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謎の少女

 ジャニュ姉さんの家から戻ってきた翌日。まだ暗い朝の時間に、自室でボクは兄さんから意識を交代している間の話を掻い摘んで説明された。
 それが終わると、ボクは北の森に眼を向ける。

『確かに変異種は居なくなってるね』

 魔力の霧はまだ残っている為に森の様子は詳しく分からないものの、それでも発生源だった変異種が消えている事ぐらいは理解出来た。

『それじゃあ伝えるべきことは伝えたから』

 それだけ言うと、兄さんとの会話は終わった。

「・・・・・・」

 兄さんと意識を交代している間、ボクは外の様子が分からない。兄さんのように遮断している訳ではなく、普通に外の情報の取得法を知らないのだ。
 それにしても、意識を交代している間に色々あったんだな。でもこれで変異種の件は片付いた訳なので、敵性生物の討伐も楽になっていくことだろう。北門に来て約三ヵ月が経つのだが、休日や学園滞在期間を除けば、任務期間はまだ半分以上残っている。後半からは大結界の外に出る機会が増えてくるので、今のままだとギリギリ間に合うかもしれない。まぁ、可能性が出てきただけいいかな。
 そうだ、あとプラタにも礼を言っておかないと、ちゃんと北門を護ってくれたらしいし。本当に頼りっぱなしだな。

『プラタ、聞こえる?』
『はい。ご主人様の御言葉しかと届いております』

 ちゃんと繋がった事を確認すると、プラタに昨夜北門を護ってくれた事へのお礼を告げた。

『勿体なき御言葉です』

 それにプラタは恐縮したようにそう口にした。まあいつもの反応なので、それはそれとして。

『プラタは兄さんがどうやって変異種を倒したか知っている?』

 兄さんからは変異種を片付けたとしか聞いていない。なので、実際にどうやって片づけたのかが気になった。

『外から眺めただけでしかありませんので、詳しくは不明です』
『そっか。とりあえず外から視て分かった事を教えてくれる?』
『畏まりました』

 そう言うと、プラタは数拍の間を置いて自分が昨夜視た事の説明を始めた。

『まず、御主――オーガスト様は北の森で変異種を囲んでいた魔族と魔物を一瞬で沈黙させられました。その後、変異種を暫く観察した後に、変異種が自壊前の状態まで治療なさいまして、更には症状を安定させて適応までなさいました』
『・・・・・・』

 それは何時ぞや話していた機会があればすると言っていた事か。もしかしたら、あの時点で兄さんはここまで見越していたのかもしれないな。いや・・・それはない・・・よな? ・・・まあいいや。とにかく、それはさぞシトリーは喜んだろうな。

『それが済みますと、オーガスト様は変異種を南に在ります魔物国の首都近くまで転移させました』
『それは・・・大丈夫なの?』

 いきなり首都によそ者を飛ばしても大丈夫なのだろうか? 何か騒動になりそうな気もするが。

『大きな問題にはなっておりません。元々魔物の出入りはそこまで厳しくはなかったので』
『そうなのか』

 魔物の国だからだろうが、中にはかつてシトリーがサクッと倒したミミックの様に魔族に与する魔物も存在するので、少し心配だ。
 そんなボクの考えを読んだのか、プラタが補足説明をしてくれる。

