バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第二話 III

「あーつーいー」

 以前も聞いたことのある言葉を発しながら、紅白はダラダラと歩いていた。

「さっきからそれしか言ってないじゃない、言っても涼しくならないんだから、少しは我慢しなさいよ」

 隣を歩く天姫は、紅白に呆れかえっていた。学校を出てから数分しか経っていないが、紅白が「あつい」と言ったのは、両手では収まらない数だった。

「まぁまぁ、そんなイライラしないの。四季って素晴らしいんだから、楽しまないと損よ」
「堂々と能力を使ってる冬夏さんに言われたくないですぅ」

 ブーブーと唇を尖らせて、冬夏に文句を言う紅白。「あはは~」と、少しバツが悪そうに苦笑する冬夏。彼女の能力は温度を自在に操る能力で、その固有名称は『表裏一体(インフィニティゼロ)』。この能力で、彼女は自分の周りの気温を調節し、暑い中でも快適な空間を作り出していた。しかし、街中での能力行使には制限があり、あまり大っぴらに使えないため、効果は自分の周りのみで、紅白や天姫までは、効果が届いていない状況だった。
 この三人でどこに向かっているのかというと、それは病院だった。昨日同様、簡単に自治会の集会が終わったあと、紅白は直帰するつもりだったのだが、天姫に捕まり、半ば無理矢理、病院に連れてこられていた。そしてそれを知った冬夏が、昨日のことも鑑みて、怪我人二人の付き添いという名目でついてきていた。

「別に病院行かなくても大丈夫だって。すぐ治るよこんなもん」
「肋骨にヒビ入ってたくせになに言ってんのよ。病院に行った方が早く治るんだから、我慢しなさい。治ったら、またパトロールするんだから」

 この百年ほどで、医療技術は大きく進歩していた。能力が発見されてから、それを医療に活用できないかと、世界中の国々の研究機関が尽力したことで、今日では骨のヒビくらいなら、一週間と経たないうちに治ってしまう。そして紅白は、それをわかっているからこそだ。できるだけパトロールに行きたくないから、病院に行くのをサボろうとしていたのであった。

「ん?あれは………」

 紅白と天姫のいつも通りのやり取りを微笑ましく見ていた冬夏だったが、前方に意識をとられる。よく見ると、紅白たちが行こうとしている病院の前に、少し人が集まっていた。

「何かあったんですかね?」

 天姫は冬夏に尋ねたつもりだったのだが、答えは違う方から返ってきた。

「………上」
「え?」

 紅白からの答えに、天姫は振り返って聞き返してみると、紅白の視線は上を向いていた。

「病院の上に人がいるらしい」

 そう言われて天姫も紅白の視線を辿るように病院の屋上を見上げた。冬夏もそれに続いて上を見上げる。遠くて見えづらかったが、病院の屋上には人が一人立っていた。フェンスを越えて、屋上のふちギリギリに立っている。

「あれって………まさか!?」

 天姫は事実を目の当たりにして、青ざめる。

「落ち着け。まだ出てきたばっからしいから」

 紅白は、人だかりから聞こえてきた情報をを天姫に伝え、落ち着かせようとする。普段はふざけた言動が多いが、だからこそ、良くも悪くも調子が変わらず、冷静だ。

「仕事が早いわね。まぁ、役員なんだからそれぐらいはしてくれないと、副会長としても困るんだけど」
「諜報の方が得意ですから」

 冬夏に褒められ(?)ドヤ顔を決めてみせる紅白。言外に戦闘は苦手だと言っているようなものだが。

「なんでそんな冷静なのよ!いつ跳び降りるかわからないんだから、早く屋上まで行ってきて!」
「は?いやなんで俺が行かなきゃなんねーんだよ!」
「いいから行きなさい!副会長命令よ!」

 紅白は天姫の無理矢理な物言いに、冬夏に視線で助けを求めたが、冬夏はクスッと笑っただけで、何もしてはくれなかった。言外に冬夏も紅白に『行け』ということなのだろう。
 そうして副会長二人の圧力によって、なぜか一番重症の紅白が病院に入り、屋上へと向かった。昨日の今日で、紅白のことを覚えていたのか、途中看護師に声をかけられたが、事情を説明すると、職員用エレベーターを使わせてくれた。どうやら病院の人たちも、今の状況に追われているらしい。
 屋上にたどり着くと、そこには一人の男性医師がいた。

「如月君!どうして君がここに!?えぇっと、診察の時間?」

 その男性医師は、昨日紅白を診察、治療した氷野(ひの)だった。今の状況にいっぱいいっぱいだった中、紅白が来たことに驚きを隠せず、気が動転している。

「なんで診察受けるために屋上に来るんですか。落ち着いてください。状況はどんな感じですか?」
「え?どんなって…え、助けてくれるのかい?」
「一応晃陽高校の自治会ですし、まぁ、逆らうと面倒ですし」

