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不穏と無謀

 クリスタロスさんのところの訓練所に罠を設置してから十日ほどが経過した。平原にでる期間も徐々に長くなってきたが、まだたまに一日増える程度。それでも討伐数にはかなり影響してくるので重要な事だ。
 まぁ、そんなことは今は措いておくとして、本日は休日の為に現在はクリスタロスさんのところに来ている。雑談を軽く行った後、訓練所を借りて場所を移す。

「さて、罠の方はどうだろうか?」

 十日程度ではそこまで影響は出ていないだろうが、確認を行う。それで何かしら影響があれば、それはそれで参考になるからな。

「・・・・・・ほぅ。これはどういうことだ?」

 罠の様子を確認してみると、模様部分にほんの僅かだが魔力が影響を及ぼしていた。その事実に最初は組み込んだ魔法が影響を及ぼしているのかと思ったのだが、観察してみると、どうやらそうではないらしい。
 もう少しじっくりと観察しながら考察していくと、なんと組み込んだ魔法や欺騙魔法などは関係なく、周囲に満ちる魔力に反応しているようであった。本当にごく僅かな為に分かりにくくはあるが、間違いないだろう。

「まぁ、確かに魔力に反応するのであれば、その可能性もあったか」

 そのことについてすっかり失念していたので、何の対策も立てていなかったな。早速対策を考えるとしよう。

「ここはやはり、欺騙魔法で覆うのがいいのだろうか? 完全ではないが、欺騙魔法でも魔力を通さないようにすることも出来るようだからな」

 でなければ、壁などの通り道を偽装した時に、魔力の通り道があっては直ぐに見つかって困ってしまうだろうからな。勿論、空気も通さないようにすることも可能だが、そちらはただ隠すだけよりも難度は高い。ま、その程度であれば問題ないが。
 しかし、十日間での浸透具合を参考に、今後の予測を立てていく。今の調子で魔力の浸透が進行するとして、このまま放置していても、誤作動が生じる可能性が出てくるのは早くて数年先だろうが、多分十数年は問題ないだろう。それでも脆弱性がある以上、対策が必須なのは言うまでもない。
 まずは欺騙魔法で模様の全体を覆う。魔力を通さないように、その内側に他の魔法も発現させるのを忘れない。その後は特定条件下で発現する魔法と連動させて、その魔法が消滅するようにするのも忘れない。でなければ、模様で発現する魔法の効果が弱まってしまうからな。
 その辺りの調整を終えると、罠を戻してもう少し様子を見ることにする。それにしても、欺騙魔法を別々に掛けなくとも、全体を覆う一つの方がよかっただろうか? いや、その場合は組み込んだ魔法から漏れ出る魔力が消費される前に模様に辿り着けてしまうかもしれないから、やめておこう。そうなっては、また振出しに戻ることになる。なので、今の個別に欺騙魔法を掛けているほうが安全だ。
 まあそれはそれとして、欺騙魔法を掛けたことでより模様が認識し辛くなった。これでより罠らしくなっただろう。

「さて、罠の様子の確認はこれぐらいでいいだろう。あとは次回来た時に問題点がないか確かめるだけだな」

 罠を元の場所に再設置した後は、離れた場所で今日の研究を始める。今回は異世界とこの世界を繋げる魔法を発現させたあの模様を研究する。といっても解析はほぼ終わっているが、まだ少し調べようかと思ったのだ。効率も上げてみたいし、面白い魔法であることには変わりない。
 それとは別に、罠に使用したい模様についての研究もしたいが、罠は一応の完成を見た訳だし、今はもうすぐ終わる方を優先させる。
 まずは土の上に世界を繋げる模様を描いていく。しかし規模が小さいので、連鎖反応が弱くて魔法は発現しない。この模様はかなり強い反応が必要なので、多少大きいぐらいでも問題はないのだ。
 それはいいとして、研究を開始する。当初の模様よりも大分効率化が図れたと思うので、別物と言えなくもない感じになっているが、まだまだ弄れるだろう。

