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緑のルーティン

 大江戸城学園の数学教師を勤める新緑光太(しんりょくこうた)の朝は早い。午前4時48分には起床する。もっともその三分前の45分には既に目が覚めている。セットしていた目覚まし時計のアラームが三回鳴った時に右手を伸ばして時計を止める。やおら体を起こし、洗面所へ向かう。顔を洗い、寝癖を直し、髭を剃り、うがいをして歯を磨く。そしてお気に入りのパンダの寝巻きからジャージに着替え、5時15分に朝のランニングへと出かける。コースはいつも決まっている。走るペースは急ぎ過ぎず、遅過ぎず。約10分弱かけて近所の比較的大きな公園に向かう。公園に着いてから、2分ほどゆっくりと時間をかけて呼吸を整え、それから5分間程朝の体操を行う。体操を終えると、家に戻る。来た時と同じ位のペース配分で走る。5時45分に自宅マンションに戻る。基本的にいつも同じ道を走るのだが、よっぽど雨が強い日などは部屋のランニングマシーンを使うようにしている。手洗いうがいをしっかりと済ませ、シャワーを浴びる。

まず洗うのは頭から。緑色の短く整った髪の毛を痛めぬように丁寧に洗う。頭皮のマッサージも入念に行う。髪が済んだら顔である。小鼻や耳の裏も忘れずにしっかりと洗う。頭が済んだら、次は体である。まずは首を洗い、それから左肩、左腕に移る。手の甲も手の平もごしごしと洗う。指と指の間も入念に洗う。左が済んだら、右腕も同様に洗う。両腕が済んだら、次は胸部を洗う。その次は腹部である。おへその周りと脇腹を洗う。この際、腹筋を触って確かめる。たるんではいないか、しっかりと引き締まっているかを確認する。誰に見せる訳でもないが、鏡を見ながらポージングを取る。自身の納得のいく見栄えになっているかチェックする。ちなみに彼は決してナルシストではない。腹部が済んだら次は脚部である。左の太腿、膝、脛、足の順で洗う。ランニングの後である為、太腿などはしっかりと揉みほぐす。足は足裏まできちんと洗う。左の脚部が済んだら次は右の脚部である。体の前面を洗い終えると、次は背中である。ふくらはぎもマッサージする。最後に腋、お尻、大事な部分の順で洗う。大体シャワーにかける所要時間は15分程である。

 シャワーから上がると、体の汗をしっかりとタオルで拭き取り、ドライヤーで髪を乾かし、ヘアースタイルをきっちりとセットする。短髪の為、さほど時間は掛からない。右からみて七三分けにする。七三分けと言っても典型的なそれではなく、見る人からは「スタイリッシュ七三」、「七三の概念を超えた何か」、「もはや八四」などと称賛を受けるものだ。正直意味がよく分からない賛辞もあったが、褒められて悪い気はしていない。鏡を見ながら、正面、左右と、様々な角度から自分の顔をまじまじと見つめる。あくまで髭の剃り残しなどがないかを確認するためである。彼は断じてナルシストではない。5分ほどで頭髪を整えると、パソコンを開き、夜の内に届いた電子メールをチェックする。返事が必要なものは要点を簡潔にまとめて返信する。大体十数件のメールが届くが、約一分ずつでそれらを処理する。この時点で大体時間は6時20分位である。その後朝食の準備に入る。

 朝食はパン派である。トースターで焼いたトースト二枚をそれぞれジャムとバターを塗って食べる。勿論健康のためにサラダも忘れずに食べる。名前が新緑だけに緑色の野菜を多めに摂る。余談だが、いつか食卓に青汁を導入するタイミングを伺っている。朝食を終えると、食後の運動として二分間ほどストレッチを行う。その後、きちんとアイロンがけをした背広に着替える。毎日、大体この辺りで時計の針は6時45分をさしている。その後コーヒーを片手に新聞三紙に目を通す。大手の新聞、経済新聞、英字新聞である。一紙5分ずつ、15分掛ける。本業の仕事柄、ニュースに精通するのはとても大事なことである。

