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終わりと始まり3

 それから改めて、ペリドットは結界を破壊したはく製に目を向ける。
 相変わらず生きているような瑞々しさでそこに存在しているが、命の輝きだけがそこには無い。
 そんな異様な光景が、結界が無くなった事でより鮮明になったような気がして、ペリドットは気分悪そうに顔を顰めた。
 それに気がついたスクレは、労わるようにペリドットに声を掛ける。

「ここは後はやっておきますので、ペリドット様は少しお休みください」

 スクレの言葉にペリドットは周囲を軽く見回した後に、気持ち悪そうにしながらも首を横に振る。

「いえ。それでは他のはく製を運び出すのに時間が掛かってしまいます」
「しかし・・・」
「問題ありません。やるべき事はやります」

 意志の強い瞳で見詰め返され、スクレは口を閉ざす。

「すいませんね。我が儘を言ってしまって」
「いえ。立派な心構えかと」
「だといいのですが」

 ペリドットが少し遠慮がちに笑うと、次のはく製へと目を向ける。

「では、引き続き装置の破壊を行います」
「大丈夫で御座いますか?」
「ええ。休憩は今ので十分です」

 安心させるようにスクレに笑いかけた後、ペリドットは近くのはく製に近寄る。

「さて、先程の方法を参考にするとしまして・・・」

 はく製を前に思案したペリドットは、試しにとばかりにいきなり手元に雷を纏わせた。

「まずは、先程最初に行った風魔法での穴開けの行程を飛ばして、このまま一気に結界に触れる」

 ペリドットが雷を纏わせた両手ではく製に触れようとすると、はく製の少し前に展開されている結界に両手が当たった。

「結界に触れたところで、先程と同じように結界全体を雷の魔法で覆うように意識しながら、はく製から結界へと伸びている魔力を探し出して・・・見つけました!」

 結界に走らせていた魔法によって、ペリドットは内部への糸口を見つける。後はその道を辿って内部へと魔力を送り込みながら、結界を魔法で圧迫させて崩壊を促していく。
 たとえ内部に魔力を送り込めたとしても繊細な作業である為に、結界を破壊しなければ上手く内部で魔法が発現出来ず、最悪内部からはく製を壊してしまいかねない。なので、手間ではあるが一時的な結界の破壊は大事なことであった。
 勢いあまってはく製を傷つけてしまわないように、ひびが入るまで握りつぶすような感じで圧迫していく。
 段階的に圧力を強めていき、ひびが入ったところで、最も損傷の激しい箇所から魔法での攻撃を行い、薄皮を剥くように結界をはぎ取っていく。
 それは繊細な魔力操作が必要な為に誰にでも出来るものではないが、ペリドットは見事に魔法を御していた。
 ペリドットが結界に触れてから十数秒で結界が壊れる。

「あとは内部から破壊して」

 結界が無くなったところで、ペリドットは内部に侵入させた魔力を起点に、結果を発生させていた装置を破壊した。その手際は実に見事なもので、人間界でも魔力操作においては有数の存在だろう。
 ペリドットが二体目のはく製の結界を破壊したところで、アンジュが応援を連れて戻ってきた。
 ペリドットは、早速アンジュが連れてきた者達に指示を出して、結界を壊したはく製の運び出しと、その見張りを任せる。
 指示を出し終えたところで、ペリドットは三体目のはく製に近寄り、結界の破壊に入った。
 その様子を視ていたアンジュは、即座に状況を把握してなるほどと呟くと、手近なはく製へと水の魔法を纏わせた手で触れる。
 結界に手が触れると、ペリドットと同じように結界を覆うように水の膜を張っていく。
 水の膜に覆われた結界は装置との繋がりを簡単に発見され、その後は水で一点に攻撃されて小さな穴が開けられると、そこから結界を覆っていた水を侵入させて、はく製を護る結界の内側でアンジュが別の結界を発現させる。
 そうして準備を整えると、アンジュは外側から遠慮なく結界を破壊した。内側を自分の結界で護っていたので、外側の攻撃にもはく製は傷ついていない。
 それを確認したアンジュはペリドットに倣って、内部に侵入させた魔力を伝って内部から魔法を発現させた。
 魔法により無事に装置が破壊されると、それを確認してアンジュは次のはく製へと向かう。
 その間にペリドットも装置を破壊しているので、次々とはく製は外へと運ばれていく。
 二人の様子を確認したスクレもそれに参加したので、十数体のエルフは直ぐに外へと運ばれた。
 ペリドット達もその後に続いて外に出る。外の様子は中に入る前と変わらず静かなもの。
 ペリドットは引き続きの調査の為にスクレと兵を少しその場に残した後、アンジュと幾名かの護衛と共にはく製が運ばれた場所へと向かった。
 その後、隠し部屋の更に奥からもう一体エルフのはく製が見つかったが、それだけは他よりも扱いが異様に丁寧で、また護りもかなり厳重だったという。





