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変わりゆくモノ6

 とりあえず、ソシオはもう暫く観察してみる事にする。氷雪華は巨木に絡みついているだけで動きは無いが、このまま観察を続けていたら何かしら起きるかもしれない。
 そうして状況が変わるのを待ちながら、ソシオは氷雪華の魔力の流れを細かく観察してみる。
 魔力は万物に宿るものなので、氷雪華も勿論魔力を保有していた。それにあまり得意では無いとはいえ、氷雪華も魔法を使用して攻撃してくる。
 その魔力の流れを観察するに、巨木と氷雪華の魔力の流れは別々なようで、やはり同化とは少し違うようだ。それでもよくよく観察してみると、氷雪華が巨木の魔力に自身の魔力を似せようとしているのが分かる。

「やはり擬態? でも、魔力まで似せようとするというのも徹底しているな。そういう種は存在するが、そう多くはない」

 周囲の魔力の流れや質などをいちいち判断して生活しているような生物は存在していない。それは労力がもの凄く必要であるから。
 ソシオでさえ少し意識を集中させなければ細かな部分は分からないのだ、そんな高度な事を常日頃周囲全てに行っていては、ろくに動く事さえ出来やしない。なので、仮にそんな事をしている生物が居たとしても、それはとっくに滅んでいるだろう。
 そういう訳で、魔力の流れや質などまで似せるような擬態はそこまで必要ない。完璧な擬態を目指すなら必要かもしれないが、氷雪華はそういった事を必要としていなかったはずだ。それでいて未だに種が滅んでいないのだから、それは間違っていないと思われる。
 しかし、目の前の氷雪華は、今までの氷雪華とは異なる動きを見せている。個体としても普通の氷雪華よりも大きいので、ソシオはもしかしたら亜種か何かかと思いはしたが、断言はまだ出来ない。

「進化したとか、別種とか、変異個体とか幾つか候補はあるが、まだよく分からないな。どうやらあの二体とも同じ事をしているようだし・・・しかし、なんであの巨木に集中しているんだ?」

 現在ソシオが居るのは、巨人の森の深部。森なだけに周囲には似たような巨木が沢山生えている。だというのに、見つけた変わった氷雪華が二体とも絡まっているのは一本の巨木。
 周囲を探ってみるも、付近に他の氷雪華は居ない。二体が絡まっている巨木についても探ってみたが、今のところは変わったモノはなさそうだ。何か氷雪華を誘うなり変質させる物質でも放出しているのかとも考えたが、他の巨木との違いは分からなかった。

「少し採取して持ちかえれば何か判ると思うのだが・・・」

 そうは思うも、その場合は氷雪華の警戒範囲に足を踏み入れねばならない。そうなると、勿論攻撃が飛んでくるだろう。ソシオにとっては問題ないとはいえ、二体同時は少々面倒くさい。それでも反応を確かめる時にでも、ついでに採取しておくかとソシオは考える。その際は氷雪華の一部も採取しておこうとも。
 そう思ったところで、ソシオは今回の目的を思い出す。しかし、今離れるのは何だか抵抗があった。目的の氷雪華を採取してから戻ってきても、おそらく氷雪華はこのまま動く事はないだろうが、それでももしかしたらと思うと、離れがたい。
 しかし、空腹の奇麗な氷雪華は必要な素材なので、このまま観察を続ける訳にもいかない。それにソシオは現在色々と抱えていて忙しい身の上だ。氷雪華の採取も結構頑張って時間を捻出したほどに。

「むむむ・・・致し方ない。では、巨木と氷雪華の一部だけは採取しておくか」

 苦悩の末にそう結論を出したソシオは、巨木に近づいていく。
 ソシオが気配を消しつつ巨木へと近づくと、程なくして氷雪華の警戒範囲の内側に侵入する。それから少し進むと、氷雪華が二体同時に気がついたようで、ソシオへと一斉に攻撃を仕掛けてくる。
 最初に足下を薙ぐような軌道での触腕の攻撃に続いて、幾本もの触腕による刺突と、上部からの振り下ろし。どれもソシオをしっかりと捉えた攻撃で、背後以外から一斉に攻撃が繰り出された。
 ソシオは足下を薙ぐ初撃を跳んで避けると、突き刺してくる触腕を浮遊しながら悠々と回避していく。上部から振り下ろされた触腕に至っては、切り落として研究材料として虚空に仕舞う余裕すらあった。
 それから地上に下り立つと、氷雪華の魔法による攻撃を軽くあしらい、再度飛んできた触腕の槍を避けつつ、いくらか切り落として研究材料の追加としておく。
 そうして近づいた巨木を見上げた後、氷雪華の攻撃を避けつつ樹皮を少し剥ぐ。巨木を傷つけない為か、巨木の近くに寄ると氷雪華の攻撃が先程よりも緩やかになった。
 樹皮を剥いだソシオは、少し考えて上部の巨木の枝まで跳ぶ。そこで枝や葉も余裕を持って採集したところで、下りて巨木から離れた。

