飛梅
あるじ様の姿が見えなくなって、結構な日にちが経った。
以前なら毎日会いに来てくれたのに、流石におかしい。
「物知り松ちゃん、あるじ様、最近来ないね」
「おお、梅ちゃんかい。あるじ様は一月に左遷されたんじゃよ」
「ええっ!? そんなの聞いてないよっ!?」
まさかそんな事あるはずがない。
そう思って、根掘り葉掘り聞いてみたけど、あまりいい話ではなかった。
どうやら、あるじ様は、政敵にはめられてしまったらしい。
それで今は、ずいぶん遠くに居るそうだ。
「物知り松ちゃん、どうして教えてくれなかったの?」
「そりゃ、梅ちゃんが寝てたからじゃよ」
「うっ……」
そう言われると、何も言い返せない。
でも、あるじ様も酷いな。私を起せばいいのに、黙って行ってしまうなんて。
でも……うん。そうだ。追いかけよう。
「あるじ様を追いかける」
「梅ちゃん、本気で言っておるのか?」
「本気本気。物知り松ちゃんも付いてくる?」
「そうじゃのう。あるじ様に会いたいのう」
長い間住んでいたこの地を離れるのは淋しいけど、あるじ様に会えるのなら何のその。
こうして私と物知り松ちゃんは、あるじ様を追いかける事になった。
色々準備をして、冬の寒空の下、力を入れる。
「ふんむむむむむむむっ! 物知り松ちゃん、準備はいい?」
「ふむむむむーん! 大丈夫じゃ、いつでもいける!」
「よ~っし、いっくよ~!」
次の瞬間、私と物知り松ちゃんは、空を舞っていた。
今は二月。凍て付くような寒さの中、私たちは大空を駆け抜けていく。
半日ほど経った頃、物知り松ちゃんがフラフラしているのに気づいた。
「梅ちゃんや、ワシはここまでじゃ」
「物知り松ちゃん! 何言ってるの? まだまだ飛べるよっ!?」
「すまない、どうやら限界のようじゃ。ワシはあの丘の上に降りる。梅ちゃんは、あるじ様にワシの事を伝えてくれるだけでよい。あとは託す」
「松ちゃーん!!」
物知り松ちゃんは、あっという間に高度を落とし、下に見える大きな丘の上に降り立った。
その顔は、とても哀しそうに見えた。
松ちゃんの回復を待とうかとも考えたけど、私は一度降りたらもう飛べない事が分かっていた。
だから私は全力で飛んだ。
そして、一昼夜ののち、あるじ様のいる榎社(えのきしゃ)に辿り着く事が出来た。
「んっへっへ。ここで待ってよっと」
でも、待てども待てども、あるじ様の姿は見れなかった。
そして、ひと月が経った頃、ようやくあるじ様の姿が見えた。
ずいぶん痩せてらっしゃる。
左遷されたという、物知り松ちゃんの話は本当だったのだろうか。
あっ、あるじ様、ちょっと待って!
