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2、ニュートン探偵事務所

 ニュートンが買い物を終えて戻るとドアの前に誰かがうずくまっていた。
 服装も見慣れない格好だ。紺色のブレザーど同じ色のスカート。
 丈は短く膝より下が丸見えだ。
 初めて見る服にニュートンは興味を惹かれた。
「もしもし、何か御用かな? 変わった服装のお嬢さん」
 ニュートンは少女に声をかけた。
「あ……すみません!」
 彼女は目を覚まして顔を上げた。
「あの、ここはアイザック・ニュートン探偵事務所ですか?」
「いかにもそのとおり」
「じゃあ、あなたがアイザック・ニュートンさん?」
「ああ、そうだが」
 ニュートンは、そう言ってにっこりと笑いかけた。
「私がアイザック・ニュートン。故あって探偵を営んでおりますが、お嬢さん」
「あの……実は町の外れで困っていたら、そばにいた人に名刺を渡されて」
 そう言って彼女は、ニュートンに名刺を見せた。
「うん、たしかに私の名刺だね」
 ニュートンは名刺に顔を近づけて言った。
「その者が私の知る者かはわからぬが、きっと縁のある者だろう。名刺を持っているのだからね。ああ、そうだ、お嬢さん。すまないけど。そこをどいてくれないかい」
「あっ、ごめんなさい」
 ニュートンは扉の鍵を開けた。
「さっ、お嬢さん、お入りなさい。お話を聞きましょうか」

 ニュートンは、彼女を部屋に入れると長椅子に座らせた。
「ちょっと待ってくれるかな。今、紅茶を入れるから」
 ニュートンは、戸棚からポットと紅茶缶とポットを取り出すと散らかったテーブルの上に置いた。その後、そそくさと部屋の奥に入っていた。
 彼女は、待っている間、部屋の中を見渡した。
 何かの実験器具がいたるところに置かれ、雑多としている。本棚の本も何かの専門書のようだ。
「さあ、お湯が湧いたぞ」
 ニュートンがフラスコをカンヌキの様な器具で掴んで戻ってきた。
 奥の部屋をチラリと覗くとアルコールランプが置かれていた。どうやらそれを使って湯を沸かしたらしい。
 ニュートンは、ポットの中に慎重にフラスコのお湯を注ぐと、懐中時計を取り出して時間を測り始めた。
「あの……」
 少女が言いかけた時、それを遮るように人差し指を突き出す。
 どうやら邪魔するなという事らしい。
 そのままで数十秒が過ぎた後、ニュートンがようやく口を開いた。
「もう、いいだろう」
 ニュートンは、そう言うとティーストレーナーを通してカップに紅茶を注いだ。
 紅茶の良い香が部屋に漂い始める。
「良い香を出すにはね、この時間が重要なんだ。それとティーポットの形も」
「はあ……」
「さあ、どうぞ」
 差し出された紅茶はとても香が良かった。
「美味しい!」
「そうだろ? この茶葉のブレンドは、長年の研究の成果なのだよ」
 ニュートンは、得意気にそう言った。
「いやあ、興味が出るととことん追求する質でね」
「……なんとなくわかります」
 そう言って部屋の中を改めて見渡す。
「さて、話を……あ!」
 ニュートンは、テーブルの上の本の山に気づき、慌てて片付ける。
「少々、散らかっているように見えるが実は、わざとこのようにしているんだよ。取りたいものがすぐ取れるように私が取りやすい位置に配置してあるのだ」
「はあ……」
 片付けができない人のよくある言い訳だった。 
「それにしても君のその格好、見慣れない服装だね」
「そ、そうですか?」
「女性なのにブレザーを着ているが、その靴では馬には乗れそうもないから騎兵ではないね。では、どこかの学生なのかな? しかし、その胸のエンブレムを僕は知らない。この街の大学のエンブレムは全て知っているというのに」
「きっと、私の住んでいたところは、これがふつうの格好なのかもしれませんね」
「面白い答えだね。では、お嬢さん。どこからおいでかな?」
 ニュートンは、自分のカップを手に取るとそう尋ねた。
「実は、それが問題なんです」
「……というと?」
 彼女は、ここに来るまでの経緯をニュートンに話した。

