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ジャニュとオーガスト7

 ジャニュがウィリアムとパトリックの二人に説明を終えると、ジュライは「それでは兄さんと代わりますね」 と言って、意識を内に集中し始める。そこに。

「ちょっと待って・・・ジュライ」
「? どうかしましたか? ジャニュ姉さん」

 ジャニュの突然の制止に不思議そうな顔をしながらも、ジュライは意識の集中を中断させる。

「貴方があの時亡くなった子だとしたら、強いはず。オーガストに代わる前に、一度私と勝負しましょう!?」
「・・・勝負、ですか?」

 困惑気味な表情ながらも、ジュライのその声音には僅かに億劫そうな響きが乗っていた。

「ええ。気乗りしないのであれば訓練でも構わないわ。貴方の強さも知りたいのよ!」

 少し興奮した声音でのその提案に、ジュライはどうしたものかと思案する。

「一戦だけでいいのよ。ここでなら多少の無理も利くから、楽しみましょう?」

 ジャニュの目配せで、ウィリアムとパトリックが周囲に居る数名の使用人と共に二人から距離を取る。それを確認しながら、ジャニュもジュライから距離を取った。

「さぁ。始めましょうか?」

 思案している内に準備が整ってしまい、ジュライは困ったような呆れた笑みを浮かべる。

「では、始めるわよ!?」

 それを都合よく承諾したと捉えたジャニュは、瞬時に雷の矢を数えきれないほど発現させた。
 その発現までの速度と発現させた魔法の数に、ジュライは流石だと感心しつつも、発現した雷の矢が射出される前に冷静に全てを分解して消し去った。

「!!!」

 それを観戦していた周囲は驚愕の表情を浮かべるも、当のジャニュは特に驚いた様子もなく、身体強化を施した脚力を使って地を蹴ると、一気にジュライとの距離を詰めてくる。
 そんなジャニュに、ジュライは圧縮した空気の塊をぶつけて押し返す。

「おっと」

 その衝撃に抗わずに逆に後方へと跳んで飛ばされたジャニュは、空中で一回転して着地すると直ぐに体勢を立て直して、同時に発現させていた圧縮した空気の塊をジュライ目掛けて射出した。
 しかし、その不可視に近い魔法も、射出した直後に分解されてしまう。
 ジャニュの魔法が分解されると同時に、ジャニュを中心に氷出来た天蓋が下りてジャニュを閉じ込めると、そのまま氷の天蓋が急速に縮まっていく。
 天蓋はジャニュが身動きできない大きさまで縮まったところで動きを止めるが、それではジャニュを拘束することは叶わず、ジャニュは自身に纏った炎で急速に氷の拘束具を溶かしてしまう。

「いいねぇ。期待以上だ!」

 ジャニュの笑みが少し妖しいモノに変わっていく。そこですかさずジュライが魔法を発現させると、ジャニュは今度は狭い結界の中に閉じ込められてしまった。

「グゥっ!」

 その窮屈な牢を破ろうと力を込めて攻撃するジャニュだが、かなり強固な結界であるために、強化した肉体でいくら足掻いても破る事は叶わない。ジャニュは手段を変えて自爆覚悟で魔法で結界を攻撃してみるも、結界はビクともしなかった。
 暫くそうやって足掻いていたジャニュではあったが、脱出不可能だと判断すると、諦めて降参する。
 それを受けてジュライはジャニュを閉じ込めていた結界を解いて、ジャニュを解放した。

「やっぱり強いわね。流石は期待されていただけのことはあるわ」

 身体を軽く動かして感覚を確かめながら発したジャニュの何気ない一言に、ジュライは反応をみせる。

「期待されていた、ですか?」
「ん? ああ、ジュライは母様のお腹の中に居た時から強大な魔力の持ち主であることが分かっていたのよ。それは・・・期待もされるわよ」
「そうですか・・・」

