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「ちょうどよかった。業者の方です」
会社内でリースしている観葉植物を月に一度メンテナンスしに来てくれるが、今日がその日らしい。40歳くらいの担当者の後ろからもう一人の若い男性が台車を押しながら出てきた。
「あ……」
思わず若い男性を見て声が出てしまった。その男性も私を見て目を見開いたけど、すぐに笑顔になった。その男性は先日合コンで会った椎名さんだった。
「おはようございます。株式会社アサカグリーンです。観葉鉢のお手入れに伺いました」
いつもの担当者の男性が私と宮野さんに挨拶した。
「おはようございます……ちょうどご連絡しようと思っていたところでした」
後ろの椎名さんの存在に戸惑うが、今は触れずにいつもの担当者に植物が枯れてしまったことを説明した。
「それは申し訳ございませんでした。すぐに交換させて頂きます」
「よろしくお願いします……」
宮野さん、これで大丈夫かな? 文句ない?
さっきから一言も話さなくなってしまった宮野さんを見ると、じっと突っ立ったまま後ろに立つ椎名さんを凝視していた。
「ああ、来週から御社の担当が変わります」
宮野さんの視線に気づいた担当さんに促され、前に出た椎名さんは笑顔を崩さず口を開いた。
「来週より担当させて頂く椎名と申します」
なんで? どうして? こんな偶然あり?
疑問ばかりが頭に浮かぶ。
椎名さんは会社のロゴ入りTシャツを着ていても合コンの夜と変わらずかっこよくて、合コンの夜と変わらず何を考えているのか分からない笑顔を向けた。
宮野さんはそんな椎名さんに目が釘付けになっている。
「交換する新しい植物は違う種類の方がよろしいですか?」
今の担当さんが話しかけても宮野さんは椎名さんから視線を外さない。
「あの……宮野さん?」
私も恐る恐る話しかけた。
「えっ……あ、はい、お願い致します」
我に返った宮野さんは恥ずかしそうに下を向いた。こんな宮野さんを初めて見た。
「もしよろしければ来月からメンテナンスを月2回に致しますか?」
口を開いたのは椎名さんだ。
「本来この種類は室内でも比較的強いものなんですが、先月も枯れてしまったということですと、エアコンの風が当たるなどで条件も変わってきてしまうので、2週間毎にお手入れさせて頂きますが」
「はい、お願い致します」
椎名さんの提案に宮野さんは即答してしまう。
「あ、あの……ご請求額のこともありますので、総務部長と一度相談させて下さい……」
私は慌てて口を挟んだ。メンテナンスを2回だなんて毎月のリース代請求額が変わってしまう。副社長付きの宮野さんといえども、うちの部長の許可なしに勝手に判断されては困る。
宮野さんは私の言葉なんて耳に入っていないようで、ニコニコと笑う椎名さんに完全に心を奪われてしまったようだ。
「じゃあ今後は北川さんと相談して。俺は下から新しいの取ってくるから」
担当さんは椎名さんに声をかけると観葉鉢を載せた台車を押してエレベーターを下りていった。
「ではこちらにご連絡下さい」
椎名さんが名刺を私と宮野さんに渡した。
「あ、では私も名刺を。少しお待ちください!」
宮野さんは小走りで秘書室に入っていった。
別に宮野さんが名刺を渡す必要はないと思うんだけど……。
「また会ったね夏帆ちゃん」
先程までの真面目な態度とは変わり、私に話す声は面白がっているようにも感じる。
「どうしているんですか?」
「古明橋周辺エリアの担当になったから。偶然だね」
椎名さんは変わらない笑顔を見せた。
「今後もよろしくね」
「はい……」
「お待たせしました!」
宮野さんは通路に靴音を響かせ戻ってきた。
「秘書室の宮野と申します」
「よろしくお願い致します」
椎名さんは再び真面目な口調に戻ると名刺交換を済ませた。
「では作業が終わりましたら総務部へお寄りください」
笑顔で会話する二人を残し、私は一人でエレベーターに乗った。
最初は怒ってたのに、完璧な宮野さんもイケメンを前にすると調子が狂うものなんだ……。私が横山さんと話したときもあんな感じだったのかな……?