あ~あ。気づかずに行っちゃった。
まあ、しょうがない。またあるじ様が来るまで、寝て待とう。
う、う~ん。随分長い時間、寝てたようだ。誰かの声で目が覚めた。
「おぬし、もしや白梅(しらうめ)か?」
「わっ!? あるじ様!! はいっ、白梅でございます!」
「こんな場所まで、どうやって来たのだ?」
「へっへ~ん、飛んできましたっ!!」
「……飛んできたじゃと?」
あるじ様は、目ん玉がこぼれそうなくらい目を見ひらいていた。
でも、本当に飛んできたんだから、しょうがない。
「あっ、そうそう! 物知り松ちゃんがよろしくって言ってたよっ!」
「松ちゃん? 松かっ!」
「そうそう。途中で落ちちゃったけど」
「……そうか」
それから私は、あるじ様とたくさん話した。
質素な生活をしているとか、いまだに怒りを抑えきれないとか、色々だ。
そんな話ばかりだったので、さすがに心配になってきた。
「あるじ様、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ。しっかり怨みを晴らす心づもりだ」
そんな不吉な言葉を残し、あるじ様は去って行った。
それから、何度かあるじ様を見かけたけど、私の呼びかけには応えてくれなくなった。
哀しい。だけど、あるじ様は何かを成そうとしてらっしゃる。
だから私のお話に付き合っている暇は無いのだろう。
私も大人なんだし、我慢しなきゃ。
……さて、今日は寝よう。
「白梅や」
「むにゅ~」
「起きろ、白梅」
「はっ、はいっ、あるじ様! ……おや? そのお姿は?」
「死んでしもたわ! はっはっはっ! まあ、ちょっと聞いてくれ」
あるじ様が天拝山(てんぱいざん)で祈祷をしていると、天満大自在天神と書かれた祭文が、天から降りてきたそうだ。
それが神号だったとしても、あるじ様は、この左遷の地で、ろくに食事も与えられずに死んでしまったのだそうだ。
お労しや。
でも、霊魂となっても、私に気をかけてくれるあるじ様は、やっぱりとてもお優しい。
改めて尊敬の念を抱いていると、あるじ様はしょげた顔で言った。
「お別れだ」
「極楽浄土へ行かれるんですね?」
「そうだなあ。行けるかどうか分からん。少し寄り道をせねばならぬからな。それはそうと、達者でな、白梅」
「あるじ様っ! 短い間でしたけど、お慕い申し上げておりました!!」
私の声が届いたのか分からない。けど、あるじ様の紋である、梅の花びらがヒラヒラと舞い、それを残して逝ってしまわれた。
そのあと、あるじ様の噂話を何度か聞いた。
災害を引き起こす大怨霊になったと。
まさかまさか。
神号を得たあるじ様が、悪霊になるはずが無い。
そんなの、俗世の噂話に過ぎないよね。
まあ、あるじ様とは、またいつか会えると思うし、しばらく寝よう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「起きろ」
「むにゅ~」
「起きろ、飛梅(とびうめ)」
「私は白梅だよ。むにゅ? あんた誰? どうして言葉が解るの? あ、あれれ? ここ、榎社じゃないよね?」
「落ち着いて?」
目の前に、チビっこい女が立っていて、餅を食いながら私に話しかけていた。
それに、私の周りには柵があって、前にいた場所と違って見える。
ひょっとして、寝過ぎて時代が変わっちゃったのかな?
「お、お、落ち着いたわよ? な、何それ?」
「梅ヶ枝餅。これわたしの好物なの。というか、話が出来てびっくりしてる?」
「あ、当たり前でしょ? 私は梅の木なのよ?」
「その感じだと、ずっと寝てたみたいね」
「そ、そうだけど、なに? な、何の用なの? な、名前くらい名乗ったらどお?」
「わたしは、|賀茂《かも》|桜子《さくらこ》。んでさ、1119年前、あなたが平安京から、太宰府まで飛んできたってほんと?」
「……本当よ。物知り松ちゃんと離ればなれになったけど」
「松ちゃん? ああ、神戸の飛松岡ってとこで、まだ健在よ」
「ほんと!? やった~!!」
「ところで、相談なんだけど。ほれ、これ松ちゃんの枝」
そう言った桜子ちゃんは、あるじ様、つまり菅原道真公が近々甦りそうになっているので、それを抑えるため、私に力を貸して欲しいと頼んできた。
物知り松ちゃんは、既に協力してくれると言ったそうで、桜子ちゃんが持っている松の枝も、物知り松ちゃんの枝だと分かった。
「協力してもいいけど、あるじ様が甦るって、どういう事なの?」
「まあ、それは追々話すよ」
「あっ!」
桜子ちゃんは、私の枝を一本折って、知らん顔して立ち去っていった。
でも、枝を折った所を見られてたようで、巫女さんたちから追いかけ回されている。ぷぷっ!
まあ、あっちの枝にも私の意識があるし、久しぶりに会った物知り松ちゃんに色々聞いてみよう。
んっへっへ。
また旅が出来る。楽しみだ。
完