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「夏帆ちゃんお昼行く?」
「すみません……もう少ししたら行きます」
「そっか。じゃあ私先行くね」
「はい。いってらっしゃい」
丹羽さんは時間になっても休憩に行かない私に不思議そうな顔をしていたけれど、今日は横山さんの予定に合わせなければいけない。煮物はもちろん、横山さんのために朝からお弁当作りに力を入れた。
だって惚れたなんて言ってもらったら、どんなに眠くても早く起きて頑張るでしょ。
LINEのメッセージが来た音にスマートフォンを見ると横山さんからだった。
『遅くなってごめん。あと15分くらいで行けそう』
『じゃあ食堂で待ってます』
私は冷蔵庫からお弁当を二つ出すと食堂に向かった。
混み合っている食堂で隣り合った2席が空いている。
部署が違う人は私と親しくしたいとも思っていないだろうから、先に座ってしまえば私の隣に座ろうと思う人はいない。別に嫌われているわけではないけれど、みんな私とはどこか距離をおく。入社直後からしばらく私には様々な噂が囁かれたし……。
しばらくして横山さんが来た。
「遅くなってごめんね」
横山さんが空いている私の隣に座ったことで周りは意外という目で私たちを見ている。
「どうぞ……」
私は先に電子レンジで温めておいたお弁当を横山さんの前に置いた。
「うわっ、美味しそう。いただきます」
横山さんは一番に煮物を口に入れた。
「うん。やっぱうまい!」
次々と他のおかずも頬張る横山さんを見てほっとする。笑顔で食べてくれることが嬉しい。早起きした甲斐があった。
私たちの様子に食堂にいる他の社員は好奇の眼差しを向けていた。
横山さんと毎日連絡を取り合って、社内にいる日は毎回お弁当を作って一緒に食べる。昨夜の残りを入れることが多かったお弁当が、横山さんのためなら早起きしておかずを新しく作る。でもそれが辛いとは思わない。
なんて幸せで素敵な日々なんだろう。
食堂で一緒にお昼を食べることが増えると、他の社員にじろじろと見られているとはっきり分かるようになった。
男性社員は私たちを凝視して箸が止まるし、女性社員は顔を寄せ合ってクスクス笑うのだ。
そりゃそうだよね。私と横山さんだもん。
地味子ちゃんとエリート。どう見ても不釣り合いだ。横山さんは社内では目立つ人気者。一緒にいるのがどうして私なんだって思うよね。
私たちを見てあからさまに睨んだり笑ったりする女性のグループがあった。あれは横山さんと同じ営業推進部の人たちだ。特にその中でも横山さんと付き合い始めたことを知られたくない人がいた。横山さんの元カノがこちらを凝視している。
「北川さん、また映画観に行こう。今度は夜もどこかに食べに行こうか」
「はい! 是非」
周りに何と思われようと気にしなければいい。以前から私に良いイメージなどないのだから。それでも今は私と一緒にいてくれる横山さんを大事にしよう。
「夏帆ちゃん、ちょっといい?」
「はい」
総務部のオフィスに戻るなり丹羽さんに手招きされ非常階段に出た。
「夏帆ちゃん修一くんと付き合ってるの?」
「修一くん?」
それが横山さんのことだと気づくまで時間がかかった。確か丹羽さんと旦那さんと横山さんは同期だった。
「はい。あの……付き合ってます……」
良くしてもらっている丹羽さんには報告していなくて申し訳なかったな。
「そっか……」
「すみません……お話ししてなくて……」
「ううん、それはいいの。でも修一くんか……」
丹羽さんは深刻な顔をしている。
「似合わないですよね。私と横山さんじゃ……」
「そんなことないよ! むしろ夏帆ちゃんは修一くんにはもったいないし。ただ、修一くんは社内じゃ目立つからね……」
「はい……」
「二人が付き合ってることは噂になってるよ。私も同じ部署だから本当かって聞かれたし」
「そうですか……」
クスクスと笑った社員を思い出した。私が横山さんと付き合うのはそこまで大変なことなのだろうか。面白い話題ではあるんだろうけど、誰と誰が付き合おうがどうでもいいと思えないほど暇な人たちなのか。
「夏帆ちゃん気をつけて。修一くんと付き合うことをよく思わない子はいるから」
「え?」
「修一くんがこの間まで社内の子と付き合ってたのは知ってる?」
「はい。同棲までしてたけど別れたのは聞きました」
「その元カノって誰だかは聞いた?」
「はい……同じ営業推進部の宇佐見さんですよね」
先程食堂で睨んで、意地悪く笑って、いつも雑用を押し付け、過去には私を好き勝手に中傷した、横山さんと付き合い始めたことを知られたくない人。それが宇佐見さんだ。
「宇佐見さんとはいい別れ方ではなったみたいだから」
「そうなんですか?」
「私も詳しくは知らないの。旦那に少し聞いただけだから。でも修一くんと宇佐見さんは営業推進部の中でも距離をおいてるみたい」
「そうですか……」
「気をつけてね。只でさえ面倒な雑用を押し付けられてるのに、くだらない嫉妬で更に仕事を増やされないように」
「はい……」
食堂で宇佐見さんの私を見る目付きが怖いと思った。その理由も理解できた。でも何をどう気を付ければいいというの?
