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ペリド姫の日記2

 ロウ家の者達を置いて先へと進むと、直ぐに一面に背の高い草が生えた場所に出る。
 背の高い草が壁になっていて視認は出来ないが、魔力視では草の先に魔物の存在が散見できる。大きさは中型の部類だろうか、強さは最初の巨大蜘蛛と同等かそれ以上のような気がした。彼に頼らずとも油断しなければ対処可能な強さだろう。
 私達は草の先へと分け入る。
 そこは沼地とまではいかないまでも、若干湿り気を含んだ地面で、少しだけ歩きづらかった。
 草を手でどけながら先に進むも、所によっては人の背丈を優と超える高さの草が生い茂っている為、大きさは別にしても、その繁茂している様はまるで夏草のようで、流石にうんざりとしてくる。

「進行方向だけでも魔法でこの草を刈りつくしてはだめでしょうか?」

 倦怠感を多分に含んだ声音で、先頭を進んでいたマリルが問い掛けてくる。
 それに個人的には大賛成ではあったが、目立ってしまうような気もして僅かに考える。勝てるとはいえ、魔物がうろついているのだ、数もそれなりに居るというのも悩む原因の一つだった。それに、近くにロウ家の者の様に好戦的な生徒が居ないとも限らない。

「出来るだけ目立たない様に、目の前の草だけを少しづつ刈りながら進みましょう」

 それでも草が邪魔な事には変わりがないため、私はしょうがなくそう提案する。それに、移動していても草をどけながらならあまり変わらないような気もした。
 それから人一人が通れる程度の幅で草を刈りながら先へと進んでいると、近くに居た魔物の姿が草の間から見えた。その魔物は、石膏で出来た巨大な人の像が黄緑色の服を着て動いているような、そんな感じの姿の魔物で、そのどこにも空洞も生気もない顔は、とても不気味な雰囲気を醸し出していた。
 私達は息を殺して、出来るだけ静かに魔物の横を通り過ぎる。消耗や不慮の事故を防ぐ為にも、無駄な戦闘は出来るだけ避けるべきであろう。
 そうして極力音を立てずに速やかに草原を抜けると、そこには天井まで届いている壁しかなかった。

「行き止まり、でしょうか?」

 左右を見てもどこまでも続いているその壁に、困ったようにマリルが声を上げる。

「道を間違えた・・・という事もないでしょうし?」

 アンジュも半信半疑ながらも、マリルと一緒に首を捻る。
 そんな中、彼は袖をまくり上げながら壁に近づくと、その壁をペタペタと軽く叩いて調べる様にしながら横へと少しずつずれていく。そうして大股で一歩分ぐらい横に移動した所で、壁を叩いていた彼の手が壁の中にドプリと沈みこむ。傍から見ると、まるでそこだけが底なし沼になっているかのようであった。
 彼は、それに慌てる事も気にした様子も見せずに何かを探るように肘まで埋まった腕を僅かに動かすと、直ぐに手を壁の中から引き抜いた。引き抜いた彼の手の中には、薄紅に光る球状の物体が握られていた。しかし、彼の腕が濡れても汚れてもいなかったのは、実はあの先は空洞だったのだろうか?
 その掌中の球体を彼は一度観察するようにしげしげと眺めると、そのまま躊躇なく握りつぶしてしまう。すると、何故だかペキョリという間の抜けた音が一瞬辺りに鳴り響く。
 そのまま数呼吸分の間静寂が辺りを包みこみ、そろそろ焦れてきた頃になって、「ふぁ~~あ」 という欠伸をする間の抜けた声が辺りに響いた。
 聞き慣れないその声に驚いた私達が辺りを見回しているなか、彼は壁の一部をどこか嫌そうな顔で眺めていた。
 その視線の先を目で追って、私は固まる。そこには壁に大きな人の顔が浮かび上がっていた。

