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(一)

 勇者の死因、その大半が自殺であるという。
 そもそも、勇者に死は想定されていない。
 その強さから魔物に殺られる者など極僅かであるし、聖剣の担い手となった瞬間から不老であるため病や老衰とは無関係だ。
 九分九厘、命を糧に命を斬り裂くことに耐えられなくなって、自ら死を選ぶ。私の父も、祖父も、曽祖父も。例に洩れずそうだ。
 勇者の血脈である私の一族の運命、と言ってもいいかもしれない。
 そして父が死んだ日、私は聖剣を引き継いで勇者となった。勇者となってからは人と魔物を殺すだけの毎日で、随分と昔のことの様な先程のことのような不思議な感覚だった。勇者になってもう三年と幾月かが経つ。心はあの時から随分と変わったが、身体は聖剣の効力で十二歳の時のままだった。

 がたん、と。馬車が揺れた。
 もう何日乗っているだろう。固い腰掛けのせいで、お尻が痺れてきている。石造りの街道をこんなに怨めしく思ったのは初めてだ。
 馬の足音、時折入る鞭、車輪はガタガタ言うけれど、私の斜め前に座る使者は黙っている。何時間もずっとこのままで、大いに退屈であった。
 唯一、変わったことといえば、小さい窓から見える景色が何時間か前から畑になったことくらいか。麦であろうそれは、よく見れば小さな芽が吹いている。私は頬杖をついて、それをただ眺める。
 暇すぎるな。そう思って私は、溜め息を一つ吐いた。
 ネクスタを守った翌日、街の復興を手伝う私の元に一人の使者が来た。壮年の彼は会うなり私に慇懃な一礼をした。聞くに王都からの使いだという。彼曰く、今回の件で王が謝礼を出す、とのこと。
 貰う気は毛頭ないが、王直々の招待に行きもせずに断るのも失礼であるので、用意された馬車に乗り込み、王都へ向かうことになったのだ。
 各所で宿を取りながら、もう四日目。はっきり言って私の足なら走った方が早い。最早、飽きることにさえ飽ききっていいた。
 馬車はまた一つ、丘を越える。
「見えましたな」
 数時間ぶりに使者が口を開いた。
 何が見えたのか、と思ったのは一瞬で、直ぐに分かった。
 進行方向の先に長大な壁。王都に来るのは初めてだったが一目でそれが王都なのだと分かった。一見、近いようにも思えるのだが、私たちの進む道が針の先よりも細くなった更にその先に米粒のような門が見えている。
 私は山育ちで、これまで大きな街を見たことはなかった。いや、先日ネクスタを見はしたけれど、無残な姿だった。だから、しっかりと大きな街を見るのはこれが初めてなのだ。
「王都に来るのは初めてですかな? 勇者様」
 笑いが混じった使者のその言葉で、私自身が小さな窓に貼り付きそうになる程に顔を寄せていることに気付いた。少し、というかかなり気恥ずかしくなって、咳払いをしながら座り直す。
「まあ、そうですが」
 なるべく平坦な口調でそう返した。
 その後、三十分程度掛かって王都の巨大な門の前までやって来た。
 銀色の厳めしい甲冑を身に着けた兵士たちに敬礼されながら、その門を潜る。
「ようこそ、勇者殿。王都ファステルへ」
 壁の中に、都の中に広がっている世界は、混沌だった。
 貴婦人が道に横たわる老爺に銀貨を渡したかと思えば、それを十歳くらいの子供が奪い、走り去る。逃げる子供が露店の籠を蹴飛ばし、店主だろう小父が怒鳴り散らす。その怒声に通りすがりの女が驚いて、尻餅をつき、抱えていた林檎を転がす。色男がその林檎を拾うと、立ち上がろうとする女に手を貸す。その隣でギターを抱えた青年が目を瞑り、華麗な音色を響かせている。
 独特の空気感だった。猥雑としていて騒々しいが、街全体は平然としていて、これがここの日常なのだと分かった。
 私が都の様子に見惚れていると、使者が口を開いた。