「さて、それじゃあ目的の氷雪華を探すとするか!」

 氷雪華の攻撃を回避しつつ巨木から離れていき、十分巨木から距離を取ったところでソシオは軽く伸びをしてそう口にする。
 周辺の様子は探ったばかりなので、移動しながら探索範囲を拡げていく。
 巨人の森は広大なので、探していない場所など大量に在った。それに、見慣れない氷雪華の観察に結構な日数を費やしてしまったので、少々急がねばならないだろう。
 ソシオは駆けながら巨人の森を調べていく。氷雪華は個体数がそこまで多くはないので、広大な巨人の森で気配を捉えるだけでも一苦労だ。
 そうして気配を捉えて行ってみれば、そこに居た氷雪華は食事中ばかり。空腹の氷雪華は本当に希少である。
 そうやって幾度となく目的でない氷雪華ばかりを見つけていると、氷雪華が食べている動物を中から引きずり出してやりたくなってしまう。しかし、それをやっても意味はない。というよりも、それをやれば氷雪華は死ぬだろう。ただでさえ数の少ない種族だというのに、無為に減らす訳にはいかない。
 苛立ちを内に隠しながら、ソシオは懸命に空腹の氷雪華を探していく。これならば、最初に見つけた氷雪華を空腹まで監視していた方がよかったのではないかと思えてならない。
 そんな自分の思考に気がついたのか、ソシオは苦笑すると移動しながら頭を振ってその考えを棄てる。それが空腹の氷雪華を探す者がよく陥る思考だと理解しているから。そもそもその思考に意味はないだろう。
 そんな事がありながらも氷雪華を探し続けていると、とうとう空腹の氷雪華を発見する。

「やや小振りなのは残念だけれど、この際そんな事は目を瞑ろう」

 念願の空腹の氷雪華である。体内の液体は透き通っていて、反対側がよく見えるのがその証拠だ。長い間探していたのでつい感動してしまったが、あの氷雪華が動物を見つけて捕食してしまう前に採取しなければならない。もう空腹の氷雪華を探すのは当分は遠慮したい。
 すぐさま思考を切り替えたソシオは、眼前の空腹の氷雪華へと一気に肉薄する。あまりにも長い事探していたので、最初から手加減抜きの全力である。無論、周辺を壊さないように配慮する程度の理性は残っていたが。
 ソシオがこの場で出せる全力に、流石の氷雪華も全く反応出来なかった。
 氷雪華がソシオの存在に気づいた時には既に手際よく解体されていたが、最後の最後とはいえ、ソシオの存在に気づけただけ氷雪華も優秀だったのだろう。
 全ての部位を正確に解体したソシオは、すぐさま全ての部位を虚空に収納していく。
 素材の収納を終えると、ソシオは巨人の森の中にある自身の研究所への帰路につく。

「小振りの氷雪華だから直ぐになくなりそうだな・・・こうなったら、帰ったらまずは氷雪華を保護する場所の確保をしなければ!」

 今回の探索を振り返り、ソシオはそう固く決意する。
 探索の途中でも地面から出てきたばかりと思われる個体を幾つか発見していた。それらを保護して育てれば、氷雪華の素材の安定供給も夢ではないだろう。
 その為には、まずは場所の確保と環境を整える事が必要になってくる。とはいえ、普通に育てる分には、餌を用意するだけで氷雪華は何処ででも育つ。温度の変化も余程極端でなければ問題ないし、湿度も関係ない。流石に地上の動物を水中とか溶岩の中とかで育てるような暴挙はしないだろう。
 その辺りを思案しながら、巨人の森の中ほどを目指す。転移という方法もあるが、いつもと違う環境で思考する時間も大切だ。
 途中途中で襲ってくる相手を軽く屠りながら、しっかりと必要そうな部位は回収していく。
 そうして研究所の在る巨木に戻ってくると、周囲調べてみる。だが、やはり森の中なので、少し先に在る広場ぐらいしか広い場所は確保出来ないだろう。