 光が差さない完全なる暗闇のなか。そこで遠くを見つめていた少年は、足元へと視線を転じる。
 そこには、突かれ、斬られ、殴られ、焼かれてと、様々な方法で殺された少年と同じ姿の者達が横たわっていた。
 無感情な瞳で暫くそれを眺めていた少年だが、指をひとつパチンと鳴らすと、足下に転がっていた大量の少年の死体は一瞬で消えてしまった。

「・・・・・・はぁ」

 視線を上げた少年は、面倒くさそうに息を吐く。

「この掃除はいつも面倒だな。しかしまあいい。それよりも、そろそろ限界か。やっと外に出られるが・・・どう幕を下ろすべきか。幕引きぐらいは美しくしてほしいが、それは無理だろう。後は時が来た時の状況次第か」

 少年は近くに人間の身体を創造して、それに目を向けていく。

「最終確認は大事だろう。本番までに忘れている部分がないか確認しておかないとな」

 その創造した身体をつぶさに観察しながら、少年は満足げに小さく笑う。

「まぁ、これぐらいでもいいだろう。あとはこれが役に立つかどうかだが・・・ま、それもどうでもいいか」

 少年は遠くを見つめながらそう呟くと、手元に一振りの剣を創造した。





 ユラン帝国の帝都に建つ宮殿の中には、立派な謁見の間が在る。
 二階分以上の高さが在るその部屋は、そこでちょっとした陸上競技が開けそうなほどに広い。というのも、そこは時折皇族主催で各国から人を招いた大規模な社交界の場としての用途もあるのだ。
 そんな謁見の間は、入って左手の壁際に大きな硝子の嵌められた扉が並び、硝子越しに入ってくる陽光により室内が明るく照らされている。その扉からは、張り出した庇付きの吹き抜けの廊下に出られ、そこから帝都が一望出来た。
 入り口から見て右手の壁際には、床にまで着くほどに大きな旗が幾つも掲げられ、それには様々な紋章が描かれている。その下には宮殿内の一部の兵士が身につけている甲冑が旗を護るように並べられ、異様な圧力を発していた。
 天井は高く、そこには万病を癒すと伝わる伝説上の花と、それを護るように最強の生物と呼ばれるドラゴンが描かれている。それは皇家の紋章であった。
 正面には、入り口から奥へと進むべき道を示すように真っすぐ敷かれた、幅五メートルほどの暗い赤色の絨毯。その絨毯が伸びている先には数段高い壇が在り、そこに豪奢な玉座は置かれていた。玉座の後ろには、向かい合う魔法使いと剣士が描かれた巨大な紋章。そちらはユラン帝国の国旗だ。
 そんな謁見の間に現在、玉座に腰掛けている皇帝と壇の下に立つ老爺、その横で跪拝している壮年の男が居る。
 玉座から離れた場所には、皇帝と向かい合うようにして絨毯の上に立つ薄緑色の髪の女性と、その女性の少し後ろで膝をついて首を垂れる、藍色の髪の女性と金色の髪の女性。
 その両者の間には、壁を作るように絨毯の脇に立つ、甲冑に身を包み高価そうな槍を持った儀仗兵達。
 場には胃が痛くなりそうなほどの緊張感が漂っている。それというのも、女性達の後ろに置かれた大量のエルフのはく製がその原因。