『魔物の国は情報収集を得意としておりますので、その辺りも関係しているのでしょう。それに、魔物同士何か通じるものが在るようです。とはいえ、一番は知られて困るような情報が市井には存在していないということでしょうか』
『ん? それはどういうこと?』
『魔物の国と言いましても、ただ魔物が寄り集まっただけの自治区のようなものですので』
『そうなの?』
『はい。魔物は衣食住が不要もしくは重要ではありません。ただ、魔物の国がある場所には良質な魔力が在りますので、それを守る為に代表としての王を戴き、その王を中心にゆるやかな協力体制を築き上げているにすぎません。ですから、戦争以外では割と好きに生きているようです』
『へぇー』
『そもそも、人間の街のようなモノは存在致しませんので』
『ん?』
『寄り集まって巣を形成したりはしていますが、それも固定では御座いません。それに、魔族は基本的に睡眠が不要ですので、防壁で囲む等の備えも必要は御座いません。そして魔力が在れば存在出来ますので、買い物なども行いませんし・・・一部例外はありますが』
『そうなの? でもさっき首都って? それにシトリーは寝てるけれど・・・?』
『首都は王と直属の軍隊が集まっている場所でして、良質な魔力の源の一つを守護しています。良質な魔力と安全を求めてそこに寄り集まる魔物も居りますが、基本的には即応の軍隊が駐留しているだけです。一応王の住処なので、便宜上首都と呼称しているにすぎません』
『なるほど』
『それと、シトリーは本来睡眠を必要とはしておりません。ただ眠る事が可能というだけです』
『そうなんだ』
『はい。実際ご主人様と一緒でない時は寝ておりませんので』
『そっか。食事睡眠不要で疲れ知らずの身体か、それは羨ましいな』

 兄さんはそんな感じではあるが、ボクはまだそこまで至れていない。食事も睡眠も多少は必要だし、疲労も一応は感じる。

『おっと、もう外が明るくなってるな。また後でね、プラタ』
『はい。いつでも御待ちしております』

 気がつけば外が明るくなっていた。もう少しプラタと話したい事はあったが、さっさと朝の支度をして食堂に行かないとな。
 ボクは未だに隣のベッドで寝ているレイペスを起こさないように静かに起き上がると、朝の支度に取り掛かった。
 そして朝の支度を終えると、食堂に移動する。
 食堂で朝食をさっさと済ませると、今日の任務に向かう。
 今日の任務は西側への見回りだ。その次は東側の見回りを行い、敵性生物討伐が連日行われる。なので、防壁上からの見回りの際に、平原の様子をしっかりと確認しておいた方がいいだろう。まだ魔力の霧が立ち込めているとはいえ、元凶を取り除いたので、北の森の生き物も前みたいに動き出すだろうし。
 部隊に合流して全員が揃うと、西側へと見回りを開始する。
 温かくなった気温のうえに、快晴の中を進むのは正直そろそろ大変になってきた。なので、火系統の温度を司る面を利用した魔法をこっそり使用して体温を下げながら見回りを行う。
 平原の様子は、急に変化が起こる訳もなく、相変わらず平和そのものだ。
 そんな平原の様子に眼を向けながら見回りを行い、昼休憩の為に詰め所に入った。
 皆が昼食を食べている中、相変わらずボクは何も食べる事無く窓の外に眼を向ける。
 昼にもなれば、北の森に立ち込めていた魔力の霧は大分薄くなってきている。おかげで北の森の中が視えるようになってきていた。
 視た限り森の中は蟲よりも動植物の方が多いようで、未だに直接見た事ない動く植物っぽい反応が確認出来る。
 動物は大型が少なく、小さいのが多い。その動物はあまり大きく動かないが、ちょこちょこ細かく動いているようだ。
 視ている範囲に蟲の姿は確認出来ない。そういえば魔物も居ないな、まだ大部分は奥に居るのかな? ということは、まだ平原に出てくるのは時間が掛かるかもしれない。
 そんな風に森の中の様子を視ている内に食休みまで終わり、見回りを再開する。
 それから何事もなく後半の見回りも終わり、皆が寝静まった夜中。広間にはボク以外は誰も居ないので、独りで外を眺めていた。
 ジャニュ姉さんのところに行ってから約一日。北の森を覆っていた魔力の霧はすっかり晴れ、森の中には以前の平穏が戻って来ていた・・・はずなのだが。

「・・・うーん?」

 微かにだが、何か奇妙な感じを覚える。しかし、森や平原に眼を向けるも特に変わった様子はないので、何となくそんな気がするだけなのだろう。
 それでも気になって色々と視ていくが、やはり何も見当たらない。

