて、東京行きの特急を待っていた。
 流雫が何時ものように最後に降りると、澪は微笑みながら駆け寄る。流雫も微笑み返して近付き、改めて新年の最初の言葉を交わす。元日から会えるとは、幸先がよい……2人はそう思った。
 結奈や彩花も交えて、4人でいる。澪にとって、家族以外で何よりも大切にしたい3人。流雫は同級生2人と仲はそこまでよくないが、それは単に会った回数が少なく、また何を話せばいいか戸惑っているだけだ。
 そして澪は、彼と2人が仲よくなるのは笹平よりも簡単だろうと思っていた。2人は彼とは違う学校に通っていて、あの日彼に何が有ったか知らない。だから、自分を媒介しているとは云え、打ち解けるのも時間の問題だと思った。
 現に、ハロウィンの日に4人でセルフィーした時も一緒に写ったし、クリスマスに渋谷で2人に偶然会って、その後夕方まで一緒だった時も、彼女たちの問い掛けに答える形で話はしていた。
 ……少しは笹平にもガードを緩めてやれれば、と澪は思ったが、それは流石に過干渉になると思った。
 2人とは新橋駅で待ち合わせることになっていた。先に着いていた女子高生2人に遅れて合流した流雫と澪を
「澪!流雫くん!」
と2人が呼んだ。クリスマスと同じ服装で並んでいる。
 1週間ぶりに合流した4人が向かったのは、日本橋。地下駅の新日本橋駅から歩いてすぐの神社、福徳神社に向かう。五街道の起点となる日本橋に鎮座するが、四方を高層ビルに囲まれている。そのギャップが、神社の静寂と凜とした佇まいを醸し出している。
 澪は毎年、この神社に初詣に行くことに決めていたし、それ以外も何度か訪れている。去年の3月、渋谷で美桜に「逢った」日もいたし、8月には初めて流雫を連れて。殊の外、流雫の方がこの神社は好きらしい。
 初詣もあまり行ったことが無い流雫は、澪の隣に並びの3人の見様見真似で参拝をする。願ったのは、今年1年を平和に過ごせることだった。
 あまりにも夢が無いと思われる、それは判っている。しかし、それさえも神や仏に願い、縋らなければ叶わない……と思うほど、日本の治安は悪化していることを象徴していた。
 そして、今年は銃を握ること無く1年が終わってほしかった。あの渋谷で撃ったのが、最後の銃弾であってほしかった。
 ……年末に流雫が感じた新たな脅威は、それこそこう云う神社や寺も標的に成り得る。日本では神や仏も同じ、聖なるもののカテゴリーにまとめられるが、それは日本と云う国が特別なだけだ。
 今年起きなくても来年起きる可能性は有るが、そう言い出せばキリは無い。今はただ、今年1年の平和を願い、1年後の元日に
「去年と同じように平和であってほしい」
と願えることを願う。その繰り返しだ。

 参拝を終えると、2人はお祓いの受付を済ませようとした。それぞれの名前を台帳に書くと、小さな社に案内される。
 その間、結奈と彩花は細い道路の反対側に立つ木を囲む、木製のベンチの一角に座っていた。
「今年の御守りは学業。来年、大学受験だからね」
と言い、数分前に社務所で授かった紙袋に入った御守りを出して見せる彩花に、結奈は
「流石は才女、真面目だね」
と言う。
「医大に行くから」
と即返した彩花に、恋人は
「医大……?」
と問うた。初耳だった。
 「うん、医大」
と繰り返した彩花は、空を仰ぎながら続ける。
「救急救命に進みたいの。秋葉原や福岡の時のようなことが起きても、私は結奈や澪のように戦えない、護れない。だけど、非力でも医学さえ判れば、誰かは助けられるハズだもの」
 ……それは、福岡の暴動の夜、結奈が湯を張ったバスタブに体を沈めながら決めたことだった。
 担任が撃たれ、自分を先にホテルに逃がそうとした結奈が撃ち殺されそうになり、澪が結奈を護ろうとして撃った。そして、殺されそうになったことで参っていた結奈と、怖かったからか泣き叫んでいた澪を目の当たりにした彩花は、自分の弱さを思い知らされた。
 ……自分が、2人の力になるにはどうするべきか。そう思った彩花が出した答えが、救急救命だった。
「どんなに先陣を切るファイターや広域攻撃が得意なウィザードが有能でも、ヒーラーがいないと何時かは全滅しちゃうわ。それと同じよ」
と、彩花はハマっているゲームのキャラの属性に例え、恋人に顔を向けて言った。
「だから、何としてでも行かないと」
 恋人の意志に少しばかり圧倒された。彩花は、結奈にとって頭が上がらない。そのボーイッシュな少女は、
「……ボクは、どうしようかな……」
と呟く。正直、これと云った目標は何も無かった。
「ゲームが好きなら、開発したりプロデューサーになったり……?」
彩花は言った。
 あのゲームフェスに4人で行ったのも、結奈の父親がスポンサー企業に勤めていることで招待券を渡されたからだが、それもゲームメーカーだ。そして、今流雫以外の3人がハマっているゲーム、ロススタも手掛けている。
 そう云うところで、もっと面白いものを手掛けられるなら、それも悪くないと思った。無論、そのためには低くないハードルも多いが。
「それもいいかな。もし遠距離になるなら、彩花についていこう」
と言って微笑んだ結奈に彩花は顔を向ける。ボーイッシュな少女はふと微笑みを消して、
「でもやっぱり、今はこの4人が平和であってほしい。そう願うだけだよ」
と言った。
 福岡で自分が殺されかけたと云う事実が、結奈の思いに拍車を掛けているように彩花には思える。ただ、やはり目下の願いはそれだ。
「やっぱ、それよね」
と彩花は微笑む。大学受験だの何だのとは言っているが、それもこれも社会が平和だからこそできること。これ以上平和が崩れないように、そして平和が戻ってくるように。
 そして、やはり気になるのは澪のことだった。