「あ~~眠い。君かい? 手前を起こしたのは?」

 欠伸交じりの壁の問い掛けに、彼は「そうです」 としっかりと頷いた。

「まぁよく気づいたものだ。どれぐらいぶりかね~、手前を起こした者など」

 壁の顔は値踏みするように彼を上から下までみると、ついと視線をこちらに向ける。

「ふむ。この彼ほどではないにしても、そちらのお嬢さん方も中々の強さをお持ちの様で。これならこちら側の先へ行っても大丈夫かね~」

 壁の顔の言葉に、私は首を傾げる。

「こちら側? 妙な言い回しをされるんですのね。他にも先があるのですか?」

 私の疑問に、壁の顔はにやりといやらしい笑みを浮かべると、自慢の秘密を明かすような嬉しそうな声を出す。

「あるよ。この学園の秘密のひとつに辿り着けるかもしれない隠された道が!」
「学園の秘密、ですか?」
「そう、学園の秘密。まぁそこに辿り着けるかは君たちの実力次第ではあるけど、手前に辿り着いたその実力ならば大丈夫かもしれないね。それで、どうするよ? この先に進むかい? 進まないかい? もし進まないなら別の道を教えるし、進むというならこの先へ通そう。ただし、その時は命の保証はしないから、それ相応の覚悟を持ってもらうけどね。それで、どうするね?」

 試すような口調で問い掛けられ、彼は私達の方を向くと、私達がどうするのかという確認を目で問い掛ける。
 どう考えてもこの先で手ごわい相手が出た場合、実力的に私達は足手まといになるからの確認なのだろう。しかし、彼ほど先が視えている者が辞退するのではなくわざわざ確認をするという事は、私達でも行ける可能性があるという事なのだろうことは、短い付き合いでも何となく理解していた。ならば答えは決まっている。

「行きましょう! 学園の秘密とやらにも興味がりますし」

 私の言葉に、使用人達も頷きで同意を示す。それを受けた彼は、壁の顔に「進みます」 と告げる。
 彼のその答えを聞いた壁の顔は嬉しそうに笑うと、「それじゃあ行っておいで」 という言葉と共に口を大きく開ける。その口の先は壁の向こう側へと続いていた。


「雪?」

 壁を抜けた先は、何故だか一面銀世界であった。
 足首辺りまで積もっている雪は誰にも穢されておらず、その上にはらりはらりと舞い落ちる白い物はどこか幻想的でとても美しかった。
 しかし、そんな状況であるにもかかわらず、何故だか全く寒さを感じなかった。

「これは幻覚なのでしょうか?」

 それ故の私の疑問であったが、しかし彼は首を横に振った。

「いえ、これは幻覚ではありませんよ・・・雪でもありませんが」
「え?」

 彼の言葉に、私達は当惑の視線を舞い落ちる白い物に向ける。

「これは魔力の残滓、とでも言えばいいんでしょうか? この場所は少し特殊な空間のようですね・・・はてさて、こんな珍しくて面倒なもの誰の仕業なのか」

 独り言のように呟かれた彼の最後の言葉は聞き取れなかったが、魔力の残滓というものに心当たりのなかった私は興味を抱く。魔力とはこのように肉眼で見えるようなモノではないのだから。
 その疑問が顔に出ていたのか、私の方を見た彼はどう言えばいいのかと困りながらも説明してくれる。

「魔力というものは見えません。しかしそれは通常の場合です。ここは・・・魔力をこう空間に閉じ込めて溶かしまくって飽和させていると言いますか・・・えー、つまり魔力が過剰に増えすぎて実体化してしまっている状態なんですよ。ですから、この雪のような魔力の塊も、この空間、通ってきたあの壁の向こう側へ持っていくと、皆さんの知っている魔力に戻りますよ」