 それにジュライは少し視線を下げ、一瞬だけ自嘲するような暗い表情を浮かべる。しかし視線を下げていた為に、ジャニュも似たような表情を浮かべていた事には気がつかなかった。

「・・・では、兄さんと交代しますね」
「ええ。分かったわ」

 そう告げると、ジュライは自身の内側に集中する。そのまま数秒の後に雰囲気が急変し、それに伴い世界が凍り付いたような錯覚を周囲に抱かせた。

「イヒッ」

 その心臓を掴まれたかのような空気に、ジャニュは短く奇妙な声を上げる。
 しかし周囲の者達はそうはいかず、明らかに異質なその雰囲気に小さく悲鳴を上げると、小刻みに身体を震わせながら、怯えて一歩下がった。そんな中でも前にオーガストに会った事があるだけに、ウィリアムだけは息を呑んだだけでその場から動かなかった。

「・・・・・・」

 ジュライからオーガストに変わると、オーガストはその冷たい眼差しで一度周囲を見渡す。そして目の前のジャニュでその目を留めた。

「お久しぶりですね。姉さん」
「ええ。本当に!!」

 無表情で無感情なオーガストの言葉に、ジャニュは興奮で僅かに揺れる濡れた声で応える。

「姉さんは変りませんね」

 オーガストはそれに動じることも引くこともせずに、平板な声音でそう返した。

「ええ。ええぇ! だから、早速戦いましょう!!」

 ジャニュは興奮した妖しい雰囲気で独り盛り上がると、そう離れていない距離から問答無用で魔法を発現させようとする。
 しかし、その魔法は発現どころか、微かな発現の予兆さえも許されずに消滅する。それと同時に、部屋に鈍く大きな音が響く。それはジャニュが床に叩きつけられた音であった。

「ぐううぅぅぅふふふふッ!!!」

 それで指一本動かせない状況に陥るも、ジャニュはそれに歓喜の声を上げる。息をするのも難しいというその状況で、ジャニュは息を荒げて恍惚の表情を浮かべている。

「本当に相変わらずですね」

 そんなジャニュを、オーガストは路傍の石でも見るような、興味の欠片もない目で見下ろしつつ、どうでもいいような声音でそう告げた。

「はぁ、はぁ。もっと、遊びましょぉぉう!!」

 ジャニュはオーガストを情欲に濁ったような瞳で見上げると、粘つく様な声音でそう切願する。

「いえ、お断りします」

 オーガストはそれを興味なさげに見下ろしたまま無感情にそう告げると、ジャニュを押さえつけている魔法を解いてから、首の向きを動かして別の人物に目を向けた。

「ヒッ!!」

 オーガストが顔を向けた事で、そちら側に居た使用人の一人が堪らず悲鳴を漏らす。他の使用人もほとんどは同じ気持ちなのだろう、そんな非礼を咎めるどころか、同じように表情が強張っている。何せ、ジャニュの痴態を見てもそれを気にする余裕さえないほどなのだから。
 特にオーガストが目を向けている先に居るパトリックは、震えながらウィリアムの脚の後ろに隠れて、その身の大部分をオーガストの視線から隠してしまう。それでも好奇心からか、覗き込むように少しだけ顔を出していた。

「ど、どうしたのかな? オーガスト君」

 そんな二人の視線上に立つ事になるウィリアムが、困惑したようにオーガストに問い掛けた。

「・・・・・・」

 しかしオーガストはそれに言葉を返すことも、目を、いや僅かな意識さえも向けずに、パトリックを視界に捉えたままゆっくりと近づいていく。
 その様子に、ウィリアムとパトリックの前に護衛を兼ねている使用人の二人が震えながらも立ちはだかる。
 そんな二人を、オーガストはやはり気にも留めない。
 近づいてくるオーガストに、パトリックは顔を引っ込める。それでオーガストの視界から隠れたはずなのに、パトリックは隠れられたとは微塵も思えなかった。