「気のせい・・・かな?」

 朝まで調べてみても何も見当たらなかったのでそう結論付けることにして、起きてきた部隊員達に挨拶を交わしていく。それでも何だろうな、このスッキリしない感じは。





「まだ戻らないのか?」

 東の森の先に在る沼地で、大男が近くに居る部下に問い掛けた。

「ハッ! 未だ帰還の報せはありません」
「そうか」

 部下のその返答に、大男は小刻みに頷きながら何かを考えるように別のところに目を向ける。

「場所の把握は出来ているのか?」
「いえ。以前にも報告しましたように、あの変異種が出す濃密な魔力の霧の影響で把握は出来ておりません」
「ん? それは晴れたようだが?」
「・・・それが、現在も行方を捉えることが出来ずにおりまして」
「ふむ。霧が晴れたという事は、あれは死んだという事になるのだが、同胞は帰還もしなければ居場所も掴めないと」
「はい」
「相打ちになったか? それとも、返り討ちに遭った後に変異種は自壊したか」

 大男は目を空に向けたまま静かに思案する。

「調査隊は出しているのか?」
「トロン様から御許可を頂ければいつでも出せるように、準備は完了しております」
「そうか・・・ならば調べてこい。ただし、慎重にな。もしかしたら我々が把握していない存在が居るかもしれない」
「畏まりました」

 大男の言葉に部下は頷くと、早速調査隊を森の中に派遣する為にその場を離れていった。

「何事もなければいいが・・・しかし、まだ可能性の段階ではあるが、我らが把握できていない存在か。それも同胞が倒されるほどの」

 その事について思考を巡らせた大男は、少し前に本国からあった報告を思い出す。

「そういえば、ゾフィの率いた軍が何者かにやられたらしいが・・・まさかそれか?」

 その可能性に、大男は森の方を確認する。

「今のところは近くには居ない、か・・・しかし、この森の中には一体何が居るというのだ?」

 今までにも戦局を覆す活躍を見せた将は居たし、順調な歩みを止める自然現象などもあった。しかし単騎、もしくは数えるほどの少数で大軍を殲滅し得るような存在は居なかった――ドラゴンであれば可能だろうが、あれはまた別の存在であろう。それにドラゴンは体躯が大きく、攻撃は派手なのが多く目立つので、確実に報告に在ったはずだ――。そんな今まで経験したことが無いような脅威に、トロンは嫌な予感を覚え眉根を寄せる。
 それでただでさえ厳つい顔が更に厳つくなるも、それは長い時間解けそうにない。

「ふむ。ゾフィ以降、我らは森に対して大規模な軍事行動を起こしてはいないが、森を背負って戦うというのは大丈夫なのだろうか? 今回のような事がそう頻繁に起こるものでは無いと思いたいが・・・」

