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進級と訓練4

 隣に目を向けても、そこには誰も居なかった。周囲にも目を向けてみるが、誰も見当たらない。

『? 誰も居ないけど?』
『ジュライ様に見えないという事は、やっぱり精霊なのかな? 道理で見知った感じがすると思ったよ』
『精霊?』

 シトリーの言葉に従い、ボクは精霊の眼を発動させる。

「うわっ!!」

 すると、立ったまま机に手をついた精霊が、横からこちらを覗き込むように腰を屈めて、ボクを見詰めていた。

「あら? やっと気づいてくれたわね」

 ボクの反応に、精霊が朗らかな声音で応える。ナイアード以外で人の形をした精霊を間近で見るのは初めてだが、やはり精霊という存在は皆美しいのだろう。目の前の精霊もとても美しく、緑色した短めの髪は輝いているようで、肌は透き通るように白い。その髪と同色の美しい瞳は、吸い込まれそうな程に澄んでいる。

「えっと・・・こんばんは?」
「こんばんは。ごめんなさいね。こんな時間に」

 精霊の澄んだ瞳を見詰めつつ、とりあえず挨拶をしてみる。他に何も思い浮かばなかったし。
 そうすると、精霊のお姉さん? は申し訳なさそうな顔をする。現在は空の色が薄くなってきてはいるが、まだ真夜中だ。精霊に時間は関係ないのだろうが、人間には関係あるからな。

「いえ。それで、何の御用でしょうか?」
「ああそうね。まずは要件から伝えないといけないわね」

 精霊のお姉さん? は机から手を離すと顔を引っ込めて、ボクの横に姿勢を正して立つ。
 それで改めてその姿を目にすると、ナイアードと違い、こちらの精霊のお姉さん? は、新緑のように艶やかな、新鮮な緑色した服に身を包んでいた。

「えっと、ナイアード様からの言伝で、またいらせられて欲しい。との事でした」
「ナイアードが?」
「はい」

 ということは、この精霊のお姉さん? は西の森の精霊なのかな?

「何か用かな?」
「特別何か申し付けられてはおりませんが、何か申し訳なさそうにされている様に思えました」
「申し訳なさそう、ね・・・」

 エルフの事かな? あの時プラタとシトリーが怒ってたし。

「はい。本当はもっと早くに伺いたかったのですが、最近まで森が騒がしかった為にその対処で中々出られず、こちらへと参るのが遅くなってしまいました。誠に申し訳ありません」
「いえ、それはお気になさらず」

 変異種と幽霊が森から離れ、最近になってやっと落ち着いた感がある。もしかして、だから森の生き物の行動が活発になってるのかな?

「そう仰っていただけますと、こちらも救われます」
「そんな大袈裟な」
「いえ、ジュライ様はプラタ様の主人。ならば、我らの主人も同義ですので」
「主人って訳じゃ・・・ん?」
「如何なさいましたか? もしかして! 何かお気を悪くしてしまう様な事でも口にしてしまったでしょうか?」

 最初の時と違い、今は使者としてだからか、焦ったようにおどおどとしている姿の落差が凄い。いや、そんな事よりも。

「何でボクがジュライだと?」
「ああ! それでしたら、人間界に漂う精霊たちが教えてくれたのですが、間違っていましたか?」
「そういえば、そうか。いや、間違ってないよ」

 人間界にも無数に精霊が居る。それは目の前の精霊のように喋れるわけではないが、情報の収集と伝達ぐらいは出来るらしい。ならば、ジャニュ姉さんの家に居ても何もおかしくはないだろう。それに、学園の寮なんかにも当然いるだろうし。それならば、精霊が知っていてもおかしくはないのか。
 ボクの返答に、精霊のお姉さん? は、見るからにホッとしている。

「それで、他に用はあるの?」
「いえ、ナイアード様よりの言伝は以上です」
「そっか」

 まあこの場合、律儀とでも言えばいいのかな?

