前夜
緊張感漂う野営基地を照らすように月が昇る。星の大釜の底、敷物に座るロードはぼんやりと空を眺めている。少し離れた鉄の荷車の上でリナは寝息を立てる四姉妹を柔らかい笑顔で見つめていた。
風でたゆたう草原の音だけが響くなかロードの視線の先には真円の月が輝く。ロードは静かに眺め続けた。
野営基地の武器庫のテント。その中ではいまだ十数人が忙しく手を動かしている。整然と立てて並べられた槍の一本一本をその十数人はそれぞれ手にとっては入念に細部を観察し、時折ぶつぶつと言葉を発してはぼんやりと光を放つ槍を確認していた。
そうして作業を行う人々の一人にモリードがいる。モリードは手に持っていた槍を立てかけると丸めていた背中を逸らせて背伸びをした。そしてあたりを見渡すとふうと一息ついて肩を回す。
「もう、ひと踏ん張りだ」
モリードは一人つぶやき、隣の槍を手に持った。
ヨーレンとノノは二人で野営基地内を歩く。
「何とか準備は間に合いました・・・いえ間に合わせたという方が正しいかもしれませんね」
ノノが硬い表情でうつむきながら語った。
「十分だよ。この短期間で皆よくやったと思う。ノノには私の我がままで負担をかけてしまった。管理や指導で大変だったはず、申し訳ない」
ヨーレンは横を歩くノノへうしめたさの滲んだ表情で言葉を返す。
「いえ!そんなことは・・・多少はありましたけど。けど人選とネイラに助けられてなんとかなってます。心配いりませんっ!」
ノノは沈んでいた表情をぱっと変え、ヨーレンに訴えかけた。
「うん。期待しているよ。明日はよろしく頼むね」
「はいっ!がんばりますっ!」
力強いノノからの返事に渋い表情だったヨーレンの顔もほころぶ。
「私も明日は頑張るよ。じゃあここで」
ヨーレンはそう言って手を掲げながらノノから分かれ歩いて行った。
「こちらがこれまでの収支報告書です。ご確認を」
そう言ってラーラは分厚い紙の束を机の前に丁寧に置く。その先に座っているのはマレイだった。
「わかった。今、見ておく」
そう言ってマレイは立ち上がり、脚付きの魔術灯を引き寄せ、紐で結びまとめられた紙へ目を落とすと一枚づつめくっていく。その間もラーラとノエンはじっと立ち尽くしてマレイを待っていた。
そして最後の一枚を見終わると、マレイは椅子に座り直して腕を組んで考えて話始める。
「こんなものだろう・・・いや、よくやってくれたと言うべきだな。私の想定より二割は損失が少なく済んでいる。期待通りだ」
「ありがとうございます」
マレイの言葉にラーラは冷静に答え、斜め後ろに立つノエンは肩が少し下がった。
「引き続き、撤収と凱旋の手はずも頼む」
「お任せください」
マレイは紙に文字を書き込み、脇に置いてあった印章を手に持ち判を押す。そしてその紙をラーラに差し出した。
「それと、ユウトからネコテンについての提案は聞いているな。どうするつもりだ?」
「クエストラ商会で預かることにしました」
ラーラは差し出された紙を両手で受け取り丸めて紐で縛る。
「ほほう、商機があるか」
「ええ、商人ですから」
マレイとラーラの二人は目線を合わせ、お互いにこやかに笑って見せた。
「その件についてはまたご案内差し上げます。それでは」
「楽しみにしているよ。ノエンも明日は力を尽くせ」
ラーラは軽やかに踵を返して歩きだす。ノエンは一礼してラーラに続き、マレイのテントから出て行った。
マレイは二人の後姿を見送ると座っている椅子に深く腰掛ける。そして机の周りに広がる書類の山から一枚ずつ丁寧に確認し始めた。
建ち並ぶテントの一つ、出入り口の垂れ幕の前にメルが歩み寄って声を掛ける。
「レナ、入ってもいい?」
「いいよー」
テントの中からレナの声が返ってきた。
メルは垂れ幕を上げて身体を前かがみにくぐっていく。入った先には二つの簡易の寝床が置かれ、その一つにレナは座り、片脚の裾をまくり上げて傷の様子を眺めていた。
「脚の調子はどう?ヨーレンさんはなんて言ってた?」
レナの向かいの寝床に腰かけながらメルは心配そうに尋ねる。
「調子は悪くないよ。ほとんどいつも通りの動きはできてる。
けどヨーレンさんが言うには完治にはいたってない、無理すれば傷が開くこともありえる、って。それでも、やっぱり明日は出るつもり。じゃなきゃ一生後悔しそう」
レナは顔を上げず、傷のあった場所に軟膏を塗り包帯を巻きつけながら返答した。
「そっか。ならせめて、無事に帰ってきてね」
メルは自身の首周りで緩く巻きついたクロネコテンを撫でながらうつむいて話す。クロネコテンは嬉しそうにメルの手に頭をこすりつけていた。
そんなメルの様子をレナは手を止め見ていたが脚に巻く包帯をきゅっと結ぶとしっかりメルの方を見て語り掛ける。
「約束する。必ず帰ってくる。
戦いが終わればきっとメルも驚く人をつ連れてきてあげるから、楽しみにしててよね」
にかっと白い歯を見せながらまぶしいレナの笑顔にメルもつられて笑顔になってしまった。
「さて、明日が本番。あたしは寝るよ。おやすみ、メル、名無しちゃん」
そう言ってレナは寝床に横になって掛布をかぶる。
「おやすみ」
メルは優しく答え、立ち上がると魔術灯を操作して明かりを落とした。