「しかし、この模様の魔法を自ら発現させる魔法で再現できないものか」

 結構複雑なうえに、魔力もかなりの量が必要になってくるので、これが安易に再現できないのだ。系統としても新しい部類の魔法である可能性もあるからな。
 とりあえず、だ。ボクがその魔法を再現するとしたら不可能ではないかもしれないが、意味がない。少なくとも、自前の演算能力だけでは再現できないと思う。
 それほどに難しく複雑な魔法ではあるが、模様では描くのが大変なだけで、魔力に関しては勝手に連鎖反応していき増幅していく。なので、放置で問題ないというのは魅力的だ。模様を描く期間はかなりかかるが、術者の魔力や演算能力は大して必要ないというのは魅力的だろう。
 そんな魔法だけに謎が多い。なので、使うにしても一体どこの世界と繋がっているのか、毎回同じ世界と繋がるのかなど、解明しなければならない部分が多いのだ。
 その辺りの究明も含めて、模様の完成を急ぐ。それと共に知識も求めたいところだが、プラタやシトリーからはその辺りの情報はあまり入ってこない。やはりナン大公国側も全体像は把握していないということだろうか。
 そんな考えを浮かべながら、脳内で研究を進めていく。効率化は大分よくなったので、それを元に脳内で魔法を構築して、それを脳内で行使して魔法の方の研究も行っていく。脳内実験は、ある程度情報があれば検証可能だからな。実に便利なものだよ。
 独自に改良して効率化を施し、それを参考に通常の魔法で再現する為の魔法を構築していく。とはいえ、様々な系統の魔法が組み合わさっているので、そう簡単には構築できない。
 それでも魔法を構築することに意識を集中していくと、少しずつだが脳内で魔法が組み上がっていく。しかし、現段階で既にあまりにも複雑な為に、今まで見てきた人間では再現不可能だと断言できる。しかしまぁ、今はそれは関係のない話か。
 模様を頭に思い浮かべながら、反応していく順番と発現する魔法の順番を思い出していく。その上で必要な系統の魔法を積層型に組み上げていく。そして、途中で複数系統を織り交ぜていくのも忘れない。

「組み上げるだけでも一苦労だな」

 頭痛さえ感じそうな複雑な魔法にため息を吐きたくなるが、面白くもあるのが困りどころ。
 魔法の構築をどんどん進めていくと、一気に頭が沸騰してしまいそうなほどに複雑さが増していく。こういうのを体験すると、本当に模様は凄いと感じる。
 これほどまでまでに複雑な魔法でも、模様は時間を掛けて描いていけば完成する。それでいて魔力さえ扱えれば誰でも描けるうえに、発現させるのも簡単ときた。ただ、その分膨大な時間を払う必要が出てくるが、その利便性を考えれば、その程度の対価で済むのは破格であろう。
 この複雑極まりない魔法を個人で行う場合は直ぐに発現可能ではあるも、その分大量の魔力と複雑な演算が必要になってくる。そんなことが出来る者など限られているだろう。少なくとも人間では不可能。可能性があるとすれば、それはプラタやシトリーなどの超常的な存在ぐらいだろう。
 ちなみにボクはというと、出来ない部類に入る。現状で構築出来た魔法で既に限界であった。模様を参考に考えるならば、現在の進捗具合は全体の半分を過ぎた辺りなのだから、確実に無理だろう。

