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厄災の始まり9


「あれ?」
 夏姫が気付いたときには場所が変わっていた。さっきまで路地裏にいたんだけどな、などと思っていると、聖は手を放して着いたと伝える。
「さっき使ったのは移動用の呪だ。ここにはさっき描いた移動用魔法陣の常に対になる陣が描いてある。ただ、あまり多用しないことだ」
 頼みもしないのに説明をする。別にそういうことに対して夏姫は興味がない。
「一応教えておかないとね。弟子になった訳だし」
 覚える事になる方が、確率的に高そうだからと優しく笑う。

 がちゃりと目の前のドアが開き、サファイが顔を出す。
「マスター、お帰りなさいませ。移動用の呪を使ったわりに帰りが遅かったですね」
「あぁ。色々面倒事に巻き込まれてね。夏姫、サファイに足の手当てをしてもらいなさい。これは命令だ。それで、黒龍(こくりゅう)はもう来ているのか?」
「はい、先ほど。いつもの場所でお待ちです」
「分かった。では夏姫を頼む」
「了解しました。夏姫様はダイニングでお待ちください」
「対になる陣が書いてあるこの部屋は案内してなかったね。君の部屋と正反対の場所だ」
 そう言って、聖はさっさと出て行ってしまった。さすがに人が来る約束してた時に悪い事したかなぁと、夏姫は思う。別に料金払うのは明日でも良かったのに。
「…痛っ」

 何とかダイニングに移動すると、救急箱を持ったサファイが待機していた。自分で出来るから、という夏姫の言い分は、マスターの命令ですからという一言で一蹴されてしまった。
「よくこの足で歩く気になられましたね」
 呆れ果ててサファイが言う。靴にまで血がにじんでいた。
「とりあえずこの靴も洗いますので、こちらのスリッパを履いてください」
 聖の指示があるまで自分の部屋にいるように言い、そしてそのまま消える。
「……困ったなぁ」
 どっからどう見たって、サファイは不機嫌だった。となると、もしかしたら聖も不機嫌だったのかなと思ってしまう。
「一人で行けば良かった」
 もっとも、一人で行ったらもっと時間が掛かっていたと思う。そして、部屋に戻ろう、そう思って食堂をあとにした。

「じゃあ、そのように報告しておく」
「あぁ。よろしく頼む」
「お前さんも大変だな。どんな理由があるか分からんが」
「私のすべき事なだけだ」
「へぇ」
 そんな会話が耳に入る。聞くつもりはなかった。その部屋に聖と客がいるなんて事も知らなかった。足が痛かったので壁伝いに歩いていただけだった。そんな時に限って足がもつれてしまい、大きな音をたててしまうものだ。やばいと思ったときにはもう遅い。

「ここで何をしている?」
 音に気が付き、聖がドアを開け厳しげに問う。
「……部屋に戻ろうと……」
 それしか言えなかった。実を言えばさっき治療してもらってから尚更痛いのだ。歩くだけで脂汗が出る。
「|白銀《はくぎん》の旦那《だんな》、その嬢ちゃんは?」
「適性がありそうだから、弟子にしようかと思ったのだがね」
「ほう」
 聖の後ろから一人の男が夏姫に近寄ってくる。歳の頃は二十三、四といったところだ。そして夏姫の顔を見るためであろう、ぐいっと顎をつかむ。思わずいつもの反射でその手を払いのけてしまったのだが、よろめいてしまう。
「おいおい」
 男が呆れて、ため息をついたのが分かった。
「手負いの獣だな、こりゃ。それよりもの凄い脂汗だ。どっか具合でも悪いのか、それとも……」
 最後は声のトーンをあえて下げ、盗み聞きをしていたのでは、というのを言外に含む。そして、首から下げていた瓶に気がつき、それを掴みながら聖に尋ねてきた。
「これにはお前さんが創った使い魔が入っているのか?」
 聖はこくりと頷き、肯定した。
「じゃあ、これに聞きゃいいんだな。この嬢ちゃんは答えそうにないし」
 そう言い、無造作に瓶の蓋を開ける。

 開けられて魔青が出てきた。出て来た魔青はといえば、何故出て来られたかが分からないようだった。
「マスタ、何かあったの?」
 当然の如く夏姫に尋ねてきた。しかし、それに構わずに男は魔青に向き直り、これまでのことを尋ねる。
「えー。マスタは、ほんとに部屋に戻ろうとしただけだよ?足がとっても痛くって、歩くの大変だったんだよ?魔青にまで痛いの来る位、痛いんだもん。何かあったの?」
 話から推測するに、使い魔とはシンクロするもののようだった。だが、男はそれを知っているのか、盗み聞きはしたのかしていないのか、もう一度厳しく尋ねた。
「マスタがする訳ないじゃん。黒龍さんは疑いすぎだよぅ」
「……いやに懐いてるな。つか、足?」
 あぁと聖は一人納得する。
「さっきのか」
「うん」
「魔青、そのまま夏姫を部屋に連れて行きなさい。夏姫は私がいいというまで部屋から出ないように」
「はぁい」
 魔青が夏姫の手を引いて行こうとするのを払いのけてしまう。すると魔青は涙目になっていく。
「マスタ、無理しないでよぉ」
「一人で歩ける。これくらいなら」

 そう言い、壁伝いではあるものの一人で進もうとするのを黒龍と呼ばれた男が横から支えてくる。
「白銀の旦那、嬢ちゃんの部屋は?」
 当然の如くその手も夏姫は払いのけようとする。だが、がっちりと腕を掴んで放さない。
「その一番奥だ」
 聖が答える。その間も夏姫は必死にほどこうとするが、暴れれば暴れるほど、強く掴んできた。
「こういう好意には、素直に甘えるべきだぞ。嬢ちゃん」
 そう言って暴れる夏姫を、軽々と抱えあげて歩き出す。その時、暴れた拍子で履いていたスリッパが脱げた。
「……これで平気って言える神経がなぁ」
 黒龍は呆れ果てて呟いた。巻いてもらった包帯にはすでに血がにじんでいた。

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