 そう呟き、大男は視線を沼地の方面に向ける。現状僅かに圧してはいるが、ほとんど拮抗状態だ。ここで何かが起きては、天秤が予期せぬ方向に傾いてしまう。

「早々に増援が来てほしいものだ」

 大男は本国が在る方角に目を向けると、ついそう零すのだった。





 何事もなく西側の見回りを終えたボクは、現在東側の見回りを行っていた。
 先程初日の昼休憩を終えたばかりで、日光が照らす中、皆汗だくになりながら見回りを行う。とはいえ、例の如くボクは自身に火系統の魔法を用いて体温を下げているので、問題ない。
 体温を下げるだけであれば他にも色々な魔法はあるが、最も簡単なのはこの火系統を用いて体温を操作する事だろう。ただし、これはやりすぎてはいけない。というか操作を誤れば、体温を下げ過ぎたり上げ過ぎたりして体調を壊すか、最悪命を落とすことになりかねない。しかし、そういう訳で魔力の操作能力の訓練にはなる。
 しかしこれ、自身の体温操作もそこそこ難しいが、他人の体温操作は更に難しい。何せ、誰でも無意識に自身の魔力で自分の身を護っているのだから。そうでなければ相手を簡単に倒せてしまう。
 だから一般的には、水系統に風系統か火系統を併用した魔法を用いる。要は気化熱を利用するのだが、これはお風呂上がりなどでも使えるので、比較的使える魔法使いが多いのだ。・・・とはいえ、現実には汗をさっさと乾かしたり、風を自分に吹かせたりが多いらしいが。まあ直ぐに乾かすとはいえ、服を濡らすのは場所を選ぶし、顔などの肌が露出している部分だけでは効果は限定的だ。動いている状態では使いにくいのもある。
 他にも水を纏うとか、少し上の実力者であれば氷系統の魔法を用いたりするらしい。・・・とにかく、色々と方法があるようだ。
 では魔法使い以外、例えば兵士は何をしているのかといえば、普通の兵士は何もしない。我慢というか慣れだ。強いてあげるならば、通気性がいい鎧や服を着るぐらいか。上官になれば涼しくなる魔法が付加された物を装備してたりするらしいが、そんな付加装備でも高いのだ。当たり前ではあるが、それでいて性能は値段相応なのだから、気軽には手が出せない。
 そう考えると、付加術師ってのは儲かるのかもしれない・・・。
 庶民でも手が届くような安価な方法では、付与魔法がある。効果は一時的ではあるが、そこそこの付与術師でも二三日ぐらいなら効果が保つらしいので、あまりに暑い場合は一般兵でも利用する。中には生徒の練習台という名目で無料で掛けてもらう者も居るようだが、その場合技術が未熟過ぎて一日保たない場合もあるとかなんとか。まあ練習台だしな。
 とにかく、色々とみんな工夫をしているらしい。逆もまた然りで、寒い場合も色々と工夫しているようだ。
 因みに、最も高額な対策は魔法道具を装着する事だが・・・あれ? そう考えれば、ボクも自分用に付加装備か魔法道具を創ればいいんじゃないかな?
 既製品に魔法を付加する付加品よりも、素体自体から創造して直接魔法を組み込んでいく魔法品の方がボクには合っている。というか、ボクは自身の剣のように、無意識に創造品に付加したつもりが組み込んでる場合があるので、付加品は向いていないのかも? いや、創造した品を使う時点でおかしいのか。ふむ。この辺りがシトリーに呆れられる認識のずれというやつなのかな? 難しい。
 はて、ボクは何について考えていたんだったか・・・ああ、気温の変動への対策について、だったかな? うん、確かそんな感じだった。
 ボクが知っているだけでもとにかく色々とあるのだが、ボク自身はこの体温操作で何とかなっている。あまり使わないようにしてはいるが、やはり暑いのは苦手だ。特にこんな炎天下で屋根の無い外での見回り何て地獄だろう。
 平原が平和なのもまた問題で、何も無さ過ぎて暑さに意識が向いてしまう。そろそろ夕方ではあるが、涼しくなるのは日が暮れてからなので、早く詰め所に入らないかな。こういう季節は夜警が羨ましいよ。
 暫くして詰め所が見えてくると、隊長の号令でボク達はその詰め所の中へと入っていく。





「ハはハ、アー、ウむム、ワー」

 暗い森の中、意味の無い言葉を口に出して歩く少女の姿があった、
 その少女は遠足でもしているかのような楽しげで軽やかな歩みをみせながら、周囲を見回している。

「フふフ。ダいぶしゃべれるようになっタ!」

 少女は嬉しそうにしながらも、無人の森の中を歩いていく。

「ソれにしてモ、ダれもいないナ」

 それを不思議そうにしながらも、木の裏側を覗いてみたり、木の上に登り周囲を見渡したり、洞を覗き込んだりして誰か居ないかを探す。それでも何も見つからず、少女はむずかるように頬を膨らませた。