「むぅ。そろそろ限界か」

 血管が切れそうなほどの頭痛を感じて、魔法の構築を断念する。正直頭を使い過ぎて気を失ってしまいそうだった。

「模様ならば、これも簡単に行使できるんだよな」

 時間こそ膨大に掛かるが、それだけで誰でも手軽に行使出来るようになるのだから凄いものだ。ただし、魔法が強大であれば強大であるほどに、発動した後に模様が歪む確率が高くなるので、ほとんど使い切りなのだが。
 今回魔法の構築の基にした模様は、ボクが効率化を図って元々の模様よりも少し軽くしたモノなので、それでも構築不可能なのだから、諦めるしかない。
 とりあえず模様の改良だけは引き続き進めるとしよう。もしかしたら、とんでもなく効率的な改良が見つかるかもしれないからな。ま、使う機会はないから急ぐ必要もないのだが。
 区切りがいいので、ここまで終われば次に頭を切り換えるか。
 その前に時間を確認すると、丁度日暮れぐらいだったが、もう少し研究しておこうかな。駐屯地に門限は無いし、なんなら明日は直接任務に赴けばいい。荷物や制服なんかは情報体として収納しているから、部屋に戻る必要はない。
 そういう訳で、罠の模様について研究を始める。
 研究は、今までの魔法で圧力を感知して発動する一連の部分を研究でどうにか模様で行いたい。しかし、これはほぼ手探りになるので、中々に困難なのが容易に想像がつく。ま、今更だが。

「さて、始めるか」

 今までの研究の知識を使い、役立ちそうな部分を抽出していく。要は変化に反応するように作れればいいのだから、それに対応しそうな魔法に似せて組立てればいい訳だ。その為にも、必要そうな要素をかき集めて組み合わせていく。

「感知の魔法の情報が無いから、そこは難しいか。ここは変化を重視して、踏んだりした大きな変化により反応が始まるように調整していくか」

 この辺りを組み込めたら、今設置している罠とは別に実験しないといけないな。
 頭の中で集めた情報を編集して、目的に合致しそうな魔法を組み上げていく。そうして組み上げた模様を土の上に描いていき、それがちゃんと機能するのか試してみる。

「ふむ。反応はするな」

 描いた模様を少し強めに指で突いてみると、それに反応して連鎖が起き始めたのを確認する。ただ、模様の最初の部分しか描いていないので、連鎖反応の先に何かが発現するという状況には至らなかったが。

「これでいいだろう」

 とりあえずの完成として、少し離れた場所にそれを付け足した模様を描いていく。魔法は併用していないので、模様のみだ。
 それを描き終えると、早速実験を始める。やり方は同じで、重力魔法で起動させるだけ。
 そういう訳で、重力魔法を使い模様に圧力をかけて起動させる。
 圧力を感知して二秒ほどで模様の魔法が起動した。魔法と併用した時よりも若干早いのは、罠の起動と同時に連鎖が始まったからだろう。最後に発現した魔法の威力も変わらずなので、これはこれで完成か。魔力の漏れも無いので、分かりにくいという利点がある。ただし、魔法を併用していないので阻害も上手くできないし、隠蔽も難しい。なので、罠としては失敗作だろうな。次はその辺りも研究しないと。
 それでも、起動部分はこれで改善できただろう。精度は少し落ちたが、その分連鎖反応が強まるまでの速度は上がったからな。これに魔法を併用すれば、今設置されている罠を改善したモノとなるだろう。問題がない訳ではないが、それも今更だ。
 それでも、感圧式はどうにかしたいものだが、研究はまだまだ続きそうだな。
 とりあえず、ある程度形になったところで研究を終える。感圧式以外も研究したいが、もういい時間なので、今日は帰るとしよう。
 片付けを済ませた後に、設置している罠を確認してから訓練所の外に出る。
 その後にクリスタロスさんにお礼を述べて、転移装置を起動させる。一瞬の空白と浮遊感を覚えた後に外に出た。
 駐屯地から少し離れたその場所で、周囲を確認した後に駐屯地に戻る。もうじき日付が変わるので、このまま宿舎に戻れば到着が真夜中なのは確定している。それどころか、空が少し明るくなっているかもしれないな。
 そんな事を思いつつ、足早に進んでいく。出来るだけ早く戻りたいものだが、流石に宿舎への転移は自重する。門を通らなければならないし。
 真夜中の駐屯地は日中よりは静かだが、それでも実家の在る町の日中よりは賑やかだ。そこら中に人の姿が確認出来るのだから。
 それに、ピリピリとした張り詰めたような空気も依然漂っているようで、自然と背筋が伸びるような感覚を覚える。
 こんな場所、時間に関係なくさっさと通過するに限るというもの。
 歩く速度を上げて進んでいき、やっと宿舎に到着する。なんとか明るくなる前には到着出来た。
 宿舎の中へと入り、自室に戻る。
 室内には一人寝ている者が居たので、静かに上の段に移動して、着替えを済ませてベッドに横になると、そのまま意識を手放した。