「二十年程前から、魔物の侵攻が酷くなって、都も随分と様が変わりましてな」
「以前はこうではなかったのですか?」
「もっと雅で、息の詰まる街でした」
「この街が、ですか?」
 現状からは少し信じ難くて、私は彼の言葉を少し疑う。
「ええ、この街が、です」
「少し想像できません」
「そうでしょうね。賑やかで、面白いでしょう」
 使者は楽しそうにクククと笑った。
「王はもう少し何とかしたいと考えておりますが……、私は今のこの街が気に入っております」
 使者は愛おしそうに外を見ていた。
 それから暫くも経たない内に私は王城の前に着いて、馬車を降りた。
 王城は城というよりも邸に近い感じだった。質素で物静かな雰囲気だが、それが上品だ。
 城の中に入ると、すぐに大きなホールで、二階まで吹き抜けている。正面の二股になった階段。
 老朽化が進んでいるようで、かつては白かっただろう床板も飴色へと変化している。私がブーツで床を叩くと、小気味の良い音が鳴った。
 二股階段の間の扉を使者が控えて言った。
「この先で王がお待ちです」
 恐らくこの先が玉座の間なのだろう。
 私が軽く頷くと、使者は扉を開けた。僅かに軋み音を立てながらも抗うことなく、それは開いた。
 私はゆっくりと玉座の間に足を踏み入れる。足下に臙脂色の長い絨毯、それは部屋の真中に敷かれていて、数段の階段を経た先の玉座から伸びている。
 階段の手前には十二貴族と言われるこの国の各地方の為政者が直立で控えて、玉座には王がゆったりと腰を下ろしている。金糸で刺繍された白色のドレスに緋色マント、頭に載る王冠は豪勢だが決して下品ではない。
 けれど、私がその人が王だと理解したのは、その華美な恰好や玉座にいたということからではない。その容貌だ。
 蓄えた白い髭、深く刻まれた皺、凛然とした目。
 例え襤褸切れしか纏ってなくても、王だと分かるだろう。
 場にいる誰もが華美でないながらも、洒落た服装だった。対する私は、白いワンピースに黒のローブと革のロングブーツ、背中には聖剣といういつもの服装で、しかも少し埃っぽい。
 バツの悪い感じがして、恥ずかしかった。少し頬が火照っているのを感じる。しかし、最早どうしようもなかった。
 私は作法を知らない。山奥の生まれだし、父も母も王の前での作法など教えてはくれなかった。
 仕方がないから、なるべく淑やかに歩き、階下の五歩手前で止まる。そして、王を真っ直ぐに見つめて私は名乗る。
「勇者、アルマです」
 王は表情を柔和なものへと変え、口を開いた。
「よくぞ参った。勇者、アルマよ」
 王は玉座から立ち上がり、階下へと降った。何をしているのかわからずきょとんとしていると、十二貴族が腰を下して立膝で控えたので、私も慌ててそれに習う。
「そう構えずとも良い」
 落ち着いていて、柔らかい口調だった。ほんのりと温かい気がする。
 そうは言われても姿勢を崩すわけにもいかないので、そのままでいると王はまた口を開いた。
「随分と幼い時に勇者となったようだ。見た目は少女、苦労も多かろう」
「十二の時に勇者となりました。外見こそ変わりませんが、今は十五になります」
 なるべく簡潔に、そして丁寧に答える。
「十五の少女がネクスタを……。勇者、アルマよ。ネクスタのこと、深く礼を言うありがとう。その上で何か謝礼を……」
 そういうと、私に深々と頭を下げた。
 貴族たちが王のその行動に小さくどよめいた。私は顔を上げ、淀むことなく答える。
「私は、勇者として当然のことをしたまでです。お言葉はありがたく頂戴しますが、謝礼などは結構です」
「だろうな。そう言うと思ったよ。そういうところ、父君にそっくりだ」
 王は品良く笑うと、懐かしむように視線を宙にやった。
 王は父が勇者だった時を知っているのだろうか。私は僅かも勇者だった時の父を知らなかった。自身が勇者の血脈にあることも勇者になるその日まで知らなかったのだ。勇者に関して、聖剣を託される時、即ち、父が自死を選ぶ時に話されたことしか知らない。聖剣に宿る不老の力と魔物を屠るための儀式の二つの仕方。それだけだ。