「・・・・・・木ごと囲えばいいかも? あの変わった氷雪華見たいのも出てくるかもしれないし」

 普通の氷雪華は木を登らないので、逃げる事はないだろう。それならそれで問題ないのだが、素材の確保が目的なので、あまり逃げられて数が減るのも問題だ。
 それでもまあ問題ないかと結論付けたソシオは、早速近くの木々を囲うように大きく柵を張り巡らしていく。
 この柵は特殊な柵で、元々は異世界で使えそうな素材があれば確保しておこうと思って用意していたもの。この柵で囲ってしまえば結界が発生して、結界の内と外とを隔離してしまう。
 もっとも、今回はその機能を使うつもりはないので事前に停止させていたが、それでも柵自体も頑丈なので、氷雪華の攻撃程度では破壊は不可能。
 柵の高さは二メートルほど。厚さは五センチメートルほどなので、周辺の巨木に比べたら可愛いものだ。
 それを使って直径三キロメートルほどの円形に囲う。最初なのでそこまで大量に氷雪華を保護するつもりはない。この辺りは様子を見ながら調整していけばいいだろう。氷雪華は成長が早いので、直ぐに手狭になりそうだが。
 その時はその時に考えようと思い、ソシオは囲った柵を確認していく。確認した限り問題なさそうだったので、早速氷雪華を保護する事にする。
 戻ってきて間もないが、保護する場所を用意した事で、何だか妙にやる気になっていた。
 まずは転移で氷雪華を探した森の深部に移動する。それから幼体を見かけた場所を重点的に探していく。
 空腹の氷雪華を探した時に比べれば断然楽に目的の氷雪華を保護したソシオは、保護する度にそれらと共に転移して保護場所に放っていく。
 囲った場所に氷雪華の幼体を放つ際に、ソシオは氷雪華の素材確保の往復路で手に入れた獣の肉を与えておいた。これで当分問題はない。柵の内側には危険な存在は居ないのだから、空腹さえ何とかしていれば勝手に育つ事だろう。
 そうこうして確保した場所の広さに応じた数の氷雪華を放って餌もしっかりと与えた後、ソシオは念の為に餌となる小さな動物を幾つか生きた状態で確保しておき、柵の中に放っておいた。与えた餌で足りなかったら、後は自分達で捕獲するだろう。
 それが終わると、ソシオは巨木の地下にある研究室へと向かう。
 研究室である地下室に到着したソシオは、しっかりと施錠して干渉を徹底的に排除しておく。
 それが終わったところで、ソシオは机の上に虚空から取り出した変わった氷雪華から確保した素材と、その氷雪華が絡んでいた巨木の一部を並べる。

「こうして見る分には、何にも変わったところは無いのだけれど」

 机の上に並べた素材へと一つ一つしっかりと視線を向けたソシオは、難しい顔のまま端に置いた氷雪華の一部を手に取って調べていく。
 手首や顔を動かして様々な角度から観察した後、表面を軽く叩いたり、においを嗅いだりとおかしな部分がないか調べていく。そんな原始的な方法で調べた後、少し削って薬品に浸したり、精密な魔力測定が出来る機材に入れたりして細かく調べていった。その結果。

「うーん。巨木の方は半魔物みたいな存在になっていたのか。それに氷雪華の方、これ見た目は氷雪華だけれど、実際は完全に別物だな」

 その結果に、ソシオは感心するような興味深げな声を出す。
 魔物と言うのは、形を得た魔力に意思が宿った存在だ。なので、魔物は魔力と意思で構成されているとも言える。
 この巨木は長い年月を生きてきた事により膨大な魔力を蓄え、それにどうしてか意思まで宿り始めていた。その結果として、半ば魔物と化したという事だろう。

「・・・意思が宿った原因は森の精霊とも考えられるが、他にもこの世界に漂っている意思も可能性としてはあるか。だがなによりも、こうなるきっかけは確実に世界の根底が書き換わったからだろうな。であれば、これもあれのらの仕業という事か。悪い事ではないが、こういった変化はこれから頻繁に起きてくるだろうから、気をつけておかなければならないな」

 難しい顔で考え込むと、ソシオはぶつぶつと自身の思考を言語化していく。そうする事で見えてくるものもあるのだろう。

「それにこの氷雪華・・・あーではなく氷雪華擬きだが、おそらくこの巨木の変化に引っ張られた何かだろうな。これはもう少し調べてみなければ結論は出ないが、もしかしたらこれは森の精霊の成れの果て? いやでもしかし、そうなってくると巨木の方の説明も・・・? うーん・・・」

