バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

会長としてすべきこと。 ⑤

 わたしは二人の幹部に、一番気にかかっていたことを訊ねてみた。
 全社員の顔と名前が一致していて、〝脳内データベース化〟が完了していたであろう父が知っていたとしたら、手をこまねいていたはずはない。ましてや隠蔽なんてあり得ない。
「社員は家族と同じ」という信念を持っていたのでなおさらだった。

「……多分、源一会長までは報告が上がっていなかったんじゃないでしょうか。ですから、この件に関しては何もご存じなかったと思います。もしご存じだったとしても、ご自身の体調がすぐれなかったのでそれどころではなかったとか。――いえ、失礼しました」

「ありがとう、村上さん。――ということは、父は知らなかったということですね? 知っていて隠蔽したわけではない、と。分かりました。それを聞いて、わたしも少し安心しました」

 やっぱり父は、隠蔽や揉み消しなどの裏工作を行っていなかった。わたしの尊敬する父のままだったのだ。
 とすれば、その父の娘であるわたしがすべきことは、たったひとつしかなかった。

「――わたしはこの件を、マスコミを通じて世間に公表すべきだと思っていますが、どう思われますか? 村上さん、山崎さん。貴方がたはわたしより長く、この会社に関わってらっしゃいますよね。どうか、ご()(たん)ない意見を聞かせて頂けませんか?」

「会長、不祥事を公表するとなれば、我が社のイメージダウンは避けられませんが。それもお覚悟のうえでおっしゃっているんですね?」

 山崎さんの指摘はもっともだった。
 この問題そのものを隠蔽して、なかったことにできれば表向きは会社の体面やイメージを保つことができるだろう。でも、それでは根本的な解決にはならないのだと、わたしは思っていた。

「もちろんです。この問題を隠蔽して表向きにクリーンなイメージを保っても、何の解決にもなりません。むしろ、後から発覚した時に受けるダメージの方が大きいと思います。公表したところで、どのみち少々のイメージダウンは避けられませんが、信頼回復に要する時間はそれほどかからないと思うんです」

 わたしの言ったことは、綺麗ごとに過ぎないのかもしれない。ただの理想論なのかもしれない。――そう思うと、わたしはまだまだ経営者として甘いのかな、と思った。

「それに、今も苦しんでいる人たちがいる以上、その社員たちを救うこともわたしたちの責務なんじゃないでしょうか」

「そう……ですね。会長のおっしゃることはごもっともだと僕も思います。社長として、会長とともに非難を受ける腹づもりでいましょう。――山崎さん、あなたはいかがですか?」

 「もちろん、私も腹を括りますよ。――あ、会長に忖度(そんたく)しているわけではなくてですね。人事部長として、社員の将来を守らねばなりませんので」

「お二人とも、感謝します。ではこの件について、お二人には引き続き、被害に遭っていた社員のみなさんへの聞き取り調査をお願いします。なるべく、それと悟られないように。わたしの名前も出して、『我々は味方だ』って言えば、安心して話してもらえるでしょうから」

「了解しました」

「分かりました」

 二人とも快く頷いてくれたので、わたしは次の議題に移った。

「――では次に、この不祥事を起こした総務課・島谷照夫課長の処遇について話し合いたいと思います。こういう場合は一般的に、懲戒解雇が妥当だとは思うんですけど。わたしは彼に自主退職を勧めたいと思っています」

「解雇ではなく退職勧告……ですか」

 人事に関して強い権限を持つ山崎さんが、わたしの考えに眉をひそめた。

「別に反対はしませんが……」

「貴方が難色を示されるお気持ちは分かります。ですが、彼にもご家庭があるでしょう? 彼が処分を受けるのは自業自得だとしても、ご家族には何の罪もありません。彼の収入がなくなったら、ご家族が困るんじゃないかと思うんです」