「でも」
「ん?」
「私個人としても、ジュライ様に興味があるわ」

 雰囲気を最初のお姉さんの様な、少し妖艶でのんびりした感じのモノに変えると、そう口にする。

「興味?」
「ええ。ナイアード様から色々とお聞きした時から、どんな方かと楽しみにしていたのよ?」
「そうですか。それは、期待外れでなければいいのですが」

 ボクなんかわざわざ見に来るようなモノでもなかろうに。そう思うのだが、どうやら相手はそう思ってはいないらしい。

「期待外れなんてとんでもない! 期待以上に凄いのね!!」
「そう・・・なんですか?」

 プラタやシトリーからも時々言われるが、自分では全く分からないし、兄さんの身体を借りている以上、兄さんの影響も少なからず在ると思うんだよな。

「ええ! その圧倒的な魔力! そして、その美しい魔力の流れ! ジュライ様が他の薄汚い人間(クズ)共と同じな訳がありません!! 流石はプラタ様が見初められた御方!!!」

 興奮して、演劇の演者のように大きな身振り手振りを交えて熱弁をふるう精霊のお姉さん? に、内心で軽く引くが、とりあえず感謝の言葉を伝えておく。しかし、やはり西の森の精霊は人間の事を嫌ってるんだな。当然だとは思うが。

「許されるのであれば、ずっと御傍に控えたいところだけれど、流石にそれは出来ないものね」
「そうなの?」

 そんな許可って誰が出しているんだろう? プラタ? ナイアード? というか必要なの? まぁ、傍に控えられても困るんだが。

「ええ。ジュライ様の傍に居たい精霊は多いと思うわよ。それだけ美しい魔力をしているのだもの」
「へ、へぇー」

 前にも思ったが、魔力に美醜があるのだろうか? 大小は判るんだが。

「あら?」

 そこで精霊のお姉さん? が、何かに気がついて窓の方に顔を向ける。その動きに釣られてボクも窓の方に目を向けると、そこで外が明るくなってきている事に気がつく。それと同時に、奥から人が起きてくる気配も感じた。

「それでは私はこの辺で失礼するわね。絶対にまた森の方にいらしてくださいね!!」

 それだけ言うと、精霊は消えていった。
 そこで起きてきた部隊長達が広間に入ってきたので挨拶を交わす。あのまま会話を続けていれば、ボクは大きな独りごとを言う怪しい人であったな。基本的に精霊は人間の前には姿を現さないのだから。
 部隊長達は挨拶だけして朝食を取りに一度戻っていった。
 それを見届けると、シトリーへと繋ぐ。途中で話を終えてしまったからな、謝らなければ。

『シトリー』
『どうしたの? ジュライ様』

 シトリーの声からは、特に気にしているような様子は感じられないが、それでも謝っておく。

『さっきは話の途中で切ってごめんね』
『別に気にしてないよー。それよりも、精霊は何の用だったの?』
『西の森に居た上位精霊のナイアードが、また森に来てほしいと言っていたという事を伝えに来ただけだったよ』
『そうなんだー・・・うーん。多分既に知っているとは思うけれど、プラタには言わない方がいいかもねー』
『? なんで?』
『だって、あんな愚物がジュライ様を呼び出すなんて不遜でしょ?』
『そんな事はないと思うけれど・・・ナイアードはあの湖から動けない訳だし』

 去り際に一悶着あったからな。あの時はプラタとシトリーも怒ってたもんなー・・・フェンも。思い出しただけで恐ろしい。

『そうだけど、そういう事じゃないんだよ。まあ私はこの程度で済むけれど、プラタだったらあの辺りの精霊を消しちゃうかもしれないね』
『そんな事は・・・』
『甘いなー。ジュライ様は甘いよー!』
『そ、そうなの?』
『うん。妖精はね、基本的に全てが観察対象でしかないから、大抵の事では干渉してこないけれど、精霊に対しては身内だから厳しいんだよ』
『そうなの?』
『そうなの』
『なるほどね』
『だから、ただでさえ厳しいのに、あんな事があった後に敬愛するジュライ様を呼び出そうなんて、消されてもおかしくないんだよ。前回の事でも、ジュライ様が止めなければ消していたのに』

 さらっと最後に恐い事を言われたが、まあいいか。

『ま、気が向いたら会いに行くさ。当分向こうに行く予定もないけれど』

 現在は北門で任務に就いているし、次は東門だ。西側には、ジーニアス魔法学園に行く以外の予定はない。勿論、西の森ぐらい行こうと思えば転移で一瞬だが、そうまでして行こうとは思えなかった。

