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4-9 Proud Of Friends

 弥陀ヶ原が流雫を解放したのは、16時頃だった。6時間近く、東京からの刑事といたことになる。
 既に下校時間だが、学校に自転車を置いたままだった流雫は、学校まで送り届けられることになった。ペンションへ直行でもよかったが、それだと明日の通学が面倒になる。
 「気を付けて帰れよ」
とだけ言った刑事に
「弥陀ヶ原さんも」
と言って頭を下げた流雫は、しかしヘルメットを教室に置き忘れてきたことを思い出した。鞄を背負いながら階段を上がると、最も端の教室に着く。そこには黒薙と笹平だけがいた。他は全員帰ったらしい。廊下側の最前列が笹平の席で、学級委員長はそこに座っている。黒薙はその隣の机に座っていた。
 「宇奈月、今度は何をしでかしたんだろうな」
「その言い方は無いわ。……この1年、黒薙くんの態度を見てきたけど、あんまりじゃない?」
「しかし、そうでもなければ出迎えに来ないだろ。とは云え……」
2人の話し声が聞こえるが、黒薙は相変わらず笹平の注意をはぐらかしている。流雫はそこに無言で飛び込んだ。
 「宇奈月くん!?」
と、早退したハズの同級生に驚く笹平の声に流雫は
「……ヘルメット、忘れただけ」
とだけ言い、机のフックに掛かっていたヘルメットを手にする。
 「警察の人が直々に出迎えるなんて、余程のことね。何が有ったの?」
「何をしでかしたんだ?」
2人の言葉に流雫は答えず、早足で教室を後にする。その態度が余程気に食わなかったのか
「宇奈月!!」
と大声を上げた黒薙は、シルバーヘアの少年を追った。
 駐輪場でロードバイクの鍵を外そうとした流雫に追い付いた黒薙は
「待て!!」
と肩を掴む。無言でその手を払い除けた流雫が鍵を外してヘルメットを被ると
「お前!今度は何をした!?」
と黒薙は言った。
「……人を殴った。じゃあ」
とだけ言い残した流雫は、ロードバイクを押した。
「宇奈月!!」
と大声で呼ぶ声を聞き流し、ネイビーのフレームに跨がる。
 ……人を殴った。経緯を全て省いているが、間違ってはいない。土曜日に秋葉原で銃で犯人を殴った、と説明する必要など無い。
 ただ、もしこの場に澪が居合わせたとすると、自分への態度とのあまりの違いに唖然とするだろう。その前に、澪が初対面相手ながら容赦なく噛み付くことは間違いないが。
 それに、今まで遭遇してきたテロや通り魔のことを、2人には判って欲しくない。何も知らないまま過ごせるなら、それに越したことは無い。
 そう思いながら、流雫はペダルに足を掛けた。