「ダれかあそぼうヨー!」

 地上に降りた少女は両手をブンブンと振り回しながらそう叫ぶも、返ってくるのは痛いまでの静寂のみ。

「ブー!」

 それに少女が不満げにしていると、

「そこの変な喋り方のお前。お前は同胞について何か知っているか?」

 鋭利な刃物を思わせる静かな声が何処からか届く。

「ダレー?」

 少女は嬉しげにそれに応える。

「お前が知る必要はない。お前はただこちらの質問に答えればそれでいい」
「ムー、ソんなのしらないよーダ!」
「そうか。ならばお前に用はない」

 そう告げると、声は止んでしまった。

「ブー、イうだけいってどっかいっちゃっタ!」

 少女は頬を膨らませると、手をブンブンと強く上下に振って不満を口にする。

「ココ、ツまんないヨーー!!」

 その叫びは森の中に木霊するも、少女以外の誰の声も返っては来なかった。





 東の見回りを終えたボクは、今日から大結界の外で敵性生物の討伐である。それも三日連続で。

「・・・・・・」

 いきなり敵性生物討伐の日数が大増量ではあるが、これはあまりにも討伐数が稼げない事への配慮らしい。通常では増えても二日連続だとか。
 その配慮は有難いのだが、肝心の敵性生物の姿があまりないから困る。
 全員が集合して大結界の外に出るまでの間に周辺の索敵を行うも、北門の周囲には数体の敵性生物しか確認出来ない。一応ちょっと増えた気がしないでもないが、あんまり変わらない。
 三日連続の敵性生物の討伐ではあるが、別に外で夜を過ごす訳ではなく、日暮れまでには大結界の中に戻ってくるので遠出は難しい。
 どうしようかと考えている内に大結界の外に出たので、それぞれが行動を始めた。
 今回ボクは西側に向かう事にする。他に三パーティーほどが同じ方向に移動するが、まあ問題ないだろう。西側とはいえ、ボクは大結界とは反対方向に向かう訳だし。
 今回の監督役は魔法使いの女性であった。背が高く、目だけを忙しなく動かして周囲を窺っている、少し変わった人であった。
 それはさておき、北西に向けて進むと、離れたところに低空ながら飛行する蟲を発見する。
 体長は人間の子どもほどだが、細長い姿をしていて、先端に大きな目らしき球体が二つくっ付いている。背中には二対四枚の翅を生やし、それを交互に動かし滞空しつつ、時折素早く移動して少しずつ前に移動している。
 狙いをつけにくい動きではあるが、速度を重視して、移動と移動の合間にある滞空の瞬間を狙えば何とかなるだろう。

「そうなると」

 自然と選択する系統と魔法は決まってくるが、出来る限り基礎魔法だけで対処したいので、ここは風系統の魔法の中でも速度が速く、威力もそこそこある風の矢にする事としよう。
 その蟲を倒すのに十分な密度の魔法を発現させると、蟲の動きが止まるのをじっと待つ。そして、その瞬間は直ぐにやってきた。
 縦横無尽に動いていた蟲がピタリと止まる。それに合わせて風の矢を放つ、が。

「ふむ」

 風や魔力の動きでも感じたのか、直撃する寸前に蟲は移動する。それで翅に掠りはしたものの、まだ健在だ。しかし、それで飛行が少し不安定になっている。
 魔法が掠った事で危険と判断したようで、蟲は緩やかな円を描いてこちらに背を向けると、森の在る方角に戻ろうとする。
 ボクはその蟲目掛けて風の矢で追撃の一撃を見舞う。
 飛行能力の落ちた蟲にそれを回避しきる能力は無かったようで、それで翅の半分を吹き飛ばされ、蟲は地に落ちていく。そこに止めの一撃を加えて蟲は絶命した。かなり加減していたとはいえ、一撃で仕留めきれなかったのは痛恨の極みである。一年生の頃の最初のダンジョンでの事を思い出し、己が身の未熟さを改めて思い知らされた気分だ。
 そのまま更に北進する。そこには地面をちょこちょこと動き回る、抱えられるぐらいの大きさをした鳥が居た。
 見た目はニワトリに似ているのだが、羽の先がギザギザとしていて、その部分だけ周りと色が異なる。他にも尻尾がヘビのようにうねっているので、あれは確か石化の視線とかいう魔力を秘めた特殊な眼である魔眼持ちだったか? それと強力な毒持ちで、北の森では五本の指に入る要注意な存在だったはず。