「さて、そろそろ向こうにも細工をした方がいいのかしら?」

 光射さぬ暗闇の中、女性の艶やかな声が響く。

「しかし、成長が鈍化してしまったのは困ったわね・・・このままでは当分先へと進めないでしょう」

 そこまで呟いたところで、女性は疲れたようにため息を吐く。

「我が君のように未来まで見通すことが出来ればいいのですが、私の眼はまだそこまで優れていないのですよね」

 世界の様子を眺めながら、女性は思案を巡らせる。

「あの地を弱体化させるのはあまりやりたくないですし、かといってあちらに手を貸すのは嫌ですね・・・ふむ」

 そうして女性が思案していると、奥から全身を鎧のようなモノで覆っている大柄な男性が近づいてきて、女性の少し後方で恭しく頭を下げた。

「どうかしましたか?」
「はい。東と南の境界の森にて、何かしらの動きが確認出来ました」
「東と南・・・巨人ですか。あの図体ばかりデカい者達・・・そうですね、監視を続行しておいてください。私も気にかけるとしましょう」
「畏まりました」

 女性の言葉に、男性は丁寧に拝承の礼を行う。

「それにしても、何をしているか知らないけれど、愚かしいものね」
「はい」
「まぁ、それで楽しませてくれるというのであれば、見守るだけなのですが」
「あの巨人達も、女王のお役に立てるのであれば、さぞ喜ぶことでしょう」
「役立たずだものね。物珍しくても直ぐに飽きてしまったし。この辺りはドラゴンと同じですね」

 女性は呆れたように息を吐くと、意識の一部を巨人達の住まう地へと向ける。

「ふむ。確かに何かしているような感じはしますが、それが何かはまだ判りませんね。動き出したばかりに視えますから、準備段階といったところかしら?」
「おそらくはそうではないかと」
「なるほど。この前軽く遊んだ対策かもしれないですね」
「警戒ですか。それならば納得です」
「まあ何でもいいのですけれど。くだらなかったらそれを無かったことにすればいいだけですから」

 特に何か思うでもなく、女性は気軽にそう口にした。

「それにしても、巨人やドラゴンに妖精と、旧王達は本当につまらないですね。強さも、よくて新時代の者達の最下層と同程度の強さなのですから」
「左様で御座いますね。女王が連れてきた最果ての者達ですら、五級の上位辺りがいいところではないでしょうか?」

 男性の言葉に、女性は少し考え肯定の頷きを寄越す。
 人間が魔物などの強さを最下級から最上級と大きく五段階に区分している様に、女性達も強さを一級から十級で等級分けしていた。それは一級が最も強く、十級が最も弱い。そして、この等級間の差はあまりにも大きく、一つ級が違うだけで絶対的な差が横たわっていた。
 大体一生掛けて等級を一つ上げられたならば、その者はかなりの才能の持ち主といえるほど。つまりは、それだけほぼ不可能と断言出来るほどの絶望的な差。
 因みにだが、その等級には更に細かな区分けがなされている。しかしまぁ、それは措いておくとして、その等級では大半の旧王達が六級に分類される。そして、会話をしている男性の現在の等級は三級。この場の最上位者である女性でさえも、最近ニ級まで一気に成長したばかり。