 日没と同時に、テロ対策本部を後にした室堂父娘は、地下鉄で博多駅に出る。駅前広場は重機が乗り付けて慌ただしいが、原因は月が変わると同時に始まるクリスマスマーケットの準備だった。
 福岡の郷土料理の一つ、モツ鍋を選んだ2人は駅ビルの店に入る。特に澪は、料理が好きな母の美雪の手料理が大好きで、夜に外食をした記憶が殆ど無い。それだけに新鮮な感じがした。その母は1人東京だが、此処に居合わせれば更に楽しかったに違いない、と思うと少し残念だった。
 美味い鍋料理に満足した澪は、日本酒を1杯だけ口にした父と、駅ビルの屋上に行った。昼過ぎだった昨日と異なり、夜景が望める。
 デッキの端で、何時もより甘めにしたラテの紙コップを手に、低い街並みを眺める娘の名を、1人分離れて立つ父は呼んだ。
「……澪」
「何?」
と、澪は父に顔を向ける。台風の空港で元政治家を逮捕した日から2ヶ月間、父親として抱えていた本音を吐露した。
 「お前には銃を持ってほしくなかったし、撃ってほしくなかった」
その言葉に
「流雫と同じこと言ってる」
と言ったが、父はそれに続けた。
「親としての綺麗事だ。……撃たなければ殺される、ならば死ぬよりマシなのかもしれんが」
 「……いきなり何?」
と、澪は怪訝な表情を浮かべる。昼間の話もそうだったが、何だか普段の父親らしくない。
 「……昨日、あれから飛行機の中で、お前と流雫くんが空港で伊万里を撃った時のことを、思い出していたんだ」
と父は言った。
 ……東京発福岡行き、帝国航空の最終便。そのエコノミークラスの通路側の座席に座り、機内サービスのコーヒーを啜りながら、常願は1時間半以上のフライトの殆どをそのことに費やしていた。目を閉じると、澪が流雫に手を支えられながら引き金を引き、元国会議員が倒れた光景を思い出す。
 確かに、高校生が政治家を撃ったことは前代未聞だった。しかもその高校生は、我が娘とその恋人で、娘に至っては刑事の娘だ。だが、同時に政治家が高校生を撃ったのも前代未聞だった。
 そして澪も、あの時のことを思い出した。豪雨に打たれながら、死なない、流雫を殺されないためにと引き金を引き、流雫に抱かれて泣き叫んでいたことを。
 「……とにかく流雫が殺されると思ったから、必死だった……。でも、流雫があたしの手を支えたから、弾が当たったようなものよ」
そう言ってラテを啜った澪は、少しだけ間を置いて続ける。
「流雫が言ってたの、……銃を撃つのは、悪魔と踊ってるようなものだと。その意味、あたし凄く判る……怖いぐらいに」
と遠い目で夜空に顔を上げて言った娘に、父は言った。
「……銃を悪魔に喩えるとは、詩人のようだな」
 「前世、そうなんじゃない?流雫のルーツ、フランスだし」
そう返した澪は、ふと寂しげな微笑を浮かべながら空を見つめ、続けた。
「……撃つのは怖いけど、でも撃たないと誰も……自分すら護れないのなら、そうするしかないわ……」
その横顔を見つめながら、父としての顔を見せるベテラン刑事は目を伏せて言った。
「……澪は頼もしいな」
 娘に銃を撃たせることになった犯罪と社会の変わり様を恨み、そして刑事の娘と云う立場で澪を苦労させている部分に、後ろめたさを感じる。ただ、それでも父を誇りに思うと言った気丈な一人娘は、やはり自慢したい。
 父に顔を向けた澪は
「頼もしくないわ。結奈、彩花、そして流雫……あたしはみんなに生かされてるだけよ」
と言い、誰にも聞こえないほどの声で
「美桜さんにもね」
と呟いた。
 夢でしか逢ったことがない、流雫のかつての恋人。しかし、彼女が流雫とあたしを護っている、だから今こうして生きていられる……澪はそう思っていた。それが、彼女に肯定されたいと云う深層心理から生まれた、単なる妄想でしかなかったとしても。
 「生かされている、か。全く、お前らしい」
そう言って口角を上げた父に、澪は
「だから、あたしはみんなを護らないと」
と言った。
 ……その正義感の強さが徒になる時も有る、昨日のタワーのように。しかし、それでも3人はついてくる。それは、澪の人柄がそうさせるからに他ならない。尤も澪には、その3人の背中を追い掛けているように思えるが。もっと、しっかりしなきゃ、と。
 「……だから、あいつらに愛されるんだな」
と言った父の言葉に、澪は数秒置いて
「……そろそろ戻る?明日、早いんでしょ?」
と問うた。3人に愛される……その言葉に思わず頬が紅くなったのを、隠したかった。
 時間はもう20時前。いや、未だ20時前なのか。ただ、図らずも父と2人で深く語り合えたことが、今回の修学旅行で何よりの収穫だと思った。
 