「・・・オーガスト?」

 オーガストの背に、変態から母親に戻ったジャニュが声を掛ける。しかしその声音は、ただどうしたのかという不思議そうな響きだけで、警戒や不審の響きは全く無かった。
 そんな周囲の事など気にも留めないオーガストは、ただ一直線にパトリックとの距離を詰めていく。

「と、止まれ!」
「い、いくらジャニュ様の弟君でも、そそ、それ以上近づく事はゆ、許さないぞ!」
「ま、待て!」

 武器に手を掛け、魔法を展開しようとする護衛の二人を、ウィリアムが慌てて制止する。
 ウィリアムは気づいたのだ。護衛の二人に攻撃の意思が乗った瞬間、初めてオーガストの意識が僅かに二人に向いたことに。

「攻撃するな! 彼は大丈夫だ、道を空けて二人は下がりなさい」
「で、ですが!」
「いいから下がりなさい!」

 ウィリアムのその言葉に、護衛の二人は当惑しながらも、少し横に逸れた。
 それでオーガストの意識が二人から外され、ウィリアムは密かに胸を撫で下ろす。
 元々ウィリアムとオーガストは面識があったのだが、それに加えてジャニュから話を聞いたことにより、オーガストは敵対者に容赦はしない性格だと確信していた。それは例え王や皇帝相手であっても変わらない。それに、オーガストは世界を敵に回して圧倒出来得る力の持ち主でもあるのだ、わざわざ破滅が確定している道に踏み込む必要はない。
 そしてオーガストはウィリアムの前に立つと、膝を折ってパトリックの目線に自分の目線を合わせる。

「え、あ、う・・・」

 じっと見詰めてくるオーガストのその感情の感じられない眼差しに、パトリックは今にも泣き出しそうな顔で、助けを求めて周囲に顔を向ける。

「・・・やはり君は強いな」
「・・・え?」

 そこでオーガストの平坦な声で発せられた一言に、パトリックは全てを忘れて呆けた表情でオーガストの顔を見返す。

「ふむ。君は将来的には両親さえ足下にも及ばないほどの魔法使いになることだろう。今は身体が弱いようだが、それも順調にいけば、あと五年程か。それから本格的に訓練を始めたとしても・・・両親を超えるのは、まぁ十五年前後といったところか。精進し給え。何も成長は君だけの特権ではないのだから」

 それだけ言うと、オーガストは立ち上がりパトリックに背を向ける。

「あ、あの・・・!」

 その背にパトリックの声が掛けられる。まだ戸惑いはあるものの、何故だかもう怯えは無かった。
 パトリックのその呼び声に、オーガストは肩越しに顔を向ける。

「その」

 ウィリアムの後ろから前に出るパトリック。

「ぼくはもっと早く強くなれないでしょうか!?」
「何故? その身体で無理をすれば、成長の芽を摘むことになるよ?」
「その、ぼくはこの家の嫡子です。でも、弱いから、誰もぼくの事をそれにふさわしくないと思っています。それが悔しくて、父様や母様に申し訳なくて・・・」
「・・・パトリック」

 服の裾を掴み、涙を堪えるパトリックの姿に、ジャニュが名前を呟く。ウィリアムも似たようなものであった。周囲の使用人達もどこか申し訳なさそうな表情を見せる。

「で? 認められたいから強くなりたいと?」

 そんなしんみりとした空気の中、オーガストは変わらぬ声音で問い掛ける。

「はい!」
「なら五年待てばいい。何もしなくてもそれで君の下地は整う」
「五年は・・・長いです」

 パトリックは現在八歳だ。そう遠くないうちに更に一つ年を取るが、それでも九歳。そんな子どもの五年が、大人の五年と同じはずがなかった。

「それは君が強いのだからしょうがない」
「え?」
「君の身体はその力に耐えられないから弱っているだけ。あと五年成長すれば、何とか受け入れるだけの身体が出来上がる。だからあと五年待てばいい」
「でも・・・もう、嫌なんです」