『そう?』
『うん。そろそろみんな起きてきたから、またね』
『はーい。またー』

 起きてきた部隊員達と共に、朝食を取りに行った部隊長達も戻ってきたので、シトリーとの会話を終える。
 そこで広間に入ってきた全員と挨拶を交わして、朝食の準備を始める。部隊長達とは一度挨拶をしたが、別に二度挨拶をしてはいけない決まりなんてないしな。
 朝食を終えてから、食休みや掃除を経て、詰め所の外で隊列を整えていると、突然雨が降ってきた。さっきまで晴れていたのにな。
 雨が降ってきたぐらいで見回りが無くなる事はないが、少しずつ雨脚が強くなってきた気がするので、同じように視界も悪くなっていく。肉眼に頼る訳ではないが、それでも視界が悪いのは気分がいいものではないだろう。
 魔法で弾くので雨には濡れないが、魔法使いではない兵士達はそうはいかない。しかし、今回は他の生徒達が兵士達へと分担して魔法を掛けていたので、ボクは自分にだけ魔法を掛けていればいいみたいだ。生徒の方が多く、パーティーを組んでいたので、分担も手慣れたものなのだろう。それとも、前に一緒に見回りをした生徒達よりも練度が高いからかな? とにかく、楽できてよかった。
 雨脚は時間が経つにつれ次第に強くなっていき、昼前には土砂降りとなった。ボク達は堪らず、境界近くの詰め所に行く前に、昼休憩を兼ねて近くの詰め所の中に入っていく。

「ふぅ。凄い雨だな」

 詰め所に入ると、何かを払うように身体を擦りながら、生徒の一人がそう呟いた。
 いくら雨に濡れないとはいえ、雨の中を進むというのは気分的な不快感が伴う。これは、魔法はただ雨粒を弾いているだけなので、雨の冷たさが魔法越しに伝わってきて、身体が濡れていくような気になるのも原因だろう。これを完全に遮断する事も出来るが、そうすれば、それだけ余分に魔力を消耗する。
 まぁ、ボクは身体から離して雨粒を弾くようにしているので、問題ないが。これも身体から離す分、魔力消費量が増えるからな。扱える魔力量が少なかったり、技術が未熟だと大変だろう。
 詰め所内に入ると、各自広間に置かれている椅子へと好きなように腰掛けていく。先客は居なかったので、自由席だ。なので、ボクはいつも通りに窓際の席に独りで腰掛けて、窓から雨の世界を眺める。
 世界中に霧が立ち込めたのかと思うほどに視界は悪いが、常に魔力視を併用して世界を視ているボクにはあまり関係ない。・・・と言いたいところではあるが、一応雨粒にも微量に魔力が含まれているので、そう上手くはいかない。これでは、あまりに弱い魔力の持ち主は発見しにくいのだ。
 この辺りは慣れていけば見極めることも可能になってくるのだが、雨の幕に隠れる程度の魔力の持ち主はそこまで脅威ではないということもあり、そこまで重要視されていない。一応ボクはある程度は見分けることが出来ているが、まだ完ぺきではないな。
 程なくして、部隊長達が昼食を持ってきてくれたので、それを皆で分けて昼食を摂る。
 ボクは早々に昼食を終えると、再度窓の外に目を向けた。雨の幕が覆う平原を魔力視で確認していく。
 平原に出ている敵性生物は弱いのが多いので、これはこれで訓練になっている様な気がするが、雨の幕に完全に隠れるほどではないので、あまり意味はないかもしれない。
 その平原の様子だが、雨の日だからか、魔物の数が多い。それでも大結界とは一定の距離を保っているので、眺めているだけで十分だ。一応存在を捉えているので、ここからでも魔法は発現できるが、威力はその分劣ってしまう。
 今度その辺りの訓練も更に行っていかないと。遠距離での魔法の発現は、何かと重宝するもんな。
 そんな風に外の様子を眺めていると、全員が昼食を終える。というか、いつの間にやら食休みも終わっていた。
 止む気配のないどころか、勢いが増していく雨音を耳にしながら、ボク達は雨除けの魔法を掛けて、詰め所を出る。
 息をするのも窮屈に感じるほどの重い雨粒を身に受けながら隊列を整えた後に、境界近くの詰め所へと向けて足を動かす。
 天上に穴でも開いたのかと思いたくなるほどに視界を遮る雨の中、視界だけではなく聴覚も封じられながらも、幸い何も無いままに、直ぐに目的の詰め所に到着した。

