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 古い民家が続いていた。まだ夜の9時前だというのに、私の他には道を歩いている人は誰もいなかった。寂しい道だった。私は一人で当てもなく歩いた。

 私は倉根香織。19才の大学生だ。私はいつも一人ぼっちだった。地元で小学校から中学、高校まで進んで、去年の春に都会の大学に入学した。高校まで友人というものができたことがなかった。高校では名字を逆にした『ねくらの倉根』というのが私のあだ名だった。去年、大学に入ったときは、今度こそ友人ができるだろうと期待していた。しかし、それでもダメだった。どうしても友人ができなかった。
 私は小さい時から人と話すときに必要以上に緊張してしまう癖があった。人一倍、人見知りが激しいのだ。同じクラスの子と話すのさえ緊張してしまって、言葉が出てこなかった。大学の授業が終わると、一人で学内の図書館にこもるのが私の日課だった。
 今日も図書館からの帰り道を一人で歩いていた。夜道を一人で歩いていると、寂しさが私の胸にあふれてきた。孤独が私を苛んだ。涙が何筋も頬を伝って落ちていった。泣きながら私は歩き続けた。

 ふと見ると、私の前を何かが歩いていた。体調が50㎝ぐらいの四つ足の動物だ。月明かりの中に、その動物の白い色が鮮やかに浮き上がって見えた。白い毛の動物だ。犬だろうか? ふと、その動物が足を止めて私を振り返った。
 白いきつねだった。
 こんな民家ばかりのところにきつねがいるなんて? きっと、どこかの家で飼っていたペットが逃げ出したんだ。噛まれたりしないだろうか? 私はきつねに近づかないように足を止めた。きつねは私をじっと見ている。一声コンと小さく鳴いた。そして、また私の前を歩きだした。まるで、後についてくるようにと私に言ったみたいだった。噛みつかれることはなさそうだ。私はなんだかおかしくなった。このまま、下宿に帰っても仕方がなかった。私はきつねに誘われるように後をついていった。

 しばらく歩くと、きつねは一軒の民家の前で立ち止まった。古い二階建ての木造の家だった。入り口の引き戸が開いていて、中から光が漏れていた。
 きつねがまた私を振り向いて、コンと小さく鳴いた。そして、そのまま家の中に入っていった。知らない家だ。私は中に入るのをためらった。どうしたものだろうか? 私はその家の前で茫然と立っていた。
 すると、家の中から人が出てきた。若い女性だ。私と同じくらいの年だろう。女性の声がした。華やいだ声だった。
 「どうぞ、お入りになってください」
 女性はそう言って、家の中へ私を手招きした。
 私はつられるように、その家の中に入っていった。

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 中に入ると、古いが清潔な玄関があった。私は靴を脱いで家に上がった。廊下が奥に続いていた。女性が私の前に立って廊下を歩きだした。大きな家だった。しばらく歩くとリビングがあった。明るい蛍光灯の下にソファがあって、二人の女性が腰かけていた。二人とも私と同じような年だった。一人の女性が私に声を掛けてきた。
 「いらっしゃい。どうぞ、お掛けになって」
 私はソファの開いているスペースに座った。私を案内した女性が奥からお茶を持ってきてくれた。そして、私の横に座った。
 私に声を掛けた女性が言った。
 「私は綾香、こちらが彩音(あやね)、そしてあなたを案内したのが朱莉(あかり)よ。あなたのお名前は?」
 私は緊張して声がでなかった。
 「・・・・」
 いつもこうして気まずい緊張が訪れるのだ。しかし、このときは違った。綾香が私の顔をのぞき込むと明るく笑い出した。さわやかな笑いだった。
 「いいのよ。無理にお話ししなくてもいいのよ」

 すると、彩音がトランプを出してきた。
 「みんなでトランプをしましょう。あなた、大貧民は知ってる?」
 大貧民なら私もやったことがあった。私は黙ってうなずいた。彩音が私に言った。
 「でも、私たちの大貧民は普通とちょっと違うのよ。大貧民になったら、昔のつらかった時のことを一つお話しするのよ」
 えっ、人前で話をする? 人見知りの私にはとても無理だ。私はそう思ったが、もう彩音がカードを配り始めていた。

 大貧民が始まった。
 一回戦は朱莉が最下位で最初の大貧民になった。彩音が言った。
 「朱莉ちゃんが大貧民ね。じゃあ、朱莉ちゃんのお話を聞きましょう」

 朱莉が話し出した。
 妊娠した。未婚の母だった。朱莉はその子を産みたかった。しかし、周りが反対した。そして、知らないうちに薬を飲まされて、その子を流産した。

 朱莉は話しながら泣いていた。私は朱莉の話を聞きながら息をのんだ。壮絶な話だった。
 朱莉の話が終わると、大貧民の朱莉がカードを配った。二回戦は綾香が大貧民になった。今度は綾香が話し出した。
 
 好きな男性がいた。相思相愛だった。綾香とその男性の結婚が決まった。しかし、その後、男性が別の女に目移りしてしまった。結婚式の前日、男性がその女と行方をくらました。綾香は一人残されて泣いた。