 鑑定結果を眺めながら、ソシオは首を捻って考える。新たな変化というものは、ソシオにとっては歓迎すべきものだ。それは世界が新たな世界に生まれ変わるという事なのだから。
 その点のみは、ソシオは死の支配者と同じ考えを持っている。世界の変革。それはソシオの敬愛する相手の望みの一端でもあるのだし、その相手に捧げられる数少ない貢物でもある。
 そして、その変革はまだ完全には成っていない。それでも順調に進んでいるようで、こんな突然変異とでもいうような存在が生まれているのだから。

「以前までの定められた通りに生まれ、定められた通りに動き、定められた通り死んでいく世界ではありえない事だから、こういったものを調べるだけでも楽しそうだな。時間もかなり必要そうだし」

 目の前の半魔物巨木と氷雪華擬きの一部を眺めながら、ソシオは小さく笑う。

「その為にも、まずはこの二つをしっかりと調べられるようにならないとな。一定の方法の確立も重要な事だ」

 残った素材を手に取り、すり潰したり乾燥させたりしながら、どうやれば今後ある程度の当たりがつけられるようになるのかをソシオは思案していく。無論、それと並行して対象の二つのより詳しい鑑定も進めている。
 あれをしたらどうか、これをしたらどうかと考え付く端からソシオは試していく。幸い素材はそこそこ多めに採取していた。特に氷雪華擬きの素材は結構あったので、割と自由に調べることが出来た。
 そうして調べた結果、多少は道を見つけたが、それでもまだまだ確立には程遠い。

「まぁ、調査方法はこれからおいおい確立していくとして、やはりこの氷雪華擬き、元はこの森に居た精霊を核にしているな。そこに本物の氷雪華や周辺の動物や植物を取り込んで、更にはどうやら巨人までもを取り込んで進化していったようだ・・・そうだ、これは進化と言えるな!」

 自身の言葉に、ソシオは納得がいったと大きく頷く。進化というにはあまりに強引な変化な気もするが、今はそんな事はどうだっていいのだろう。
 ソシオはだんだん分かってきた研究対象の生態に、楽しげな雰囲気を醸す。ともすれば鼻歌でも歌いそうな雰囲気だ。
 それからも残っている素材を無駄なく使用して、様々な調査をしていく。そうして全ての素材を使用し終えたのは、何日経った頃だったろうか。
 元々が妖精であるソシオにとって飲食も睡眠もとる事は可能程度の代物とはいえ、少々熱中し過ぎていたようだ。ソシオは疲れとは無縁の身体で伸びをすると、ゴキゴキと骨がなったような気がする。どうやら思った以上に集中していたようだ。
 それからソシオは研究を終えて外に出ようとするも、その日は大雨だったようで、巨人の森にも雨が降っていた。
 元々巨人の森は巨木が立ち並び、枝葉が茂って天井の様に上部を覆っていたのだが、そこまで密度が高い訳ではなかったので、雨が降れば枝葉を伝って中へと雨が落ちてくる。
 それでも今日は、まるでその枝葉の天井すら存在しないかのような豪雨のようであった。
 ソシオは巨木の根元近くの出入り口から外の様子を眺め、どうしようかと考える。雨を弾くのは容易ではあるが、わざわざそうまでして出ていく用事もない。

「うーん・・・」

 腕を組んで思案したソシオは一旦巨木の奥に引っ込み、以前休憩する時にでもと思い奥の狭い場所に置いておいた、一人が座れる程度の大きさの石に腰掛ける。
 石に腰掛けたソシオは、久しぶりに現在の世界の様子を確認してみる事にした。

(さて、あれからどういう風に世界の流れが進んだのか)

 僅かな期待と不安を胸に、ソシオは世界を観ていく。
 まずは巨人の森とその周辺。巨人の森に関しては大きな変化は見られない。あの氷雪華擬きや半魔物の巨木のような変化の規模はまだ小さいようだ。
 巨人の森の周辺は、半分ほどを死の支配者の軍勢が占拠しているようだ。ただし、巨人の森の中にまでは入ってくる気配はない。
 残りの半分程はそこまで大きな変化はないが、それでも死の支配者の軍勢が巨人の森外縁部の占拠に動いている以上、それもそう長くは続かないだろう。
 他はどうかと世界を観ていくと、既に世界の三分の二ほどは死の支配者の支配下に収まっているようではないか。残りの大半は魔物が支配しており、あとは巨人の森と妖精の森が残るばかり。

(あれの居る場所もまだ残っているのか。それで、世界の外の様子はどうなっているのやら)

 ソシオは世界を観た後、世界の外側にも眼を向けてみる。すると。

(・・・・・・何も無い?)