 それは振り絞るような小さな声だった。しかし、その場に居た者にはそれが悲鳴に聞こえた。普段大人しく聞き分けのいい少年が出した、助けを求める声の様に。
 その場に居た誰もが胸を締め付けられるような思いを抱くも、それでもオーガストには微塵も響かない。

「そうか。だがそれでも我慢するべきだ。ま、歪んでもいいなら無理すればいいさ。実際、君は若干歪んでいる。無理に訓練しているようだしね」
「え?」
「パトリック?」

 起伏の無い声音で告げられた言葉に、パトリックは僅かに動揺を見せる。それに、ウィリアムが心配そうに声を掛けた。しかし、それは少年の耳には糾弾されたように感じたらしく、びくりと肩を跳ねさせる。

「あ、いや、それは、あの・・・」

 激しく動揺するパトリックに、ウィリアムはしゃがんで目線を合わせると、「大丈夫」 と言って、安心させるようにその小さな背を撫でるように優しく叩いた。

「用は済んだかい? それじゃあね」

 そんな二人を見たオーガストは、興味が失せたようにそう告げて顔を前に戻す。

「あ! いえ、あの!」

 しかし、再度パトリックがその背に声を掛けた。

「・・・・・・」

 それにオーガストは無言で顔だけを向ける。

「貴方でしたらどうにか、・・・できませんか?」

 恐る恐るのその問いに、オーガストはじっとパトリックをその冷たい目で見下ろす。

「どうにか、とは?」
「えっと・・・強く、せめてこの身体だけでも、魔力を受け入れられるだけの強い身体に出来ませんか!?」
「・・・それは簡単だ。だが、何故僕がそれをやらなければならない? 時間が解決する問題だというのに」
「それは、貴方以外に誰も出来ないから・・・」
「誰も出来ない、ね。なら自分でやればいい。君になら可能だろうさ」
「え?」
「僕は君ほど才に恵まれなかった。だが、努力したら君が望んでいるものを手に入れられた・・・まあそれも失ったがね」

 最後にぽつりと呟かれた一言は誰の耳にも届かなかったが、オーガストの言葉に、パトリックは己を恥じるように下を向く。

「だ、だが、パトリックは無理が出来ないのだろう?」

 そんなパトリックに代わり、ウィリアムが声を上げる。

「ええ。ですが、その程度であれば、無理の範疇ではありませんよ」

 しかし、それにオーガストは冷たくそう言葉を返す。
 オーガストの言葉に、ウィリアムは口ごもる。
 そもそもパトリックにとって何が無茶で、何が無茶ではないのかの基準がウィリアムには分からないのだから。
 口を閉ざした二人にオーガストは完全に背を向けると、床に倒れたままのジャニュの許に寄る。

「いつまで寝てるので?」

 ジャニュの前に立ったオーガストは、その人が殺せそうなほどに冷たい眼差しでジャニュを見下ろしながら問い掛けた。

「んー、もっと遊んでくれないかなー? と思ってね」

 そのくだらないものでも見るような冷えた眼差しにゾクゾクと身体を震わせながら、ジャニュはゆっくりと立ち上がる。

「さて、はぁはぁ。ンン、ゴホン。オーガスト、私からもお願いするわ、パトリックの願いを聞き入れてくれないかしら?」
「・・・・・・」

 オーガストはジャニュをじっと見詰める。その無機物の如き輝きの瞳からは、如何な感情も読み取れない。それでも、ジャニュには何となくオーガストが言いたい事が理解出来た。

「ええ、そうね。私は貴方がどれだけ努力してきたのかも、どんな境遇の中で生きてきたのかも知っている。・・・恥ずかしいけれど、私もはじめは外側から眺めていただけだったもの・・・」
「それで?」