「そういえば、彼には来年、高校を受験する息子さんがいると聞いてます」

「そうでしょう、山崎さん? ――それで、解雇処分でしたら退職金は出ませんけど、自主退職なら退職金が支払われますから、彼が再就職先を見つけるまでの間、ご家族も生活に困られることもなくなるんじゃないかと思うんです。――それに、彼自身の将来と、本当の反省を促すためにも、解雇ではなく退職勧告の方がいいと思うの」

「会長、それってどういうことですか?」

 ずっと黙ってメモを取っていた貢が、そこで口を開いた。わたしは嬉しくなって、学校の先生よろしく説明を始めた。

「いい質問ね、桐島さん。――解雇されたとなれば、彼には反省の気持ちよりも、自分をクビにしたこの会社への恨みの方が芽生えてしまうでしょう? それじゃ、この先いつまで経っても彼の意識は変わらない。彼が心から反省して、心を入れ替えてくれないと意味がないの。そして、彼に更生のチャンスを与えてあげたいのよ。誰にだって、やり直す機会は与えられるべきだと思うから。――甘い……かなぁ?」

「分かりました。確かに、会長のお考えは少々甘いかもしれません。ですが僕は、お優しい会長らしいなと思いますよ」

「そう? 桐島さん、貴方はどう思う? 貴方が島谷さんの解雇を望むなら、わたしも考える余地はあるんだけど」

 鍵は、彼が島谷さんを(ゆる)すことができるかどうかだった。
 彼は仕事に私情を持ち込むような人ではないから、個人的な恨みで自分を苦しめた元上司の解雇を望むこともなかっただろうけれど、念のため確認を取っておきたかったのだ。わたしはそのために、この会議のメンバーに彼を参加させたのだから。

「僕は……、個人的な感情で誰かを解雇してほしいなんて思いません。あの人にだってご家庭があるんですし、まだ未来もあるはずです。解雇よりも依願退職の方が再就職先も見つかりやすいでしょうし、あの人自身も前を向いて頑張れると思うので、会長のお考えに異論はありません」

 やっぱり、彼はわたしの思ったとおりの人だった。過去に自分をいじめていた上司なのに、ここまで寛容な考えを持てるなんて本当にお人好しだ。でも……、わたしは彼のそういうところもキライになれない。

「分かったわ、ありがとう。――では、被害者の聞き取り調査を終え次第、島谷さんにはわたしから退職勧告をして、この問題を公表します。このビルの大会議場で記者会見を行いたいので、広報部からマスコミ各社に連絡をしてもらいましょう。わたしは島谷さんの退職金が支払われるよう、経理部の加藤部長にかけ合ってみます」

「了解しました」

 村上さんが頷いた。広報部への連絡は、社長である彼の役割だった。

「今年度中に決着をつけたいので、短期決戦で頑張りましょう! 新年度には、気持ちよく新入社員を迎え入れられるように」

「「「はい!」」」

「以上で本日の会議を終わります。みなさん、お疲れさまでした。では、通常業務にお戻りになって結構です」

「お疲れさまでした」

「失礼します」

「――あ、村上さん! ちょっと待って下さい」

 わたしは山崎さんが退室してから、続いて退室しようとしていた村上さんを引き留めた。

「どうされました? 会長」

「あの……、やっぱり、村上さんもわたしの考え、経営者として甘いとお思いですか?」

 貢はキッパリ「甘い」と言い切った。多分、山崎さんも同じだったろう。でも、幼い頃からわたしのことを知っている村上さんが、経営者としてのわたしの考えをどう評価してくれるのか、わたしは気になっていたのだ。

「確かに甘いかもしれませんね。ですが、お父さまもそうでした。あなたは本当に、お父さまにそっくりですね。仕事に対する姿勢や、社員を家族のように思ってらっしゃるところが。あと、潔さも」

「村上さん……、ありがとうございます」

「会見の時は、僕も一緒に謝罪します。ですから、会長おひとりで責任を負わなくても大丈夫ですよ。――では、失礼します」

 村上さんはわたしを安心させるように肩をポンと叩き、優しく励ましてくれてから会長室を後にした。

しおり