「・・・・・・して、ペリドットよ。お前は枢機卿が奴隷売買に関わっていたと申すのか?」

 重々しい声音で、皇帝が正面に立つ薄緑色の髪の女性、ペリドットに問い掛ける。

「はい。このエルフのはく製は枢機卿の隠し部屋から押収した物で、エルフの売買の証明は、フラッグ・ドラボーの奴隷売買の組織から押収した資料に記録が御座いました」

 ペリドットがそう言うと、金色の髪の女性であるアンジュが膝を折って頭を垂れたまま、器用に歩み出てペリドットに丸められた紙を差し出す。
 それを受け取ったペリドットは、紙を広げて中身を確認してから反転させて皇帝に見せる。といっても文字は大きなものではないので、玉座から見えるものではない。なのでこれは皇帝に見せるためではなく、証拠があるという事を示す様式みたいなもの。
 ペリドットの言葉に、皇帝は枢機卿の方に目を向ける。
 皇帝が言葉を発する前にそれに気がついた枢機卿は、振り返って皇帝の方に顔を向けた。

「して、どうなのだ?」
「姫様には勘違いがあったのかと」
「勘違い?」
「はい」
「発言を許す」
「ありがとうございます」

 発言の許可を出しながら顎で続きを促した皇帝に、枢機卿は恭しく一礼をして語る。

「奴隷売買に関してはこちらの方でも調べましたが、私の不徳の致すところで誠に汗顔の至りなので御座いますが、どうやら私の部下が関わっていたようでして、どうもそれを私と勘違いなさったのではないかと」
「ふむ?」
「その部下については処罰いたしましたが、その際に自白した話によりますと、どうも私の存在を匂わせていたようでして、それが今回の件に繋がったのではないかと」
「なるほど」
「隠し部屋に関しましても、そうして脅迫する事で秘密裏に作ったようです。奴隷売買の組織にも協力させたとも自白しました」
「・・・ふむ。なるほど」

 皇帝は考えるようにしながら、目線をペリドットの方に向ける。そこには、何か言いたげなペリドットの姿があった。

「今の枢機卿の発言に対して、ペリドットはどう思う?」
「はい。先程の枢機卿のお言葉ですが、確かに枢機卿の部下に奴隷売買に手を染めた者は居ます。それも数多く。どうやら枢機卿は、部下を介して奴隷を手に入れていたようです。それもエルフばかりを。そして、金庫の中に隠し部屋を作るのは、流石に枢機卿の助けがなければ無理です。それに枢機卿が頻繁に金庫内に入っている事は記録にも残っていますし、記録外でも密かに金庫に出入りしていた事は金庫番が証言してくれました」

 ペリドットの話に、皇帝は枢機卿へと目を向けて発言を許す。
 そうして意見を交わしていき、十分に意見を聞いた皇帝は、難しい顔で思考していく。
 少しして、結論を出した皇帝が判決を下そうと口を開きかけたところで、突然絨毯脇に並んでいた儀仗兵の一人が飛び出し、持っていた槍をペリドットへと繰り出した。

「・・・え」

 それは完全な不意打ち。
 皇帝の御前という事で皇帝を除く全ての者達は、皇帝の許可なく武器の携帯や如何なる魔法の使用も禁じられていた。
 それはペリドットも例外ではなく、如何なる魔法という事は、防御系統も含まれている。つまりこの場であれば、普通の槍でもペリドットを殺す事が容易に出来るという事。
 ペリドットは衝撃を感じて、呆然と視線を下げる。そこで鳩尾辺りに深々と突き刺さったモノを見て、それから刺さったものを辿っていくように視線を上げると、自分を刺した相手に目を向けた。
 目を向けた先に在るのは、頭を全て兜で覆った兵士の姿。しかしその兜の隙間から見えた瞳は、酷く淀んでいる。
 その瞳に気持ち悪さを覚えながら、ペリドットが何か言おうと口を開いた時。

「その不届き者を直ぐに捕えよ!!」

 突然の事態にいち早く反応した枢機卿は、怒鳴りつけるような声音で他の儀仗兵に命令を下す。
 それを聞いた儀仗兵は、我に返って急ぎペリドットを槍で突き刺している兵士に掴み掛り、ペリドットから引き剥がしていく。
 ペリドットを刺した兵士は一切の抵抗をみせずに、されるがままに引き剥がされる。
 兵士が持っていた槍はペリドットに刺さったまま、兵士を取り押さえた時に儀仗兵の一人が兵士の手から奪ってそのままの位置で持っていた。