「凄い雨だな」

 駆けこむように詰め所の中に入ると、誰かが疲れたようにそう呟いた。

「雨が強すぎるので、今日はもうここに泊まっていく」

 部隊長の一人がそう皆に伝える。少し声が大きいのは、室内に響く雨音が大きいからだろう。
 時刻は、夕方になるには今少し余裕があるが、流石に雨が強すぎるようだ。ここまで雨が降ったのは初めて見た。
 それぞれ好きな席に着くが、ここには常時誰かしらが居るので、先程の詰め所の時ほど散りはしない。
 昼食を終えてそんなに経っていないので、皆夕食にはあまり手を付けずに、雑談に夢中になっている。部隊長達はここに駐在している兵士達と友誼を深めているようだ。
 そんな中、ボクは独り端の方で席に着く。窓際ではないが、窓の外を見ることは出来る。
 本当に凄い大雨であった。
 ほとんど視界が取れず、見回りの際は目の前の部隊員ぐらいしか満足に視認できなかったほどだ。
 室内に響く雨音も大きいが、魔力視での視界も悪い。雨粒に含まれている魔力は微量とはいえ、これだけ視界を塗りつぶす雨だと、視界に靄がかかっている様な感じで、上手く存在を見極めるのが難しい。雨での視界がここまで酷いのも初体験だな。
 その分いい経験になるので、訓練と思い、見極める為に平原に眼を向け続ける。こんな雨はそうそう経験出来ないだろうし。
 そうして見極めることに時間を費やすと、直ぐに夜中になった。その頃には雨は弱くなっていたが、それでもまだそこそこ勢いがある。
 雨音は室内で聴く分にはとても落ち着くが、勢いが衰えた事で見極めは大分簡単になってしまった。魔力の輪郭を捉えるのは本当に難しいが、コツさえ掴めれば割と何とかなるものだ。

「・・・・・・はぁ」

 しかし、何となくではあるが、気づいてはいる。これだけ簡単に魔力を見極められるのは、この身体が兄さんのだからだ。どうなっているのかは分からないが、この眼は兄さんが築いてきた努力の結果としての眼なのだろう。ボクはそれを間借りしているに過ぎない。
 それでも今まで努力はしてきたし、始まりこそ違うが、今ではそこらの魔法使いよりも技術は上だと自負している。勿論驕るつもりはないが、それでも少しぐらいは胸を張ったっていいだろう。

「努力、才能・・・何が期待されていた、だろうな」

 誰にも聞こえない様に小さく呟く。一緒に見回りをしている部隊員達は皆眠っているのでここには居ないが、ここに駐在している兵士達は起きている者が当然居る。離れたところに座ってはいるが、室内が静かなので、音量には気をつけなくてはならない。
 兄さんやジャニュ姉さんの話を思い出し、ボクは顔を俯け皮肉げに口角を持ち上げる。もしもあのままボクが無事に産まれたとして、結果はどうなったか。今の状況だけで判断するのであれば、間違いなく落ちこぼれはボクの方だったろう。
 無論、前提が違う時点で結果も過程も変わってくるが、だからといって、根本的な持ち得る才能は変わらないと思う。ならば、遅かれ早かれこうなっていたのだろうな。
 そう思うと、悔しさより惨めさの方が大きい。
 別に自分から期待してくれと働きかけた訳ではなく、周りが勝手に期待しただけだが、それでもこうも歴然とした差を見せつけられれば、思うところは在るものだ。まぁ、もしもなんて考えても詮無き事ではあるが。
 さて、思考を切り換えよう。いつまでも沈んでいては果てが無いし、益もない。
 とりあえず気分転換がてら、折角なので広場内に居る兵士達でも観察してみるか。
 誰もが明らかに熟達者ではあるが、服装は軍服の上に防具を着用している。
 防具の種類は様々ではあるが、中には上下一続きのゆったりとした外套を着用している者も居る。やけに軽装だから魔法使いだろうか? それとも詰め所内だからかな?
 ともかく、服装の方は何処もそこまで変わらないようだ。他に気になったところは・・・よくよく観察してみると、同じような指輪を嵌めている者が多い事に気がつく。嵌めている指はそれぞれ異なるが、共通点は、多分全員が魔法使いである事。
 その指輪に装飾の類いは一切なく、あまりにも地味なうえに、肌と同化するような色合いをしている。おそらくそういう魔法が組み込まれているのだろう。
 ボクはその指輪が気になったので、どんな魔法が組み込まれているのか分析してみる事にした。