 大河や山脈で遮られた外側に広がる世界は、誰かが支配しているという感じではない。それどころか、誰もいない。軍が駐屯しているという事も、何かしら砦が築かれているという事も無いし、村や集落どころか家の一軒も建っていないようだった。
 そこに広がるのは、僅かばかりの草が生えているだけの不毛な大地。
 大地は乾燥しひび割れ、水場の一つも存在しない。小さな草がちょろりと生えてる以外には砂礫ばかり。

(かつては場所によっては死者が徘徊していたのだがね)

 その周辺には、死者が溢れる地というのも昔は存在した。死者の世界に繋がる場所が近くに在った場所だが、今ではそれも存在しない。ソシオはその理由を知っている。それはもう不要だからだ。
 現在死者の世界を支配している存在の領地は既に世界の大半なのだから、わざわざ死者で道を遮る意味はない。それに、そんなモノが居なくとも、死の支配者に勝てる者などそうは居ない。
 世界の様子を一通り確認したソシオは、一つ息を吐く。

「あいつ、魔物も滅ぼすつもりなのか」

 一部魔物との戦端が開かれていた部分があったが、あの魔物達を纏めているのは、ソシオが敬愛する相手が創造した魔物だ。もっとも、半ば思いつきで創造したような半端な魔物だが。
 その強さは、死の支配者の側近である幹部数名分ほど。十分な強さがあるも、倒せない相手ではない。
 それでも敬愛する相手が創造したモノなので、思うところがない訳ではない。まぁ、適当に創造されたようなモノなので、そこまで強い葛藤は存在しないが。

「という事は、破壊は全て完了したという事なのかな? 思ったよりも時間が掛かったな」

 氷雪華擬きや半魔物巨木のように世界の変化は起きていたが、それでも世界を確認するに、変化の規模はまだ小さいようだ。それだけ強固な守りが敷かれていたという事なのだろう。
 ソシオは異世界の様子を思い出し、世界が全てそれほど強固な守りが敷かれている訳ではないという事は知っているが、それでも。

「世界というのも存外侮れないという事か」

 一定の領域を越えた存在であるソシオは、しみじみとそう呟く。これから先、そういったモノとは幾たびか対する事もあるだろう。その為にも、もっと力を付けなければならなさそうであった。

「・・・一度あいつに会ってみるべきかどうか」

 異世界との扉を開いた時に邪魔をしてきた漆黒の存在を思い出し、ソシオは渋い顔を浮かべる。もしもこれから会おうかと考えている相手に会いに行った場合、高確率でそちらとも会う事になるだろう。ソシオとしては、それは遠慮したかった。

「でもなぁ、会わないという選択はないよな。どこかでは一度会わないといけないだろうし・・・戦場よりはマシか」

 はぁと気の進まない息を吐くと、ソシオは出入り口から巨人の森に降り続ける雨に目を向けた。ザーザーと大きな音を立てて降り続ける雨だが、それは一緒に変な葛藤も洗い流してくれるような気分になる。
 ソシオは雨を眺めながら数分難しい顔で悩んだ後、諦めの息と共に会う事を決めたのだった。





 死後の世界の支配者であるめいが活動拠点としている山から少し離れた場所に、広く平らなだけで何も無い台地がある。村の一つや二つ余裕で収まりそうな広さのその台地だが、地面は岩のように固く、水はけも悪いので農耕には適していなさそうだ。
 そんな寂しい台地に、場違いに豪奢な造りの大きな机が置かれている。
 その大きな机を囲うように間を大きく空けて置かれている椅子もまた、見るからに高価だと解る華美さをしている。ただ、それでいて下品ではないすっきりとした印象なので、ここがどこぞの宮殿であったならば、思わず感嘆の息を吐いた事だろう。
 しかし残念ながら、ここは何も無い寂れた台地。それも中央。まだ端の方であれば周囲よりも高くなっている分、見晴らしもよかったのかもしれないが、ここは無駄に広大な台地の中央なので、そんな景色は拝めない。その場から見える景色といえば、空と台地の表面と遠くに見える山ぐらいか。
 そんな場所に在る場違いな机と椅子だが、見るからに奇麗でしっかりと手入れされているのが分かる。少なくとも、この場所に長い間放置されていた物ではないのだろう。
 そんな豪奢な椅子に、一人の女性が優雅に腰掛けていた。その女性こそが、死後の世界の支配者であるめい。
 やや黒が混じった白色の長い髪をしており、華やかな衣装に身を包んでいる。気品に溢れた雰囲気ながらも、見た者に人の上に立つのが当然だと思わせるだけの圧倒的な存在感を放っていた。
 手にしているのは何かの本のようで、白く細い指が滑らかな動きで頁を捲っている。
 そんな最中に、ふわりと少し強い風がめいの正面から吹く。その風に髪が一瞬流れると、輝かしいまでに整った顔が姿を見せた。
 そうしてめいが優雅に読書を楽しんでいると、いつの間に現れたのか、めいの正面の椅子に誰かが腰掛けていた。
 めいはそちらに視線を向ける事もなく、声を発する。