「ふははっ!!」

 引き剥がされた兵士は、兜の奥で愉快そうに笑う。何処か卑屈げなその笑みが癪に障ったのか、取り押さえていた儀仗兵は思わずその手に力を入れる。
 しかし、兵士はそれでも壊れたようにケラケラと嘲笑うように笑う。
 そんな笑い声が謁見の間に響く中、ペリドットは己に刺さっている槍を力の入らぬ両手で握ったまま口から血を垂らす。
 ペリドットの両脇では、急いでスクレとアンジュが支えるように手を添える。

「ペリドット!!!!」

 そこに皇帝の悲壮感漂う叫びが響くと、皇帝は玉座から降りてペリドットの許にふらつく足取りで近づいていく。

「あ、ああ、朕の、私の可愛いペリドット・・・」

 そこに居たのは、皇帝というよりも父親の顔で絶望を浮かべた一人の男。
 その男がペリドットの許に辿り着く前に、ペリドットは青白い顔をして膝から頽れる。しかし、斃れる前にスクレとアンジュがペリドットを支えるように掴んだので、そのまま床にそっと下ろされた。

「ペリドット様! ペリドット様!?」

 枢機卿が急ぎ医者の手配をしている中、スクレがペリドットの顔を覗き込んで名前を呼ぶも、ペリドットは全身の力が抜けたままピクリとも動かない。

「アンジュ! 何か様子がおかしい!?」

 そのスクレの言葉に、アンジュは一瞬迷う素振りを見せた後、魔法を行使してペリドットを調べていく。

「・・・どうやらその槍に毒が塗ってあったようですね。入念な事で」
「助かるのか!?」

 口惜しげに呟かれたアンジュの言葉に、近づいてきた皇帝が必死な形相で問い掛ける。それに驚いたアンジュだが、直ぐに首を横に振った。

「もう手遅れです。たった今、身罷られました」
「なっ!?」

 その宣告に皇帝はペリドットの前で膝をつく。その後ろでは、取り押さえられている兵士がより一層大きく愉快そうに笑う。

「そんな・・・アンジュ、どうにかならないのか?」

 スクレが無駄だと分かっていながら、縋るように問い掛けた。
 それを受けたアンジュは、再び迷う素振りを見せる。その様子を目に留めた皇帝は、アンジュに詰め寄るようにして問い掛ける。

「あるのか!? どうにかする方法が!!?」

 アンジュは暫く迷うように口を動かしたが、諦めたのか少しの沈黙の後に頷いた。

「・・・・・・はい。可能性がある、という程度ですが」
「そのような手段が! して、それはどのような手段だ!? 必要な物があれば、どんな物でも用意してみせるぞ!」

 皇帝がアンジュにそう言ったところで、謁見の間の外が騒がしくなり、扉が勢いよく開かれる。
 そこから医者や兵士が幾人も急いで入ってきた。その中にはシェル・シェールの姿もあった。

「何があった?」

 アンジュ達の許まで駆けてきたシェル・シェールが、槍が刺さったペリドットを見て、怒りを無理矢理抑え込んだような凄みを利かせて問い掛ける。
 周囲に医者が集まる中、アンジュがシェル・シェールに説明を行う。

「ほぅ」

 経緯を聞いたシェル・シェールは、取り押さえられている兵士の方へと顔を向ける。

「私の弟子を狙うとは、また舐めたことをしてくれる」

 若い見た目のシェル・シェールだが、その実長い間最強位という地位に就いている女傑である。そんな者が威圧を籠めて発する言葉には、他者を委縮させるだけの力があった。
 しかし、そんな不機嫌なシェル・シェールなど意に介さず、皇帝はアンジュにもう一度問い掛ける。

「それで、どうやればペリドットを治せる!?」

 皇帝のその問い掛けに、周囲の医師は困惑した表情を浮かべる。どうみてもペリドットは既に事切れていた。
 そんな中でも、アンジュは皇帝の問いに迷いながらも答える。

「用意する物は御座いません。ただ、お呼びしたい方が一人居るだけです」
「誰だそれは? いや、誰でもいい。その者がペリドットを治してくれるというのであれば、直ぐに使いを出そう!」

