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見つめるもの

 しっちゃかめっちゃか。母親の頭はマドラーかなにかでかき混ぜられてしまっているようだった。母親も祟りについて理解しているのは分かったけれども、サチ姉を生かし続けようとする思惑も分かったけれども、タクトを殺したがる理由は点で意味が分からなかった。なにがタクトを恨むに至らしめたのか。理解できないのだった。
 朝は親と顔を合わせなかった。いつも以上に早く起きて弁当を作って、だが母親に食べられると思うと鳥肌が立ったから朝食は作らなかった。家を出るときも部屋の窓から出て玄関の靴を取りに行った。
 タクトは家を出てからずっとひどい違和感に襲われていた。だれかに見られている気がする。庭でだれかの骨を見つけた直後にあったような、ただそこにいるだけで息が詰まってしまいそうな感覚。熱くもないのに汗がにじみ出てくる。陽気な連中が話しかけてきたのだけれども、連中もまた不快感をあらわにしていた。今日は一体どうしちまったんだい、おいお前、声が聞こえてるんだろ? オレたちに説明してくれよ。連中の声はどこかおびえている感さえあったが、タクトは答えを用意できなかった。
 学校でもタクトを見つめるなにかが居座った。具体的にどこから、というのはないのだけれども、見られている。自分の視界の外というのもあって、しきりに背中の方を気にしていたのだけれども、そこに見えるのはいつもの光景であったし、ほかの場所からやってくる視線がタクトをチクチクと刺していた。
 授業がはじまって同級生が全員席について、教師は熱弁をふるっている中でも、視線は消えなかった。連中の一種であるのは感じているのだけれども、しゃべりかけてくる連中とは明らかに性質が違うので、とても気味が悪い。どうして連中は話しかけては来ないで、ひたすらに見つめ続けているのであろうか。いや、睨み続けているのであろうか。
 骸骨の発掘がタクトに連中との接点を、アヤメとの接点をもたらした。因果関係の真偽はともかくとして、事実、あの日を境にして奇妙な事柄が幾度となく起きて、アヤメが部屋で酒を飲んでいた。
 今回も同じことが起きているのでは、タクトは考えにどんどん身を沈めていった。母親の狂気に触れたのが昨晩だった。それでこの息がつまるような感覚である。睨みつける目が話しかける連中やアヤメと同じであるとすれば、睨みつける連中は母親のキチガイじみた振る舞いに触発されたと考えられよう。それにこの視線は悪意に満ちている。温かいまなざしとは程遠い、冷たい、突き刺さるような、痛みと苦しみをもたらすのだった。
 視線は、母親に怒っている。タクトにはそうとしか思えなかった。激しい感情を、血のつながりがあるタクトに示している。どうしてタクトなのか。母親は連中のことを感じ取れないからか? 呪われた一族の人間だからか? 祟られた神の神代だからか?
 タクトの直感は全てを是とした。恐ろしい視線たちは一族を祟る張本人だ。長女――サチ姉が一一家を殺すのを望み、死ぬのを望み、一族の破滅を願っている目。アヤメの呪詛によって破滅させられた人たちがタクトを見ている。自らを壊した人間が壊れてゆく姿を今か今かと待ち構えている。
 母親の願いはサチ姉を生かし続けること。祟りに抗おうとする姿勢が目の力を強くさせた。それだけじゃない、母親は祟りを黙殺した。サチ姉を生かすのが至上命題のような振る舞いは、先祖が買ってきた恨みや行ってきたことの数々を全て排除してしまうものだ。呪詛によってその生活をグチャグチャにされた人たちの気持ちをないがしろにしてしまったのだ。
 血がつながっているからといって母親の味方をするつもりなんて毛頭ないのだけれども、とはいえ人間でない連中の欲求を満たすのもまた困りものだった。数ある目を満足させるためにはサチ姉がしたいようにさせればよい。一家を殺し、アヤメの呪詛によって自らの灯を消し去ってしまう。けれども、これでは本当の意味で連中を満足させられはしまい。一族の者がひとり、取り残されるのだ。
 アヤメ。人間や連中――死霊と同じ身分ではないけれども、一族の血を引く者であるし、一族のどの人間よりも当事者である。アヤメは実際に願われた呪詛を必ずなされるものにしてきたのだから、タクトや母親以上に恨みの視線を浴びていて当然なのである。もしアヤメが連中に対する振る舞いを知らないで一族断絶なんてしたら、アヤメは路頭に迷ってしまう。それでいて、連中の目を鎮められずに、自分が信じた方法に従って連中に加わる人を増やしてしまうのである。結局アヤメはなにもできない。このままでは本当に無益な神様、永遠に自分を責め続けるしかない哀れな人間だ。
 昼休みの弁当は教室で食べた。視線の途切れることはないけれども、食欲が失せてしまうほどではなかった。タクトは高菜を入れた厚焼き卵にはしを突き刺しながらもヨシワラの言葉を思い出す。ヨシワラの席にはだれもいなかった。だがタクトにはそこにヨシワラがいるように感じられた。弁当を食べて、タクトに語りかけるのである。そんなことをしたって、復讐をしたって、トモは帰ってこない。レッテルを張られて一生過ごしていく方が、呪いで殺してしまうよりもよっぽどきついし、みじめなアイツを見て笑っていられるのが一番の復讐である。

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