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「あなたが……配達人?」

 声の主を探すと、手紙の入ったトレーを置いている机の下から男の子が出てきた。
 大人びた雰囲気だけれども、小学校低学年にも見える小柄な子だ。
 一瞬幽霊かと思って怯えてしまった自分が恥ずかしい。
 その子はにこりと笑うと、困惑する私の手を引いてエレベーターへと誘導する。

「僕は香月。配達人のメンバーです。先生は?」
「あ……広瀬、康子です」

 あら?
 私、教師だって言ったかしら?
 それにここ、電気来てる……廃ホテルじゃなかったの?
 驚くことに、香月くんがエレベーターのボタンを押すと、すぐに扉が開いた。

 混乱する私の手を引き、香月くんは3階で降りるとすぐ左の部屋に入る。
 灯りの点いたその部屋では、セーラー服を着た女の子がポットを手にお茶を淹れているところだった。
 女の子の制服は、町内唯一の高校のものだ。

「夏樹、先生の分もお願い~」
「あ、やっぱり作文取りに来たのね」

 要さんの言った通りね、と女の子は言う。
 要さんって、誰だろう?
 香月くんに勧められるままソファに座り、夏樹と呼ばれた少女からお茶を受け取る。
 ポットもカップも、どう見てもホテルの備品だ。
 こんな勝手に、いいのだろうか?

「ここまで来てもらってごめんなさい。地下室では、いつ人が来るかわからなかったので、こちらの部屋を用意してもらいました」

 正面に座った香月くんが、本題を切り出す。
 夏樹さんは香月くんの隣に座って頷いている。
 この子が、いえ、この子たちが配達人?
 こんな、小さな子が?

「あなた……いえ、あなたたちの親は何をしているの? あなたたちに、配達人なんて怪しいことをさせるなんて……!」
「その怪しい仕事を依頼しようとしていた人が言います?」
「血を分けた人が親だというのなら、僕に親はいません」
「!」

 また失言した、と焦る私に、夏樹さんが死んでませんよ、と訂正する。
 死別したわけでもないのに、親をいない、だなんて。
 この子も、親と仲が悪いのかしら……?

「まぁ、僕たちのことは良いんです」
「ちゃんと事情があってやっていることですし、危険そうな依頼は断るよう楓さんが選別してくれてますからね」
「楓さん?」
「うちのメンバーです」

 本当は何でこの子たちが配達人をしているのか、楓さんとは誰なのかとか、聞きたいことはたくさんあった。
 けれど、答えてくれそうだった夏樹さんの言葉を遮るように、香月くんがコツコツと机を鳴らす。
 配達人の正体を詮索しないのがルールだ、と釘を刺されてしまった。

「僕たちのことより、先生の話を聞かせてください。なぜ、手紙ではなく作文を配達人の依頼トレーに入れたのか。本当は何を誰に届けて欲しかったのか」
「今後、どうしたいのかも」

 二人の言葉に、ドキリとする。
 私は、どうしたかったのだろう。

「わから、ないの……」

 誰かに、どうにかして欲しかった。
 自分ではもう、何をどうしたらいいのかわからなくて。
 木梨さんに謝りたいけれど、それであの子の苦労や心の傷が消えるわけではない。
 それは、何の解決策にもならない。

 誰かに、あの子を助けて欲しかった。
 私を睨みつけるあの子は、刺々しい言葉を放つあの子は、私には今にも泣きだしそうに見えた。
 あの子を救う術は私にはない。
 私では何の力にもなってやれない。

「そんなことはありませんよ」

 言い淀んでいると、香月くんがそっと私の手を握ってきた。
 そして、にこりと笑ってそう言った。
 まるで、私の心を読んだかのように。

「だって、先生はこうして行動に移したじゃないですか。何かをしたかった。その原動力となった想いこそ大事なんです」
「少なくとも、私たちは先生がこの作文を置いたからこそ、こうして先生にお話を聞きたいと思いました。どうにかしてこの子を助けたいと。先生の想いが、私たちを動かしているんですよ」
「私が、動かした……」

 相手はまだ子どもなのに、その言葉は私の心に染みた。
 私は無力ではない。私の行動は無駄ではなかった。
 と、喜ぶ私の後ろで、こう叫ぶ私もいる。
 子供が二人増えたところでどうしたというのだ。子供に何ができるのだ。と。

「先生、もう一度、よく考えてみてください。誰に、何を届けたいと思って僕たち配達人を頼ってくれたんですか?」
「私は……」

 頼って、いいのだろうか。
 相手は、まだ子供だ。
 確かに、あの子の不幸を知って、誰かに助けて欲しかった。
 その願いどおりに、この子たちは動こうとしてくれている。

 けれど。
 大人の私ですらできないことを、この子たちができるとは思えない。

「……先生、私は、実の親に殺されそうになりました」
「えっ!?」

 突然夏樹さんの口から飛び出した、ギョッとする言葉。
 固まる私に、夏樹さんは続ける。

「灯油を撒かれて、火をつけられたんです。その時は助かりましたが、毎日毎日、死ねと言われ続けました。私は生きていてはいけないのだと、そう思うほどに」
「そんな……児童相談所は、周りの大人たちは、助けてくれなかったの?」
「助けを、求められなかったんです。自分が悪いのだと思っていたから。助けてくれる人がいるなんて、考えることもできなかった。それを、香月くんが助けてくれたんです」

 夏樹さんは、木梨さんの作文を指さし、「その子も同じだと思うんです」と言った。
 助けてもらえると考えていないから、助けを求められない。
 確かに、木梨さんは助けてとは言っていない。
 けれど、このままでいいわけがない。

「私たちに任せていただけませんか? 私たちは子供ですが、子供だからこそ、大人にはできないこともできます」
「例えば、その子と友達になって本音を聞き出すとかね」

 子供だからこそ、できる……。
 目から鱗だった。
 確かに、心を開いてもらえていない私より、この子たちの方があの子に寄り添えるかもしれない。


「木梨さんを、助けてください」


 私は覚悟を決めた。
 木梨さんの容貌、クラスメイトの様子、保護者たちの反応、校長先生からの圧力……。
 あの子の不幸の要因になっているすべてを、洗いざらい打ち明ける。
 教師失格な自分は、処分されてもいい。
 だけど、その時はあの子を見捨てようとした学校も道連れだ。

「私にできることは、何でもします。どんなことでも言ってください」
「ありがとうございます、先生。では……――」

 香月くんからの要求は、なかなか厳しいことだった。
 けれど、教師人生がこれで終わってもいいと覚悟を決めた私には、やってやれないこともない。
 その日の夕日は、大地を焦がすかのように大きく朱く見えた。

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