 アンジュの言葉に、スクレはそれが誰か思い至る。シェル・シェールも興味深そうな目を向けながら、何となく誰か分かったようだ。
 そんな中、慌てたように声が掛けられる。

「な、なりません! 陛下!!」
「何がだ、枢機卿? ペリドットを助ける事がならぬと申すのか?」

 皇帝は怒りが滲む声で、異議を唱えた枢機卿に問い掛ける。

「もしもその話が本当であれば、その者は死者を蘇らせる事が出来るという事になります」
「そうだな。それがどうした?」
「死者復活は最大の禁忌です。それを陛下御自ら犯されるなど、在ってはならぬ事! それよりも、その者を今すぐにでも捕らえて罰するべきかと!!」

 枢機卿の提言に皇帝は睨むような目を向けながらも、それでも皇帝としての部分で思考していく。

「しかし、それではペリドットが・・・」

 直ぐに親としての想いも湧き、皇帝は苦悩する。そこに更に枢機卿が説得するように言葉を重ねていると。

「へぇ。あの方を害そうって言うんだ? たかが人間如きが分も弁えずに?」

 その場に静かな女性の言葉が響いた。

「な、何者だ!?」

 その女性の言葉に、枢機卿が周囲を見回しながら問い掛ける。他の者達も、警戒しながら周囲を見回している。

「それに応える必要があるとも思えないけれど」

 声の主である女性はそう言うと、ペリドットから少し離れた場所に一瞬で姿を現す。
 姿を現した女性は、身長百五十センチメートルほどで、腰丈ほどの長さの黒髪。面立ちは女性というよりも少女の方が相応しい幼さが残っている。瞳は神秘的な輝きを放つ銀色で、全身を覆う黒い服を着用している。その服の縁は、緑っぽい黄色で彩られていた。

「貴様!! ど、何処から侵入した!?」

 突然現れた少女に、枢機卿が驚きながら問い掛ける。
 周囲の兵士達はどよめきながらも、素早く包囲して手にした得物を少女に向けて構えた。

「さて、その選択でいいのかな?」

 神秘的に輝く銀色の瞳を周囲に巡らせて、少女は優しく問い掛ける。
 その問いに、兵士達は何か嫌な予感でも覚えたのか、戸惑いを顔に浮かべていく。
 そんな中、アンジュとスクレはその相手に覚えがあった。大きさは異なるが、あの身長十センチメートル前後の少女と見た目がそっくりであった。
 その少女が普通の人間の大きさで現れたが、二人の目には澄ましたような顔をしている少女が酷く不機嫌そうに見えて、寒気を覚える。
 そしてもう一人、そんな二人の横で少女を見ていたシェル・シェールは、苦笑混じりのやや引き攣った笑みを浮かべていた。
 現れた少女は幼い頃のシェル・シェールに何処となく似ているが、問題はそこではない。この場に於いてもっとも少女の危険性を正確に理解していたのは、おそらくシェル・シェールだったろう。

(あれは駄目だな。手が出せない。戦うなんて選択肢どころか逃げるという選択肢すら浮かんでこない。これほど分かりやすく実力差があるというのに、何故あいつらは武器を向けられる? 枢機卿もこれ程の彼我の差を理解出来ないのか?)

 愚か者達の行動に、シェル・シェールは密かに死さえも覚悟しているのだが、愚か者達はそれに気がついてはいないようだ。

「早くそいつを捕まえろ!!」

 混乱しているのか、はたまた元から大した才能を持ち合わせていなかったのか、枢機卿は兵士達に苛立ち気味にそう命令を下した。しかしその声には確かに怯えの色が見えるので、単に恐怖の元凶をはやく遠ざけたいという想いだけなのかもしれない。
 その号令に兵士達は戸惑いながらも武器を構えて、少女に向けて円を縮めていく。

「やめろ!」

 しかし、直ぐに別の声で待ったが掛かる。
 その声の主は、シェル・シェール。帝国内でもかなりの権力者で、事によっては枢機卿よりも上の権限を有し、場合によっては皇帝以上の権力を振るえる者。
 そのシェル・シェールからの号令に、兵士達は戸惑いながらも動きを止める。

「あら? 別によかったのに」

 そんな兵士達を眺めた少女は、シェル・シェールに目を向けて、涼しげにそう言った。

「・・・兵士も育成や維持に金と労力がかかっているので、ここで無駄死にさせたくはないのですよ」
「そう。まあそれはいいのだけれども、それでもそこの人間は赦さないけれど?」

