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重い扉を開けた先には、同じく重苦しく、湿った空気に満ちあふれていた。
耳を澄ましても、人の気配はしない。
「おい、リンゴ持ってきたんだが、誰もいねえのか?」
建物同様に石で作られた床はひんやりと冷たく、長い椅子の並ぶ大きなホールには俺の爪音が響いているだけだ。
留守なんだったらリンゴどっかにおいて帰るか。泥棒と間違われるのもイヤだし、それに外に一人残したチビも気がかりだ。
薄暗闇の中、目を凝らすと、ホールの奥に小さな石造りのディナレ像が置いてあるのが見えた。ロウソクの灯りでほんのり照らされている。誰かいることは確かだ。
像に近づいてみる……
大きさ的にはチビと同じくらいだ。でも入り口にあった奴よりかは遙かにリアルな出来をしている。
やはり顔はわからないが、フード越しにもわかる立った耳、そして胸の前で組まれている両手と、裾の長い法衣の先から見えるつま先。
それらは皆、鋭く長く伸びた爪まで細かく作られている……
そうだ、間違いない。ディナレは……俺たち、いや、俺と同じ種の獣じ、、
「あの……」
「うわああああああ!」突然背後から声が!
心臓が止まった……っていうかいつの間に俺の後ろに来てたんだ!?
どんな時でも……そう、戦いの場では、たとえ眠っているときでも意識だけは常に張り巡らせていた。寝首をかかれないために。
だのに、なぜ……慌てて振り向いたその目の前には、ディナレの像と同じ衣装に身を包んだ、人間の女性が立っていた。
年齢的には……まだ若い。恐らくジールより下か。二十歳前後といったところか。
「ごごごごごめんなさい! ああああのお祈りに来られたのですか? それとも本日の糧を受けに来られたのでしょうか!? でもお金は全く持ち合わせておりませんからそこだけ了承してください!」
「わわわ悪い! そこのリンゴ園のジジイからお供えするためのリンゴを持ってきただけだ!」
「え……リンゴ、です、か!?」きょとんと驚きの目で、彼女は俺の顔から足下まで観察し始めた……珍しいのか、獣人が。
と、あれこれ考えたって仕方なし。俺は彼女にリンゴを渡し、さっさと出ようとしたの……だが。
「あ、あの、獣人さん……おケガされてませんか?」
へ、ケガ!? 突然なんだってそんなこと? 別にそこで殴り合ってたわけでもないし、どうして?
「お顔が、血で汚れていますよ」
彼女のその言葉に驚き、俺は顔を手で拭った。
なにかが凝固したみたいな、ぬるっとした感触。それに嗅ぎ慣れた匂い。
まさか……いや、そうだ。鼻血とかじゃない。俺の……
鼻面に刻まれた傷跡が、開いていたんだ!
「ははは早く手当しないと! そこに座ってください! えっとその、獣人さん、背が高くって傷が見えないもので!」と、彼女は大急ぎでホールの奥へと走っていった。こんな傷大したことないっていうのに。
しかし……不思議と痛みはしなかった。まだじわじわと血が流れ出ている暖かな感触も、手のひらにべったりと残るほどのおびただしい量も分かるというのに。
もしや……さっき扉の前で痛みを感じたときからか? そこで古傷が開いたのか?
いや、しかし、この傷はもう十数年前のやつだ。とうの昔にふさがっている。そんなのがまた開くこと事態がおかしい……なんなんだ一体。
しばらくして彼女が小走りで戻ってきた。手桶にくまれた水と、たくさんの白い布を手にして。
「まだ、血は止まりませんか?」鼻面の血を拭おうと、彼女が俺の顔をのぞき込んだときだった。
「!?」
彼女の手が、身体が、まるで凍り付いたかのように止まってしまった。