「な、何故こんな場所に!?」

 背後から監督役の魔法使いの女性が小さく驚いた声を上げたのが聞こえてきた。記憶にある情報によると、あれは森の奥に生息していて、平原には滅多に姿を現さないらしい。なので、そんな存在が平原の浅い場所で出てくればこれが当然の反応、なのかな?
 とりあえず見つかったら面倒くさいので、球状の土の檻に閉じ込めると、それをそのまま縮めて押し潰す。ジャニュ姉さんには通用しなかったものの、この攻撃魔法を応用して相手を包んでしまうのは、拘束するにしても殺すにしても、簡単便利で強力な魔法だ。力量さがあるとか、破る方法を知っているとかでなければ、包まれた時点で詰んでいる。ま、防御魔法でやった方が単純に堅牢な檻が出来るのだが、その場合は当たり前だが魔法の特性が付かない。
 そして今回は成功したようで、檻を解くと、身体中砕けた無残な肉塊が姿を現した。

「は・・・?」

 何か後ろでポカンとしている気配がするも、次の標的を見つけたのでそちらに移動を開始する。討伐数が圧倒的に足りていないのだ、そんな事にいちいち構っている暇はない。
 そのまま北西に向けて歩むと、反応のあった場所には、先程の鳥と同じぐらいの大きさの橙色した楕円形の何かが五つ転がっていた。

「何かの実に見えるけれど・・・植物?」

 そんな存在が情報の中に居ただろうかと記憶を探っていると、その五つの実はくるくると回りながら立ち上がり、そのまま飛び跳ねる。

「おぉ!」

 飛び上がったその実は五段重ねになると、姿形が変わり人型となった。
 背は腰丈程で、頭は実のままだが、楕円形から少し球体に近くなっていた。目と鼻と口の部分は四角や三角にくり貫かれたようになっており、目元には真っ赤な明かりが灯っている。
 手には白い手袋をはめ、袖と丈の長い紫色した服を着ていて肌の露出は無い。まだ昼だというのに、手には明かりの灯った角灯を提げている。
 夜に何かを探している様に、その角灯を周囲に向けながら警戒しているそれは、見る者によっては不気味なのかもしれないが、ボクにはどこか滑稽なように思えた。それよりも、合体したのが興味深い。
 とはいえ、現在は討伐に来ているのであって、悠長に生態観察なぞしている暇はない。なので、さっさと風の刃を飛ばして縦に真っ二つに切り裂く。
 そうすると、それは縦に割れた五つの実に戻って地面に転がった。その実の断面を見るに、ただの植物の実の様であった。
 その何かの実のような敵を倒すと時刻はすっかり昼になっていたので、ここらで小休止を挿もうかと思い、監督役の魔法使いの女性にそれを提案する。
 それに許可を貰えたので、短い休息を取ることにした。その間に監督役の女性魔法使いは、立ったまま昼食を手早く済ませていた。
 頃合いを見て休憩を終えると、休憩中に索敵して反応があった方面に足を向ける。近くで一体の魔物の反応を捉えたのだ。それを倒せば、そろそろ時間的に引き返さなければならないと思うので、素早く倒さないとな。
 そう思いつつ進むと、直ぐに目的の相手を捕捉する。
 その魔物は、目の高さを浮遊する球状の真っ黒な物体で、五つほどが浮いている。ふよふよと水に浮いている様に空中に漂うそれは特に特徴もなく、ただの黒い球体でしかない。
 よく分からない存在ではあるが、魔物である事に変わりはない。とりあえず五つともそこまで離れていないので、一網打尽にすべく考える。浮遊はしていてもかなりゆっくりと漂っているだけなので、狙いは容易に付けられそうだ。

