バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

8.思い出

 アシュラフに手をひかれ、向かったのは階段を上がって右に曲がったところにある部屋だった。
「隣の部屋がわたしの部屋になりますので、何かありましたら、いつでもきてください」
「はい。わかりました」
 アリーナが頷いたのを確認したアシュラフは部屋のドアを開け、中に入るように促す。
 部屋はルアールで過ごした部屋よりも少し小さめだが、窓が大きく、遠くの砂漠が見えるようになっている。
 部屋の中に見惚れるていると、にゃぁ、と声が聞こえてきた。
「マレ!」
 鳴き声がどこから聞こえてきたか見回してみると、ベッド近くのテーブルの上に赤ちゃんが眠れるくらいの大きさの植物で編まれた籠が置いてあった。
 マレはその中から座ってこちらを見ていた。
「ああ、これはわたしが使っていたゆりかごですね」
 アシュラフは懐かしそうに目を細め、ゆりかごに近づいていく。
 マレはアシュラフを見ると一声鳴いた。その姿を見てゆっくりとマレの顎を撫でながら、
「ちょうどいい大きさでしたね。ゆりかごを使えば、どこでも移動できますからね。ルゥルアに頼んでおいてよかった」
 と微笑む。
「あの、本当にいろいろとお気遣い頂きありがとうございます」
 アリーナは頭を下げる。
「いえいえ。気にしないでください。それでは、のちほど」
 とマレを一撫でして、部屋を出て行った。

「マレ、やっと会えた!」
 隣の部屋まで少し距離はあるのだろうが、マレを撫でながら小声で話しかける。
「トゥイーリお疲れ様。砂漠を見に行ったって聞いてけど、どうだった?」
「うん、ラクダに乗って連れて行ってもらったの。植物が少なくて一面、本当に砂だらけで、夕方になると、白っぽく見えた砂が赤く見えたの」
 トゥイーリはさっきまで見ていた風景を一生懸命に伝える。
「マレにも見せたかったな」
 と残念そうにつぶやくと、
「明日、砂漠に俺もいくから、よろしく」
「そうなの?マレと一緒、楽しみだな」
 とそこでノックの音が聞こえ、ルゥルアが顔を出した。
「お食事の用意ができましたので、マレさまと一緒に行きましょう」
 とにこりと笑い、声を掛けた。アリーナはいつものようにマレを抱き上げようとしてルゥルアに
「アリーナさま、その籠で一緒に移動できますよ?」
 失礼します、と一声かけて部屋にはいり、ゆりかごについている持ち手を引き出し、そのまま持ち上げた。
「おお」
 アリーナは感心してその光景を見ていた。

 部屋を出ると、ルゥルアはアリーナを待たせ、奥の部屋へと行きアシュラフを呼び、一緒に1階へと降りて行った。

 アシュラフがなぜか、ゆりかごを抱え、マレの頭をゆっくりと撫でながら歩いている。

 1階の奥の部屋に通され、部屋の装飾をみてぽかーんと口を開けてしまった。
 天井からは金色で透明なガラスの飾りがたくさんついた大きなシャンデリアが等間隔で2つ並び、壁は白で青色の小さなタイルが模様を作っている。部屋の入口の正面は大きなステンドグラスで飾られていた。
 足元をみると、模様が入った毛足の長い敷物が敷いてあり、部屋の中央に低めの足が付いたテーブルが置いてあり、その上に食事が乗っていた。
「靴を脱いでおあがりください」
 とルゥルアに言われ、部屋の入口で靴を脱ぎ、敷物の上に足を置くと、柔らかくふかふかとしていた。
 アシュラフも靴を脱ぎ、部屋にはいる。
「ルゥルア、ディヤーとサーディクは?」
「ええ、すぐに呼んでまいります」
 と一礼して、踵を返した。アシュラフは
「アリーナ、足つきのテーブルの近くにクッションがあるから、好きなところに座ってください」
 と伝え、アシュラフはステンドグラスを背にしたところに胡坐をかいて座り、その横にゆりかごを置いた。アリーナはその近くに腰を下ろした。
「マレ、歩いてみるか?」
 と籠に向かって話したアシュラフに、にゃあ、と返事をするマレ。
「よ、っと」
 ゆりかごから敷物の上にマレを出す。マレは足元の感覚がちょっと気持ち悪いらしく、片足をプルプルと振りながら歩いている。