 恥じ入るように少し顔を伏せたジャニュに、オーガストは続きを促す。

「それを知っていて、尚お願いします。パトリックの、息子の願いを聞き届けてはくれませんでしょうか?」

 先程までとは打って変って何処までも真摯な響きを乗せて、オーガストへと深く頭を下げるジャニュ。

「・・・・・・」

 オーガストは少し首を動かし、視界の端にパトリックの姿を捉える。

「くだらない」

 そうしたうえで、そう一言で断じた。
 その一言はさほど大きな音量ではなかったし、今までと同じ平坦な声音であったのだが、不思議と室内の全ての人間の耳に届き、そしてそれを耳にした全ての者がゾッとして全身粟立つほどの怒りが含まれている様に感じられた。
 そのあまりの恐怖に全ての者が硬直し、失神しそうなほど呼吸が浅くなる中、オーガストは静かにパトリックへと近づいていく。

「ああ、実にくだらない」

 どこまでも平坦で無感情な声音。しかし、初めて感情を露わにしたかの様に、周囲はその言葉から確かに怒りや苛立ちを感じていた。
 パトリックに近づくオーガストに対して、今度は護衛の二人は指一本も動かすことが出来なかった。そこに在るのは圧倒的な恐怖。呼吸どころか鼓動さえも止めて存在を消したいと芯から思うほどの恐怖。だが、何故だか誰一人として気を失うことが許されていないかのように、意識がはっきりとしていた。
 一歩、また一歩と、まるで死神の歩みの様にさえ感じるそれに、パトリックは気を失う事も鼓動を止めることさえも許されずに、ただただ涙を流して静かに泣いていた。しかし、口にした事への後悔だけはしていなかった。あれは紛れもない本心なのだから。
 そんなパトリックを、ウィリアムは守るように強く抱きしめる。それはきっと無意味な抵抗だが、誰も動けぬ現状で唯一抵抗を試みた行動だった。
 そしてオーガストがパトリックの元に辿り着く。

「・・・・・・」

 オーガストは前回と同じように膝を折ると、パトリックに目線を合わせてくる。そのままパトリックの心の全てを覗きこむかの様に、瞳を合わせ続ける。
 その時間は精々数秒程度だっただろう。しかし、覗かれた当人にしてみれば、何時間も見詰められ続けたように感じられた。

「いい覚悟だ」

 小さくそれだけ言うと、オーガストは立ち上がりパトリックに背を向ける。

「ほら、もう身体は大丈夫でしょう?」

 背中越しのオーガストの声に、パトリックは最初何を言われたのか理解出来なかった。しかし、じわりと沁み込むようにゆっくりと理解すると、パトリックは恐る恐る己が身体を動かす。

「!!!!!」

 それは今までの自分の身体とは違い力強く、それでいて軽かった。なによりも、内から力がどんどんと湧き上がるのがはっきりと理解出来た。

「あ、ありがとうございます!!」

 パトリックのその大きな声で束縛が解けたかのように、全員の時が動き出す。

「ほら、これで文句はないでしょう?」

 ジャニュの前に戻ってきたオーガストは、無感情に見下ろしながらジャニュにそう告げる。

「あ、ああ! ありがとう。本当にありがとう」

 深く、感謝の気持ちをこれでもかと込めた礼と共に、ジャニュは泣きそうな声で感謝を口にする。

「・・・いえ、礼など要りませんよ。それよりも、そろそろお仕事の時間ですよ、姉さん」
「え?」

 オーガストの言葉に、顔を上げたジャニュはどういう事かと首を傾げた。そこに、ドンドンドンドンという荒々しく扉を叩くけたたましい音が響き渡った。それとともに、扉越しでもはっきりと聞こえるほどに大きな男性の声が届く。