「・・・・・・」

 物に何か魔法がかかっているか見極める魔法は存在する。鑑定眼とも呼称されている鑑定の魔法ではあるが、鑑定眼はどんな効果の魔法がかかっているか、表面的な部分を読み取るに過ぎないので、詳しく知ることは難しい。
 なので、ボクは世界の眼を応用した眼を向ける。差し詰め分析眼とでも呼んでおこうか。狭い範囲ではあるが、対象の情報を読み取る眼だ。ただし、読み取るだけなので、それをどう解釈するかは、読み取った者次第という欠点がある。
 とりあえず対象である、魔法使いが嵌めている指輪の情報を読み取り、それを分析していく。予想通り色を変える魔法が組み込まれていたが、そういう風に目立たないようにさせる手もあるのか、勉強になるな。
 他には指輪の大きさを変えるモノと、部分的に結界に干渉する魔法が組み込まれている。範囲は広くないが、その分強力なモノだ。
 その結界に干渉する魔法が大部分を占めているので、他に組み込まれている魔法は無い。耐久性を上げる魔法が組み込まれていないので、使い捨てなのか、単に技術不足なのか。
 とにかく、読み取った情報から導き出すに、どうやらあの指輪は大結界を通る為の指輪であるようだ。指輪を嵌めている兵士達がここに駐在している理由を考えれば、持っていて当然の代物だな。
 他に何か面白いものがないかと観察してみるも、他には特に何も見当たらない。
 携帯している武器は、何かしら魔法が付加されているようだが、分析してみても、特筆すべき魔法は付加されていなかった。
 それでも他の兵士達よりも、ここに詰めている兵士達の方が、戦闘力は明らかに上だろう。装備だって充実している。
 兵士達は外の様子を警戒しながらも、どこか穏やかに時を過ごしているので、ピリピリした感じはない。それに、ボクが隅に居るのもあるのだろうが、誰もこちらを気にしていないというのも素晴らしい。
 そんなのんびりした時間を過ごす。外に向けている眼にもおかしな反応は無い。雨も大分勢いが衰えたので、見逃してはいないと思う。
 眼を外に向けたまま、周囲の敵性生物の様子を探る。雨が弱くなったからか、魔物以外の敵性生物が戻ってきた気がする。
 それでも昨夜よりも数が少なく、動きは小さい。昼間に比べると更に少ないので、この辺りの敵性生物は、夜行性が少ないのかな? 魔物はその辺りも関係ないから参考にならないが。
 現在は空が白みだす少し前ぐらいだが・・・餌となる動物の影響かな? うーむ。それにしても、平原には植物型の敵が少ないな。厄介だという、動くキノコとやらを直接確認してみたいのだが、中々見つからない。森の中に眼を向けた際に一度か二度、それらしい姿を捉えられたにすぎない。
 そのまま平原を観察しながら朝を迎える。
 起きてきた部隊長や部隊員達と挨拶を交わしてから朝食を摂り、見回りを行う。雨により足止めをくらったので、北門に戻るのはいつもより遅くなるな。
 そんな事を考えながら見回りを行い、途中で昼休憩を挿みつつ、見回り後半を行う。
 今日の空は、昨日と違い快晴であったが、足下には所々に水たまりが出来ていて、昨日の雨の名残が見て取れる。
 防壁の内側はいつもと変わらず平和なので、平原よりも退屈なのだ。下には警備している兵士達が見回りしているので、防壁上は補助でしかないのだから。
 そんな弛緩しつつある空気の中、ふと周囲の魔力の流れがほんの僅かに乱れたような気がして、周辺に眼を向ける。しかし、特に何も発見できなかったので、気のせいだったのだろう。
 そう思い見回りを続けていると、再度似たような感覚を捉えたので周囲を確認するが、やはり何も無い。それでも二度目なので、もう少し注意して確認した方がいいだろう。ならば、視るべき場所が悪いのかもしれない。
 そう思い、視線を下に向けてみる。しかし、そこには平和な光景以外何も無い。
 次は視線を持ち上げて空へと向ける。視線の先では、雲のほとんどない澄みきった青空が広がっているが、そこに一つの小さな魔力の塊を見つける。
 何だろうかと思い、望遠視も併用してみるも、それはかなり上空に在るらしく、倍率をかなり上げた望遠視で、何とか形が判る程度でしかなかった。その形から察するに、鳥だろう。それも極小ではあるが、この距離から確認出来るので、相当な大きさの鳥だ。砂漠に住まうという巨鳥かな?
 とはいえ、ただ上空を飛んでいるだけのようなので、望遠視を解除した視線を防壁の内側へと戻す。その際、ボクの後ろに居た生徒が釣られてか、上空を見上げているのを視界の端に捉えたが、問題は無いだろう。鳥を見つけたとしても、あの高さであれば、騒ぎにまでは流石になるまい。それに視た限り、ただ上空を通過しているだけのようだし。
 しかし、どうやら見つけられなかったようで、その生徒は少し不思議そうにしながらも、視線を防壁の内側に戻していた。
 そんな事があったものの、他には何も無いまま、夕暮れ時には詰め所に入り、夕食を終える。明日には北門に到着するが、今の速度であれば早めに到着出来るだろう。