 漠然とではあるが理解出来た私は、説明してくれた彼に礼を言う。それにしても、初めて聞く内容であった。
 外に出るために宮廷でも様々な事を学んでいたし、師にも色々ご教授して頂いたが、そのどちらにも出て来なかった話だし、当然学園でもそんな話は聞かなかった。
 そんなこともあって、彼の博識振りに私は感心する。使用人三人の方を見れば、彼女達も様々な事を学んでいるはずだが、私と似たような表情をしていた。
 最初、彼とパーティーを組むという話をした時は反対されたものだが、彼と一緒に行動をしてその実力と性格を知り、途中から認めたようであった。それどころか最早その先にまで行っているような気がして、私は何故だかそのことが無性に嬉しく、そして誇らしく思う。
 私達はその魔力の残滓の雪原を歩き、先へと進む。雪ではないので冷たくはないし、滑ることもなかったが、それでも足に纏わりつくような感覚で進みづらくはあった。
 そうして雪原を大分進んだ頃に、私達は歩みを止める。まだ距離はあったが、進行方向に強力な魔物の存在を確認したのだ。
 魔力視で確認出来た対象の内包する魔力で浮かび上がったその姿は、あの神殿址で見つけた旗に描かれていた紋章の獣を思わせる形をしていた。
 鋭い爪に大きな翼、その鳥のような見た目に反して頭は人の顔をしていて、頭上に王冠を被っているという奇怪な姿。まさしく怪鳥と呼ぶに相応しいその外見は、このダンジョンのはじめの方にあった神殿址で見つけた旗に描かれた紋章の獣そのもので、私達は驚きを覚える。
 それに推定ではあるが、強さも今までの魔物とは比べ物にもならず、それこそ彼でなければ勝てないのではないかと思えるほどであった。
 その強さに私達が物怖じしていると、彼が緊張気味ながらもおどけるような笑みを浮かべる。

「大丈夫ですよ、あれぐらいなら皆さんの方が強いですから」

 その言葉が慰めなのかどうかは分からなかったが、何となく本当にそう思っているんだろうと感じ、心の奥底から勇気が湧いてくる。

「そうですね。こんな所で躓いていては、人の住む世界の外を目指すなど夢のまた夢ですものね!」

 拳を握り奮い立った私を見て、場に流れていた重たい空気が薄らいでいくのを感じる。
 そうして心構えをしっかりすると、私達は意を決して魔物に近づく。
 近づいて肉眼で改めて魔物を確認すると、とても大きく威圧感はあったのだが、頭が人の顔という奇妙さに、どこか間の抜けた気分が浮かんでくる。
 それを必死で抑えながら観察すると、魔物は雪原の上で不動の姿勢のまま、顔だけを動かして辺りを警戒していた。その姿はまるで門番の様にも見えて、私は訝しげな目を魔物に向ける。
 しかし肉眼だけではなく魔力視で視ても、魔物以外に他に何かあるような気配は見つけられなかった。
 私が勘繰りすぎかと思い直していると、隣で彼が小さく呟いた。

「あの扉の先に転移装置があるようだけど、一体どこに繋がっているのやら」
「扉ですか?」

 その呟きに思わず質問すると、聞こえていないと思っていたのか、彼が驚いたようにこちらを向く。

「え、ええ、魔物が邪魔で判り辛いですが、あの魔物の背後に小さな扉がありますよ」

 その言葉を受けて、私は再度魔物の方へと目を向けるも、魔物の身体や魔力が邪魔をして、その背後にあるという扉の存在までは確認できなかった。
 それを私の表情で察したのか、彼は魔物の方に目をやりながら、気楽な感じで言葉を紡ぐ。

「あの魔物を倒せば分かる事ですよ。もしくは戦闘中にでも確かめてみてもいいですし」

 その彼の言い様に、私はくすりと小さく笑う。確かにここから扉を探したところで、結局はあの魔物を倒さないことにははじまらないのだから。
 それからは気を取り直して魔物を観察すると、魔物の胴体部分の表面が羽ではなく魚のような鱗に覆われている事に気が付く。それを彼に伝えると、彼は珍しく皮肉げな笑みを顔に浮かべる。

「まるでドラゴンの成りそこないですね。あの鱗自体はそこまで固くなさそうですし」

 その言葉に私も笑みを零すと、まだ気負っていたようで、肩の荷が下りたような軽やかな気分になる。
 そして、私は魔物との戦端を開く一撃となる攻撃を行うべく、雷獣(らいじゅう)という魔法を発動させる。それは速さを重視しつつも威力がある魔法で、雷を獣の姿に似せて放つ魔法。獣でなくてもいいのだが、わざわざ形を創るのは、魔法をイメージしやすいようにするためであった。
 その雷で出来た獣が雪原の上を滑るように駆けると、あっという間に魔物の下に辿り着く。