 金曜日の正午、澪は福岡アジア国際空港のバスプールに出向いた。東都学園高校の修学旅行生一同……正確には結奈や彩花と3日ぶりに合流するためだ。
 バスから最初に降りた2人が
「澪!」
と同時に声を上げると、澪は2人に駆け寄った。その表情から、月曜日の影響はもう残っていないように思えて、澪は安堵した。
 後は空港でランチタイムを過ごし、14時半発の飛行機で帰るだけだ。
 フードコートの端のテーブル席に陣取ると、澪は結奈と彩花から毎日送られてきた写真の場所が、どんな感じだったか話を聞いた。
 ……澪が父から取調を受けていた火曜日は大分の地獄巡り、水曜日は熊本で城を見て、木曜日は長崎に行きヨーロッパ風の街並みのテーマパークにいた。そして先刻、長崎から福岡に到着した。その道中の話を聞きながら、さながら旅行会社のパッケージツアーのようだと、澪は感じた。
 福岡市から出ることができなかった澪にとっては、生憎の修学旅行だった。しかし、結奈と彩花が何だかんだで楽しめたのならよかった、と思っていた。ただ2人にとっては、やはり澪がいないことが不満だった。
 「残念だったね、あんなことが起きたばっかりに、福岡から出られなくて。ホテルに軟禁状態だったんでしょ?」
と言った彩花に澪は
「仕方ないよ」
と答えた。
 事情が事情だけに、1人別の街で単独行動……と云うワケにもいかず、ホテルから出られなかった。例外だったのはすぐ近くのコンビニとスーパーで、モーニング以外はそこで調達していた。それでも九州名物らしいものを選んでいたが。
 部屋では、例のパズルRPGゲームを少しだけプレイして、後は相変わらずこの福岡で起きたことを整理していた。月曜日に博多駅の雑貨屋で購入したミニノートは、1ページ辺りの行数が少なく、既に1冊使い果たした。ここぞとばかりにひたすら寝たり、時間を気にせず湯船に浸かったりしてもよかったが、今はそれよりも追い掛けたいことが有る。
 同じ市内だが、入院している担任の見舞いにも行けなかった。退院はもう少し先の話だが、順調に回復しているようだ。
 父は予定通り水曜日から佐賀に行き、今日福岡に戻っている。確か帰りは今夜の最終便だったか。どんな情報を入手したのか気になるが、それは最早自分たちの領域ではない。
 「……それに、父と事件以外でじっくり話すことができたから」
と言いながら、火曜日に博多駅で話していたことを思い出した澪は、
「……そう思えば、悪いことばっかりじゃなかった、かな」
と言った。
 「大人だね、澪」
そう言った結奈に澪は
「全然。我が侭なだけだよ。結奈や彩花、それに流雫がいるから、あたしは我が侭でいられる」
とだけ返し、啜ったコーラの水面を見つめながら
「だから3人には生きていてほしい、それがあたしの何よりの我が侭……、なんてね」
と続けた。
 最後だけ戯けてみせたが、2人は笑うことなく聞き入っていた。何度も生き死にの境界線に立たされてきた少女の言葉は、どんなに有名なインフルエンサーよりも断然、説得力が有る。
「……澪らしい。そう云うとこ、ボク好きだな」
「私も」
2人は答える。澪は微笑みながら、残ったコーラを飲み干した。

 帝国航空318便は、定刻通りに福岡を発つ。そして、東京中央国際空港に16時過ぎ、これもまた定刻通りに着いた。手荷物返却場でスーツケースを手にした澪は、
「ちょっと、寄りたい場所が有るの」
と言って、同級生2人と国際線ターミナルの展望デッキへ向かった。
 澪には思う節が有ったからだが、1人で十分だった。しかし、折角だから2人もついてくると言って、結局3人で行くことにした。
 ターミナル同士を結ぶ無料連絡バスに乗って15分、3人は国際線ターミナルの到着フロアに着く。……澪はあの台風の日を思い出した。目の前の道路でも銃撃に遭い、必死に走って逃げ延びた。
 あの時と異なり、今日はエレベーターで最上階へ着くと、貸ホール前から右に進み、展望デッキに出た。初日とは対照的に雲一つ無く、3人の頭上には夕焼けが広がっている。意外なことに、澪が晴れの空港にいるのは初めてだった。
 「こんな景色だったんだ……」
と澪は呟く。
 前に来た時は両方天気が悪く、しかも散々な目に遭った。それも全てトーキョーゲート絡みだったし、いい記憶が無い。それ故、彼女にとってはこの風景は初めても同然だった。
 澪はデッキ端の金属製の階段を上がる。溜まり場のようになった四角形のエリアは、家族か親戚の見送りでやってきたらしい幼稚園児ぐらいの子供が走り回っていた。
 ……2ヶ月前、この場所で澪は初めて引き金を引き、流雫と抱き合って泣き叫んでいた。今でも、全てを簡単に思い出せる。

