バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

3、不思議な町

 ニュートンとアサキの二人は、手帳に書かれた場所に向かうことにした。
 歩いていける場所だと言ったので近くを想像していた。ところが歩きはじめてから随分経つ。

 途中、通り過ぎる人たちは、奇妙だった。
 人の姿をしている者は、半分もいない。あとは、鳥の顔だったり、ウサギの顔だったりした。大柄な者がいたかと思えば、熊やライオンの顔をしていた。
「あ、あの……ニュートンさん。ここって普通の場所ですか?」
 アサキは、恐る恐る尋ねた。
「少し、人通りが多いかな。ほら、露店が出ているから」
「いや、そういう事ではなくて……」
「ああ、もっと賑やかな通りもあるよ」
「あの、鳥人間が歩いているなんて普通ですか?」
「鳥?」
 アサキは、コートを着込んだ鳥男を指差した。
「ははは、アサキ、あの人は、鳥ではないよ。だって羽がないだろ?」
「だって、あの顔……」
「鳥に手なんか無いし、靴も履かないじゃないか。あの人は、手もあるし、靴も履いている。しかも立派な紳士だ」
 視線に気がついた鳥男がこっちを向いた。
 慌てて目を逸らすアサキ。
「で、でも……」
「どうやら、私の推理どおり、アサキは、外国の人なのかもしれないね。きっと歩く人も店も珍しいのだな。ならばその見慣れない服装も納得がいくというもの」
「いや、人というかぁ……」
 アサキは、それ以上の質問をやめた。
 ここでは、これが当たり前の光景なのだろう。鳥人間もウサギ人間も普通に暮らす街なのだ!
 アサキは、そう自分に言い聞かせたが、この奇妙な違和感は拭えなかった。
「アサキ、ちょっと待ってくれ」
「どうしました?」
「手帳に書かれた場所まで、すぐそこなのだが、ちょっと準備をしたい」
「あ、どうぞ」
 ニュートンは、上着の内ポケットから回転式のピストルを取り出すと、弾を装填しはじめた。
「ちょっと、ニュートンさん。なにを……」
「いやなに、これから行く所は、物騒なのでね。少し備えようと思ったんだ」
 ニュートンは、弾を込め終えるとピストルを隠した。
「さあ、行こうか」
 不安になるアサキだったが、ここまで来たら行くしかない。覚悟を決めて有るき出した。
 そこは薄暗く、雑多な通りだった。
 人気は少ないが、どこからかの視線を常に感じる場所だ。
「この辺りだが、何か、覚えはあるかい?」
「いえ……何も」
「そうか、やはり、そう簡単にはいかないか」
「なんてところです?」
「“面影通り”だよ」
「ロマンチックな名前」
「名前の通りならいいんだけどね。僕から離れないように」
「は、はい」
 アサキは、ニュートンにピッタリと寄り添った。
「……あそこだな」
 ニュートンは、手帳に書かれた住所を確認してそう言った。