 あの修学旅行を2人は思い出す。
 引き金を引いて結奈を助けた澪が、2人に支えられつつ、ブルートゥースイヤフォンで繋がる流雫の名前を呼びながら泣き叫んでいた。怖い……と。
 そして、警察署から戻ってきた彼女は2人の部屋で少しだけ話して自分の部屋に閉じ籠もり、流雫と通話しながら泣き叫んでいた。自分といたから、2人は暴動に遭遇した……と。隣の部屋から漏れてくる悲痛な声は、聞いている方が辛く感じた。
 3人全員が無事だったことは、強いて言えば完全勝利だった。しかし、それも所詮結果論でしかなく、そもそも2人と喧嘩してでも、安全な海浜タワーに置き去りにすれば、暴動に遭遇しなくて済んだ。だからあれは、自分の過ちだと澪は思っていた。
 そして、昼間福岡の空港で遭遇した自爆テロと絡め、他の同級生から2人が煙たがられていると、澪は流雫に向かって嘆いていた。自分といたからだと言って、自分も同じ目に遭っていることには目を背けて。
 少し冷静さを欠く時も有るが、常に2人のために自分を後回しにすることを厭わない澪。だからこそ彼女を見捨てない……。結奈と彩花はそう決めた。
 絶対的な存在の流雫には敵わなくても、彼がいてやれない時には2人で力になりたかった。そして、東京の空港の展望デッキで言ったその言葉に、澪は瞳を滲ませていた。
 ……誰かが被害に遭うのを見捨てられない。澪はそう云う性格だ。だからこそ、今年こそ銃を持つこと無く、泣くこと無く平和に過ごしてほしい。
 「……澪には流雫くんがいるんだし」
「絶対的な騎士様がね」
結奈の言葉に彩花が続くと、2人に近寄ってくる同級生が
「お待たせ」
と言った。噂をすれば……と云うやつだ。その騎士もそのすぐ後ろから近寄ってくる。やはり、誰よりも澪に相応しいのは流雫だと2人は思った。
 「これで今年は安泰だといいけどね」
と澪が言うと、彩花は
「フラグ?」
と返す。澪はすかさず
「彩花!」
と怒ってみせるが、目は完全に笑っていた。何時もの茶番に結奈が笑う。
 その様子を見ながら流雫は、しかし微笑みを消した。
 こうやって、目の前の3人が笑っていられる平和が続けばいい。続いてほしい。それは絶望的なことぐらい、覚悟はしている。……しかし、だから続くことを願いたい。
 そして、何が有っても澪を……その同級生たちを殺されないように。あの日自分が泣き叫んだような悲しみを、誰にも抱えてほしくない。
 流雫は3人に背を向けると、誰に対してでもなく、頷いた。