 枢機卿へと顔を向けた少女は、多分に害意を含んだ危険な瞳で枢機卿を見詰める。

「ひっ」

 それにしゃくりあげるかの様に小さく悲鳴を零す枢機卿。

「それはご自由に。あれ一人で貴女の気が収まるのであれば、安いものです」
「な、何を言っている! シェル・シェール殿!!」

 シェル・シェールの言葉にギョッとした目を向けて、枢機卿は縋るように言葉を投げる。
 しかし、それにシェル・シェールは冷めた視線を向けた。

「ご自身で蒔いた種だと理解出来ませんか? 嫌ですよ、貴方と心中なんて」

 何処までも突き放した物言いのシェル・シェールに何か言いたげな枢機卿だが、口を開いても上手く言葉にならない様子。

「そう。まぁ、楽には殺さないよ? ・・・いや、死んだ後の方が大変だろうが」

 少女は何かを思い出したようで、枢機卿に向けている瞳に僅かに憐憫の色が宿るが、それも一瞬の事。少女は兵士達に囲まれながら、一瞬で枢機卿の背後に移動する。

「さて、まずは肩から」

 そう言って少女が枢機卿の肩に無造作に手を置くと、ジュッと肉が焼けるような音と共に酸っぱい臭いが周囲に満ちる。

「あああああぁぁぁあああぁぁ!!!」

 それに続いて絶叫する枢機卿の声が響いた。

「うーーん。やっぱり不味いな。屑肉というか腐肉かな?」

 足下で転げまわる枢機卿を気にも留めず、少女は不快そうに顔を歪める。

「もう要らないな。でもいくらゴミだとしても、何もせずに捨てるのは勿体ないなぁ」

 興味なさげに見下ろしながら、少女は足下を転がる肉の利用方法について思案していく。

「ああそうだ。とりあえず」

 そこでゴミの相手をしている理由について思い出した少女は、足下で喚きながら転がるゴミを踏みつけて強制的に動きを止める。

「とりあえず、さっきの言葉は撤回しようか。そうすればもう少し手心を加えて殺してやるから」
「え? な、何の話だ!?」

 見下しながら告げられた言葉だが、枢機卿は何を言われたのか分からないようで、痛みを堪えながらも困惑した表情を浮かべた。
 しかしそれが少女の気に障ったらしく、少女は踏みつけている足を持ち上げると、そのまま枢機卿の半ばまで溶けた肩の上に移動させる。

「ここで冗談が言えるのは評価してもいいけれど、面白くないのは致命的だね」
「ち、違! 痛っ!!」
「うん?」

 肩を踏みつけている足をぐりぐりと捻りながら、少女は不愉快そうな声を出す。
 それで痛みに顔を歪めながら怯えた表情を浮かべる枢機卿だが、少女は気にせず先を促すように踏む足に力を込めた。
 枢機卿は目の端に涙を浮かべながらも、痛みを堪えながら少女に弁明していく。

「ち、違う!! 本当に、本当に身に覚えがないのだ!!」
「ふーん。なるほど。罪の意識すらないと・・・それはまた、より重罪のようだね」

 刃の如き煌めきを宿した目に見詰められ、枢機卿はより怯えた表情を浮かべる。

「何の事か、それを教えてくれ!」
「・・・はぁ。お前があの方を害そうとしている事だよ」
「あの方・・・?」
「さっき言っていただろう? 捕らえて罰するだ何だと」

 少女の言葉に、枢機卿はやっと何故自分がこんな目に遭っているのか理解した。

「そ、それは、死者を蘇らせる魔法は禁忌だからで・・・」
「禁忌ね・・・くだらない権利を護りたいだけのくせに?」
「それは違う!」

 枢機卿は思わず少女の言葉を強く否定するが、少女はそんな事には興味が無いようで、白けた目で見下ろすだけ。

「まぁ、そんな事はどうでもいい。それよりも、とりあえず先程の言葉を撤回してもらおうか」
「そ、それは出来ない」
「ほぅ」

 少女の言葉を拒絶した枢機卿に、少女は小さく危険な声を漏らす。
 そこまでして護るものかと少女は疑問に思いつつ、同時にこれが人間の意見だとしたら、皆殺しにした方がいいのだろうかとも考える。しかし、直ぐにそれをしてしまうと確実に不興を買うなと思い直した。それでも上を幾つか潰すぐらいは問題ないかとの考えは浮かんでいたが。