 屋上にいた氷野は、今にも跳び降りようと屋上のフェンスを越えたところにいる人を、なんとか踏みとどまらせようと奮闘していたようだ。まだ跳び降りてないのは、氷野の頑張りによるものだったのかもしれない。氷野は、紅白に状況を説明(うまく要約はできてないが)し、紅白はその情報に顔をしかめながら聞いていた。

「とりあえず、ここは一回俺に任せてください。なんとかやってみます」

 紅白はそう言うと、フェンスの向こうにいる人に少し歩みよった。そこで、

「何?誰?何しに来たの?」

向こうから声をかけられた。声の主は女性だった。この病院の患者なのか、病衣を着ている。そして紅白は、その女性に見覚えがあった。

「あなたは………」

 紅白は少し驚いていた。今まさに跳び降りようとしていた女性は、昨日紅白と戦っていたその人だったのだ。先程の蓮の話では、まだ目を覚ましていないということだったので。意識を取り戻したのは喜ばしいが、それで跳び降りようなど、何があったのだろうか。

「……………」
「何よ?」

 黙って見つめるだけの紅白に対し、少し語気を強める女性、伊吹(いぶき)(かえで)
 楓の様子は、ある一つの確証を得るには十分だった。楓は紅白のことを知らない。つまり楓には昨日、紅白と対峙した時の記憶がないということに他ならない。そしてそれは、昨日の出来事は自分の意思によるものではない、という可能性が高いことを示していた。
 だが、今この場でその考えに至ったことには、何の意味もなかった。この状況をどうにかすることが先決だ。今楓がいなくなってしまえば、昨日の出来事を含め、事件の解決が難しくなるかもしれない。だからまずは、なんとかして楓が死ぬことは防がなくてはならなかった。

「無駄なことはやめてください」

 紅白は、楓に声をかけた。しかし、楓はそれに応えるつもりはないらしい。

「無駄?何よ。私が何をして、どうなろうと、私の勝手じゃない」

 楓は静かに叫ぶ。

「確かに、あなたが何をしようが、それはあなたの勝手です。ですから、俺が無駄だと言ったのは、誰かが止めてくれるかもしれないと希望を持つことですよ。誰も助けませんし、止めはしませんので、跳ぶんでしたら、思う存分にさっさと跳んでください」

 冷たい言葉だった。自殺教唆にもとれるそれには、氷野も言葉を失っている。おおよそ人助けに向かない言葉、楓の神経を逆なでするには十分だった。

「はぁ?何よそれ。あなたに私の何がわかるのよ。それにあなた、跳べって、それで私が本当に跳び下りでもしたら、あなたのせいになるのよ?」
「なんでですか。俺は何もしてませんよ。あなたが跳ぼうとしてるので、どうぞ跳んでくださいと見守っているだけですよ。さぁ、どうぞ」

 両者の言い分は、確かに間違っていない。ただ、目の前で人が死ぬかもしれないという状況で、何もせずにただ見守るというのもどうなのだろうか。ましてや紅白は自治会役員だ。こんなことが外に漏れようものなら、批判は免れないだろう。

「そんな簡単に跳べるんだったら、とっくに跳んでるわよ………。でも…でもっ!」



「はぁ。もういい」



 中々跳び下りず、ぐずぐずするだけの楓に対し、微かな温かさも感じられない表情から発せられた非情な言葉と共に、紅白は足で軽く地面を数回叩いた。そしてその数秒後、

「……………え!?」

楓はバランスを崩し、落ちそうになるのをなんとか耐えようとしたが、そんなもがきも実らず屋上から姿を消した。
 その場はしばらく沈黙が支配した。時が止まったかのような空間に、静かに風が吹き抜けていく。その風は、優しくも冷たく紅白の髪をなでる。

「……………」

 楓が消えた空間をしばらく見つめていた紅白は、踵を返し屋上を後にしようとした時、

「き、如月君!君は何をやっているんだ!?助けてくれるんじゃなかったのかい!?わざわざ落とすなんて、こんなの君が殺したようなものだよ!?」

やっと事態を把握し、慌てた氷野が紅白に迫ってきた。確かにさっきの光景は、紅白が楓を屋上から落とし、殺したようにも見える。本当に死んでいれば、だ。

「先生、落ち着いてください。なんでわざわざ人前で殺人を犯さなければならないんですか。彼女は生きてますよ。下にいる他の自治会役員が保護しているはずです」
「……………え?」

 氷野はもう何が何だかわからない、と言うような顔をしていだ。おそらく思考が追いついていないのだろう。しかし、ここまで間抜けな表情をされると、医者として少し心配になってくる。この人は医者に向いていないのではないだろうか。

「まぁ、手荒な方法をとったのは謝りますけど」

しおり