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総務課最後の仕事 ③

 僕はしばらく受付にいて、(ちょう)(もん)客から香典を受け取り、記名をしてもらう傍ら、ホールの入り口で一人ひとりに会釈をする喪主(もしゅ)の加奈子さんと絢乃さんをチラチラ見ていた。

〝弔問客〟とはいっても、社葬なのでほとんどが会社やグループ本部の関係者だったのだが……。一人だけ、僕にも見覚えのある会社の関係者ではない人も参列していた。絢乃さんの親友である、中川里歩さんだ。

「――どうも、受付ご苦労さまです。お会いするの、クリスマスイヴ以来ですよね」

 ダークグレーのコートを脱ぎ、シックなグレーのワンピース姿で香典袋を差し出した里歩さんは、受付に立っているのが僕だと分かるとかすかに微笑んでくれた。

「はい、お久しぶりです。今日は……絢乃さんに呼ばれて?」

 その前日、絢乃さんは彼女に電話でお父さまのご逝去を告げた時に、大泣きしていたそうだ。その時に「葬儀に来てほしい」と頼まれたのかもしれない。

「ええ。周り、大人ばっかりだと息が詰まるだろうから、って。あたしが一緒にいた方があのコも安心するだろうし」

「そうですね。……それにしても、まさかこんな形であなたと再会するとは思ってませんでしたよ」

「……ねえ。あたしもビックリです。絢乃とは、もうお話しされました?」

「いえ。受付の方で手が離せなくて……。葬儀が終われば、チャンスはあると思うんですけど」

 ……「チャンス」って何のだよ。しかもあんな時に! 僕は心の中でそっとセルフツッコミを入れた。

「――じゃ、絢乃が待ってるんで、あたしはもう行きますね」

「あ、はい。本日はご参列ありがとうございます」

 彼女はちょっと丸っこい字で記名を済ませると、僕に会釈してから絢乃さんたちのいる方へ行ってしまった。

 弔問客を出迎える絢乃さんの目に、涙はなかった。よく見れば、目の縁が少し赤くなっているのが分かる程度。前日に号泣し尽くして涸れ果ててしまっていたのか、泣くまいと必死にこらえていたのか僕には分からない。もしも後者だったとしたら、その気丈な振舞いは痛々しすぎた。

 ――弔問客が途切れ、受付が落ち着き始めた頃、ふと絢乃さんと目が合った。三ヶ月ほど前と同じ光景だったが、違うのはあの時はお父さまの祝いの場だったのにこの日はそのお父さまの死を悼む場だったことだ。
 ……抱きしめたい。深い悲しみの中で必死に踏ん張っていた彼女を、その小さな体に、重責を背負うことになった彼女を。思わず理性をすっ飛ばし、そんな衝動に駆られかけた。
 でも、僕は彼女の恋人でも何でもなかったので、それは叶わないと悟り、彼女とそっと目礼を交わすだけで精一杯だった。

 彼女の視線が僕から外れると、今度はそっと彼女の服装を窺ってみた。

 喪服というのは、女性を五割増しで美しく見せるらしい。たとえ着ているのが十代の女の子だとしても、だ。
 大人っぽいデザインの黒いフォーマルワンピースを身にまとった絢乃さんは、凛々しい表情も相まって普段よりぐっと大人に見えた。とても父親を若くして亡くした女子高生とは思えない色香を放っていて、彼女に恋をしていた僕は密かにドキッとしていた。

 喪主を務めていた加奈子さんも、黒の和装ではなくシックな黒のパンツスーツ姿で当主の風格が漂っており、こちらはこちらで普段の()(ぼう)がさらに引き立っていた。

 やがて二人もホール内へ入っていき、葬儀・告別式の開始時間となったので、僕たち総務課の社員も参列者に加わった。

****

 ――源一会長の葬儀は仏前式でもキリスト教式でもなく、一般的な(けん)()式で行われた。これは篠沢家が無宗教だからであり、喪主である加奈子さんの意向でそう決まったのだ。

 〝社葬〟というだけあり、弔問客は篠沢商事の社員・役員が半数以上。あとはその家族と、おそらくはグループの方の役員や篠沢家の親族といったところだろうか。里歩さんは式の間ずっと、絢乃さんの隣に座って彼女を励まし続けていた。