「・・・・・・」

 僅かに思案し、ボクは魔法を発現させる。
 浮遊する五つの球体の真下から五本の土槍を出現させると、全ての土槍で球体の真ん中を確実に貫いていく。
 それで消滅していく魔物達。結局それが何だったのかは分からなかったが、一気に討伐数が五も増やせたのは大きい。これで今日だけで八体の討伐が達せられたので、大収穫だ。・・・それでもまだ少ないのだが。
 そのまま引き返すと、途中で巨大ネズミを一匹見つけたので、サクッと倒しておく。しかし、帰りに見つけられたのはその一匹だけで、他には何も見当たらなかった。
 大結界の外の北門前に着いたのは夕暮れ少し前、結局戦果は九体で、二桁までは到達できなかった。やはり少ないな。
 陽が完全に沈む前に全員戻ってきたので、大結界の中に帰っていく。
 いつも通りに北門前の広場で解散すると、それぞれが次の目的地へと向けて移動を開始する。ボクも宿舎の方へと足を向けると、その道中で立ち話をしていた兵士や生徒の話し声が耳に入ってきた。

「流石は我らが女神様だ! あれほどの魔法を放つ敵を即座に鎮圧されるとは」
「それも驚くほど短時間で森の方へと移動されたのでしょう? 凄いわよね!」

 そんな感じの会話をここ数日で幾度も耳にした。流石は流れ弾とはいえ直接攻撃を受けた場所だ、今でもその話で持ちきりのようであった。中にはプラタの話だと思しき話題もあったが、ボクはそれらを全て右から左へと受け流す。話を振られれば適当に相づちでも打つが、わざわざ自分から参加する話題でもないからな。
 そんな話が耳に入ってきながらも、ボクは泊まっている宿舎へと戻ってきていた。宿舎内でも似た話題は聞くものの、建物内は人自体がそう多くはないので、食堂や大浴場のような人が集まる場所に近づかなければそれもほとんど聞かない。レイペスも数日前に一度その話を少ししたきりで話題に上げないので、割と気楽なものだ。
 自室に戻ると、そのレイペスが着替えの準備をしていた。これからお風呂に入るのか、それとも先に食堂に行くのかは分からないけれど、もういい時間なので、大浴場にはお湯が張られているはずだしな。

「ただいま」
「おかえり」

 とりあえず挨拶を済ませると、ボクは空の背嚢を仕舞いつつ、見られないように気をつけながら着替えを構築する。

「お風呂に行ってくるよ。オーガスト君は?」

 その途中で、着替えを片手に入り口に移動したレイペスにそう声を掛けられる。

「ボクもお風呂に行くよ。個室だけれども」
「そっか。なら先に行ってるね」
「いってらっしゃい」

 レイペスは大浴場に入る派なので、そう告げると先に行ってくれた。
 それを見送ると、ボクも着替えを片手に部屋を出る。流石に手ぶらで部屋を出てお風呂場へ行くのは考えものな気がした。洗濯物はお風呂上がりに洗濯場に持っていって洗ったりするので、手ぶらでもまあおかしくはないと思う。多分。
 そんな訳で準備も整ったことだし、お風呂場に移動する。相変わらず個室は人が居ない。しかし、今日は全く居ない訳ではなかったので、着替えを持っていてよかった。
 着替えや脱いだ服を戸棚に仕舞う。戸棚には鍵も掛けられるので安心だ。まぁ、こんなところで盗みを働く愚か者もかなり珍しいが。
 例え犯行に及んだとしても、宿舎内は顔見知りだらけなうえに、個室を利用する人間も限られているので、犯人は直ぐに見つかることだろう。外部から誰にも気づかれずに宿舎内に入るのは難しい。ついでに言えば、ここは出入りが監視されている。流石に中の様子までは見られていないが。
 つまりは、悪事が働きにくいという事だ。宿舎に居る兵士達は仲間意識も強いし。
 それでも最低限の備えとして、一応戸棚に鍵を掛けて個室に入るようにはしている。
 入浴はいつも通りに行い、湯に浸かりながら少し平原の様子が改善されたことに安堵する。まあ色々あったから、これぐらいはいい方向に向かってもらわなければ困るのだが。
 明日も最低でも今日ぐらいの戦果が上がれば、任務期間中に討伐数が規定にギリギリ達しそうな気がするので、明日からも頑張らないとな。
 そう考えながら暫く湯に浸かると、ボクはお風呂から上がるのだった。

しおり