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 池田敬は説明していた。


 現場責任者である越智、その部下の城、そして勝と累と静。

佐藤家のリビングが盗聴されていることがわかり、池田は一計をはかった。

メモ帳に『ここは盗聴されています。黙って勝手口から裏庭に来てください』と書いて、五人に見せて回ったのだ。

池田を先頭に見せて回られた順に五人は玄関から靴を取って来て、そろそろと裏庭に出た。

裏庭といっても、テニスができそうなほどの広さがある。

 「…という訳で、あの部屋は盗聴されています。

ここは大丈夫だと思いますが、なるべく小さな声でお話しください。

それで、質問ですが、何か心当たりは?」

「うーん、この家に岡嵜、ああその、犯人の夫の方の岡嵜恒のことだが、彼なら学生時代に来たことはあるが…

ただ、ワイファイなどがない時代だからね」

勝が寒そうに腕組みしてそう言うと、累がうんうんと頷いた。

「そうですか。静さんは?」

さっきから黙って池田の話を聞いていた静は、呼びかけても返事をしない。

「あの、静さん?」

池田が今一度、呼びかけた。

「あ、すみません。考え事をしてて。

たぶんですけど、有馬さんが仕掛けたんじゃないかと思います。

今年の私の誕生日パーティーをした時、彼女を招きましたので…」

「え、あの時、その娘来ていたの?」

累が声を上げた。

「ああ、それですね。その時に仕掛けられた可能性が高いでしょう。

彼女は二階には上がりましたか?」

「いえ…たぶんですけど」

「そうですか。念のため、中津に調べさせてもいいでしょうか」

「ああ、でしたら、あとで案内しましょう」

勝が言った。

「でも…私、未だに信じられなくって…有馬さんが兄を誘拐したかもしれないなんて…

あの映研の部室で心配してくれてたのが演技だったと思うと…

それに盗聴まで…」

静は俯いて泣き出しそうな顔をしている。

「お前、まだそんなことを…」

「静さんのお気持ちはわかります」

勝の言葉を遮り、池田が言った。

「でも、どうやら事実のようです。これを調べればわかります」

そう言って、池田はスマートフォンを取り出す。

「あの、越智さん、これがその盗聴器の接続アドレス等の一覧です。

偽装されているかもしれませんが、調べてもらえませんか」

池田は中津の送ったリネを見せる。

「わかりました。すぐに調べてみますが、私はこういうことに疎いもので。おい、ちょっと、城」

越智はそう言って、城にそれを任せた。

池田は仏頂面の城にスマートフォンの画面を見せつつ、静に目をやった。


静はまだ落ち込んでいるようだ。

有馬に盗聴までされていたことが、よほどショックだったのだろう。

刑事がメモを終え、池田がスマートフォンをしまおうとした時、中津からリネが来た。

『準備完了』

「グッタイミン!」

池田は小さく呟やくと、ううん、と喉を鳴らして改まった。

「あの、これからのことなんですが、盗聴されている部屋でまともに話なんかできません。

それで、提案なのですが、盗聴されていることを逆手にとった作戦を立てたいと思います」

「作戦?」

越智が訊いた。

「ええ。越智さんにお願いなんですが、これから部屋に戻ったら、『警護のために移動する』という旨を、言ってもらえませんか。

そこでタイミングよく中津が『盗聴器を発見した』と言います。

実は、たった今来たリネは、中津が盗聴器を実際に見つけた知らせです。

それで、ここは危険だ、やっぱり警視庁へ移動しよう、みたいなことを言って、盗聴器の電源を切る。

それで念のため、パトカーを出してもらいます。

あの親子がそれを聞いたとしたら、警視庁に向うか、警視庁なら無理だと諦めるか、どちらかしかありません。

どちらにしろ、佐藤さん一家はここに残ることができます。

いかがでしょうか」

「なるほど、まあ、陽動作戦という訳ですね。

うーん、本来ならこちらが考えるべきことですが、まあ、そういうことならやってみますか」

「警部、民間の探偵の言うことに乗るのはどうかと」

城がしかめっ面のまま、池田にもあえて聞こえるように言った。

「まあ、予定していたことを先に言われたまでだ」

越智は右の掌を城に向けて制した。

「えー、実は、さっき言いかけましたが、警視庁に事情聴取という形で移動してもらうことも考えていたんですよ。

まあ、どちらにしろ、お話を伺わなければなりませんから。

とりあえず、パトカーは、実際に警視庁に向かわせましょう。

まあ、食いついてくれれば、儲けもんです」

「では、話は決まりです。

あまり部屋の方で会話が聞こえないと、怪しまれるかもしれません。

すぐに戻りましょう」

池田はそう言いながら、数歩足を進める。

「ちょっと待って。部下に事情を説明するから、少し時間をください」

「わかりました。急いでください。

では、私たちだけでも先に戻っておきましょう」


 池田たちは外から表に回る越智を余所に、家の中に戻った。

