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5.すべての季節がめぐって

 仕事を求めて南に下った私は、やがてバターワースという町に行きついた。この町を踏むのは五年ぶりだ。しかし五年の年月がたったあとでも、町は何ひとつ変わっていなかった。
 ひとことで言えば、バターワースは港湾労働者の町だ。「大災厄」以前につくられた堅固な貨物港がそのまま残っているここには、各地から送られてきた「シティ」向けの物資がすべて集まる。鉱油であれ鉱石であれ木材であれ弾薬であれ何であれ、ここの港についた物資はいちどここで入念な検査を受ける。ここから先は、あるものは貨物鉄道に振り分けられて、あるものはまたふたたび海路で。整然と計画的に、次々とシティに向けて送り出される。
 この星の多くの場所が氷と雪に閉ざされた今でも。
 ただひとつシティだけが、ひたすら貪欲な消費を続けている。そのとてつもないエネルギーには、ほとほと感心させられる。
 ここバターワースに流れてくるのは物資だけではない。
 男たちもそうだ。ちょうど私のような。

 仕事を探すならバターワースに行け。

 これは標語のように、あちこちの町で語られる言葉だ。
 町の港に流れてくる物資が途切れることを知らないのと同様、この町では仕事がなくなることがない。荷積み、荷卸し、物資の移動、検品。それから保管庫の倉庫番だの、鉄道線路の警備だの、港湾設備の補修だの、そのほか多種多様な雑多な業務。
 およそ輸送に付きまとうあらゆる仕事がここにある。
 旧華南との国境あたりで長く遊んでいた私が、鉱山鉄道の貨車を闇で何度も乗り継いで、相当な日数をかけてここまで下ってきたのは。
 つまりはそういうわけだ。ここで一冬まともに稼げば、またしばらく旅を続けるだけの金は確実に手元に残る。
 
 寒い日の午後だった。町の路面はのきなみ雪の下だ。
「ジルとハサンの店」という名の。
 港に近い労働食堂にふらりと入ったのは、午後のまだ早い時間だ。
 窓ばかり大きいが、店の中はお世辞にも広くはない。
 そこには頑丈さだけが取り柄の安テーブルが十ほど詰め込んである。カウンターはすべて埋まっていたから、店の中ほどにある四人がけの丸テーブルに相席で座った。
 肉を炒める香ばしい匂いと。
 ジュウジュウと油のはねる音と。
 もうもうと立ちこめる煙草の煙と。
 あとは男たちの話し声だ。
 その、騒がしい店内で。
 いくつものテーブルに分かれて、男たちのグループが、それぞれ好きな話題で盛り上がっている。まだ昼だと言うのに、もう酒が入っている。港町らしく、がっしりと強そうな男たちが多く目につくが、いくつかのテーブルには、それなりに小奇麗な服に身を包んだ事務労働者風の男たちも混じっている。
 芯まで冷え切った外と比べて。
 店の中はまるで夏のようだ。自分はたまらずコートを抜いて、その下に着ていた防水セーターも一緒に脱いだ。
 注文した魚料理が来るまでの間。
 自分は麻蜜湯のカップを傾けながら、とくに聞くともなく、店の中のざわめきを耳の端で聞いていた。
 町の話題。シティの話題。その他の土地の話題。
 いくつもの話題が飛び交い、交わり、混ざり合い。
 それはまるでひとつの歌のように。
 歩き疲れた私の身体に心地よく滲み入ってくる。

 鉱山暴動の話は聞いたか?
 ああ聞いたよ。サスパンナの矯正キャンプだろ?
 鎮圧に出たシティの正規軍がてこずってるらしいな。
 包囲されてもう一月になるが、まだ動かないってな。
 ずいぶんあれだな、優秀なのかもしれんな、中の指導者が。
 これはあれだ、飛び火するかもだな、他にも。
 じっさいキリクナのキャンプでも小競り合いがあるそうじゃないか。
 いやいや、ちょっとは面白くなってきたな。
 ヤツら、北が呼応して動くのを待ってるんだろ。
 バカ。北なんて来るもんかよ。北はこっちのことなんざ、気にもしちゃいないさ。
それより同盟だろ。同盟がどこまで支援にまわれるか。
 支援たって。ま、無理だね。長期戦では勝ち目はないだろ。
 なに、勝てなくたってそのうち―

 しかしあれだな、マオ・ユシンは最高だな。
 なんたって顔がいいよ。
 いや、胸だろ。
 そうそう、いけてるよな、あれは。
 馬鹿野郎。おれは歌の話をしてんだよ。どいつもこいつも、顔だとか胸だとか―
 しかしマジかよ、お前が聞くのかよ、マオ・ユシン?
 聞くかだと? 毎晩聞いとる。泣くぞ、あれは。てめえらなんざ、地べたに土下座して聴けってもんだ。ありゃ泣ける。心ってもんがある、あの歌には。
 おいおい、どうしたんだよ? 
 ちょっとヤクがまわりすぎたんだよ。ここが、こう―
 馬鹿野郎。気安く触るんじゃねえ!
 おいおい、もうちょっと静かに飲めねえのかよ。
 で、誰の話だって?
 マオだよ。
 マオ?
 マオ・ユシン。知らねえのか?
 あれか、南のキャンプの出だっていう―
 そ。我らが歌姫。あの思いつめた顔がまたな。グッとくるじゃねえか。
 そうそう、あのはちきれそうな胸とな。
 だけどケツがまたたまんねえんだな、あれが意外と。
 てめえらっ。いっぺん表出ろ。てめえらにマオを語る資格はねえっ。
 ははっ、そうアツくなるなってんだ。
 みんな知ってるよ、マオの歌は。
 そうそう、みんなどっかで聞いてる。
 だな。あれの歌が嫌いってヤツ、ちょっとこのへんじゃいないだろ。
 ま、そこをわかった上でだ。おれはやっぱり顔だって言ってるわけさ。
 いや、だから胸だろ、当然。
 てめっ、てめえらっ、やっぱりまとめて表に―

