バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

エピローグ1

謎の怪物がリオネング城に出現し退治された、その日の夜のこと。
そこから少し離れた場所に、小さな訪問者が現れた。
しかしそれは人間ではなく、手のひらに乗るほどの細長い虫のような生き物。
黒い枯れ木のような身体で這いながら、たどり着いた先はリオネングの姫である、エセリアの寝室であった。

「おや、誰かと思えばナシャガルか、ひどい姿と化したものね」
まだ年齢にして十代そこそこ。柔らかな金色の長い髪をふわりとたなびかせたあどけない姿の少女は、その枯れ木を手のひらに乗せ、言葉をかけた。
「ああ……やはりネネル様でありましたか、ゼルネー様の元からいなくなって以来音沙汰なく心配しておりましたが……リオネング城の、ましてやエセリア姫の身体に……」
「クソ長い挨拶はどうでもいい」
ベッドに腰を落ち着け、姫はその枯れ木の生き物を傍らに放り投げた。
「どっちみち私はもうあそこへ……マシャンヴァルに戻ろうとは思っていないのだから」
「確かに……ゼルネー様もあれ以来、ネネル様のことなど一言も口にされておりませんし」
彼女はベッドのそばに置いてあった明かりを消した。
月明かりに照らされ、小さな枯れ木の目が赤い光を放つ。
「ところでお前はここへ何しに来たのだ? よもや私の血で新たな肉体を得ようと思っているのではあるまいな」
「い、いや、決してそのようなことは……断じて」
横になった彼女の鋭い目が、枯れ木をじっと見据えた。
「しかし愚策だったな。己の身体を開放してまでして城内で暴れるとは……おかげで城の者たちがより一層マシャンヴァルに対して警戒感を強めてしまったではないか」
「ひ、姫様……見ておられたのですか!?」
「ああ、一部始終見ていたさ。この大馬鹿者!」
「ひ、ひいっ! ……お許しを!」
「……と言いたいところだが、さっきも言った通り私はもうマシャンヴァルの事などどうでもいいと思っているしな。それに相応の収穫もあったことだし、その点に関しては誉めてやるぞ」
人差し指で枯れ木を転がしながら、彼女は続けた。
「しかし……なぜ身体を保つことができなかったのだ? お前たちがリオネングに来た本来の目的はそうではあるまい」
「誤算でした……うまいことここの騎士団長であるドールという男の肉体を得ることに成功したのはよいのですが、あいにくと男は生命力そのものがほぼ尽き欠けていまして……私だけの力で維持するのはもう……」
「で、身体を開放してしまったと」
はい、と枯れ木はその首らしきものをうなだれた。
「ちょうどその時、とあるケモノビトの傭兵がゲイルとの一戦の件で城に来ると聞いて、あわよくばこちらに引き入れることができればと思ったのですが」
その言葉に、彼女の眉がぴくっと何かに反応した。
「……お前を討った男か」
「ええ……ラッシュというケモノビトです、ネネル様……いやエセリア様の兄上、御父上もその噂はご存じであろうと思われますが」
「聖痕を持つもの……いわゆるディナレの子と噂されていた男だろう?」
「はい、だがそのケモノビトいわく、その話はウソだと申しまして……」
「……そんな理由で殺そうとしたのか」
彼女の冷めた鋭い目が、枯れ木をじっと見据えた。
「面目ない、もうその時は身体を抑えることができずに、つい……」
「殺そうとしたことで事実かどうか確かめようとしたのではないのか? ナシャガル」
「…………」
「お前はウソだというウソに騙されたのではないのか?」
「え、ウソのウソ……ですか?」
「そう、あの男、ラッシュは正真正銘、ディナレの聖痕を持つものだ。彼はそれに未だ気づかぬままウソを通していたのだ」
「私は、それに騙されていた……と!?」
うむ。と少女は大きくうなづいた。
「判断を誤ったなナシャガル。あのケモノビトを……ラッシュを殺してしまっていたら、我々の全ての計画が無駄に終わってしまうことを忘れた訳ではあるまい」
「!! と言うことは、あの時ラッシュを助けたのは……」
「ああ、私だ」


その言葉に、ナシャガルの頭がわずかにうなだれた。

「と言うことはネネル様……我々を裏切る……と⁉︎」
彼女は枯れ木の問いかけに、僅かに首を横に振る。
「裏切るもなにも、好きか嫌いの二択だ。私はそこでしか物を見ないしな」
「つまり、私のことは……」
「だから、言わんでも分かるだろ? マシャンヴァルにヴェールと言う盲いたケモノビトが来た時、陰で姉上と共に私への悪態を散々吹聴してまわった奴はどこの誰だ?」
「そ、それは……」
枯れ木が彼女の元から離れようと、じりじり後ずさる。

「それにラッシュのことだがな……彼は『黒衣の狼』の末裔であると言うことも加えておく。つまりは……」
「な……それはまことですか⁉︎ それが真実ならば、やはり奴を我がマシャンヴァルに……!」
だが彼女は、ナシャガルの言葉には耳を貸さず、なおも続けた。
「この奇跡……ラッシュにはものすごい運命の力を感じるのだ。マシャンヴァルの、いやこの世界にとって絶対に必要とされる存在に。だから私はもっと見ていたいんだ」

ベッドから起き上がり、彼女は窓を大きく開け放った。
肌寒さを増した夜風の先に見えるほのかな街の灯火。それはラッシュたちの住むマルゼリの街。

「ラッシュの……あの獣人傭兵の生き様を」
「ならばネネル様、ぜひとも私に新たな身体を与えてください! もはや裏切ることは絶対致しません。どうかあなたのお側に……って、ちょ⁉︎」
ベッドの端で落ちまいと必死にもがく枯れ木を、彼女はまるでゴミを拾うかのように指でつまみとった。

「ナシャガル、さっきも話したよな?」
「いや、ですからその、一生ネネル様に着いてゆきますとも! 心を入れ替えますから、ぜひとも血を一滴だけでも分け与えて貰えませぬか……!」
「……私は、私の『好き』で全てを決めると言ったよな?」
「つ、つまり私は……⁉︎」
つまんだその指は、窓の隣にある大きな花瓶へと向かった。姫の心を少しでも華やかにするようにと、毎日色とりどりの花が溢れるように生けられる、その花瓶へ。
そんなナシャガルの命乞いに、彼女の唇が声を発することなくゆっくり動いた。

ーダ イ キ ラ イーと。

その直後、指先から解き放たれたナシャガルの身体は真っ逆さまに……花瓶の中へと、落ちた。
「たすけてええええええええ……!」
満たされた水の中で、小さな悲鳴と共にジュッと何かが蒸発する音が聞こえた。
同時に花瓶に生けられた花たちは、瞬く間にその花弁を黒く染め、崩れ落ちるかのように全て枯れ落ちていった。

「姫様、どうなされましたか⁉︎ なにか声が聞こえてきましたが!」
薄暗がりの中、数人の侍女たちが部屋へと駆け込んできた。
「ああすまん、花がすべて枯れておったのでな。見苦しいので早く捨ててくれぬか」
そんなナシャガルの骸の溶けた花瓶を横目に、彼女はまた一人、窓へと向き直った。
その口元には、わずかな笑みが。
「ラッシュ……ディナレの子にして黒衣の血を引くケモノビトか……。ますます面白くなってきたじゃないか」

勢いを乗せた風が、ぶわっと彼女の金の髪を激しく揺らす。

「これが、好きという気持ちか……!」

第一部 終わり

しおり