「あと修一くん仕事はできるけど、ああ見えて適当な性格だからそこも気をつけてね」
「そうなんですか?」
「夏帆ちゃんくらいしっかりしてる方が修一くんには合うかもね」
以前にも食品開発部主任が『だらしないから気をつけて』と言っていた。
私はまだ横山さんについて知らないことが多すぎるのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
倉庫でのことがあってから散々悩んだ。
夏帆に気持ちを伝えてしまった以上、遠回しに口説くよりも直球で押した方が落ちるのか、今までと変わらずゆっくり気持ちを受け入れてもらった方がいいのか。
今度は絶対に離したくない。けれど拒絶されたということは夏帆の中で俺は恋愛対象外のはず。
考えた末に、俺の中でこの間のキス未満はなかったことにした。夏帆にも今までと変わらない態度で接しようと決めた。怯えさせたいわけでもないし、体目当てだと思われるのも嫌だから。
早峰フーズに出入りするようになって名刺交換する機会が増えた。
それは女性社員だけじゃなく、男性社員からも店に植物を置きたいからと声をかけられることが多くなった。実際に契約は増えている。会社としてはありがたいことだが、ほとんどは担当エリアではないから俺としては得することは何もない。むしろ損している。
話しかけられ適当に相手するわけにもいかず、作業中に話しかけられると余計に長引いてしまう。
秘書の宮野という女は特に長話になる。植物が好きなだけに悪い気はしないのだが、質問攻めにされると仕事が進まなかった。
担当の前任者はそんなことはなかったのに、こんなに話しかけられるのは俺が早峰の社員とすれ違う度に挨拶をして愛想を振り撒いているせいかもしれない。
この時期は母の日のプレゼント商品を売り込むためにリーフレットを配らなければいけない。
手始めに秘書の宮野に数枚渡し、役員と秘書室から予約を取った。
そうすると他の部署からもリーフレットをほしいと言われ、本社の営業部並みに予約を受けてしまった。
俺、営業職もいけるかも。なんて単純に思ってしまう。
今日はこれでやっと早峰のメンテが終わった。
夏帆にサインをもらいに行こうとした時「母の日の予約票ください」と女子社員が二人、エレベーターを待つ俺に話しかけてきた。
「どうぞ。ご注文は記入したらここにファックスしてください」
俺はリーフレットをそれぞれに渡し丁寧に記入箇所を説明すると、最後に二人に笑顔を向ける。
はい、これで新規2件獲得。
エレベーターが開き乗り込んだが、二人も俺について乗ってきた。
俺は総務部の階のボタンを押し、二人は1階のボタンを押した。
「あの、営業推進部のフロアにも観葉植物を置いてほしいんですけど」
「ありがとうございます。では、一度御社の総務部にお話を通していただけると助かります」
早峰のビル内でのことは夏帆を通さないと契約しないことになっている。
「え? 総務部?」
「はい。総務部の北川さんが窓口でご契約させて頂いておりますので」
夏帆の名を出すと二人は顔を見合わせた。