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6、誰もいない家

 二人は、" コートロード通り" に向う為に今度は、馬車に乗った。
「ニュートンさん、ひとつ聞いていいですか?」
「なんだい?」
「ティンマンって何の事ですか?」
「君は戦争の事も覚えていないのだね。よかろう。説明してあげよう。ティンマンというのはこの間の戦争で兵士たちの一部に施された魔術の一種だよ」
「魔術? 魔法? ここでは魔法が使えるんですか?」
「そうさ。当然だろ。ああ、そうか、アサキはそれも覚えていないんだったね」
 ニュートンはそう言って肩をすくめる。
「あの、魔法が使えるって普通のことなの?」
「そうだよ。まあ、それなりの勉強は必要だがね。で、その魔術は人を金属の身体に変えてしまうんだ。身体だけでもなく心も鉄のようになる。この身体になると、頑丈になるから剣も銃の弾も通さない。食べ物もいらないし寝る必要もないんだ。戦争で重要なのは何かわかるかい?」
「戦争で? うーん……強いこと? すごい武器とか?」
「そういったことも必要だけど、重要なのは補給なんだ。大勢の強い兵士や強力な武器を持っていても戦う兵士の食料が行き渡らなくては軍隊が機能しないからね」
「そうなんだ……」
「だから、魔術を使って食料が必要としない軍隊を作った。この金属の身体を持つ兵士たちをティンマンと呼んだんだ」
「だから黒ウサギさんも、バラックさんの事をティンマンと言ったのね」
「戦争が終わった後、帰還した兵士は、元の人間に戻したんだけど、一部は、人間に戻せなかった人たちがいると聞いたことがある」
「バラックさんもそうなんだね」
「理由は、いろいろ言われているが、人間だった頃の自分を思い出せないのが一番の理由らしい」
「じゃあ、バラックさんも……人間だった時のことを思い出せずにいるんだね」
「戦争ではいろいろと酷いこともする場合があるから……特にティンマン部隊は、常に最前線の特に戦闘の激しい場所に送り込まれていたからね。彼の心を傷つけてしまったのかもしれないね」
「ねえ、ニュートンさん。バラックさんも昔の心を思い出せれば、人の姿に戻れるのかな」
「可能性はあるね」
「……そっか」
 アサキはぼんやりと外の景色を眺めて考えた。
 バラックさん、元に戻るいいのに……

 馬車はコートロード通りに到着した。
 ニュートンは、馭者に賃金を払うと馬車から降りた。
 辺りは、穏やかな雰囲気が漂う住宅街だった。黒ウサギの言うとおり確かに住むには良い場所そうだ。
「さてと手帳の住所は……と」
 ニュートンは、近くを歩く人に声をかけた。
「ああ、ここね。それなら、すぐそこ。ほら、緑の屋根が見えるかい?」
「ええ」
「あそこがその住所だよ。でも、もう2年以上戻ってきてないよ。戦争に行ったきりね。戦死したわけじゃなさそうだけど家には戻ってこないんだよ。何があったんだか……」
 二人は、リントンの家に向かった。
「誰もいないみたいですね」
 アサキは窓から家の中を覗き込んだ。灯りはついていない。
「郵便桶にも手紙が溜まっている」
 ニュートンが近くを歩く人をつかまえて尋ねてみた。
「ああ、リントンさんね。あの人、戦争に行ってから戻ってこないね」
「亡くなられたんですか?」
「いや、戦死したわけじゃないんだよ。ただ家に戻ってこないだけ。なんでだろうね」

 アサキはもう一度、窓から中を覗き込んでいた。
 誰の姿も見えない。
 だが、その時、ある事に気がつき、ニュートンを呼んだ。
「ニュートンさん。ここに私達以外にも最近来た人がいるみたい」
「ほう? なんでそう思うんだい?」
「この窓の桟、ほこりで汚れているんだけど、ほこりの所に指の跡ができてる」
「確かにそうだね……おや?」
 ニュートンが窓の桟に触れてみると窓には鍵がかけられていない事に気がついた。
「身内が窓から入るとは思えない。泥棒が入ったのかもね」
「どうしよう。警察に……あ! ニュートンさん!」
 ニュートンは、窓を開けるとさっさと中に入ってしまう。
「ちょっと! 勝手に入っちゃって! ニュートンさんてば」
 呼び止めるアサキをよそにニュートンは何食わぬ顔で窓から家の中に入ってしまう。
「アサキ。君を早くきたまえ。窓の外に立っていると怪しまれるぞ」
「え? 怪しまれるって、これじゃ私達……」
「早く!」
「は、はい!」
(これじゃ泥棒じゃん!)
 急かされたアサキも急いで窓から家の中に入った。

