BUN-KEN-GO！

「こちらへ！」
アバズレンが金之助(きんのすけ)の手首をつかみ、引き寄せる。
すごい力だった。片足が浮いて、たやすく態勢が崩れる。黒い布で包まれたアバズレンの胸に金之助の顔は引き寄せられる。

その半瞬前、目の端に成行(しげゆき)の巨体をすくい上げている––––ひとつ上の階では、まったく位置が逆であった––––ふさの姿が映る。

––––ドゴォォォーン！！！

突如、鼓膜が麻痺するほどの轟音があがる。
胃の腑(ふ)を突き上げるほどの大音量。この爆音は何？ とアバズレンの胸の中から金之助は首をねじ曲げる。
そこへ、

––––ヒュン！

「うわっ！」
目の前を黒い物体が疾風のように横切る。
林太郎(りんたろう)であった。
見えない巨人の手のしわざ––––そう思わざるを得ないほどの早さと強さで林太郎は弓反りになって宙空を走る。
そして、

––––バズンッ！

さきほどまで金之助が必死に押さえつけていた扉に、激しくぶち当たった。
「鴎外(おうがい)先生！」
金之助は叫ぶ。
即死、よくても大ケガは免れないような衝突。
「……鴎外……先生⁉」
林太郎(おうがい)のからだは、扉にめり込んでいた。そして、崩れていく。
サラサラと音を立てて林太郎の全身が砂化し始める。

「……鴎外先生じゃない⁉」
「え？ いま気がついたの？」
大木のような巨体の成行を軽々横抱きにしているふさが呆れ顔で金之助を見る。
「鏡爺(かがみじじい)……ドッペルゲンガーという妖(あやかし)です」
と、アバズレン。こちらは両目以外は布に包まれているため、表情はわからない。
「さぁ、邪魔者はいなくなりました。逃げましょう」
「えっ？ うわっ！」
金之助の身体を、成行同様にアバズレンが横抱きにした。

「……壁が！」
抱きかかえられた金之助は叫ぶ。
病室の壁に、人ひとりの背丈以上にもなる大きな穴が開いていた––––波の音、潮の匂い、太陽の燦々たる陽(ひかり)が、そこから室内に流れ込んでくる。
金之助を抱いたアバズレン、成行をかかえたふさはさきほどまで存在しなかったその穴の方へと歩を進めた。

––––バタンッッッ！

背後で大きな音がした。
続いて、

––––オギャー、オギャー！

––––ダーダー、ダーダー！

啼児(バンジー)の無数の声。
林太郎––––いや、ドッペルゲンガーがぶつかった入口の扉はその衝撃で壊れ、床に崩れ落ちていた。

上は三、四歳、下は満足に立てずに、はいはいする乳児––––それら児啼が笑い声を立てながら、泣き声をあげながら、十人、二十人と金之介たちのいる部屋へと渦まく河川が堤を突き破って一気に押し流れてくるようになだれ込んで来くる。

さっきほどから言葉にならない声をあげ続けてきた金之助、その光景を見て、
「わわわわわわっ！」
やはり意味を成すことを口から出せないでいた。