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第73回「ルンヴァルの巣」

 アイリアルの街に夜の帳が下りた。僕たちはルスブリッジの時と同じように、対応を迫られた。

「寝るか、それともぶち壊すか」

 プラムがこう表現した通りである。彼女はこの街を魔王が望むように完全に破壊してしまうか、ぼんやりと魔法街灯が石畳を照らし出す中で尋ねてきた。物騒な物言いではあるが、間違っていない。僕は少なくとも、この街に良からぬ目的を抱いてやってきたわけだから、そこを隠してしまっても仕方ない。

 だが、僕としてはこの街の全容を確かめたかった。規模も確かめずに破壊を開始して、目標の三人を見失うのは愚策だった。シェルトン・ルンヴァル、エンリケ・ルンヴァル、ディー・ルンヴァル。本当にこの三人を倒すだけで、この街が魔王アルビオンに恭順を誓うのか。それも見定めなければならない。もちろん、徹底的に破壊してしまえば、アルビオンの依頼を遂行したことにはなるのだが、それは僕としては避けたかった。

 なぜか。
 たかだか魔族の根城一つくらい、ぶち壊せばいいではないか。
 今までの僕の中で培われた価値観が、そうささやいてくる。僕もその衝動は感じている。だが一方で、新たな道を歩む時、彼らがもしかしたら力を貸してくれるかもしれないという欲もある。
 アルビオンはそこまで見抜いていたからこそ、この厄介な仕事を押し付けてきたのだろう。あるいは本当に破壊してしまうことが、かの魔王を警戒させてしまうかもしれない。

「寝る。まだぶち壊さない」

 僕はプラムに手短に答えた。

「宿を探そう。探索は明日からだ」
「わかった」

 意志を確かめ、宿を探すことになった。
 家々の扉は閉まっているが、中からは光が漏れ出ている。魔族が中心というこの街にもまた、生活があるのだ。彼らの生命を無残に奪うことには、少々のためらいがある。それでも、より多くの命を生かすため、皆殺しにせねばならない選択を突きつけられることもあるだろう。
 そんな時、僕は感傷的ではいられない。力を行使し、再起不能なまでに叩きのめす。そこに情けをかけることで、余計な犠牲を生む愚を犯してはならない。

 人影はまばらだったが、まるで誰ともすれ違わないわけでもなかった。牛の頭を持った魔族や、翼を生やした悪魔の二人組や、騎馬を駆る爬虫類人もいた。彼らは僕の方を見てきたが、かといって訝しんで話しかけてくる気配もなかった。この街にも人間は住んでいるということだろう。
 だが、複層建築が増えてきたところで、道が閉鎖されているところに行き当たった。そこには明らかに警備をしている魔族がいて、僕たちに止まるよう呼びかけてきた。

「おい、お前たち、どこへ行く」
「宿を探しているんだ。何だか物騒だな」
「ここから先は立入禁止だ。よそへ行け」

 僕は封鎖線の向こう側を眺めた。暗がりに揃っているのは、サイ型の生物に騎乗した魔族の兵士たちだった。鈍重だが突破力に優れたやつらだ。

「演習でもするのかな」
「そうだ。だから……」
「わかった、わかったよ。このあたりで泊まれるところはないかな」

 演習の準備というのは戦争の準備も同然だ。どうやら話にあった通り、この街を牛耳るルンヴァル一族は一戦交えるつもりでいるらしい。そんなことをしても人類に利するだけだと思うが、それでもやるだけの理由があるのだろう。
 僕はしつこく警備兵に話を聞き、ようやく宿の場所を教えてもらえた。明らかに嫌がりながらも候補を三つ挙げてくれるあたり、彼もまた優しい性根を持っていた。

「どうするね」
「神に任せている」

 プラムはこんな具合なので、僕は一番高い宿へ向かうことにした。どうせ路銀に困ってはいないのだ。あとは「万一襲われた時に戦うのに適した環境かどうか」ということになる。高い宿なら部屋の広さもあり、開けた場所に建ってもいるだろう。そういう理由だった。