佐藤一家はダイニング、池田は中津のいるリビングの机に待機する。

しばらくして、越智も他の三人の刑事たちをまとめて、玄関から戻ってきた。

池田は中津に目配せをすると、中津は手袋をしてこくりと頷いた。

「そ、それでは、ここは警備がしにくいんで、まあ、ちょっと、我々の用意した場所に向かってもらえますか」

越智が少し演技がかった言い方をした。

「ちょっと待って!ここに盗聴器があるわ」

「何!それはどういうことだ。取りあえず、それをすぐに切れ。

これは他にもあるかもしれないな。警察の方の言う通り、すぐに移動しましょう」

中津と池田が示し合わせた言葉を発し、警官たちの一部がばたばたと音を立てて外に出た。

「こんなところにも」

中津がわざとらしく声を出し、すでに見つけていた二つ目の盗聴器の電源も切った。

すぐにパソコンに戻り、他に盗聴器がないか、確認する。

「もう、大丈夫です。

確認済の端末しか検出されません」

中津はそう言うと、越智に近付き、見つけた二つの盗聴器をビニール袋に入れ渡す。

どちらも見た目は電源タップのように見える。

「キッチンとリビングのコンセントにそれぞれセットしてありました。

このお宅の無線LANはWEPいう旧式の暗号化方式が使われていましたので、犯人はその暗号を解読して、これに設定したのだと思います。

電源は無限に供給できますし、音声の送信はインターネット回線を使うので、電波は出さずにどこからでも盗聴できる優れものですね。

電波を出す方が主流なんで、珍しいタイプです。

私も初めて見ました」

中津は手袋を外しながら言った。

「ありがとうございます。おい、これも持ち帰って調べてくれ」

越智は城を呼び付け、袋を渡した。


 それから、越智と巡回していた松谷という刑事、それに門にいる二人の警官が残り、他の警官と城は”囮役”として警視庁に戻ることになった。

外で二台のパトカーのサイレンの音が響き、やがて遠ざかっていく。

「これでよし、と」

池田がほっとした表情を浮かべる。

「所長、演技が下手過ぎです。感付かれますよ」

「お前だって…」

「それにしても、ここに盗聴器があるなんて、どうして思ったんです?」

「ああ、それね。

なんというか、今日、帝薬大に行って静さんと一志君のパソコンの話していた時に、引っかかった点があってね」

「どういうことです?」

「もし仮に、一志君以外の誰か、つまり本当に犯人がいたとして"すまない"と書置きしたんだとしたら、なぜパソコンを使ったんだろうってことなんだが…

パソコンのデフォの設定じゃあ、時間経つとスリープ状態になって、画面消えちゃうだろ?」

「ええ、まあ。それで?」

中津は池田が何を言わんとしているか、まだ理解できない。

「犯人はパソコンに疎いのか、そんなことに気が回らなかったのか、と最初は考えたんだが、もしからしたら、その逆…
実は、一志君は結構ずぼらだったらしく、パソコンのスリープ設定を切っていたんだよ。

いちいち、画面が消えてパスワード打つのが、面倒くさかったんだろうが…

で、犯人はそれを知っていて、パソコンを使ったんだとしたら?

それが引っかかってた点なんだが、有馬が犯人とわかり、なおかつ一志君がいた同じアパートに住んでいる話を聞いて、答えは後者だと思ったんだよ。

知っていたんだと。

それで、さっき事務所で一志君のパソコンにウィルスが仕込んであるかどうかを、調べていたんだ。

案の定、パソコンの状態が監視できるウィルスが仕込んであるのを、引き継いだお前が見つけてくれた。

ウェブカメラもハッキングされていたんだろう?

それを仕込んだのも有馬と考えれば、全てが繋がる。

それなら、静さんにも近付いた有馬が何かしているかもしれない、と推理した訳さ」

「ふん、なるほど。だから、電波の盗聴だけでなく、ネット回線の方も探させたんですね」

中津は内心感心しながらも、そっけないそぶりを取った。


「ほお、大した推理力ですねな」

池田たちの会話を聞いていた越智が感心して言った。

「まあ、さてさて、一応、釣り糸を垂らしましたが、まあ、本当に魚が喰いついてくれるとは限りません。

どちらにしろ、時間が経てばここを出て、事情聴取のため警視庁へ移動してもらいます。

まあ、ゆっくりで構いませんので、ぼちぼち準備しておいてください」

越智は続けてリビングの三人に聞こえるように大きな声で言った。

「わかりました。じゃあ、早速」

勝を先頭に三人は支度のため、二階に上がった。

「では、私は念のため、ホールで待機しています。玄関と階段、両方に目が届くので」

松谷はそう言って部屋を出た。

「ああ、そうだ。中津。

静さんについて行って、二階にも盗聴器がないか、一応、調べておいてくれ」

「もう、反応はありませんけど?」

「念のためだ」

「はい、はい」

中津は気だるそうに立ち上がると、二階へ向かった。

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