「ジャニュ様は、ウィッチヒロ・ジャニュ・デューク・レイド・ワイズ様はこちらにいらっしゃいますか!!?」

 その明らかに緊迫した声に、ジャニュもウィリアムも他の全て使用人達も表情を引き締めたモノに切り替える。ただ、涙を拭いたパトリックだけは困惑した表情を見せていた。

「通せ!!」

 ジャニュの許可に扉近くの使用人が頷き、その扉が開かれる。
 開かれた扉から入ってきたのは、北門に居る兵士が着こむ軍服と似ているが、細かいところの形が違う軍服に身を包んだ男性であった。

「ウィッチヒロ・ジャニュ・デューク・レイド・ワイズ様! こちらに在らせられましたか!」

 軍服の男性の言葉に、ジャニュはすぐさま用件を尋ねる。

「挨拶は不要。何があった?」
「ハッ! 今しがた北門の警固から連絡があり、魔法による攻撃を受けていると!」
「何処から、何者が?」
「北の森からで、何者かは判りません。しかし、あまりに強力な魔法である為に、大結界が破れたようです!」

 その報告に、使用人達がどよめく。

「それで、皆は無事か!?」
「死傷者は出ていないようであります!」
「魔法攻撃は止んでいるのか?」
「いえ、依然として続いていると」
「・・・北門の魔法使いだけで防げているのか?」
「いえ、それが・・・」

 そこで男性は言い淀むと目を泳がせる。そこでやっとオーガストの姿を認め、更に困ったような顔をみせる。

「これは私の身内だ、問題ない。それで、どうした?」
「ハッ、それが・・・黒い衣装に身を包んだ少女が一人でそれを防いでいると」
「黒い衣装の少女?」

 男性のその説明に、ジャニュは一瞬記憶を探る。

「・・・他にその少女の特徴は? 報告にあったもの全てを答えろ」
「ハッ。腰辺りまで伸びた黒髪で、黄色の縁で彩られた丈の長い漆黒の衣装を身に纏い、黒い靴を履いていたそうです。それと、服とは対照的な白い肌だったとも」
「そうか・・・まるっきり一緒だな」
「その少女をご存じなのですか?」
「漆黒の聖女」
「は?」
「ハンバーグ公国でつい先日同じように大結界が破られた騒ぎがあったらしい。その際に何処からともなく現れ東門を護ったのが、お前が今報告した人物と同じ特徴の少女で、ハンバーグ公国の兵士達の間では漆黒の聖女、もしくは漆黒の天使と呼ばれているらしい。ああ、他に漆黒の女神と漆黒の救世主なんてのもあったか」
「そんな事が・・・」
「それだけじゃないぞ。その漆黒の聖女様は、去り際に壊れた大結界を修復されていったらしい」
「・・・では、どういたしましょう?」
「私が出る。一応北門の魔法使い達には防御に専念するように伝えておけ。それと、念の為に私の部隊も北門に急行させておけ。私は先に向かっている」
「ハッ! ご武運を!」

 軽く頭を下げると、男性は急ぎ足で去っていった。

「・・・さて」

 扉を閉め、使用人やウィリアムとパトリックが動揺しているなか、ジャニュは視線をオーガストに向ける。

「知っていたな。オーガスト?」
「ええ。勿論です」

 ジャニュの確認の問いに、北門の方に顔を向けているオーガストは当たり前だとばかりに頷いた。

「それで、誰が攻撃してきている? それに漆黒の聖女とは何者だ?」

 クロック王国最強位としてのジャニュの問いに、オーガストは少しジャニュの方に目を向ける。

「攻撃しているのは魔物ですよ。まぁ中には魔族の魔法も含まれていますが」
「魔物が大結界を破るほどの魔法を!? それに魔族?」
「・・・ああ、そこから説明しなければいけないのですか。無知とは面倒なものですね」