「ガッバババババ!!!」

 雷獣が激突した魔物は、人のような声を出して悶える。
 その隙に魔物の近くに移動したマリル達が、手に持つ得物にそれぞれの得意とする属性魔法を纏わせながら魔物に斬りかかる。
 その攻撃に魔物は苦しげに表情を歪ませてはいるものの、皮膚が厚いのか、それとも攻撃の威力が弱いのか、鱗こそ割れているものの、全体的に傷は浅いように思えた。
 魔物はじろりとマリル達に目を向けると、鋭い爪の生えた前足を素早く横に薙いだ。しかし、その一撃は彼が張った障壁に遮られる。
 魔物はそれに苛立ちを込めた唸り声を出すと、耳をつんざくような叫び声を上げて飛び上がる。
 ばさりばさりと羽を羽ばたかせて飛び上がる魔物に、私は雷の矢を連射する。それに短い悲鳴を上げながらも、上空に飛びあがった魔物は、滞空しながらこちらを睥睨する。
 その睨み合いが三呼吸分ほど続くと、突然魔物が口を開いた。

「いきなり攻撃してくるとは、野蛮な人間共だな!」

 魔物が喋ったことに驚く私達を他所に、魔物は尚も言葉を続ける。そんな中、彼だけはそれに興味深げな目を向けていた。

「ここがどこだか分かっているのか? 聖域だぞ? 門番の奴は耄碌(もうろく)でもしたか?」

 不快さを隠そうともしない上からの物言いではあったが、しかしその問い掛けるような言葉はまるで独り言の様で、問いの先には私達を見ていないような気がした。

「全く、久方ぶりの人間がこれとは。この世界にはもう礼儀というものが無くなったのか? 敬いは大切だぞ? それとも主らが特別無礼なのか? これでも我は主ら人間たちには神の使いと呼ばれてたものぞ!?」

 くどくどと説教を続ける魔物に、私達は唖然としながらも、同時にげんなりとする。
 そして、どれほどの時間を魔物が喋り続けていたかも分からないぐらいの時が経ち、やっと溜飲が下がったのか、魔物は満足げな顔で雪原に降り立つ。

「分かったな? 我は寛大なので今回だけは赦すが、次は無いからな!」

 言うだけ言って最初の位置で同じ体勢に戻った魔物に、私達は色々と言いたい気持ちをグッと堪える。蒸し返したところでろくなことにならないのは目に見えている。
 そんな中、彼は魔物に一歩近づくと、魔物の背後を手で示しながら問い掛けた。

「お訊きしたいのですが、貴方の背後の扉の先には何があるのですか?」

 彼のその質問に、魔物は目を細めて観察するように彼を見詰める。彼はそれを気にせず話を続けるが、私はそこで僅かに彼の纏う雰囲気が変わったのを感じる。そして彼は魔物にこう問うた。

「ああ、質問の仕方が悪かったですね。改めてお聞きしたいのですが、その扉の先に居るのはどなたですか? どう視ても人間の方ではないですよね?」

 そう扉の先に居る人物について問うた彼に、魔物は初めて警戒の目を向けた。それを彼は微笑を浮かべて受け止める。そんな彼と魔物の睨み合いは十秒ほど続いたが、魔物の方が短い息を吐いて折れた。

「やれやれ、貴様は何者だ? その秘めたる力は人の域を超えているようだが?」

 魔物の呆れたような問いに、彼は手を広げて「さぁ?」 とだけ返す。それを魔物は愉快そうに短く笑うと、その羽を威嚇するかのように大きく広げた。

「この先の人物についてがご所望だったな。ふむ、まぁ我が造物主とでも言えばいいか、神の如き尊き御方が御座すのよ。・・・汝、拝謁を望むか?」

 にやりと挑戦的に笑った魔物に、彼は「ええ、勿論」 と気楽に頷くと、こちらを向いて確認を取る。
 それに私達が「え、ええ」 と気後れ気味に頷くと、彼は安心したような息を吐いた。

「よかったです。私は天使には会ったことが無かったので、つい勢いで頷いてしまいましたが、反対されたらどうしようかと思いました」

 そんな彼の安堵の台詞に、私達だけでなく魔物までもが驚きを顔に出していた。
 その驚愕の空気を感じた彼は、その空気になった理由がよく分からなかったのか、不思議そうに首を傾げる。
 そんな彼に、魔物が探るような慎重な口調で声を掛ける。