メンテナンスの件を相談すると部長からあっさり許可が下りてしまい、結局観葉植物のメンテナンスは毎月2回になった。今後最低でも月に2回は椎名さんと顔を会わせることになってしまう。あの合コンの直後では気まずくて仕方がない。
「失礼致します」
男性の声に振り向きフロアの入り口を見ると椎名さんが立っていた。私は引き出しから印鑑を出すと椎名さんのところまでゆっくりと歩いた。
「終わりましたのでサインお願いします」
「はい」
私は納品書に記載されたフロアとそれぞれの観葉鉢の数を確認し、右下に押印した。
「来月からメンテナンスは2回でお願いします」
「かしこまりました」
「ご苦労様でした」
「夏帆ちゃん一つ教えてあげる」
椎名さんは私にだけ聞こえるように顔を近づけた。合コンの夜を思い出してドキッとする。
「さっきの役員フロアの観葉鉢だけど、多分水のあげすぎで枯れるんだよ」
「え?」
言われた意味が分からなくて椎名さんの顔を見た。至近距離で目が合ってしまい、慌てて目を逸らした。椎名さんに耳元でふっと笑われ顔が赤くなる。
「あの宮野さんって人、植物が好きなんだって。ほぼ毎日自分でも水をあげてくれるらしいんだけど、俺たちは大体次のメンテまで持つように水の量を調節してるんだ。しかも室内に置く用のもの。だから毎日あげる必要はない。あげすぎるから逆に枯れるんだよ」
「そうなんですか……」
なんだ、宮野さんが自分で枯らせてるんじゃないか。先月だって枯れたのはきっとそのせい。
「その事は宮野さんに言って頂けました?」
「毎日あげる必要はないとは言ったよ。水をあげるから枯れるんですなんて、置いてもらってるこっちは言えないし」
「メンテナンスを2回もやる必要がないとは?」
「それは言ってないかな」
「は?」
「メンテの回数が増えれば、少なくとも月に2回は夏帆ちゃんに会えるでしょ」
「なっ……」
今この人は何と言った?
「それに、エアコンも原因なのは本当だし。メンテナンスはした方が植物のためにもなる。うちの会社としてもありがたいしね」
椎名さんはまた耳元で笑うと私から離れ「では来月からよろしくお願い致します」と言って頭を軽く下げ、エレベーターに乗ってしまった。ドアが閉まる直前、頭を上げた椎名さんは私に向かって笑顔で手を振った。それに応えて振り返すことなんてもちろんできず、ドアが完全に閉まっても体が硬直して動けなかった。
『月に2回は夏帆ちゃんに会えるでしょ』
そんなことを言われたのは初めてで、自分の中でどう処理をしていいのか分からない。
きっと私のことをからかってるんだ。合コンの夜だって椎名さんの行動は意味不明だったじゃない。
でもやっぱりメンテナンスは2回もいらない。余計な経費は節減しなければ。椎名さんに言うよりもアサカグリーンに直接連絡して、部長にも報告して、宮野さんにも……。
宮野さんのせいで枯れたんですなんて私からは言えないな……。本人は良かれと思ってやっているのだから。
「……さん、北川さん」
「あ、はい!」
考えに夢中で呼ばれたことにすぐには気づかなかった。声のした方を見ると、私のすぐ後ろに横山さんが立っていた。
「す、すみません気づかなくて……」
「いいよ。忙しいとこごめんね」
今日も変わらず爽やかな笑顔で私にまで気を遣ってくれる。横山さんはまた手に書類を持っていた。
「申請書なら大丈夫ですよ」
さっき丹羽さんはお使いに出てしまったが、渡しておくくらい構わない。