 そして7時3分頃、自宅を出発する。出掛ける際に、忘れ物などはないか、鞄の中身を開いて指差し確認は怠らない。確認を終えると、右足から玄関を出る。最寄りの地下鉄の駅まで徒歩3分程の好立地なのだが、ここでも健康を第一に考え、あえて一駅分歩く。7時12分に地下鉄に乗り込む。いつも決まった車両に乗る。どの吊り革を使うかまで決めている。誰かに使われている場合も考え、自身の中で第5希望まで決めている。当然満員のときは吊り革どころではないので、やや不機嫌になる。

 いつも大体7時27分頃には学校に到着する。職員室に着くと、自身のデスクを掃除する。もともと綺麗に整理整頓されているが、埃一つもあると気に入らないためである。5分程経ったらその日の仕事の最終準備に入る。ここでいう準備とは本業の準備も含まれる。15分程掛けて、準備を終えると、文字通り一息つく。お茶を飲みながらネットニュースなどをぼんやりと眺める。同僚の教師が何やら話しかけてきた場合は無難な返答をする。8時になると朝礼が始まる。校長や教頭の視線に入らないように微妙に立ち位置を調整する。目が合うと余計な仕事を頼まれる場合がある為だ。彼は比較的長身だが、自分よりも大柄な英語教師が近くにいるため、その陰に隠れるようにする。朝礼が終わると朝のHRである。彼は二年と組の副担任であり、クラスを受け持っている訳ではないが、一応しっかりと顔を出す。教室の後ろから入り、掃除用具入れの前に立って、HRの様子を見守る。クラスにとってよほど重要な案件でもない限りは、担任に一礼して途中で退出し、1限目の授業を行うクラスへ向かう。授業の始まる3分前、8時42分には、クラスの廊下にスタンバイする。そして1分前には教室に入り、8時45分きっかりに授業を始められるようにする。4限目までこの調子である。

 12時35分には昼休み、職員室で昼食。自身手作りの弁当である。教員になりたてのころは、学生食堂を利用していたが、生徒たちがあまりに騒がしいため、職員室で食事をとるようになった。10分程で昼食を終えると、図書室に向かう。これまた食後の運動を兼ねて、あえて遠回りをして向かう。図書室では決まった席で本を読む。その日最初に目に付いた本を読むようにする。もし内容が気に入れば借りる。読書は12分程で切り上げて、午後1時4分程には職員室に戻る。生徒が授業の内容について質問に来ている場合がある。もっとも、彼はそれぞれのクラス、生徒一人一人の学力をしっかりと把握しており、内容を理解出来ない生徒が出るような授業は行っていない。大抵は単に彼とお話しをしたい女子生徒たちである。彼はそういう気持ちを今一つ理解は出来ないが、決して無下にはせず、相手をしてやっている。但し、一組3分程で話しは切り上げる様にしている。

 午後1時30分からは5限目と6限目の授業である。午前中と同じ調子で授業を進める。そして、午後3時20分に6限目終了。職員室に戻り、残業を行う。昼休みと同様に授業内容を質問にくる生徒もいるが、昼に比べるとその数は少ない。これは生徒も彼の本業を知っているからだ。そう、彼の本業は勘定奉行である。週の半分は教員を勤めているのだが、その日でも午後4時には学園の隣にある大江戸城に登城し、奉行としての仕事をこなさなければならない。デスクを綺麗に片付けて、鞄に持ち物をしまった彼は城に向かおうとした。職員室から廊下に出たところに、一人の生徒が駆け寄ってきた。

「新緑先生! ちょっとお願いがあるんですけど!」

 自身のルーティンを乱されたことに彼は露骨に嫌な顔をした。

(す、凄い嫌そう……⁉)

 事情を知らない葵は戸惑った。

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