「アシュラフさま、失礼します」
 ルゥルアの声が聞こえて、入口を見ると、ルゥルアの後ろにアシュラフと初めて会った時にいた男性二人が立っていた。
 三人とも靴を脱ぎ、部屋に入ってきて、適当にクッションに座る。
 落ち着いたところで、アシュラフが
「アリーナ、まだ紹介していませんでしたが、男性二人はわたしの侍従です。ルゥルアの近くに座っているのがサーディク、その隣がディヤーです」
「アリーナさま、初めてご挨拶させて頂きます。サーディクと申します。お見知りおきを」
 と軽く会釈をする。
 サーディクと呼ばれた男性は、どことなくルゥルアと目元がよく似ている気がした。
 アリーナがルゥルアとサーディクを見比べているのを見たアシュラフは
「ああ、サーディクはルゥルアのご子息です。わたしと同い年で小さなころから一緒だったので、ケンカしたり、冒険に行ったりしていました」
 サーディクは苦笑いしながら、
「近くにいるからと、よく振り回されていましたよ。アシュラフさま一人でいたずらしたのに、なぜか、私とディヤーがアシュラフさまの父上に呼ばれ、一緒に怒られました」
 ルゥルアとディヤーが思い出しているのか、顔を下に向け、笑いをこらえているようだ。
「ディヤーも小さな頃から一緒なのですが、わたしよりも5歳上なので、わたしとサーディクのよき兄がわりとして、面倒を見てくれました」
 紹介されたディヤーは少し涙を浮かべている顔を上げ、
「ご紹介にあずかりました、ディヤーです。よろしくお願い致します」
 ディヤーはがっちりとした体をしていて、黒い髪は短めにしてあり、無表情だと怖い顔をしているな、という印象だった。
「ああ、紹介はここまでにして、食事にしましょう」
 アシュラフの一声で食事会が始まった。

 この国で初めて食べて気に入った、串刺しの肉に、切れ目が入ったパンと肉の煮込み料理と粉のようなものが足つきの低い細長いテーブルにぎっしりと乗っていた。
 マレ用に魚のぶつ切りが用意してあった。
「アリーナは好き嫌いはありますか?」
「なにもないです!」
「まぁ、アリーナさま、えらいですわ。ここにいる男性達はみんな野菜がきらいで、あれはいや、これもいや、とわがまま放題でしたわ」
 ルゥルアの一言に男性陣がしれっと明後日の方向に視線を向けた。
 その様子がおかしくて、アリーナは笑い、
「今でも嫌いなのですか?」
 と聞いてみると、
「大きくなってからは、少しは食べられるようになりました」
 とサーディクとディヤーが声をそろえて話す。
「それに比べて、アシュラフさまは……」
 アシュラフは一人、パンに煮込み料理の肉をはさみ、明後日の方向を向きながらもくもくと食べていた。
「ああ、アリーナ、これを食べてみてください」
 突然話題を変えるかのようにアシュラフが粉のようなものを皿にとりわけ、煮込み料理の汁を掛けた。
「この国の名物料理なのですが、小麦と水で捏ねて何度か網でこしたものなんです。パンよりもこちらを好む人が多いのです」
 と説明してからアリーナにスプーンを付けて皿を渡す。
 アリーナが一口食べてみると、粉のように見えたが小指の爪くらいの大きさの粒になっていて、それ自体に味があるわけではないが、煮込み料理の汁がしみ込んで、美味しい。
「美味しいです!」
 そのアリーナの一声で、全員がほっとしたような顔になった。
「よかったです。ああ、アリーナが住んでいた国の名物料理はなんでしょうか?」
「ルアール国では、甘いお野菜が多くて、それを水で煮込んだだけのスープが有名です」
 いつかガエウの店で食べた、あの野菜スープをまた食べたいな、と思った。
「……野菜が甘いなんて、想像できないな」
 この場にいる男性陣がありえないという顔でアリーナを見る。
「ルィスの市場の近くにある、ガエウという店がおすすめです」
 マレがアリーナを見ていることに気づかずに話している。
 アシュラフとサーディクもちらっとアイコンタクトを取った。
「そうですか。今度、用事があり、ルアール国にいく時があれば一緒に行きましょう。そして観光案内をして頂けますか?」
「観光案内、ですか?部屋に籠っていたので、あまり歩いたことがなくて……」
「そうですか。それなら、ルィスに詳しい人間を知っていますので、その人に頼みましょう」
 とにこりと笑い、話題を変えた。

 食事会の話題はアシュラフの小さな頃の話しになった。ルゥルアは
「アシュラフさまのご両親はお忙しい方で、それでも朝食は必ず一緒に召しあがっていましたね」
「そうだった。小さな頃は両親にかまってもらえなくて寂しくて、遠くに仕事に行くと聞くと、やめてほしくて物を隠したりしたな」
 アシュラフは思い出して苦笑いする。
「まさかと思いますが、落とし穴を掘って一緒に怒られたことは忘れていないですよね?」
 ディヤーが半目になり、話すと、
「ああ、あれは頑張ったな。母親が仕事で遠くに行くと言っていたから、引き留めたくて玄関から馬車に続く道に落とし穴を掘ったんだ」
「あの大きな穴、よく掘れましたね?」
 呆れてサーディクが話す。
「一晩かけて掘ったからな」
 なぜか胸を張って答えるアシュラフ。
「アシュラフさまのお母さまにけががなくてよかったのですが、お目付け役の役目を果たせ、とアシュラフさまの父上にこっぴどく怒られましたよ……」
 ディヤーは遠い目で思い出している。

 楽しそうに話しているそばでアリーナは寂しい気持ちになっていた。
(小さな頃、私にも両親がいたら、たくさんの思い出ができたのかな?)
 両親のかわりにマレはあちこちに連れて行ってくれた。
 もし、両親もマレもいなければ私はどうなっていたのだろうか?
 王城に籠ったまま、一生を終えていたのだろうか?
 アリーナが当たり前だと思っていた日常は、当たり前ではなかったのだ、とつくづく感じた。

しおり