「空の旅というものも、中々によいものですね」

 遥か上空を飛ぶ大きな鳥の背に乗った、半身が人間で半身が常闇の女性は、そう言って微かに笑う。その女性が乗る鳥は、瞳に生気の感じられない巨鳥であった。

「さて、着々と兵は増えてきていますが、どうしましょうか」

 女性は巨鳥の背に座りながら、下界を見下ろす。

「貴方はどう思います?」

 下界に目を向けたまま、女性は巨鳥へと問い掛けるが、巨鳥からは何も答えは返ってこない。

「まあそうですね。単なる乗り物に訊く事ではありませんでした」

 女性は視線を遠くの方へ向けると、それを地平線に沿って横に動かしていく。

「それにしても、意外に世界は広いですね。おかげで遊び道具には事欠きません。これだけ遊び場が広いのであれば、楽しんで頂けるでしょう。その為にも、準備は入念に行わなくては」

 楽しげにそう語ると、女性は世界中の者達へと天上から演説でもするかのように、両腕を大きく広げて、語り掛ける。

「開幕まで今少し御待ちを、生者の諸君。時がくれば諸君らを我が下までご招待致しましょう。ですから、その際はどうか皆様の無様な抵抗と滑稽なる悲鳴にて、この演劇を美しく飾り立てて頂ければと、心より御願い申し上げます」

 女性は機嫌よく世界を鳥瞰しながら、慇懃に頭を下げると、世界へと慈愛の籠った笑みを向けた。

「それでは、その時まで暫し御待ちを。引き続き、一部先行して御誘い致しますが、開幕にはまだまだ掛かりますので、どうぞそれまで、その無価値で無意味な生を十分に謳歌して頂ければと思います」





 朝になり、朝食を終えて詰め所を出ると、隊列を整えてから見回りを行う。北門まではそこまで遠くはないが、平和な中での見回りは、退屈なので長く感じるかもしれない。
 昨日のようなちょっとした刺激があればいいのだが・・・平和を願わないのは駄目なんだろうな。それでも、あれぐらいの刺激は許して欲しい。
 そう願ったものの、結局何も起きなかった。平和なのはいい事ではあるが、せめて観察する対象ぐらい居れば退屈しないのだが。
 昼頃に北門前で解散して、日のある内に宿舎に戻った。結構時間が空いたな、どうしよう。
 少しの間思案した後、一度風呂に入って汗を流す。その後に駐屯地を離れ、クリスタロスさんのところへと転移した。