「部屋の中を見る限り荒らされた様子はないな」
「一体、どれくらい帰っていないんでしょうか」
「戦争は、2年前に始まって1年ほど前に終わった。開戦時から兵役についてとしても3年だな」
「それならここについている埃の量も納得ですね。本当に帰ってきてないんだ……」
 アサキは、何故か寂しい気持ちになった。
 部屋の中は散らかったいないものの棚やテーブルの上には薄っすら埃がかぶっている。
「人がいなくなって随分経っているようだけど、それにしては、この机の周りだけは少しきれいだな。ちょっと気になるね。それに……」
 ニュートンは壁の側の机に近づいた。机の上には開封された手紙が山積みになっている。
「誰かが手紙を開けて読んでいる。バラック……リントンさんかな? そんなわけはないな。彼は少なくとも2年から3年は家に戻っていない筈だからね。では、誰が手紙を開封したんだろうね?」
「何でそう言えるんです? 2、3年前のものかもしれないし」
「単純に手紙の日付だよ。一番新しいもので先月の消印がある」
「あ……」
「おやおや、それにこれには見覚えあるぞ」
 ニュートンは、机の上にあった便箋を手に取ってアサキに見せた。
「誰かが持っていた便箋とよく似てないかい?」
 ニュートンはそう言いながら机の横にあったゴミ箱をのぞいてみる。ゴミ箱の中にはいくつか便箋が丸めて放り込まれてあった。おそらく書き損じたものを捨てただろう。ニュートンは、その中のひとつを拾って見てみると眉をしかめた。
「ふむ……他人の手紙を勝手に読んだ誰かさんは、何故か返事の手紙を書いているようだね。興味深いな。そうだ! アサキ、ちょっといいかな」
 ニュートンは、アサキを手招きした。
「何? ニュートンさん」
「これを書き写してくれるかい」
 そう言ってごみ箱から拾い上げた便箋を渡した。
「え? なんで?」
「ちょっと、確かめたいことがあってね。えーと書くものはないかな」
 ニュートンは引き出しを物色してペンを見つけ出すとアサキに渡した。
「ほら、早く」
 アサキは、不思議に思いながらも言われたとおり書き写し始めた。
「思ったとおりだ。ほら」
 書いてる途中にニュートンがアサキの肩を叩く。
「ちょ、なんのことです?」
「だってほら」
 ニュートンは、捨てられていた便箋とアサキが書きかけの便箋を並べてみた。見ると書かれた文字の形がそっくり同じだった。
「あ……」
「どうやら、君は、この家に入った泥棒は君だったのかな?」
「私が泥棒に? 私、泥棒なんてしないです」
「僕もそう思うよ。君はそんな子じゃない。でもわからないのはリントンさん宛の手紙の返事を何故、君が書いていたかだな」
 ニュートンは、ごみ箱から拾い上げた書き損じの便箋をいくつか広げて見せた。
「私が?」
「ほら、この書き損じの手紙に書かれた相手の名前が送り主の名前が同じだしね。あっ、そうだ!」
 ニュートンはそう言うとドアを開けて部屋から出ていった。
「ニュートン、どこへ?」
 追いかけていくとニュートンは平然と郵便桶から溜まった手紙をかき集めてきた。
「こっちの手紙は全部、最近送られて来たものだった。もしかしたら君が出したと思われる手紙の返事かもしれないね」
「あ……」
 アサキは、何か気がついたようだった。
「ニュートンさん、私、ここに来た理由が分かったわ」
「何か思い出したのかい?」
「思い出したわけではわけではないけれど……多分、その時の私は、バラックさんを人間のリントンさんに戻す方法を思いついたんだわ」

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