指導
ヨーレンの工房の広い中庭。規則正しく敷き詰められた石畳に日の光が差し込む。その中央で流れるような演武を繰り広げている人影が一人。後頭部でまとめ上げた赤い髪を揺らしながら汗を流し、熱心に槍を扱っているのはレナだった。
一通りの型を披露し終えて突き出した槍の先がピタリと制止する。そののち止めた息を吐き脱力して槍の先を空に向けて立てた。
「随分と熱心じゃないか、レナ」
レナが構えを解いたのに合わせるようにほうきを持ったネイラが声を掛ける。レナはネイラに首を向けて言葉を返す。
「まぁ・・・ね。たぶんこれから大きな戦いが起こると思う。その時、後悔しないように今、できることをやっておこうかなってね」
「昨日、ユウトが言っていたことか。相手は魔物だろうね。準備はいくらしてもしたりないか」
「・・・うん」
ネイラから視線を外しながらレナはまた槍を構え直す。その様子をじっと眺めていたネイラはさらに言葉を続けた。
「・・・リナのことは踏ん切りがついたのか?」
静かに構えた槍の剣先が小さく震える。その体制を維持したままレナは大きく息を吸い込んだ。
「まだ、わからない。でも生きていてくれてうれしいと感じる思いはちゃんと持ってた。どのくらい時間がかかるかはわからない。けどいつかはきっと受け入れられて、笑ってあの手を握れる日が来ると信じることにしたんだ」
そう言ってレナは点を捉える全身の連動でもって空を突く。
「だから今はその時のために時間が欲しい。その時間を作るためにあたしは何が相手だろうが戦い抜いて見せる」
そしてもう一度ステップを踏んで重ねて突いた。
その様子を見ていたネイラは持っていたほうきの穂先をレナに向けて軽く突き出す。
「せっかくの機会だ。まだ大物との戦い方を指導したことがなかったからやる気のあるうちにやっておこうか」
ネイラはすっと足を広げて腰を落とした。
レナは一度構えを解くと真剣な表情をされに険しくしてもう一度ネイラに向かって構え直す。
「いいかいレナ。あんたに今まで教えてきたのは主にゴブリン相手に隙を見せず、閉所でも的確に攻撃と防御を繰り出すための技だった。だがこれから相手にするのは圧倒的な質量を持つ魔物だ。考え方を変える必要がある。
よりこちらが動き、足を動かして攻撃と回避を切り替えろ。基本はできている。あとは思考の判断基準をどう調節するかだ。わたしが魔物の動きを演じてやるからやってみな」
ネイラはそう言って手に持ったほうきをぐるぐると回して持ち直した。
「わかった。やってみる」
レナは答えた直後、大きくネイラに向かって両足で低く跳ぶ。着地と同時に槍を突きだすとネイラはタイミングよく剣先を側面から押し込んで進行方向をずらした。レナは態勢を崩すことはなくすぐに横に飛んでネイラとの間を置く。それまでレナがいた場所にはネイラのほうきの穂先が薙いだ。
「その調子だ。一撃で決めなくていい、数を重ねな。的確に相手の弱点を攻めるんだ」
レナの動きにネイラが評価を下す。レナは何も答えず張り詰めた気をそのままに、また跳ねた。
魔術灯だけが照らす薄暗い作業場の中で、ノノは椅子にもたれ掛かりながら首を背もたれに乗せて開けた口を天井に向けている。意識はうつろに寝息に近い浅い呼吸を続けていた。
そんなノノの向かう作業台の上にはユウトに使用した薄い金属膜が固定金具と共に立て置かれている。それを取り囲むように紙が所狭しと広げられ、その紙にはびっしりと文字と記号、図が書き込まれていた。
静寂のように思われた作業場に小さくかん高い破裂音がリズムよく響いてくる。その音は遠のいていたノノ意識を覚醒に引っ張り上げるには十分なほど長い時間どこからともなく聞こえてきていた。
「ん、うーん。うるさいなぁ」
ノノは乾燥した口を閉じ、眉間にしわを寄せながら身を起こす。気だるそうに立ち上がり作業場の出入り口の扉を開いた。
日差しに照らされた石畳の反射光に目を細めるノノにきらりと一瞬、強い光のきらめきを見る。すると間もなくノノの傍に向けて何かが転がって来た。ぎょっとしたノノだったがそれはすぐに速度を落とし手前で止まる。まじまじと観察してみると、それはほうきの穂先だった。
束ねられた藁は折れたり曲がったりと損傷しその束ねられた根元から断ち切られている。ノノは転がってきた方へ視線を移すとそこには肩で大きく息をする槍を構えたレナとその槍の切っ先を向けられたネイラの姿があった。
「うん。見事だ。その調子なら易々と殺されることはないだろう」
ネイラがレナに言葉を掛けるとレナはその場にゆっくりと座り込む。レナは言葉を返さずうつむいて荒れた呼吸を静めようとしているようにノノには見えた。
「あっ、ノノ。あんたまた大きな口を開けて寝てたね」
歩み寄ってくるノノにネイラが気づいて声を掛ける。ノノはビクッとして恥ずかしそうに少しうつむいた。
「どうしてわかったの」
「髪だよ。変な形に寝ぐせついてるからね。喉が渇いたでしょ。今レナの分も汲んであげるからまってな」
ネイラはそう言って中庭の隅にある井戸に向かい水を汲み始める。
「今日は一段と厳しい稽古だったみたいだね。大丈夫?」
ノノは後頭部の髪を撫で付けながら中腰になってレナへ言葉を掛けた。
そのころにはレナは呼吸を随分と落ち着かせながらノノを見上げてレナは笑顔を作る。
「まぁね。なかなか要領、つかめなくて、苦労したんだけど、やっと糸口が、見えたんだ」
息を整えながら、汗で髪を張り付かせながらレナは答えた。
「そっか。レナはがんばってるね。私も頑張らないと」
ノノも笑顔でレナに答える。お互い小さく笑いあっていると玄関の扉が叩かれる音が響いてきた。