 話しながら、綾香は泣いていた。何という悲しい話なんだろう。私も思わずもらい泣きをしてしまった。
 話が終わると、綾香がカードを配った。三回戦は彩音が大貧民になった。彩音が話し出した。

 生まれたときから両親の虐待を受けていた。そして、ある夜、父親に寝ているところを襲われた。その夜のうちに、彩音は家を飛び出した。そして、それから友達のところや施設を転々としながら大きくなった・・・。

 いつしか、彩音も泣いていた。私は言葉を失った。この3人は私と同じような年だというのに、何という人生を送っているんだろうか?
 彩音がカードを配った。そして、四回戦では私が大貧民になった。彩音がやさしく言った。
 「あなた、何かお話はある?」

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 私にはこの3人のようなすさまじい話は何もなかった。単に人見知りが激しくて、友達がいないというだけだった。私は首を振った。
 「私にはお話しできるようなことは何もありません」
 言ってから私が驚いた。人前で話ができたのだ。こんなことは初めてだ。私はうれしくなった。そうすると、いままでのことが思い出された。急にある出来事が私の脳裏に浮かんできた。

 高校のときだった。クラスで文化祭の催し物を話し合っていた時だ。男子から「お化け屋敷をやろう」という声が上がった。女子から「お化け屋敷なんていやよ。お化け役をやる人なんて誰もいないわよ」と反対の声が上がった。すると先ほどの男子が私を指さして「お化け役には、ねくらの倉根が適任だ」と言った。クラス中が大爆笑になった。私は下を向いていた。何も言えなかった。誰も私をかばってくれなかった。涙が出てきて制服のスカートを濡らした。その後、別の案がでてきて、文化祭ではその別の案の催し物をすることになった。みんな、お化け屋敷のことはすっかり忘れてしまった。私以外は・・・・。

 私の眼から涙がこぼれた。私は顔を手で覆って泣いた。
 綾香も彩音も朱莉も、みんな黙って私を見つめていた。綾香がやさしく私の背中をさすってくれた。
 私は泣き続けた。そして、泣きながら暖かいものを感じていた。ここには仲間がいた。私の気持ちを共感してくれる仲間だった。やっと出会えたと思った。
 泣き止むと、私は顔を上げた。三人がやさしく私を見守っていた。彩音がハンカチを出して私の涙を拭いてくれた。朱莉が私の手を握ってくれた。柔らかい手だった。温かい体温が伝わった。私の口からすらすらと声がでた。
 「私は倉根香織です。さっきはごめんなさい。名前が言えなくて」
 綾香の声がした。
 「いいのよ。あなたは何も変わらなくてもいいのよ。あなたはあなたのままでいいのよ」
 その声が私の身体に染みわたっていった。私は三人を見ながら言った。
 「また、ここに来てもいい?」
 再び綾香が口を開いた。
 「いつでもいらっしゃい。私たちはいつでも香織が来るのを待っているわよ」
 彩音と朱莉の声がした。
 「香織。ここは香織のおうちよ。遠慮しないで、いつでもいらっしゃいな」
 「私たちは香織が大好き。香織、また、私たちと遊びましょ」
 三人が私の名前を呼んでくれた。私には初めてのことだ。友達という言葉が私の胸に浮かんだ。

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 私が気づくと・・・・眼の前に古い社があった。後ろには石の小さな鳥居があった。ここは神社だった。私は古い神社の中に立っていた。夜だった。周りを木々が黒く取り巻いていた。木々の間から民家が見えた。民家の壁が月明かりに光っていた。もう一度、後ろを振り向くと、鳥居の向こうが道路になっているのが見えた。車が一台ライトをつけて走っていった。
 私は小さな社殿の前に立った。賽銭箱があった。賽銭箱の前面に絵が描いてあった。三匹のきつねの絵だ。ここは稲荷神社だった。賽銭箱のきつねには色がついていた。右が白色、左が緑色、そして中央が赤色だった。私は500円硬貨を出して賽銭箱に入れた。そして手を合わせた。社殿に向かって声が出た。
 「どうもありがとうございました。また、こちらのお社に来させてください」
 すると、赤いきつねの絵が浮き上がって見えた。私の耳元で声がした。
 「香織。いつでもいらっしゃい。私たちが見守ってあげるよ」
 綾香の声だった。私ははっとして、三匹のきつねの絵を見た。三匹のきつねが笑っているように見えた。

 私は神社を出た。振り返ると、そこは民家の間に挟まった、ほんとに小さな小さな稲荷神社だった。
 私は民家の間の道を歩いた。しばらく歩くと、見覚えのある電車道に出た。私は家路についた。私の心は弾んでいた。もう寂しくはなかった。私は少女のようにスキップをしながら道を歩いた。私とすれ違う人が驚いて私を振り返った。月明かりが道にスキップをする私の影を映し出していた。
 私はもう人にどう見られても構わないと思った。どう思われても良かった。私は私のままでいいのだ。ありのままの私でいいのだ。
 私の口から声がでた。
 「ありがとう。赤いきつねさん、白いきつねさん、そして緑のきつねさん」

                         了




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