5話 引きこもり、始動 Ⅴ
目の前で黄色のスライムが一礼している。
それがどことなく不思議な光景なのは、俺にだってよくわかっていた。
「次は私の番」
そう言ったのは、横に立っていた紗菜だ。恥ずかしそうに顔を赤くして、それでもちゃんとやるんだから案外肝が据わっているというかなんというか……
前言撤回。紗菜は顔を伏せてだんまりになった。
「おーい、なんか言えよ」
「……さ、紗菜。……ゅみ……とくぎは……」
こいつ、多分人見知りだ。
俺のときは平気だったのがなぜか気になるが、まあ、俺だしな。引きこもりのオーラで仲間になっててもおかしくないか。
「紗菜。大丈夫、もう自己紹介終わりでいいぞ」
「……わかった」
まさか紗菜がここまで初対面のやつに弱いとは、びっくりだ。驚きで目が話せず、紗菜をじっと見ていると目配せしてきた。
今度はなんだよ。
なにも言わずにこの場所から離れるわけにはいかず、スライムの大悟に紗菜と同様の目配せをした。それに対して二度の首肯と押し出すような動作で行ってこいと伝えてくるんだから、掴み所がない。
「んで、なんだ?」
「年上の人、苦手」
大悟から少し離れた場所で、紗菜が大悟をちらちら見ながらそう言った。
なるほど、だからあんな感じになったのか。大悟は明らかに年上だからな。
それに比べて俺は……
「いや、まて。俺も紗菜より年上だぞ?」
「……え?」
目が点になっていた。
確かに大悟と違って年上らしくはないが、年齢的には間違いなく年上だ。曲がりなりにも二十歳だぞ?
「口調とか落ち着きで年齢判断してるだろ?」
「な、なんでわかるの?」
「流石にそれは適当すぎだろ。見た目で年齢わかんないから仕方ないと言えば仕方ないが、年齢はそんなことでわかるもんじゃないぞ…………大人でもガキはいるしな」
「え、なにか言った?」
「いや、なんでもない」
こんなことで首をかしげてる紗菜はどんな暮らししてたんだか全くわかんないな。
こんなところまで俺の妹に似てなくていいだろうに。
黄色スライムのところに戻ろう。
背向けていたのをやめて後ろを見て大悟のほうを見る。その瞬間、背後から足音が聞こえた。
ちくしょう、二度手間。
もう一度振り替えって中央にある白い台に目をやれば、そこにたっていたのはイヤメンだった。
「今から君たちを会場に送る。転移先はランダムだが、体に触れていれば同じ位置に送ろう」
突然の宣言だった。
紗菜はいきなり俺のことを抱き上げてきて、向こうにいた筈の大悟は瞬間移動でもしたのか、紗菜の肩の上に小人のまま立っていた。
「では送ろう」
かなり急だが、親しいやつとは近くにいるだろうしこのくらい急でも大丈夫なようになってるんだろうな。
無駄に考えられている計画に腹をたててイヤメンを見ると、六枚の白翼を広げた瞬間だった。
視界が歪む。
本能的な危機感と同時に。
『君がこのメンバーの代表だ。まずは正面に進んだ先にある洞窟にいくことを奨める。では、テスト終了まで頑張ってくれたまえ』
頭に直接響く声に無性に腹が立つのは、声の主のせいだろう。
なら、俺の頭のしたが柔らかいのは?
柔らかくて沈み込む。頭を優しく撫でられていて心地いい。これはなんだろう?
目の前にいたのは、大悟だった。
律儀に小人フォーム。枕になっているのもスライムフォームの大悟だった。分離して二人になれるんだな。そうか……そうか…………
「大悟……」
「どうしました?」
「俺の純情を返せ」
「嫌だな。私がこうし……」
「大悟さぁん……?」
明らかに怒気を含んだ声に小人大悟は苦笑いを浮かべて、俺の方を見る。
「嫌な役回りですね、これは」
嫌ならやめればいいだろ? という言葉は何故か言ってはいけないような気がして、かわりに心にもない同意の言葉を口にすると、大悟は見透かしたように言った。
「やめられないんですよ。役を演じるのは
一人称から役って、それは本格的すぎやしないか? なんて、言葉はやっぱり口にできなくて、俺は黙り込むしかなかった。
「これからどこ行くの?」
そう言ったのは紗菜だ。
驚くほど平原に体育座りをする紗菜と、小人状態で正座をする大悟。
俺は場に飲み込まれていて、二人と同じことは考えていなかった。周りを見渡して、その場所に引きこもりとして心の中で呟いていた。
草原広すぎだろ。
どんな気候してんだこれ。少なくとも日本より穏やかなのか? 四季とか無さそうだよな。それに文明がある世界って訳でもないのか。
ここで何をどうテストするのか……
いや、いままで通りか。それこそ少人数で回すってことだよな。
「あ、そう言えば龍だけ自己紹介してない」
「そうでしたね。してください龍さん」
二人の視線が俺につきささる。
だから俺はため息をついて、長年纏い続けた気だるげなオーラを呼び出して二人を見つめ返す。
「紹介するようなことないんだけどな」
「そんなことないでしょう。この中の誰よりも紹介することが多いはずですよ」
そんなこと言われても……本当に紹介することがないんだよなぁ。