「・・・何故この先に天使が居ると思うのだ?」
「え?」

 その魔物の問い掛けに、彼は何を当たり前のことを訊いてくるのかとでも言いたげな表情をすると、誇るでも謙遜するでもなく、不思議そうな顔でただ事実だけを口にする。

「そんなの視えているからに決まっているじゃないですか」

 そんな彼の返答に、魔物が絶句したのが分かった。そして、今回ばかりは私達も魔物の気持ちがよく分かった。
 得手不得手はあるが、魔力視というのは魔法を使えるものならば誰でも使えるものである。しかし彼の場合、それが既に千里眼とでも言える次元にまで昇華されているのだ。その凄さは未だに私達でもいちいち驚きを覚えてしまうのだから、魔物の受けた衝撃も致し方ないものだろう。
 そんな皆の気持ちなど分かっていないだろう彼は、不審そうに魔物を見詰める。
 その目に魔物は呆れて息を吐くと、そっと横にずれる。

「規格外。人の域を超えているとは言ったが、よもやここまでぶっ飛んだ存在だとは思わなんだ」
「ひどい言われ様ですね」
「だが事実であろ? まぁ良い、拝謁を許可するのでさっさとその扉の先に進むがいいわ」

 どこか投げやり気味にそう言い放った魔物は、役目は終えたとばかりにその場で膝を曲げると、身体を羽で包むようにして休む体勢に入る。
 私達はそんな魔物を横目に、姿を見せた扉の前に移動する。その扉は、保護色なのか新雪のように真っ白で、その存在を事前に知っていないと、見ただけでは気づくのは難しそうな気がした。
 彼が扉に手を掛け押し開くと、私達はその中に静々と入っていく。
 扉の先は岩盤をくり貫いただけような造りで、岩肌がむき出しの細長い一本道が延々と続いていた。
 通路床の隅には等間隔で仄かな魔法の明かりが灯っていて、まるで先へと進むことを促しているようであった。

「この先に天使が・・・」

 私は通路の先から感じる魔物とは違う気配に、緊張から喉を鳴らす。
 天使と呼ばれるその存在は人間に神聖視されている存在で、かつて、今よりも人が弱かった時代に救われた事があるという伝承が幾つか残っている。
 それを抜きにしても、天使は魔族やドラゴンとも渡り合えるほどの強さを誇っており、昔より強くなったとはいえ、到底強さで人が敵うような相手でもなかった。しかしそれでも、私は前を歩く彼ならばもしかして、という思いを抱く。
 そのまま通路を進むと、扉の代わりに魔法で守られた場所に突き当たる。それは強固な守りの魔法で、私達では突破することは絶対に叶いそうにないそれを、彼は難なく解除する。

「おや、ここに客人とは、いつ以来でしょうね」

 防御魔法の先に入ると、横から中性的な声が掛けられる。そちらに顔を向けると、椅子に深く腰かけ、本を開いていた者が居た。
 その者は、声の響き同様に中性的な見た目をしており、外見からは男なのか女なのか判断しかねた。
 しかし、その者が人ではないことだけは直ぐに分かった。この場所に居るからではなく、見た目こそ人に似ているが、人とは存在そのモノの根本が異なる存在。これが天使という存在なのかと、自然と理解する。それとともに、かつての人がこの存在を天使と、神の使いと神聖視したのも肯けた。

「初めまして、私はオーガストと申します。貴方が我々人類が天使と呼ぶ存在でしょうか?」
「天の使いなど畏れ多いのですが、そう呼ばれていますね。アテはクリスタロスと申します。まぁ立ち話も悪くはないですが、そこに御座りになって寛いではいかがでしょうか? お茶ぐらいは御用意出来ますので」
 
 立ち上がるとふわりとした微笑みを浮かべ、私達に椅子を勧めるクリスタロスと名乗った天使に礼を言うと、私達はおずおずと椅子に腰掛ける。
 それから少しして、クリスタロスさんはお盆に湯呑を乗せて戻ってくる。

「すみませんね、これしかなくて。この部屋を提供してくれた方の好みでして、これしか置いていないのですよ。アテは外には出ませんし、その方以外とは今まで交流も無かったもので・・・あぁ、品質保持の魔法を掛けて保存していましたので、品質に問題はありませんよ」