「それは神の冒涜だ。赦される事ではない!!」
「神、ねぇ」

 枢機卿の言葉に、少女は呆れたように零す。

「あんなのを神と崇めても、何の利益も無いというのに」
「何を言って・・・」
「理解出来ているのだろう? お前達が神と崇めている存在を私は知っている。というか、面識が在るからな」
「そ、そんなはずは!!」
「何故?」
「神が御座したのは今よりずっと前で――」
「そうだね。だから、その頃から私は存在していたと言っている。お前達が神代の時代と呼ぶ頃からずっと私は存在しているのだよ」
「そんな、そんなはずは・・・」
「受け入れるのは大事だぞ? だがまぁ、今はそんな事もどうだっていい。それよりも、受け入れないというのならしょうがない。お前にとっては、そこの娘は望み通りに死んだままの方がいいだろうからな」
「そんな事は――」
「そうか? そこの実行犯はお前の指示で娘を刺した訳だし、今までだって何度も暗殺しようとしていたではないか」
「何を根拠にそんな事を!!」
「そこの男を経由して命令していたのは知っているし」

 そう言うと、少女は玉座の下で動かずに立ったままの壮年の男を指差す。

「他にも色々な暗殺者に命令していたのも知っている。もっとも、そこに居る男と実行犯以外はみんな食ったが」

 少女はそう口にしながら、姿を変える。
 まだ若い可愛らしい女性になったかと思うと、知的な女性に変わる。そして、その後は一人の男の姿になった。
 それを見た枢機卿や壮年の男は、動揺を僅かに浮かべる。

「ま、どれもこれも不味くてしょうがなかったが」

 男の声でそう言って肩を竦めると、男は最初の少女の姿に戻る。

「それでもお前よりは食えたな。お前は不味すぎて食えたもんじゃない」

 思い出したのか、不味そうに顔を顰める少女。

「おま、お前は、なにを・・・」

 信じたくないような口調の枢機卿に、少女は嘲笑うような笑みを浮かべる。

「何をって、単なる遊びだよ。餌にもなれない人間程度なんて、それで十分だろう?」

 不思議そうに問い掛けた少女に、枢機卿はただ顔を青ざめるだけ。その頃には、もう片腕の痛みなど感じなくなっていた。

「そもそも弱いくせに偉そうなんだよ。まずはそんなつまらない事よりも、強くなる事を目指すべきだ。さもなければ、ここは直ぐに無くなるだろうね」
「どういう」
「どうだっていいだろう? 死にゆく者が知る事ではないし、知ったところでお前達ではもう手遅れだ」

 呆れながらそう言うと、少女は足をどかして、そのまま枢機卿を蹴り飛ばす。

「まあいいさ、何でも。こんなつまらない相手なんてもう面倒くさいだけだ」

 少女は冷たくそう言い放つと、謁見の間に猛烈な殺意を充満させる。

「・・・ああ、少し加減を間違えたようだ」

 その殺意を引っ込めると、少女は息絶えた兵士達や医者達の方に目を向けて、お道化るように肩を竦めた。
 死ななかった者も、気絶したか腰を抜かした者が大半で、独特の臭気が謁見の間に満ちる。
 そんな中でも震えるだけで何事もなく立っているシェル・シェールや、ペリドットを支えて耐えているアンジュとスクレ。皇帝もなんとか耐えたみたいだが、こちらは魔法道具で精神の安寧をある程度保てたからのようだ。品質としてはやや高い程度だが、それでも恐怖を軽減させる効果はある。
 そして、皇帝が耐えたという事は、同じく魔法道具を身につけていられる地位に在る枢機卿も例外ではないという事。

「今ので死ねれば楽だったろうに」

 生きている枢機卿へと、少女はあの程度では死なないのを理解していながら、わざとらしくそう言葉を投げる。
 それに怯えるばかりの枢機卿へと、少女はわざと足音を鳴らしながらゆっくりと近づいていく。

しおり