「ようこそ。と言いたいところですが、生憎と今は人が出払っていましてね、何のお構いも出来ませんよ?」
「それは構わないとも」
「そうですか。では、どうぞごゆるりとお寛ぎを」

 捲っても捲っても不思議と頁の尽きない本を読みながら、めいは片手でお好きにどうぞと示す。
 それに突如として現れた女性は、ふんと鼻から息を吐き出す。まるで、言われなくともそうするさと言わんばかりに。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 それから暫く間静寂の時が流れる。どちらから喋るでもなく、思い思いの時を過ごす。
 やや緊張感を孕みながらも、穏やかな時間を過ごしていた両者だが、それは女性の言葉で終わりを告げる。

「それで色々訊きたいが、まずはその姿はどうしたんだい?」

 挑発するように指を差して尋ねる女性だが、めいは目線を本に落としたまま口を開く。

「おかしいですか? 特におかしな場所は無いと思うのですが」
「そういう意味ではないよ。その姿はまるで人のようではないか、という事さ。ぼくのように」

 最後に付け足された言葉に、めいはちらと本から女性へと視線を向けるも、直ぐに興味が失せたかのように視線を本に戻した。

「なに、現在我が半身が近くに居ないのでね、たまにはこういう格好もいいかと思っただけですよ」
「ふぅん。それは都合がいい」
「そういえば、少し前に遊んでいただいたようで、感謝致します。楽しそうにしていましたよ」
「・・・そう」

 めいの言葉に、女性はつまらなそうに相づちを打つ。

「それで、どうですか?」
「なにが?」
「この姿ですよ。似合っていませんか? こういうのは自分で言うのは憚られるのかもしれませんが、絵になると思いませんか?」
「・・・ま、そうだね。元々君は見た目は良かったからね」
「ふふふ。ええ、そうでしょう」

 機嫌よく、しかし何処までも感情の籠っていない平坦な声で笑うめいに、女性は呆れたような疲れたような息を小さく吐き出す。

「それはまあいい。それで現在世界の大半を掌中に収めたようだけれど、これからどうするんだい?」
「これからといいますと?」
「世界を征服した後さ。世界自体はもう変化しているんだ、正直もう必要ないと思うがね。生き残りも大していないようだし」
「・・・そうですかね?」
「それに、わざと空白地帯を作っているのも気に掛かる。何を企んでいるんだい?」
「・・・・・・そこまで気にする事ですかねぇ?」
「ん?」

 変わらず本に目を落としながら、めいは小さくそう呟いた。その今までと少し違う雰囲気に、女性は僅かに目を細める。

「というかですね。むしろ貴方はどの立ち位置なんです? 私に言わせれば、貴方の方が分かりにくい。私は終始この世界の根本からの変革と、制約からの解放による表層のやり直しを目指しています。ですが、貴方は根本の変革しか望んでいないのように思うのですが?」
「そうだとも。そこだけでも変える事が出来れば、それだけで十分だと思っているからね」
「ふぅん?」

 女性の言葉に、めいは何かに思い当たり視線だけを女性に向けた。

「・・・ふふ。変に着飾るよりも、やはりそちらの方が似合っていると思うよ。それこそ君の本質の一部だろうに」

 めいが向けた視線には苛烈なまでの憎悪と殺意が籠っており、底の知れぬ何処までも淀んだ瞳は、死の支配者の名に違わず視線だけで大抵の者を殺せるだろう。
 しかし、物理的な圧力さえ感じるほどに強烈な視線を向けられた女性は、楽しげに、しかし何処か挑戦的な笑みを浮かべるのだった。

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