 申し訳なさそうな笑顔を浮かべるクリスタロスさんの話の中に気になった言葉があった私は、その事について質問をする。

「この部屋を提供した方とはどなたなのですか?」
「パナシェという方ですが、ご存じありませんか?」
「え!? もしかしてジーニアス魔法学園の創設者の・・・?」
「ああ、そういえば学園をどうこうと言っていましたね。・・・人の寿命を考えればもう亡くなっているのでしょうが」

 私はその話に、目の前の存在が改めて人と違う存在だという事を思い知らされる。事実かどうかは定かではないが、天使に寿命は無いと言われている。ならば、この学園の創始者と顔見知りという話もあながち嘘ではないのだろう。
 私がそんな事を考えていると、彼がその事についてクリスタロスさんに問い掛ける。

「天使に寿命は無いと聞きますが、事実なのですか?」
「ふふふっ。どなたですか? そんな適当な事を仰っているのは?」
「では?」
「アテらにも寿命は在りますよ。ただ、人のそれとは比べ物にならないぐらいに長いというだけです。それに、寿命でなくても戦いで命を落とす者も居りますから」
「そうなんですね。お答え頂きありがとうございます」
「いえいえ、他に質問があればどうぞ」

 にこにこと笑みを絶やさないでクリスタロスさんはそう告げる。それに彼は少し考えて首を横に振る。

「色々訊きたい事はありますが、今日の所は止めておきましょう」
「・・・そう、ですか。それもいいですね」

 彼の言葉に、クリスタロスさんはどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。

「???」

 私はその笑みの意味が分からずに、ただ首を傾げる。
 その後は学園の創始者であるパナシェ氏の話をはじめとした昔の話や、現在の外の様子などの話をして過ごしていたが、そういえばと思い立ち時間を確認すると、結構な時を過ごしていた事に気がつき、私は皆にその旨を伝える。
 そこで各々時計を確認したみんなは、一様に驚きの表情を浮かべた。
 まだ時間的には余裕はあるのだが、未だに転移装置への道が分かっていない以上、そろそろ急いだほうがいい時間帯ではあった。

「申し訳ありません、長々とお引止めしてしまって。先程お話頂いたダンジョン攻略というやつですね。そういえば、この部屋の奥にそのお話にあった転移装置のようなものがあるのですが、案内いたしましょうか? 違っていたら申し訳ないのですが」

 クリスタロスさんの提案に、私達は顔を見合わせて頷くと、是非にとお願いする。もし転移装置ならばそれで帰還すればいいし、違っていたら探しに戻ればいいだけの話だ。しかし、何故そんな物がここにあるのだろうか? パナシェ氏が設置したのだろうか? 何の為に?
 私はそんな疑問を抱きつつも、クリスタロスさんの先導に従って部屋の奥にまだ続いていた細長い通路を進む。
 通路の奥には妙に古めかしい扉があり、その扉を開いた先の部屋には、石で出来た土台だけが中央に置かれていた。そしてその土台の上には、見た事のある青白い光を放つ球体が浮かんでいた。
 私達はそれに近づき観察するも、転移装置で間違いなさそうであった。

「これですわ! 探していた転移装置ですわ!」

 声を弾ませながらクリスタロスさんにそう伝えると、クリスタロスさんはホッとしたような笑みを浮かべる。そして、そのまま帰還する前にクリスタロスさんに礼と別れを告げると、クリスタロスさんは「お気をつけて」 と微笑んだ。
 それを見届けた私達が転移装置に触れる直前、クリスタロスさんは思い出したかのように何かを取り出すと、それを彼に手渡した。そして、私達が転移装置に触れると、一瞬視界が白く染まり、世界に色が戻った時にはダンジョンの入り口に戻っていた。

「はい、五名帰還と。無事に攻略完了のようですね」

 私達を認めた先生が、手元の端末に何かを書き込みながらそう告げる。周囲には十名ぐらいの生徒が疲れた表情で固まって座っていた。同じパーティーメンバー同士なのかもしれない。辺りを見回すも、他の生徒は見当たらなかった。
 私達は少し離れた場所に腰を下ろすと、私は最後に彼がクリスタロスさんから受け取っていた物について訊ねる。それに彼は、御守りの様な円形の物を取り出し、私達に見せてくれる。