 僕たち総務課社員は最初の方に献花をさせてもらい、ホールの隅に固まって立ったままで過ごしていたのだが。親族席の様子がどうもおかしいことに気づいた。
 そこに座っていた人たち、主にグループ内企業の役員と思われる男性たち数人が、加奈子さんと絢乃さんをすごい形相(ぎょうそう)(にら)みつけていたのだ。そしてその鋭い視線に、二人はまったく気づいていなかった。……いや、もしかしたら気づかないフリをしていただけなのかもしれないが。

 一体何なんだ、あの人たち? ……追悼の場とは思えない物々しい空気に、僕は眉をひそめた。そして、すぐにピンときた。彼らはきっと、絢乃さんが次期会長に決まったことが不満なのではないか、と。
 源一会長がお書きになった遺言状は、その前夜に弁護士の手で、親族に内容が公開されたらしいと絢乃さんから聞いていた。あの人たちはその内容に納得していなかったのだ。
 だからといって、死者を冒涜するようなことはしてほしくない。ましてや、絢乃さんたち母娘(おやこ)を恨むなんてお(かど)違いも(はなは)だしい。お決めになったのは源一会長なのだ。

 ――絢乃さんのことは、僕が全力で守らなければ。そう決意した。それが僕にとって本当の、総務課最後の仕事となるのなら……と。

 ――そしていよいよ、出棺の時間が迫ってきた。

 弔問客は故人との最後のお別れの後、このまま帰ってしまう人と、火葬場まで一緒に行く人とに分かれる。里歩さんは葬儀が終わると、絢乃さんに声をかけて帰ってしまった。絢乃さんは引き留めようとされたようだったが、最後には納得のうえで親友を送り出された。
 会社やグループの関係者もほとんどが帰路につき、火葬場へ同行することになったのは篠沢家の親族と、会社からは僕たち総務課の人間を除けば村上社長と小川先輩だけとなった。……村上社長は奥さまとお嬢さんもご一緒だったが。

「――桐島くん、私は社長のご一家と一緒の車に乗っていくことになったから」

 先輩が僕にそう言った。彼女はこの少し前、一足先に社長秘書へ配置換えになったばかりだった。

「そうですか。じゃあお帰りも社長ご一家とご一緒に?」

「ううん、社長はご家族と一緒に先にお帰りになるって。私は奥さまと絢乃さんにちょっと話があるから残る。でも最後まではいないと思う」

 一体どんな話が? と勘繰りたくなったが、やっぱり女性には色々あるようだ。僕はそれ以上の詮索をやめた。

「……というわけで、今日はここでお疲れさまだね。絢乃さんたちのことはあなたに任せたよ!」

「はい」

 棺が(れい)(きゅう)車に乗せられ、出棺の時が来た。斎場の駐車場に停められた一番立派な黒塗りの社用車の前で、僕は絢乃さんと加奈子さんに宣言した。

「――奥さま、絢乃さん。運転は僕が担当します」

「桐島くん! っていうか、私はもう〝奥さま〟じゃないわ」

 すると、加奈子さんが肩をすくめて悲しげにそうおっしゃった。この時の彼女はもうすでに、〝未亡人〟という立場だったのだ。

「そうですね、すみません。ですが、他にどうお呼びしたらいいのか……。では、こうしましょう」

 僕は気を取り直し、少し言い方を変えた。

「――絢乃さん、加奈子さん。火葬場までは、僕が責任をもって送迎いたします」

 僕が義母のことを〝加奈子さん〟とお名前で呼ばせて頂いたのは、多分この時が初めてだったと思う。……今となっては僕の姑に当たるので、この呼び方をしたら怒られそうだが。

「桐島さん……。よろしくお願いします」

 絢乃さんの、僕への縋るような表情はきっと、僕の思い過ごしなんかじゃなかった。今ならそう断言できるが、この当時の僕は気のせいだと思っていた。
 
 二人を社用車の後部座席に乗せた僕は、同じく黒塗りの車が列をなすという物々しい光景の中、霊柩車のすぐ後ろについてハンドルを握っていた。

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