 「一度だけなら、悪魔が勝ってもいいんじゃない?」
と流雫に殺されたハズの澪が伊万里に放った一言は、その通り自称正義に悪魔呼ばわりされた高校生2人が勝つと云う結末を迎えた。
 しかし、アニメや映画にありがちな正義の逆転勝利のお膳立てにはならず、それどころか1ヶ月後、自分の腹心に白昼堂々射殺されると云う、悪魔2人にとっても予想外の後日譚が待っていた。

 「澪?」
結奈が、立ち止まったままのダークブラウンのセミロングヘアの少女を呼ぶ。彼女は覚悟を決め、躊躇いを溜め息に混ぜて吐き捨てると2人に振り向いた。
 「……あたし、黙ってたことが1つだけ有って」
「何?」
少女の前置きに、彩花は問う。
 「人を撃ったの……あれが初めてじゃなかったんだ」
「え?」
彩花は目を見開き、その隣で
「まさか、此処……で?」
と結奈が問う。
 「うん。あの台風の日……、流雫とトーキョーアタックの追悼式典に行ってね。あの時も、テロが起きたってニュースになってたけど、此処で撃たれそうになって……流雫と2人で……」
澪は敢えて淡々と言いながら、2人から目を逸らすように俯く。その2人は言葉を失っていた。
 ……何度もニュースで流れた、防犯カメラの映像。それに映っていた2人が目の前の同級生とその恋人で、しかも澪があの政治家を撃ったとは。
 「だから、あの時1人で帰りたがってたんだ……」
その結奈の言葉に、澪は頷く。
 2学期に入った途端、澪は1人で帰るようになった。それは、自分をヒーロー扱いしようと付き纏うメディアのとばっちりを、2人が受けないためにと思ってのことだった。2週間ほどでそれは止まったが、思えばあの時から、2人に心配を掛けていた気がする。
 「……あの時から、空港に行くことなんて無かったから、ちょっと寄ってみたかったの。でも、修学旅行の最後に2人に水を差しちゃって……」
と言った澪に、彩花が被せる。
 「流石は澪」
「え……?」
思わず顔を上げた澪の目を見つめながら、結奈は言った。
 「澪が命懸けで撃ったから、あの時ボクは助かった」
その言葉に彩花が続く。
「絶対に私たちを護る……その思い、頼もしかった」
「結奈……彩花……」
澪は2人の言葉に、名を呼び返すことしかできなかった。
 ……澪と一緒だったことで、他の生徒から煙たがられても、2人は決して彼女と距離を置かなかった。結奈と彩花が無事だったことに安堵し、怖かったとイヤフォン越しに流雫に泣き叫ぶ澪が、今でも2人に刺さっている。
 ……命懸けで自分たちを護った澪を、自分たちが支える。それは2人が、打ち合わせしたワケでもなくそれぞれが自然に抱いた意志だった。
 「……何が有っても、ボクは澪を見捨てない。ボクは、澪の味方だから」
「私もいるよ。澪には私たちもついてるんだから」
2人は少しだけはにかみながら、目の前の少女に告げる。
 ……立山結奈、黒部彩花。入学当初から自然と仲よくなり、何時しか一緒に遊ぶようになっていた。そして、何度も大変な目に遭っても、それがあたしのとばっちりでしかなくても、彼女たちは絶対にあたしを見捨てない。
 ……2人は、あたしにとっての誇りだった。だから、あたしも2人を絶対に護る。何が有っても。
「結奈、彩花……。……ありがと……!」
そう言って笑った澪の瞳が滲んで見えたことは、2人だけの秘密だった。

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