 福徳神社の界隈では、他の神社のように屋台が並び、縁日の様相を呈することは無く、賑やかさに欠けるが落ち着いて過ごせる。
 ふと、向かい側のビル前でぜんざいを無料で振る舞っているのが見えた。
 青空が広がっているとは云え1月、そして高層ビル街に囲まれていて風が集中してこの界隈を貫く。一言で言えば寒い。温めるものが欲しかった。そこに見掛けた人集り。折角だし、と4人は並ぶことにした。
 並んだが、人気だったらしく生憎2人分で品切れになった。そこで、結奈と彩花、そして流雫と澪で半分ずつ分けることにした。空になった鍋が置かれた長机の隣に、小さな丸テーブルが置かれていて、そこに4人は固まった。
 流雫に譲られ、先に口を付けた澪には、一緒に過ごす初めての元日が特別に感じられる。去年も3人で初詣をしたが、今年はその時より断然楽しい。そしてこれこそが、本当に平和の瞬間だと思う。
 1人だけ都内ではなく遠くからで、自分たちより早く家を出た上に、ペンションで早朝から慌ただしかっただろうから、と思った澪は少し多めに残し、流雫に紙容器と割り箸を渡す。すると彩花が狙ったかのように
「間接キスだよね、これ」
と言った。
「な……っ!」
まさかのタイミングに、澪は顔を紅くする。
 ……確かにそうは思った、しかし言われるとは思っていなかった。何時狙われるか判らない。彩花はスナイパーだった。ただ、極めて平和な。
 流雫は少し顔を紅くしながらも、何事も無かったかのように紙容器に口を付ける。撃沈したのは、ダークブラウンのセミロングヘアの少女だけだ。
「彩花……澪は弱いんだから」
と結奈は呆れ口調で言ったが、心では笑っていた。
 告白もキスも、思い返せば澪が先だった。あの2月までは、流雫はただのルナでしかなかったのに、それからのヒートアップと急接近は我ながら大胆だった、と今では思う。ただ、3月に最悪の初対面を果たしたとは云え、寧ろあの日に逢ったから、2人は今こうしていられる。
 今はクールダウンしている、と思いたいが、それは誰より近い位置に立っていることで、ヒートアップする理由が無いからだと思えた。
 ただ、キスだの何だのと他の人から言われることには、相変わらず耐性が無い。流雫の不意打ちの言葉もそうだ。やはり3人には敵わないのか。
「……絶対仕返すわよ……」
と呟きながら、澪は笑った。

 冷えた体を糖分と炭水化物で温めると、結奈と彩花は澪の予想通り、秋葉原に行こうと言った。歩いても遠くない。4人は秋葉原へ向かって歩くことにした。
 20分近く歩いて秋葉原の電気街に着くと、この界隈は元日から賑わいを見せていた。恐らく、今日に限っては東京で最も活気が有る街だろう。
 結奈と彩花は、事前に目星を付けていた大通り沿いのゲームグッズのショップを目指す。やはり、大晦日の昨日まで臨海副都心の東京ジャンボメッセで開かれていた、大規模イベントで売られていたグッズの店頭販売分が狙いだった。店の前の長蛇の列に並ぶ2人。
 流雫と澪は、その入口前の歩道の端で2人が戻ってくるのを隣り合って待ちながら、目線を秋葉原駅の方角に向けていた。
 ……何かにつけて、流雫は秋葉原と相性が悪い。それは澪もだったが、今まで半数の確率で何かが起きている。せめて今日ばかりは、何も起きなければいい。お祓いは済ませたから、起きないと思いたいが……。
 「……元日から重い話だけど……」
と流雫は切り出した。
「重い話?」
「……教会爆破のこと。どうしても気になって、頭から離れなくて」
と、流雫は澪の問いに答える。澪は更に問う。
「……宗教テロが、ついに日本にも……?」
「……僕はそう思ってる」
と答えた流雫は、ふと遠い目をした。
 祖国フランスで毎年の如く起きる、宗教テロの脅威が日本にも。確かにそれも怖い。しかし、もっと怖いのは澪との距離が遠離ることだった。……宗教問題が絡む以上は、何時かは話さないといけないことだと、シルバーヘアの少年は思っている。
 そして、何故あれほどにトーキョーアタック、トーキョーゲートの真実に傾倒したのか。美桜の死に隠された真相に触れたい、だけではないもう一つの理由。それも、何時かは澪には告白しなければならないことだと思っていた。……明日からも、彼女の隣に立ち続けたいと思うのならば。
 ……日本では、本人以外には鐘釣夫妻の2人しか知らない、宇奈月流雫が両親と離れて暮らしている本当の理由。最後は流雫がそれでいいと決めた、それは事実だったが、それ以外の答えが無かった、と言った方が正しい。……澪がどんな表情をするかは判らない。しかし。
 流雫は覚悟を決めた。
「でも……それよりも、澪に隠してたことが有るんだ」
「流雫?隠してたって……何を……?」
と、流雫の突然の告白に問うた澪は、不安な表情を滲ませていた。……その表情が怖かった。だが、何時までもそれから逃れるワケにはいかない。自分を見つめる彼女から目を背けたまま、流雫は言った。
 「……僕が日本の親戚に預けられた、本当の理由」
「え……?」
澪は目を見開く。そして流雫は、一呼吸置いてゆっくりと言った。
 「日本に親戚と云う受入先が有ったから、単に日本に帰化して住んでるって形で丸く収まってる。だから定義からは外れるけど、大雑把に云えば難民に近いのかな」
その言葉に、澪は怪訝な目付きで
「……どう云うこと……?」
と問う。問いしか出ない。軽く混乱しているのが、流雫には判る。
 「……日本に移り住んだのは、本当はフランスの宗教テロから逃れるためだったんだ。日本は宗教問題とはほぼ無縁だから、テロの心配も無い……と云う理由でね」
「母さんから聞いた話、パリにいた頃……、家族揃って危うくテロの被害に遭いそうになって。それも宗教絡みの大きなテロに。それで、母さんの故郷に近いレンヌに引っ越したんだ。……2歳ぐらいの時かな?」
「でも、それでも脅威は消えない、フランスにいる限り。だから僕だけ、日本に移そうと。……未だ小さかった僕の身の安全のため、そう言われると拒否権なんて無いよ。それでいい、と答えるしか無かった」
「2人は、ビジネスが漸く軌道に乗ったばかりだったから、今更フランスを離れるワケにはいかなかった。そのことについて、今でも嘆いてるし、危なっかしくても僕をフランスに残せばよかった、と思ってる」
そう続けた流雫の、寂しそうな目を見ていられなかった澪は大通りに背を向けて地面に目線を落とした。そして、小さな声で問うた。
 「どうして、その話を……」