「なるほど、君は、何も覚えていないのか。これが記憶喪失というやつか!」
 椅子の背もたれに寄りかかるとニュートンは、そう言った。
「はい……たぶん。ここがどこなのかもわからなくて。あなたなら助けてくれるって教えてもらったんです」
 ニュートンは、背もたれに寄りかかり少しばかり考え込んだ。
「まずは君の持ち物を見せてもらえるかい?」
「え?」
「持ち物で君のことが何かわかるかもしれないね」
 ニュートンはそう言ってにこりとした。
「それじゃあ、私を助けてくれるんですか?」
「困っているレディは見捨てておけないだろう。さあ、机の上に出してくれ。君が何者かわかるヒントを探してみようじゃないか」

 彼女は、持っていたバッグから中のモノを取り出した。机の上に置かれたのは、小銭が少し、何か分からないガラクタ。それと手帳と手紙だった。
「ガラクタのようだが、なんだろう? 珍しいモノのようだが……それよりもこの手帳と手紙。これらは、大きな手がかりになりそうだね」
 だが、手紙には何も書かかれていなかった。封筒にも送り先も差出人も書かれていない。
「何も書かれていない手紙か……興味深いね。お次は、手帳を見てみよう」
 手帳をパラパラとめくってみる。
「いろいろと走り書きがあるね……おっと、こいつは」
「なに?」
「手帳の上表紙に名前が書いてある……ア・サ・キ? 聞き覚えは?」
「いいえ」
「持ち主の名前なのかもね」
「私の名前でしょうか?」
「この手帳が君のモノなら、そうかもしれないね。そうかもしれないし違うかもしれない。なぜなら今のところ、この手帳が君のものである証がない」
「そうですか……」
「でも、どうだろう。名前がないのは、いろいろ不便だし、この手帳は、君のものだと仮定して、今はとり合えず、君の名前は、アサキってことにしておくというのは」
「仮の名前ということ?」
「もちろん、君が何者か突き止めるか、もしくは君の記憶が元に戻って名前を思い出せば、本当の名前を名乗ればいい」
「アサキか……わるくない名前ですよね。うん、そうします」
「じゃあ、アサキ。この手帳に書いてあることには何か覚えは?」
 ニュートンは、アサキに手帳を渡した。
「覚えてないなぁ……ん?」
「どうした?」
「このページだけ汚れてる……ってだけなんだけど。ごめんなさい、少し気になって」
 アサキの言う通り、そのページには指で擦ったような汚れが付いていた。
「あんまり関係ないですね」
 アサキは、照れくさそうに笑ってみせた。
「いやいや、アサキ。君が、気になるってことは、もしかしたら、この手帳に何かあるのかもしれないよ」
「そうなんでしょうか……」
「記憶の奥に押し込まれた何かが囁いているのだよ。さあ、手帳を貸してみたまえ」
 ニュートンは、手帳を受け取ると虫眼鏡を取り出してじっくり眺めた。
「指でこすったような感じだね。塗料片らしきものだわずかだが付着している。これは……うーん、緑色の塗料かな」
「何か関係あるんでしょうか?」
「わからない。でも気になるね。さらに気になるのは、こっちかな。このページの前のページなのだが、とある場所についてが書かれている」
 そう言うとニュートンは、アサキに見せた。
「ほんとだ」
「通りの名前とか、場所のことが細かく書いてある。簡単な地図まである。君が行ったことのある場所か、行こうとしていた場所なのかもしれないな」
「そこが、私の家ってことでしょうか?」
「そういうかもしれないし、そうでないかもしれない。ふつう自分の家を地図を書いておくかだろうか」
「引っ越したばかりとか」
「うん、そういうこともありえるね。君は頭の回転が早いね」
「そ、そうですか?」
「ああ、とても素晴らしい。それでは……と、まずは手始めに、ここに書かれてある場所を調べてみようか。君の家じゃないにしても君の事を知ってる人間に会えるかもしれないしね」
 ニュートンは、そう言うと手帳を閉じた。

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