「古い時代は終わり、枷が外れたのだから強い者が多いのですよ・・・まぁ、それだけではないのですが」

 女性は冗談っぽくそう言うと、思案を再開する、

「それにしても、困ったものですね」
「・・・シスのことでしょうか?」
「ええ。おかげで少々予定を修正しなくてはなりません」
「粛清いたしますか?」
「いえ、そこまでは必要ないでしょう。あの程度であれば、創るのに少々手間をかける程度で済みますが、それでもこの程度の修正で済むのであれば、邪魔とまではいきませんから。それに、もしも粛清するのであれば、既に行っていますよ」
「出過ぎた真似でした」
「構いませんよ。それを貴方には許可しているのですから」

 女性は気にしていないといった風に口にしてから、今後について男性の意見を求める。

「それで、何かいい案はありますか?」
「熟すのを待つのでは駄目なのでしょうか?」
「それでもいいのですが、それまで退屈ではないですか。それに他の予定も調整しなければなりませんし」
「では、成長を促すような環境を整えるのは如何でしょうか?」
「それも一案ですが、その為にもまずは心の問題をどうにかしなければいけませんね」

 思案げに声を出した女性は、意識を遠くの地へと向けた。

「完全に心を折った訳ではないようですが、それでも随分と臆病になっていますね。やはりこのままでは成長の鈍化による計画の見直しが必要になってきますね」

 思案げにそう呟くと、女性はため息を吐く。今後の計画を思えば、どう考えても何かしらの介入が必要になるという結論に至った為に。

「それでは如何致しましょうか? 成長の鈍化を計画に盛り込み、全体を見直しましょうか?」
「そうですね・・・それも手ではありますが、それでは全体的に見直しどころか手を加えなければなりませんからね」

 困ったようにそう言いつつ、女性は虚空を見つめる。

「やはり、調整が必要でしょう。計画にではなく、超越者に手を加えるとしますか。怯懦の心に手を加えて、仮初の勇往さを植え付けるとしましょうか」
「それでしたら、計画の見直しは必要なくなりそうです」
「まだこの時間にも遅れている成長速度に対する調整も必要になってきますが、それまで済めば概ね元の路線に戻せるでしょう。あとはもう少し細部の調整が必要でしょうが、それぐらいで何とかなるでしょう」

 頭の中で今後の予定を組み立てながら、これからの展開を予測していく。

「それに」

 そこまで口にして、女性は嫣然とする。

「わざわざ弄ばれに遠路遥々やってきた玩具達なのですから、直ぐに壊れてしまっては困りますね。壊すにしても、私が直接壊したいですから」
「仰る通りかと」

 この世界の全ては女性のモノである以上、所有者である女性がどうしようと女性の自由であった。それについて男性に異論はない。当然のことなのだから、当たり前にその結論を出す。唯一の例外は、女性を創造した神ぐらいか。

「このまま計画通りに進めるのもいいですが、途中で超越者の心を元の怯懦な心に戻してもいいですね。逃げ場のない場面でそうなれば、さぞかし滑稽に踊ってくれることでしょう」

 笑みを深めた女性は、楽しそうに思案していく。

「我が君の方も順調に事が進んでいるでしょうし、こちらはこちらで楽しみましょうか」

 女性の言葉に、男性は恭しく頭を垂れる。

「超越者達があちらからこちらへ来られるだけではなく、こちらからあちらへ戻れるのであれば、それが我らに適応されてもおかしくはない。片側通行でありながら交互通行なのだから、それを利用すればいいだけ。気づけば簡単な話なれど、ではそれを実行できるかと問われれば、普通は不可能でしょうね」