「これはなんですか?」
「多分ですが、転移装置の一種ではないかと」
「転移装置?」

 彼の言葉に、私達はその円形の御守りらしき物を見詰める。ダンジョンの転移装置にも驚かされたが、こんな小さな転移装置というのは更なる驚きだった。

「これを使うとどこに転移するのでしょうか?」
「おそらく先程の部屋かと」
「え?」
「いつでもどうぞ。という事だと思いますよ。・・・これは私が持っていていいでしょうか?」
「え? ええ、それは構いませんが・・・」

 私が頷くと、彼は一瞬安堵の表情を見せてその転移装置を衣嚢(いのう)に仕舞う。

「しかし、何故そんな貴重そうな物を?」
「寂しかった、というより気に入られたというべきでしょうかね?」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものかと」

 彼が頷いたところで次のパーティーが帰還してくる。それはロウ家の者のパーティーであった。
 十二人全員が居る所から、あの後無事に従者の方々が復活出来たことに安堵する。
 そうして見詰めていると、こちらの視線に気づいたロウ家の者がこちらを向き、彼を見つけて憎悪の籠った眼差しを向けてくる。しかしそれも一瞬の事で、直ぐに彼から視線を外すと、そっぽを向いて別方向へと移動していった。
 その後も残りの生徒が帰還してきて、今日のダンジョン攻略が終わった。一度目で二つ目のダンジョンを攻略出来たのは、挑んだ者の半数にも満たなかった。


 全員のダンジョン攻略が終わり、そのまま寮へと帰る前に私は彼に次のダンジョンも一緒に攻略しましょうと誘う。それに彼はいつもの緊張した面持ちながらも、なんとか了承してくれた。
 それで彼は私達と別れると、そのままお友達と合流して寮へと帰っていった。
 それを見届けた私も、マリル達と共に寮へと向けて歩き出す。その道中、今日のダンジョンを振り返る。
 騒動から意外な出会いまで様々な出来事を経験したが、それを一言で表すなら驚きだろうか。本当に今日一日は驚きの連続であった。その数々の驚きの中でも特に驚いたのは彼の実力だろうか。
 姿どころか存在そのものを感知出来たり、精神干渉魔法が使えたり、戦闘能力も圧倒的な雰囲気があり、私のような非才者では底が測れなかった。それに、彼には何か私達には見えていないものが見えている様な素振りがあった。
 本当に何者なのだろうかと、知れば知るほどに興味が湧いてくる。いつか師や家族にもこんな凄い人が居ると紹介したいとも思いつつも、今はやめておいた方がいいだろうと考え直す。それよりも、今は彼ともっと親しくなるべきだろう。
 あれこれと考えている内に、気づけばもうすぐ寮に着く所まで来ていた。そこで私はふと気になってついてきているマリル達に問い掛ける。

「彼はどうでした?」

 それだけの問いでも意味が通じたようで、三人は少しだけ考える素振りを見せた後に、順番に口を開く。

「予想以上の実力者でした」
「私如きでは測り知れない方でした」
「可愛らしく興味深い方でした」

 スクレとアンジュの想像通りの答えの中、最後のマリルの感想に私は興味を覚える。

「どの辺りが興味深かったですか?」
「皆さんが仰る実力もですが、何と言いますか、強大な力を持つのに小動物の様な感じ、とでも言いますか、そんなちぐはぐな感じなのに、いざという時には頼りがいがあると言いますか・・・申し訳ありません、上手く言葉では言い表せません」

 顔を僅かに朱に染めて頭を下げるマリルを見て、私はもう少し問いを重ねたい気持ちを抱いたのだが、残念ながら寮の自室に到着したので、私は大人しく室内に入る。
 そのままお風呂に入って汚れを落とした後に身だしなみを整えてから、皆と共に食堂へと移動して夕食を摂る。相変らず私の周囲にはたくさんの方々が集まり雑談の花を咲かせる。そんな賑やかな夕食を終えると、私達は寮の自室へと戻った。
 自室に戻ると、明日の準備などをしながら時を過ごす。今日は色々な発見があった充実した一日だった。
 また彼と共にダンジョンに挑むのを楽しみにしながら就寝する。次は使用人の三人も、彼とパーティーを組むことに反対したりはしないだろうから。

しおり