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 居酒屋に来たのも初めてだった。店内は確かにすべて個室で区切られており、客の声は大騒ぎしていれば外に漏れるものの、普通に話している分には問題なさそうだった。既に酔っ払って楽しそうな声がどこかから聞こえるが、案内された個室の襖を閉めてしまえばあまり気にもならない。
 二人客用の個室は、畳敷きの掘炬燵スタイルで、広いとは言えない。

「何食べる? 色々あるから好きなの頼んで。あ、珠雨はお酒は駄目だよ。ノンアルから選びなね。僕はちょっとだけ飲むけど」
「言われなくても飲まないし……また子供扱い」

 店に入る前の珠雨の言葉は、禅一には大したことには聞こえなかったかもしれないが、実は物凄く勇気を出して言った言葉だった。
 自分を女の子扱いしないでくれる禅一を好きだが、女の子にここまで言わせておいて断るメンタルの持ち主には多少なりと憤りを感じる。

 適当に備え付けのタブレットで注文すると、やがて店員がやってきて先にお通しとドリンクを持ってきた。

「居酒屋とカフェだと、接客も変わってくるけどさ。つい見ちゃうよね。タブレットで注文て便利だけど、僕はなんとなく寂しい気も」
「禅一さんはどちらかと言えばアナログ派ですよね。パソコンは使うけど」

 うやむやになった話の続きはどうした、と内心突っ込みながら、珠雨はノンアルコールカクテルに口をつける。禅一はと言えば、果実酒の水割りを飲んでいた。

「そうだねえ……手書きのメニューとか、古い建物とか、インテリアとか、僕の好きなものを並べて作ったのがヒトエで。元々僕は英会話の講師とかして生計を立ててたんだけどね、人との交流が好きみたくて、それも楽しかった気がする。でも今のが楽しい」

「禅一さん、自由ですもんね。気が向いたらお店閉めちゃったり。客商売としてどうなのって思うこともありますけど」
「ごめんて。でも僕がしんどいまま続ける店なら、雇われの身と一緒でしょ。珠雨とか、麦ちゃんが手伝ってくれるから、楽しくやっていけるんだ」

 穏やかに笑う禅一の顔が好きだ。
 世間的に見ても良い男なのだろう。さっき佐倉や南が禅一に反応していたのも、多分彼の見た目が良いからだ。氷彩が以前少女漫画かと揶揄していたが、確かにそんな感じがする。二次元から抜け出てきたような、男臭さの薄い、繊細なフォルム。
 普段見慣れない眼鏡のない顔を見つめながら、珠雨はぼんやりとそんなことを思っていた。

「珠雨がうちに来てくれてメリハリが出来たし、大学卒業するまでは今の生活が続けられたらいいなって、思ってる。……で、ここから本題だけど、もしも今の関係を崩して、珠雨が僕と一線を越えた場合、きっと後悔する。僕もだけど、珠雨が」

 急に話が変わったので、珠雨はどきりとした。

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