 そう呟くと、オーガストは僅かに思案する間を置き、口を開く。

「魔物の中には強力な魔法を行使する者は居ますよ。ただし、一定以上の強さが必要なので、普通はこの辺りじゃ関係ありませんが。あと、魔族はその魔物を追ってきたモノですが、森の外に軍隊を展開しているので居ても不思議ではないでしょう?」
「なッ!」

 オーガストの色々と端折った簡素な説明に、室内に居る全ての者があまりの衝撃に顔を強張らせる。

「ああ、あとその漆黒の聖女とやらは、僕ではなくジュライの関係者ですので、ご心配なく」
「・・・ジュライの?」
「ええ。東門も北門もジュライの指示で護ってる訳ですし」
「そうなのか?」
「で、どうします?」
「は? 何がだ?」
「僕は今からその魔物に会いに行こうと思うのですが、姉さんはどうします? 一緒にきますか?」
「今からって、どうやって?」
「転移すれば一瞬ですよ?」
「転移・・・」
「転移がいやでしたら空間を接続しましょうか?」
「ど、どういう・・・」
「簡単に言えば、その扉を開けたら目の前に北の森が広がっているという事です」
「な!」

 オーガストの説明に、全員が先程軍人の男性が去っていった扉に目を向ける。

「いえ、今はまだ繋げていませんので。それにわざわざ扉と繋げずとも、ここに道を繋げればいい――」
「て、転移で頼む!」
「そうですか? では飛びますよ?」
「あ、ああ」

 ジャニュが頷くと、オーガストとジャニュの姿が一瞬で室内から消えた。





 オーガストとジャニュが転移してきたのは、北の森と平原の境目付近であった。

「うっ?」

 到着と同時に感じたあまりにも濃密な魔力の塊に、ジャニュは顔を顰める。

「魔物が垂れ流している魔力です」
「こんな濃さの魔力をか!」
「ええ。ついでに言いますと、自我も失って暴走状態ですので気を付けてくださいね」
「は!?」

 オーガストの突然の補足説明に、ジャニュは驚愕から口をあんぐりとあける。

「ではいきますよ」
「ちょっ、待っ!」

 そんなジャニュを特に気にするでもなく、すたすたと森の中に入っていくオーガストの後をジャニュは慌ててついて行く。こんな場所で置いてけぼりにされるのは、流石のジャニュでも心細かった。





 オーガストを先頭に、北の森の中に入っていった二人。
 森の中は濃霧でも発生しているかと思いたくなるほどに密度の高い魔力が充満していて、視界が悪かった。

「魔力が濃すぎて何だか気持ちが悪いわね」

 口元に手を当てて、ジャニュがそう口にする。所謂魔力酔いというやつで、普段薄い魔力の中に居る為に、あまりに濃い魔力の中では当てられて感覚が少し狂ってきている状態であった。とはいえ、魔物や魔族の魔力に当てられた状態とは違うので、変化は気分が悪くなる程度だが。

「・・・これで大丈夫でしょう?」
「・・・あら、本当だわ!」

 特に振り向きもせずにオーガストが背中越しにそう言葉を投げると、ジャニュはさっきまでの気持ち悪さが嘘のように晴れやかな気分になる。

「はぁ。相変わらずオーガストはとんでもないわね」
「別に化け物と呼んでくれてもいいんですよ」
「私は貴方をそう呼んだ覚えは一度もないわよ?」
「ええ知っていますよ。姉さんは常に無関心でしたものね」
「・・・あれは・・・申し訳ないと思っているわ」
「いえいえ。あれは単に姉さんの視界に入らないほどに僕が弱かっただけですよ・・・それは今もですが」
「・・・本当に悪かったと思っているのよ」
「別に気にしていませんよ。彼を、ジュライを前に出してからは、母も兄や姉達も面白いぐらいに好意的になりましたし。本当に、人間というモノは単純で興味深いですね」
「・・・・・・」