 「どうして、その話を……」
澪は問うた。
 ……だから、難民排斥と外国人制限を目指した伊万里の存在は、一言で言えば特大の地雷だったし、美桜を殺したトーキョーアタックが憎かった。流雫がテロに詳しかったのも、トーキョーアタックやトーキョーゲートに首を突っ込みたがっていたのも、全てがリンクしていた。
 ……あたしなんかより、流雫の正義感は強く、そして本物。こんな彼が、弱いワケがない。そう思っていた澪に、
「……澪には、知っていてほしかったから」
と言った流雫は、続けた。
「……僕が日本に逃げてきた意味が、あの教会爆破で無くなると思うと……」
その言葉に、澪は被せた。日本に来た意味が無くなる、それはつまり……。
 「……流雫、まさか、フランスに帰っちゃうの……?」
反射的に出たその声は、震えていた。視界が少し滲む。
 日本は平和だから、と流雫は移住してきた。それなのに、その原因になったテロが日本でも起きた。そうでなくても、日本はトーキョーアタック以降、危険な国になった。多分、フランスの方が安全なのかもしれない。
 恐らく、流雫が日本を離れてフランスに戻ることは、自分で決めたことだからと言えば両親も親戚も納得するし、誰も反対しないだろう。
 ただ、それは流雫と離れ離れになることを意味する。8時間の時差の問題さえクリアすれば、オンラインで簡単に会える。しかし、それだけじゃ何時かは寂しさに押し潰される。毎日ビデオ通話をした、としても。
 ……あたしには、流雫がいなきゃ。我が侭を言えるなら、日本にいてほしい。あたしは独りじゃ弱過ぎる……。そう思って唇を噛んだ澪に、流雫は言った。
「……帰らない」
その一言に、澪は
「流雫……?」
と恋人の名を呼ぶ。彼は囁くような声で言った。
「澪と……いっしょにいたい」

 福岡で暴動が起きた日、銃を撃ち、泣き叫ぶ恋人の声をイヤフォン越しに聞きながら、流雫はどうして今澪の隣にいないのか、無力感に苛まれていた。
 だから、誰よりも愛する人の、澪の力になりたい。それだけが、日本に残りたい理由だった。
「……バカ……」
とだけ呟いた澪は、しかし流雫の隣にいられることに安堵していた。
「元日から重い話だけど……知っていてほしかったから……」
と言って、溜め息に混ぜた罪悪感を吐き捨てた流雫に、澪は
「……今まで辛かった分、あたしがついてるから……」
と言って、顔を上げ、滲むダークブラウンの瞳で流雫の顔を見つめる。
 ……知らないところで、想像もつかないほどの過去を抱え、苦しんでいた流雫。どれだけ独りで泣いたのだろうか、自分でも数え切れない。
 そして、だから美桜と云う少女の好意にすら戸惑い、それがトーキョーアタックで大き過ぎるリグレットを生み出し、苛まれ続けている、今でも。
 ……そこに現れた救いの手が、澪だった。だから、必死にその手を掴んだ。惨めでも、見苦しいと思われてもいい、僕は澪にいっしょにいてほしかった。

 秋葉原と云う混沌とした街の喧騒が、不思議とシャットアウトされる。アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳で見つめた、澪の滲んだ瞳は、憂鬱に覆われた空の下で彷徨う流雫を導く、星の光のように思える。
「サンキュ……澪……」
と、流雫は囁いた。

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