「王は私の父を、知っているのですか。父が、勇者だった時のことを」
「何も聞かされていないのか……。まぁ、当然か」
 王は一瞬目を伏せた。そして、深く息を吸い込み、また口を開く。
「立派な勇者だったよ。父君、勇者アーサーと初めて会ったのは余が九つのときだった。君と同じ灰色の、意志の強そうな目が印象的だったよ」
 王は語り始めた。
 父は二百年以上に渡り、勇者として魔物を屠り、侵攻を食い止め、人々を救い続けていた、と。魔物の大きな侵攻を食い止める度に王城に呼び出し、謝礼を渡そうとしたが「勇者として当然のことをしたまで」と一言残して、立ち去っていったこと。三十年前に先代の王から今の王に変わろうとも、何も変わらずにこの国を守り続けたこと。
「アーサーは立派な勇者だったよ」
 その言葉で王は締めた。
 二百年……。きっと莫大な数の魔物を屠ったのだろう。そしてそれは、まったく同数の人間の命も奪っているということだ。
「私はっ」
 十二貴族の一人が口を開いた。その声は怒りを含んでいる。ちらりとそちらに視線をやると、三十歳そこそこの男。立ち並ぶ貴族の中では最も若かった。南方の生まれだろうか、黒い肌でくっきりとした目鼻立ちが特徴的だった。
「王、私は許せませぬ。先代勇者アーサーは逃げ出しました。ある日、突然。そのせいでっ、そのせいで領民は飢えて、苦しみ、傷ついて、そして……。国だって衰えた。十九年前にアーサーが逃げ出してから国土の二割以上を失って、国民だって。私は、私はっ」
「止めよ」
 王は静かに、しかしはっきりとそう言った。
「しかし……、私は……」
「余は止めよと言ったのだ」
「く……、はい」
 王は少し冷たい声音で言った。静寂と緊張が場を飲み込む。私は何も言うことができずに、ただ顔を伏せる。
 暫くして、王はゆっくりと息を吐きだした。
「確かにこの十九年で多くを失った。土地も、物も、人も、多くを失った。しかし、アーサーのせいではない。失っていくものをただアーサーは守ってくれただけなのだ。……アーサーは重いものを唯一人で背負い続けてくれた。守ってくれたことに感謝こそすれ、それを放棄したからと言って彼を責めることなど到底出来ぬ」
 重い空気がひしと肌にのしかかる。
「それに、アーサーのいた時でも少しずつ失っていたのだ。彼も全てを守れたわけではない」
 そうだ。勇者の身体能力を以ってしても、国の端から端まで丸一日掛かる。侵攻の規模にもよるが、小さな村などは、到底耐えられない。私も何度も、間に合わないことがあった。全てを救えるなど、ありえない。
 王は唐突にぽつりと言葉を落とした。
「……アルマよ、知っているか。遥か数百年前から人間の数より魔物の数の方が圧倒的に多いらしい。これがどういうことか聖剣を持つ者ならば分かるだろう」
 人間より魔物の方が多い。その言葉は、私の頭蓋を強く打った。視界が明滅する。
 それは即ち、どうやっても人間の滅びという運命からは逃れられないということだった。
 聖剣は人一人の命の代価に魔物一体を切り裂く。一死一殺の呪い、あるいは祝福。それが神との約束。代価がなければ、ただの鉄剣だ。魔物の硬い肌には通らない。
 父のやってきたことも、私のしていることも、ただの延命治療に過ぎないのか。
 人間は少しずつ失って、そして最後に消えて無くなるのか。
「勇者アルマよ、止めたくなったらすぐ勇者など止めよ。聖剣など折ってしまえば良い。幸せな終わりは来ぬ。全ては早いか遅いか、それだけなのだから」
 私の影は次第にぼやけて、じっと見ている内に臙脂色の絨毯と区別がつかなくなった。

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