 その後、バハンの西でも押してるらしいな。
 同盟か?
 ああ。
 意外だなそれは。表だった攻勢なんてほんとに何年ぶりだ? だが意外と行けてるわけか?
 あれだ、おととし自分らの衛星を上げたって言うだろ? あれがデカいみたいだぞ。
 ああ。おれも聞いたよ。いろいろ誘導とか、情報収集とかな。一気に差を縮めたってもっぱらの噂だ。
 バカを言え。チマチマした衛星一個で何が変わるって言うんだ。それで勝てりゃ、今まで死んだ奴らは誰も苦労しなかったよ。
 まあそうカリカリするなって。
 だけど考えてもみろ。一か所でも優勢ってだけでも、こりゃたいした進歩だ。ちょっとは希望ってもんが湧いてくるわな。
 だけどよく組織されてるぞ、近頃の同盟は。
 何だ? てめえ自分がそこにいたみたいに言うじゃねえか。
 知り合いがいるんだ、あっちに。そいつが褒めてた。近ごろは若い連中がよくやってるってな。なにしろ気合が違うって言ってたぞ。
 気合で勝てるほどシティは甘くねえよ。
 ま、違いない。
 だが、捨てたもんじゃないぞ、近頃の同盟も。
 なんならオレらも加わるってか?
 馬鹿。一日で死ぬだろ、お前なんざ。
 だな。行ったその場で撃たれるのがオチだっての。
 なんだとこの野郎―

 あれだ。アビー・リトルソンっていう指導者だ。
 まだ若いらしい。二十二だとか聞いたがな。
 あれだな、ずいぶん早熟だな、シティの連中は。
 ああ。二十二でもう政治指導者だなんてな。
 まあ詰め込みの英才教育で押してるんだ、あそこは。おれたちとは頭の出来が違うってもんだろ。
 で、何だって、あのスローガン?
 融和と対話ってな。あれ本気で言ってるのか?
 すべての階級が手を携えて、だと。
 夢でも見てんじゃないのかい?
 だけどよく暗殺されないな、それで。
 いや、実際何度も危ない目にあってるらしい。
 が、とうとう連立までこぎつけて。
 今じゃ党首だからな。たいしたもんだ。
 アビーって、そいつぁ女なのか?
 いや、男だろ?
 前に写真で見たが、どっちかわらないツラをしてたな。
 だけどあれだ、パスをとるのが、ずいぶん楽になるって話じゃないか。
 楽ったって。それはずっと先の話さ。実現するかもわからん。
 まあ、そりゃもちろんそうだが。
 だけどあれ、あっちは期待できるんじゃないのか?
 新規入植の話か? それともキャンプ再整備?
 再整備の方だ。
 だがあれだろ、綺麗な言葉つかって、けっきょく潰したいんだろ、キャンプ自体を?
 いや、それはまだわからん。
 同盟も今はまだ静観のかまえだな。案外アビーのシンパは多いらしいぞ、同盟の中にも。
 また騙されるのがオチだろ。何回やられれば気がすむんだ。
 ま、お手並み拝見だよ。まだ政権をとったばかりだろ? いろいろ言うのは、この一、二年を見てからだ。
 ま、違いねえ。
 ちょっとは面白い世の中になってきたってわけか。
 バカ。変わるもんかよ、そんなもんで。
 いや、わからんぞ。意外と、意外と―


 そのとき料理が運ばれてきた。
 私はフォークをとってさっそく口に運ぶ。
 む、悪くない。
 この値段でこの味は、まったくもって悪くない。
 なるほど。これだけ客が入るわけだ。
 さすがにバターワース。
 いまどきこれくらい鮮度のいい魚が入る町は、そうそうないだろう。
 ゆっくりと時間をかけて。
 噛んで、噛んで。
 ゆっくりと飲みこむ。
 ふと、視線を左にやると。
 店の窓からは海が見える。
 冬の海だ。
 波が高い。
 白い海鳥が上を飛んでいる。
 雲間に光が射して。
 冬の太陽が、一瞬姿を見せた。
 雲の晴れ間。ここ何日もなかったことだ。
 光の帯が海上に降りて。
 海の上が白く輝く。目に痛いくらいの白に。
 む、美しい。
 ここからの景色も案外悪くないな。
 どこかこの近くに宿を定めて。
 ちょくちょくここに食べに来ようか。
 悪くないアイデアだ。

 さて、と。
 今日はこのあと、もう何もない。
 適当な宿を見つけて、そこに荷物を下ろして。
 夜にはゆっくり風呂でも浴びよう。
 何週間かぶりに、じっくり髭でもそって。
 そのあとそうだな、久々に本でも読むとしようか。
 私はひとりで、こっそり小さく微笑んで。
 それからまた、窓の外を、
 海の上の輝く光を見つめた。
 その光はそのまま長くそこにとどまって。
 やがては海全体を、
 きらめく眩しい銀の輝きで満たして。
 満たして。
 

 

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