「ようこそいらっしゃいました。ジュライさん」

 クリスタロスさんに出迎えられて挨拶を交わす。その後いつも通りにクリスタロスさんの部屋で、お茶を片手に雑談に花を咲かせる。訓練もいいが、こういったのんびりした時間もいい。クリスタロスさんの話は中々に興味深いものが多いし。
 そういう訳で、夕暮れ近くまで歓談しつつ、色々と情報を交換行った。特に、昨日見掛けた巨鳥の話を訊いてみたが、おそらく砂漠の巨鳥ではないかという話だった。人間界周辺で巨鳥が生息している場所といえば、砂漠しかないらしい。
 クリスタロスさんの話も前にプラタに聞いた通りで、砂漠の巨鳥は、魔法もろくに使えないただ大きいだけの鳥らしい。ただし、もの凄く力強いようで、人ぐらいなら容易に乗せて飛ぶことが出来るという。
 そんな会話を終え、夜になる前に帰ることにする。クリスタロスさんに別れを告げて転移すると、駐屯地に戻り、宿舎の自室に場所を移した。
 自室には珍しくアガットが居たので、軽く雑談を交わしながら就寝の準備をして、就寝する。
 翌日からは東側の見回りだが、相変わらず退屈な時間になるな。
 そう思いつつ、朝になったので起床して支度を済ませると、朝食を摂ってから北門前に移動して、部隊に合流する。
 それから程なくして全員が揃ったので、見回りが開始された。
 防壁上から見る平原に変わりはないが、そこに蠢く敵性生物は少しずつ変化しているようで、現在平原に居るのは、弱い敵性生物ばかりだ。東側の魔物の姿は見当たらない。前に警邏した時よりも落ち着いてきているようだ。
 それでも学生には油断できない相手らしく、毎日のように怪我人は出ている。幸い最近死人は出ていないが、それでも命懸けだ。こういう経験を積んで、一人前の魔法使いになっていくのだろう。
 しかし、魔法が未熟なのは理解できるが、学園や軍は生徒に付加装備辺りでも支給すればいいのにと思うのだが、やはり量産が難しいのかな? それとも、平原だから必要ないという判断なのだろうか? 索敵さえしっかり行っていれば、平原の敵性生物なんて的でしかないのだから。
 だからこそ、その辺りが何故できないのかは分からないな。強さの指標は大体できたが、考え方や運用方法までは理解するのが難しい。
 まあ今はそんなことはいいか。
 警戒しつつも、他に目につくモノはないかと探していく。
 しかし、あるのは変わらずいつもの平原。そこに変わったモノは何も見つからない。
 それでいいのだが、それでは物足りない。ちょっとした刺激もないままに、昼休憩の為に詰め所の中に入っていく。
 詰め所の中では窓際に座り眼を外に向ける。
 いつも以上に視界を拡げてみるも、代わり映えはしない。それでも視界を拡げる訓練の為に大きく拡げておく。大きめに拡げておけば、慣れた後に少し縮めれば維持出来るようになるだろう。
 そんな事をしていたら昼休憩が終わり、外で整列して見回りを再開させる。
 東側の境界に近づいていくと、遠くで少し強い魔物の存在を確認する。まだ東側からの流入は続いているようだ。
 他には、警邏している魔法使いの兵士達が居るぐらいか。学生を編成する話はまだ結果が出ていないらしく、まだボク以外の学生も編成して試験運用しているようだ。
 もしも学生を編成して警邏するようになった場合、経験的には素晴らしいものがあるが、兵士達の負担が大きそうだな。その辺りの補助のやり方などはどうするのだろうか? ボクの時みたいに援護主体でいくのだろうか? まあもうすぐ進級するボクには関係のない話なんだけれど。
 そんな学生が混じった警邏は、今のところ見ていない。今日は出ていないのかも。
 夕方に詰め所に入るまで見回りしても、結局確認出来なかった。
 詰め所内で夕食を摂った後、窓際に座って外に眼を向ける。ここまでくれば、遠くにだが、東側の魔物っぽい姿がちらついている。どうやら未だに東側の魔物は活発に活動しているようだ。
 北の森の敵性生物が活発だったのは一時的なものに過ぎなかったようで、今ではかなり落ち着いた。話を聞くに、大騒動前に戻った感じらしい。
 それでも相当数が平原に出ているので、討伐数を稼ぐのは楽だろう。そして、平原が落ち着いたということで、もうボクは討伐に出なくていいらしく、進級まで見回りと休日の繰り返しだ。それももうすぐ終わるが。
 東門に行ったらどうしようかな。
 実家のある町は防壁に近いところに在るとはいえ、東門からは少し距離がある。転移を使えば一瞬だが、多分家には帰らないだろう。
 確か東門の近くには街があったはずだから、休日にはそちらへと足を延ばしてみよう。何かいい本でもあればいいな。

しおり