 うっとりとしたような声音で女性は遠くを眺める。

「ああ、流石は偉大なる我が君。不可能を可能になさるその素晴らしさ、心より尊敬いたします」

 祈るように目を閉じた女性は、暫しそのまま動きを止めた。それからゆっくりと目を開けると。

「それにしても、道を塞がれた超越者が死んだ場合、ちゃんと私の手元に来るのかしら? それとも、元の世界に戻るのかしら?」

 女性の純粋な疑問の籠った問いに答える者は居ない。それに答えられる存在など女性が知る限りただ一人しか居ないので、答えを期待した言葉ではなかった。

「まあどちらでもいいですが。私を愉しませてくれるのであれば、そんなことは些事でしかないですもの」

 遠くに意識を向けた女性は、そのまま世界を監視していく。

「超越者達の方はこれから弄りますので、後の監視は任せましたよ?」
「お任せ下さい」
「その言葉を信じて任せましょう」

 そんな会話を交わす片手間で、女性は対象の心を弄っていく。それも瞬きするほどの僅かな時間で。

「さて、これで超越者達には偽りの勇気を与えました。先程の言葉通りに後のことは任せましたよ」
「はい」
「まぁ、貴方にわざわざ言うまでもないでしょうが、二度目はないですよ?」
「勿論で御座います」
「そう。ならいいです。この程度の些事で手を煩わされるのは、気持ちのいい話ではありませんからね」

 今回のことは赦しつつも、女性は余計な雑務に苛立ちを示す。女性は様々なものを司っている為に、余計な手間を嫌う。
 そんな女性の苛立ちを受け、男性は小さく震えながら恭しく頭を下げた。

「しかし、そろそろ私の仕事の一部を任せた方がいいですかね」

 そう女性が呟くと、女性の半身を覆っている闇が反応するように蠢いた。

「そうですね。貴方になら世界の管理者でも、死の支配者でも、どちらを任せても問題ないでしょう」

 女性が満足げに頷くと、境界が曖昧な闇が脈動するよに渦巻く。

「ふふ。そうですね。では、貴方には世界の監視を任せようかしら」

 弾むような声音で女性がそう言うと、蠢いていた闇は動きを止め、一部が溶けるように地面に流れていく。
 玉座に腰掛けている女性の足下に水たまりのように広がった闇はそのまま移動していき、女性から少し離れた場所で闇が盛り上がり、人型の闇になった。

「おはよう。やっとそこまで育ちましたね」

 女性は目の前に立つ人型の闇へと、親しげに声を掛ける。
 その声に反応した闇は、俯き気味だった顔を女性の方へと向けた。

「ええ。そうね。こうやって形を取るのに手間取ったわ」
「それでも、なんとかなりましたね」
「そうね。それで、私は世界を監視すればいいのね?」
「ええ、お願いします」
「任せて頂戴。これで私もあの御方の役に立てるようになるのね」

 喜色の滲む声での言葉に、女性も満足げに頷く。

「ええ。これで貴方も世界に干渉出来るようになった。あとは貴方次第ですよ」

 女性のその言葉に、人型の闇は嬉しそうな雰囲気を放った。





「ん?」

 それは西への見回りの折り返し途中で目撃した。

「あれは・・・克服したということか?」

 平原に出ていた落とし子達が戦っていたのだが、先日に比べて格段に動きがよくなっている。それは初めて落とし子達を目にした時のような感じに近い。
 そんな様子に、恐怖を克服したのだと感じた。しかし、つい先日怯えていた者と同一人物とは到底思えないほどの変貌ぶりだな。
 一体何がきっかけなのか気になるが、それは本人達に訊かないと判らないだろう・・・でも、もしかして?

『プラタ』
『如何なさいましたか? ご主人様』

 声を掛ければ直ぐに返ってくる聞き慣れた声。

『落とし子達の動きが変わったようだけれど、何があったか分かる?』
『不明です』
『不明?』
『はい。突然変化があり、何かしらの予兆は一切確認出来ませんでした』
『確認出来なかった?』

