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胃カメラ潜水艦のさけび

胃カメラ潜水艦のさけび。「

 
挿絵


「ほら、MARSとかSARSとかあったじゃん。ハリケーンの後に」
なみはやドームの麓で高橋権蔵と藤原圭太がゴミ拾いしていた。阪神巨人戦の後かたずけをしているのだ。ファンのマナーもへったくれもあったもんじゃない。ドームの入り口付近には残飯やビニールシート、そしてカーネルサンダースの人形やなぜか四トントラックも転がっている。
「ハリケーンはありましたけど今日の試合ほど荒れてませんよ。高橋さんは考えすぎだ」

藤原圭太が塵取りで四番打者を打ち取った。六甲おろしは時速150キロでバックネット裏を直撃した。
「そうだな。ほら三者凡退だ」
高橋権蔵は箒に選手交代を命じた。フルカウントでワンナウツ一二塁。藤原のピッチングは上々だ。




藤原はバッテリーと入れ替わった。彼は四番投手だった。六甲おろしの猛攻に合わせて先頭打者を封じる。

追い込んだのは井上監督でも、高橋コーチでもない。

なんと言っても自分が選んだ選手の心を動かしたのは大空プテラノドンなのだ。もう一人の自分が自分を抑えていたのだ。そして自分を追い込んだ。

だが井上監督と高橋監督は言っているのだ。今日は勝つと。

井上の気持ちは十分伝わった。
「今日はいい試合だった」

そして井上監督は言った。
「自分の中の『高橋』という選手を育てるのは楽しかったですか?」

井上監督は、かつて高橋コーチが抱えていた不満を思うと複雑な気持ちになる。試合後にそれがわかった。

高橋は高橋コーチに「次のチャンスで『高橋』を育てたい」と話した。
そして次に彼が口にするのが、

「井上監督が言う通り、このままでは俺たちには何もできない。誰もが自分の未来を決められないやつばっかりだ。そんな中に何かできないかという話になっても、俺にはどうすることもできない。もう、高橋を育てることは俺にない。『高橋』の未来を選べばいい」
(中略)
「井上さん。やっぱり、高橋さんが俺を選んでくれた。だから俺は高橋さん、もう一度高橋に戻ってきて、次のチャンスで高橋を育てたい」
(中略)

井上監督はそれまでほとんど話したことがなかった。だが井上監督は高橋の心の中にはもう戻ってこないと感じていた。

「自分で話してなかったんだが、高橋さんは俺と、つまり俺の父親の息子なのであり、父親のような存在だということだ」
(中略)
「高橋さんは本当の息子には戻れない。高橋が俺を選んでくれた。俺が俺の息子になれば高橋はなにも残らぬ。高橋は高橋に戻らなければ高橋には戻れないのだ」

井上監督はその場では言い出せなかった。実際には、高橋は井上監督の意図には気付いていなかった。そのためには高橋が井上監督の思いを受け取り、高橋に帰るべきだという思いと、戻るべきだという、それが今の井上監督の考えだった。

「高橋さん。もし良かったら今、自分の人生で自分が本当は父親や父親の子かもしれない、ということをお話しなさい。実の息子である俺がどう思っているのか、高橋さんに全てを話すのも悪くないですよ」

「父親であるということを話すのも、息子であるということの話をするのも、どちらも悪くない。お父さんの言葉ではなく、自分が心を入れ換え、本当の自分に戻ってくることを、自分で思って、自分で決めたいことがあるのであれば、高橋さんの思いをお話ししましょう。そして、いつまでも、自分の決断を受け入れることに固執しないで欲しい」

「このまま高橋は自分の思いを強く持ち、その意思で育っている。このまま高橋は自分のやりたいことをやっていくだけ」

「高橋さんは、何もかも投げ出したい気持ちと、何があっても高橋を守れる力が欲しいのだと思うよ」

「高橋さんの将来のことは俺は全く問題はないと考えているが、息子さんの意志を尊重してくれるのであれば、もしかしたら子供の時のように、高橋も自分の意志で自分の意見をきちんと言えるように、自分自身に課そうと考えている」

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