「とりあえず、龍だ。趣味とか特技は……寝ることでいいや、間違ってないし」
紗菜があんぐりとした表情を浮かべている。大悟の方はぐにゃぐにゃしていてよくわからないが、多少は驚いているはずだ、多分。
そこから最初のどこに行くのか、という話に戻るまで時間がかかった。
今はその話をしながら、紗菜と睨み合っている。
「どこか行く場所あるの?」
「俺はあるぞ」
「どこ!?」
紗菜が所謂女の子座りのから両の掌を芝生について、前屈みの四つん這いみたいになりながらそう聞いてくる。さっきまでは元気のなかった耳が急に元気に主張していた。
だから、ため息をついてから俺は素直なことばを口にした。
「近けぇよ」
「あ、ご「別に謝るようなことじゃないだろ」
遮って先回りのようにそう言うと、紗菜は口を一の字にしておとなしく座りなした。そのまま俺の方に視線を送り、爛々と輝く目が聞いてくるんだ、どこに行くの、と。
行く場所があると言ったときからこうなることは予測できていたが、いざそうなってみると……
なんか、腹が立つ。
「ここから先、俺の向いてる方向からしたら右前。紗奈から見たら正面。洞窟があるらしいからそこに行く」
元気に頷くのは紗奈だけだった。
「どうして知っているんですか?」
「俺が代表だからって教えられた。俺だって面倒だし、あんなイケメンの声を頭のなかで危機たかねぇわ」
大悟は爽やかにあははと笑い、小人フォームからチェンジした。
「ホイールのコピーか?」
「そんなところですよ。では、冗談もほどほどにして、行きましょうか」
タイヤのようになった大悟を先頭に、俺たちは緑が繁る森のなかに入っていった。
森のなかは背の高い木だらけで、視界が物凄く悪かった。けれど、その視界の悪さと反比例して空気は澄んでいた。生きてたときはインドア派だったからな……
こういう体験は新鮮だ。
葉と葉、緑の隙間から陽光が差し込んで、色鮮やかで不思議な雰囲気の草花が足元にぽつぽつと点在している。鳥の鳴き声だけが遠くから聞こえるが姿は見えない。きっと空でも飛び回ってるんだろう。緑の匂いと、太陽の匂いをありもしない肺いっぱいに吸い込みながら紗菜の横を飛んで移動する。
キョロキョロと周りを見ていた俺とは違い、紗菜は少し疲ていた。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。そんなことより龍、森の雰囲気変わったよ」
注視していた紗菜から目を離して周りをみれば木から葉がなくなり、裸の木……いや、白い幹で人の顔のような木目の、骨と人面の木、略して骨の木が葉を繁らせた緑の木のかわりに点々としたいた。
不気味な雰囲気だが、やっぱり空気はさっきの森よりも美味しくて、反比例していることを改めて確認した。
そして紗菜が疲れを隠す気なく、ため息混じりに口にした。
「やっと見えた」
「ですね。一人は空を飛んで楽をしているようですけど」
「別に楽じゃないぞ。というか、他の面で苦労してるんだからこれくらいいいだろ?」
冗談で着せられた濡れ衣をさらりと受け流して、正面の洞窟に近づき、中に入る。
中は体育館部屋と同様に真っ暗で、炎を纏わないとなにも見えなかった。
炎で見えるようになってわかるのは、洞窟はそれなりに広く、地下まで続く道があるということ。
そして三台のスマホと服が二着、壁際の岩の机の上に置かれていた。
「服だなとスマホだな」
「えぇ、服とスマホですね」
「このスマホが龍のかな。こっちが私の……だ、大悟さんのは、これ」
投げられた二台のスマホ。
一台目の大悟のスマホは、スライムの粘性を利用して小人フォームで受け止めていた。
二台目の俺のスマホは俺の顔面目掛けて飛んできて、存在しない手で取ろうともがいたあと、炎を伸ばして伸ばした手を指のようにして捕まえた。
顔面に食らいたくない一心でやったが、凄い便利になった。
興奮気味の紗菜が持ち上げた服は黒いスーツと、メイド服だった。
誰がどれを着るのかは一目瞭然で。恥ずかしそうにする紗菜を地下に押し込んだ。
覗かないで、という紗菜の言葉をへいへいと受け流して、俺は着替え中の大悟を脇目に、スマホをいじっていた。
オープンチャットと個人チャット。
ゼロ人の個人チャットに用はないので、オープンチャットをみれば、割りと賑わっていた。ユーザー名の登録欄に-_-の三文字。顔文字に見えるやつをいれて、下にスクロールしていった。
二人の着替えが終わるのと、最新の内容まで目を通すのはほぼ同時で、ため息をついたあとに振り返った。
そこには猫耳メイドの紗菜と、紗菜よりも背が高い成人男性が爽やかな笑みを浮かべていた。
「だ、大悟か?」
「服に接続しまして、質量が足りましたので中は空洞ですがなんとか元の大きさになれましたよ。お先にすみません、龍さん」
イケメンが嫌みったらしい笑みを浮かべていた。
それからまもなく。
オープンチャットに、たすけて、という言葉が書き込まれた。