 宿の表札には「暁荘」と書いてあった。この文字が特殊で、魔族領域の文語でのみ用いられる言語が使用されていた。この世界には魔法の恩恵があり、それが同時に口語の翻訳を果たしているため、コミュニケーションで阻害されることはない。
 しかし、書物などの文字は別で、地域によって大きな特色がある。それでも中央諸国と呼ばれる列強の言語はほとんど変わらないのだが、こうして主要都市以外のところでは、ローカル言語を使用していることも多い。

 僕がそれを読めるのは、高めた魔力によって脳内の自動翻訳機構が働いているからに他ならない。もちろん地道にいろんな言語に触れたこともあるが、こういう時はやはり魔法の恩恵が強い。この世界での翻訳者の仕事は、ごくごくわずかな分野に留まっている。そして、翻訳者は同時に優れた魔道士であることが多く、もっぱら新しく便利な魔法の開発に心血を注いでいる。

 暁荘のスイートルームに宿泊した僕らは、相変わらず一緒に風呂に入り、同じ部屋で時を過ごした。もう慣れたものだ。裸というものは互いに意識しなければ、単純に「武装していない状態」を示す程度のものであって、そこに他の感情が介在することはない。
 いや、「そういう状態を見せ合える程度には信頼している」という表現ではあるか。

 ともあれ、僕らは照明が完備された最高の部屋で、夜を過ごしていた。この部屋には書棚があって、知らない本も数冊あった。これは僕の知的好奇心を刺激してくれた。中でもナヌー・ボンという魔族の政治家が書いた「世界のより良き統治の形」は、これから訪れる新しい世界の形式を示していて、非常に興味深かった。
 一方、プラムはこれも魔族の小説家であるマジド・サンジョンの著作、「鳴動する宇宙」を読んでいた。かなり重厚な本である。彼女はそれを一枚一枚、紙質さえ確かめるように丁寧に読んでいた。おそらくここに滞在している間には読み終わらないだろう。

 かの本の表紙は、僕がいた世界のSF小説であるフレドリック・ブラウンの傑作、「発狂した宇宙」によく似ていた。このあたりの近似値を考えると、実は魔族の方が僕ら地球人類に近いのではないかとさえ感じたものだ。
 これらの本は人類領域で手に入れることが困難だったが、マジド・サンジョンに関しては魔族研究家に頼んで読ませてもらったことがあった。人の好奇心もまた留まるところを知らない。

 やがて、夜は深まり、窓を雨が叩き始めた。雨はさらに激しさを増し、風が彼らを後押しした。これは小さな嵐ではなかろうか。僕がその宵闇を眺めるために本から顔を上げると、部屋の呼び鈴が鳴らされた。すぐに扉を開けると、そこには宿の従業員がいた。有角人である彼は申し訳なさそうに頭を下げ、僕に来客があることを告げた。

 旅先の土地で来客。異様と言えば異様である。
 だが、僕はある程度の予感を持っていた。この街が真にルンヴァル一族の支配下にあるならば、言ってしまえば「目立つ」旅人の情報が共有されないわけがない。戦争の準備をしているなら尚更だった。
 ここで一戦を覚悟しなければならないが、まずは会うことにした。
 やがて従業員に連れられてきたのは、大柄な壮年の男だった。白髪で白眉、あごひげも白い。彼の力ある筋骨を見れば、日頃の鍛錬を欠かしていないことが容易に見て取れた。カーキ色の外套は雨でびっしょりである。よくもこの嵐の中を歩く気になったものだ。

「夜分に失礼する。私はシェルドン。ルンヴァルの頭をやっている。君をアルビオンの使者……あるいはそれ以上の存在と考え、訪れさせてもらったものだ」

 ボスキャラが宿屋に訪ねてくるなんて、結構愉快なものだ。

「わざわざのご訪問、ありがたく思う。中で用件を伺おうじゃないか」

 僕はその勇気に感心しながら、彼を部屋の中へと招いた。

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