 その何処までも平坦で無感情な声音は他人事のようともまた違い、誰かが書いた興味のない文章を何となく読んでみただけのような、木の洞の中でも覗いたような虚無的な印象を受けた。
 そんなオーガストに、ジャニュは胸に棘でも刺さっているような痛みを覚える。言葉にするならば罪悪感だろうか。それは、オーガストがこうなる前に助けられたかもしれない位置に居たからこその苦悩。

「さて、そろそろ目的の場所に到着ですね」

 森の中に入ってそう経たずに辿り着いた先には、奇妙な存在が居た。
 人間のモノに似た胴体、鳥類を彷彿させる細く長い脚、獣のそれによく似た太く猛々しい腕、そんな胴体の上に乗っているのは、鋭い牙を剥き出しにした猛獣の頭。それでいて全体的に無理矢理肥大化させたような歪な大きさをしている。
 その存在を囲むようにして対峙しているのは、人間に似た外見の存在。ただし、内包している魔力量は人間とは桁が違う。然しものジャニュとて今少し及ばない存在。そんな存在が複数体居た。
 それだけではなく、そんな存在に混じって獣に似た魔物も一緒になって取り囲んでいた。
 ジャニュだけでは到底敵わない強者達ではあったが、オーガストはそれを微塵も気にする事なく近づいていく。
 その背の直ぐ後について行くジャニュは周囲を警戒だけはしているが、オーガストが目の前に居る為か変に緊張はなく、怯えることもなかった。
 奇妙な存在を囲んでいる強者達が、そんな暢気な闖入者に目を向ける。

「少しお邪魔しますよ」

 オーガストはジャニュの知らない言語で相手に言葉を投げると、強者の一人が僅かに怯えを見せながらも、威嚇して声を出す。

「な、何者だ!!」
「観戦者です。お気になさらずに続けてください」

 それにいつもの調子で返すオーガスト。

「チィ、お前のようなおかしな存在は必要ない。消えろ!」

 そういうや否や、それはオーガストに攻撃しようと魔法を展開させる。が、魔法の予兆があっただけで何も起きない。

「残念。さようなら、皆さん」

 オーガストが言葉を発し終わると、囲んでいた強者達は糸を切られた人形の如く地に伏していく。そうして倒れた時には、全員活動を停止させていた。魔物も全て魔力に還り、周囲に漂う魔力の霧の中へと消えていった。

「さて、邪魔者は消えたところで・・・」

 オーガストは囲まれていた奇妙な存在に近づくと、それは恐怖から威嚇の雄たけびを上げる。

「耳障り」

 ただ一言オーガストがそう口にしただけで、雄たけびはぴたりと止む。
 急に声が出なくなったことに驚きながらも、それは大量の魔法を展開させようとする。

「残念」

 それも一瞬の予兆だけで全てが無力化された。
 それは困惑しながらも、その丸太のように太い腕を近づいてきたオーガストに向けて振り下ろす。

「すみませんね。僕にはそれも届かないんです」

 振り下ろされた太い腕が途中で止まる。

「それにしても」

 オーガストがゆっくりとそれを見上げると、それは焦ったように顔を動かす。

「わざわざこんなモノを無駄な事してまで造ろうとはね」

 脚も動かないのか、オーガストがそれに触れようとしても、怯えるだけで逃げようとも攻撃しようともしない。

「それは何なの?」
「一応魔物ですが・・・、まぁ実験体ですね」
「実験体?」
「変異種とも呼ばれているようですが、これは自然にこうなったのではなく人為的に造られた存在ですので、実験体です」
「誰がそんな事を?」
「そこに倒れているではないですか」
「え?」

 ジャニュは周囲に倒れている、実験体を囲んでいた者達に目を向ける。

「あれは魔族・・・なの?」
「ええ」
「これが魔族・・・」
「見るのは初めてで?」
「え、ええ」
「そうですか」

 暫くオーガストは実験体の事を観察するようにじっと眺めると、満足したのか、おもむろに口を開いた。

しおり