 何の前振りも無く急に決意したとでもいうのだろうか? あり得ないことではないのかもしれないが、それにしては唐突だな。

『何かしらの干渉もなかったの?』

 もしかしたら精神干渉系統の魔法による操作でも受けたのかもしれないと考え、そう問い掛けてみる。

『はい。外部からの干渉は何も感知できませんでした』
『なるほど。ということは、自主的な何かということかな?』
『不明ですが、可能性はあります』
『そうか』

 とりあえず、分からないということが判ったが、答えにはなっていない。気にはなるが、謎は深まるばかりだ。

『不思議なことがあるものだね』
『はい。しかし、今回は不自然な点が多く、何者かの作為を感じます』
『そうだね。切っ掛けは死の支配者だと思うから、それならば今回も死の支配者かな?』
『もしも外部からの干渉があったと想定した場合ですと、それは死の支配者で間違いないと存じます』
『だよね。プラタに気づかれずに干渉するとなると、それぐらいは上の存在じゃないとあり得ないからね』

 というか、プラタのような実力者に気づかれずに事を成せる存在を他に知らないからな。
 それにしても、落とし子達の変化はあまりにも不自然だよな。別人と言われても納得しそうな変化だ。
 今も魔物相手に積極的な攻勢に出ているし。しかも能力的に成長しているので、かなり余裕がある。まだ一撃で倒すまでではないものの、既に平原に敵は居ないだろう。
 しかし、平原に敵が居なくなったからか、成長が多少鈍化したようにも思えるのだが、気のせいだろうか? この先どうするのやら。
 そんなことを考えるも、所詮は他人事。ボクには関係のない話だ。

『ああそういえば、ナン大公国の動きはどうなってる?』
『少し前までは慌ただしかったのですが、最近は動きが鈍くなってきているようです』
『ふむ? ・・・それは、落とし子達の不調と関係しているのかな?』
『時期的にみましても、おそらくそうではないかと』
『なるほど。ということは、今回調子が戻ったということになれば、また動きが活発になるのか』
『そうなると予想されます』
『そうか。ということは、近いうちに落とし子達は南の森に攻め入ることになるのか』
『はい』
『どっちが勝つと思う?』
『両陣営の現状の戦力を鑑みまして、未だに南のエルフの方が圧倒的に有利かと』
『そっか。ま、落とし子達はやっと平原では敵なしになってきたぐらいだからね。せめて一撃で倒せるぐらいにはならないと』
『仰る通りかと存じます』
『成長速度も鈍化してきているし、今のままでは、南のエルフ達と戦えるまでにもまだまだ掛かりそうだね』
『はい。現状の落とし子達では、南のエルフが張っている結界すら壊すことは叶わないでしょう』
『それほどか。流石はドラゴン級』

 南の森のエルフは、深い森の中という限定的な世界のみながら、かなり強くなる。それはこの世界で最強と評されるドラゴンですら簡単には勝てないほどだ。まあもっとも、ドラゴンが最強だったのはもう過去の話だろうが。
 現状は死の支配者の女性こそが最強であろう。ま、兄さんが表に出でこないのであればだけれども。
 それはそれとして、プラタの見立てでは、現状では落とし子達では南のエルフに勝てないということだが、後はナン大公国の準備がどれぐらい整っているかによる。それまでに成長していればまだ希望はあるのだが・・・ナン大公国側には期待しない方がいいか。
 かといって、視界に映る落とし子達もそれは望めないだろう。無駄死ににならなければいいけれど。
 彼らが望んでこちらの世界に来たのかは知らないが、それでも別の世界で死ぬのは可哀想だと少しは思う。まぁ、やはりボクには関係のない話ではあるが。
 それにしても、ナン大公国は南の森を手に入れて何がしたいのだろうか? 他国とは足並みが揃っていないし、今森を支配したところで維持も大変だろうに。
 国の思惑は分からないが、領地拡張が人類の悲願とはいえ、一国でそれを行うのは何か違うと思う。
 まあいいか。ナン大公国が弱ろうとどうでもいい話だ。南の森のエルフは森から出てこないのだから、滅亡までには至らないだろう。
 いや、変異種の前例があるように、森からの攻撃もあるからな。その場合、大結界は耐えられるだろうか? 以前プラタから聞いた攻撃だと、なんとか一発ぐらいは耐えられると思うが、実際に見ていないので難しいところだな。

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