 そこは古びたホテルだった。
 看板は壊れかけて斜めにずれている。
「しかし、君のような娘がいる場所には思えないね」
「私もそう思います……」
 二人は、目の前の古びたホテルを見上げた。
「手帳には304号室とある。とにかく行ってみようか」
 ホテルに入ると薄汚いフロントに黒いウサギの支配人が新聞を読みながら座っていた。口には人参を咥えてる。アサキたちに気がつくと新聞と人参を置いてフロントのカウンターに立った。
「いらっしゃい。お二人さまなら一泊50ペンス。部屋が別々なら、30ペンスずつの60ペンス。どちらも前払いになります」
 黒ウサギは、宿帳を差し出してそう言った。
「いや、僕達は、泊まるわけじゃない。実は、ここの泊まり客に用があってね」
「え? 泊まるんじゃないの?」
 黒ウサギは、宿帳を引っ込めた。
「302号室の客に会いたいんだ」
「302号室……かぁ。えーと、それはバラックさんだね」
 黒ウサギはそう言った。
「バラックという名前に聞き覚えは?」ニュートンは、アサキに耳打ちする。
「いえ……ありません」
 黒ウサギが、鍵棚の方をちらりと見たあと言った。
「鍵は、預かっていないから部屋にいると思うよ。ウチは、呼び出しはしてないから、勝手にあがりなよ」
 黒ウサギは、そう言った。
「ありがとう。では、勝手にいかせてもらうよ。その前にちょっとバラックさんについて聞きたいんだが」
「あれ? あんたら、バラックさんの知り合いじゃないの?」
「実は届け物を持って来ただけなんだ」
 ニュートンは作り話で誤魔化した。
「じゃあ、荷物はこっちで預かっておいてやろうか」
「いや、直接に渡すように言われてるから」
「そうかい? まあ、いいけど」
 黒ウサギは、肩をすくめた。
「ああ、バラックさんのことだったよね。変わり者だと思うね。部屋から出てこないし。多分、兵隊だったと思うよ」
「思うとは?」
「だって、彼、ティンマン《ブリキ男》だったから」
 黒ウサギはそう言った。
 “ティンマン”?
 ティンマンという言葉を不思議に思うアサキは、ニュートンに尋ねた。
「ねえねえ、ニュートンさん。“ティンマン”って?」
「あとで教えてあげるよ」
 ニュートンは、アサキにそう耳打ちした。
「宿代は、1週間に一度、前払いしてくれるんだ。遅れたことはないけど、もう1年もそれが続いてるね。こっちもいつまで泊まるかなんてもう聞かないよ」
「ホテルに一年?」
「ここは安ホテルだから部屋を借りるより安いと思うよ。この辺にはそういう使い方をするのが多いんだ。それがここいらの流儀さ。何の身元確認もしないで入れるしね。こういっちゃなんだが、脛に傷持つ連中なんかには便利な場所なんだよ。居所も知られにくいしさ。バラックさんだって、それが本当の名前かわからんよ」
「へえ……」
(だから、ニュートンさんは、ピストルなんて用意したんだ……)
 アサキは思った。
「それ以外でバラックさんは、ほとんど姿を見ないね。ティンマンだから食い物もいらないんだろうけど」
(また、ティンマン……一体、ティンマンって何?)
 アサキは、ますます|ティンマン《ブリキ男》事が気になっていた。
「ようするに彼は、人間嫌いって事かな」
「かもしれないね。ほら、戦争帰りはいろいろあるから……」
「ありがとう。とにかく行ってみるよ」

 ニュートンとアサキは、フロントを後にし、302号室に向かった。
 廊下は、陰気臭く壁も床も薄汚れている。
 二人は部屋の前まで来るとノックをした。
 しばらくして反応が帰ってくる。
「誰だ?」
 とても低い声だった。
「私は、アイザック・ニュートンという者です。故あって探偵を営んでおります。ちょっとお話をお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「探偵に知り合いはいない」
「では、若い娘のお知り合いは? 女性だがブレザーを着込み、首に紺の微レザーに細めをタイをリボン結びしている。変わっているが、私は良いセンスだと思います」
 しばらくするとドアの鍵が外される音がした。二人は顔を見合わせた。
 ドアがわずかに開かれ、覗き込む目玉が見えた。
「この娘に見覚えは?」
 ニュートンは、アサキをドアの隙間に近づけた。目玉がアサキの顔を見つめる。答えはすぐ返ってきた。
「ああ、知ってる」
「名前も?」
「本人に聞けよ」
「実は、記憶を失っていて」
「記憶を? その娘に何かあったのか?」
「それも分からない有様なのですよ。それでいろいろと調べているんですよ。この娘の事を知っている方が誰かいないかね。もし、この娘の事を知っているのなら少しお話を聞かせていただけませんか?」
 チェーンロックが外されドアが開かれた。
 ニュートンは、アサキの耳元で囁いた。
「何があっても驚く素振りは見せないように」
「え? どういう……」

 理由はすぐわかった。
 ドアを開けて姿を現したのは、全身を金属の鱗に覆われた怪物だったからだ。

しおり