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 ニコニコと笑いながらお菓子を食べる慶太君と片手を繋ぐお姉さん。
 乗り物に乗っていないから、そう遠くはないはずだ。

 と思ったけれど、実際にはかなり距離があった。僕の足で三十分くらい。慶太君の足だと、もっとかかったんじゃないだろうか。
 そうして辿り着いたのは、車が多く行き交う広い道路に面したマンションだった。

「……ここの、五階みたい」
「ここは……!」

 辿り着いたののは良いけれど、どうやって入ろうかな。と悩んでいたら、ついてきた警察のおじさんが凄くびっくりしていた。
 
『取り敢えず、壁をすり抜けられる俺が行って中を見てくるわ。何号室?』
「えっと、真ん中の辺り……」
「505号室だ」

 お兄さんのやり取りを聞いたわけではないのだろうけれど、おじさんが教えてくれた。
 部屋番号を聞いた途端、お兄さんはふわりと浮いて五階へ行ってくれた。

「……知ってる人?」
「ああ。先月起きた事故の被害者でな。これ以上は聞かんでくれ」

 詳しいことは言えないから、先月始めの新聞を見たら良いと教えてくれた。

『おーい。慶太とやらかは知らないが、小さい男の子が布団で寝かされていたぜ』
「いたの?」
『でな、心配そうにしているこいつがいた』
「いたって、慶太君か?」
「あ、そうか。はい、おじさん」

 僕がおじさんの手を握ると、宙に浮かぶお兄さんを視て固まってしまった。
 どうしようか、と思っていると、お兄さんに促されてお兄さんの背中から慶太君と同じくらいの歳の男の子が下りて僕らの前に出てきた。

「! 君は……そんなバカな! 死んだはずだ!」
『そうだな、死んでるなぁ。ほら、浮いてるし』
「影もないしね」

 驚くおじさんが大きな声を出したので怯えたのか、お兄さんの足にしがみつきながら男の子が口を開く。

『あのね、ママ、僕の事がわからなくなっちゃったの……』
『ん? 何だお前、自分が死んじまったって、気づいてないのか?』

 お兄さんの言葉に、首を傾げる男の子。どうやら、「死」がわからないらしい。

「う~ん、何て言ったら良いのかな……? 君は、おばけになったんだよ」
『おばけ! 嫌だよ、おばけ怖いもん』
『怖いか? 俺もおばけだぜ?』

 ニヤッと笑うお兄さんの顔をジッと見つめた後、怖くない、とポツリと言った。

「君はおばけになっちゃったから、ママとはお別れをしないといけないんだ」
『そんなの嫌! ママとずっと一緒にいるの!』
『ダメだ。一緒にいたって、ママはお前が視えない。触ることもできない。そんなのは辛いだけだ』

 泣き出した男の子に、だから天国に行け、とお兄さんは言う。そこは痛いことはもう何もない楽しい所だと。ここで独りぼっちで誰にも気づかれずにいるより、友達になってくれる人がたくさんいる所だと。
 どれだけ長い時間彷徨ったのか、お兄さんの言葉はとても心に重く響いた。
 男の子も何か感じ取ったのか、考え込むように俯いてしまっている。

「ねぇ、君。僕は本当に短い時間だけ、君をママと会わせてあげることができる。だから、ママとちゃんとお別れしよう?」

 この子がどこの子かは知らないけれど、誰にも気づかれずに彷徨うのはあまりにも悲しい。

「君のママだって、きっと君と突然お別れしてしまって、言えなかったこととかたくさんあるはずだもの。君も、ママに言いたいことあるでしょう?」
『言いたいこと……あのね、ママね、最近、知らない子供を連れてくるの。それでね、僕の名前でその子を呼ぶの。僕はここにいるのに。それが凄く嫌。ママは僕のママなのに……』
「慶太君か!?」

 男の子の言葉に、おじさんが強く反応する。男の子の返事も待たずにどこかに連絡し始めた。
 応援がどうとか聞こえたから、誰かを呼んだみたいだ。

「うん、ママが大好きなんだね。じゃあ、それをママに伝えに行こう? 大好きだよって」

 何か一人でバタバタしているおじさんを無視して話を続ける。男の子は、少し考えてから頷いた。

「よし、行こう」

 男の子の手を握ってマンションへと入る僕らを、電話をしたままのおじさんが慌てて追いかけてきた。
 入口に入ってすぐにエレベーターがあり、その左側に自販機と階段がある。
 僕の住んでいる街のごく一般的なマンション同様、エレベーターの右側のロッカーが各部屋の郵便受けのようだ。
 入りきらず溢れかえっているポストが目に入って、よく見たらこれから訪れる505号室のものだった。

ふと、男の子がその郵便受けをじっと見つめていることに気づく。

「どうかしたの?」
『うん、あのね、この前ね、ママの誕生日だったの。それでね、びっくりさせようと思ってお手紙を書いたの。それでね、郵便やさんに頼んでポストに入れてもらったんだけどね、まだ見てもらえてないの……』

 凄く悲しそうに、ギチギチに詰まったポストを見つめている。

「よし、じゃあ、届けて直接渡そう! きっと喜んでもらえるよ!」
 
意気込んでポストに手を伸ばすけれど、僕の身長じゃ届かない。
 やり取りを見ていたおじさんが仕方ないな、と言ってポストを開けてくれた。ドサドサと落ちてきた手紙の中には無かったみたいで、おじさんにポストの中を調べて貰う。

「これか?」

赤いリボンのついた筒状の画用紙は、後から詰め込まれた手紙に押し潰されぐちゃぐちゃになってしまっていた。
おじさんが落ちた手紙をポストに戻している間に、なるべく綺麗に皺を伸ばして巻き直す。

「さぁ、ママに会いに行こう」
 

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