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悲鳴


 静寂な、早朝の館に鼓膜を鋭くつんざく悲鳴が響き渡る。
 それはメイドのウルフィラが叫んだ驚きの声。

 「何!? さっきの声…なんや?」
 クリスがキョロキョロと首を振りながら呟く。

 シラヌイと言う未だ姿を見せぬ謎の大富豪の所有する孤島、其処に建てられた豪奢な屋敷。一斉に招待された奇妙な客人の面々。彼らに用意された豪華な客室。
 その中の一つ、3階中央に位置する、かに座の間に居た探偵マーヴェルの耳にも、ラウンジの高い天井で反響した彼女の悲鳴は微かに届いた。

 「うん……僕にも聞こえた。クリス……何か……起きたようだ」

 聡明さがうかがえる深いブルーの瞳、長い睫毛が伏せ、陰になり、悲しみが浮かぶ。

 「よし、行こう! 考えていても仕方ない」

 そう言って顔を上げると、掛けてあった帽子を取り部屋の玄関を飛び出した。


 3階の廊下には誰も出ていない、そのまま速足で階段を下りて行くと、ちょうど2階踊り場で、客室さそり座の間から出てきた老婦人のクナに会った。

 「おやおや、探偵さん。……何かあったね?」
 彼女も悲鳴を耳にしたのだ。

 無言でうなずき返すマーヴェル。年寄りにしては、意外と身のこなしの軽いクナ・スリング婦人と共に素早く階下へ向かう。

 とりあえず1階の広い玄関ラウンジに着いたところで、いったん周りを見回す。聞こえて来た悲鳴の大きさから此処では無いと見当はつけていた。ラウンジで叫んだのなら、もっと大きなボリュームで耳に届いたはずだ。

 老婦人にもそれは分かっていたようで、歩みを止めずに玄関正面側にある廊下へと進んでいく。サンルームと執事の部屋へ向かう方向、反対に一同が最初の日に集まった晩餐室がある方向、左右を見渡すと……開かれた厨房のドアから、後ずさりしながら廊下へ出てくるメイドの姿が目に留まる。

 ウルフィラは目を大きく見開き、両手を口に宛てて部屋の中を見ている。

 探偵達はメイドの元へ駆け寄った。

 近寄ってくる彼女達に気付いたウルフィラは、おどおどと顔を向け、何かを伝えようとするが声にならない。

 スリング婦人は身を沈めるように通り過ぎ中へ入る。マーヴェルは酷く怯えた様子のウルフィラの肩に手を一時添えた。一瞬何か声を掛けようとするが、それを飲み込み、現場を見るべく室内に足を踏み入れた。


 その光景は名探偵マーヴェルの胸に、きつく鉛の鎖を巻き付けた。

 室内には男が、がっしりとした背を向けしゃがんでいた。

 背後の足音で振り向く。男は外科医のドクター・Tだった。

 「死んでる」

 彼の足元には横たわる小さな人影。

 「超能力少年の……ロクロウ君だ……もう……息は無い」

 「うそや……あんな強いのに……」
 クリスの元気の無い言葉も耳に入らず、やや光の失った焦点の定まらぬ瞳になって、ぼそぼそと呟きだす探偵。静かにロクロウの遺体に近づき全ての観察を始めた。

 現状を理解した老婆が、諦めの混じった深いため息とともに言った。
 「あ~ぁなんてこったい。あの子がね……」

 「おい! どうしたんだ一体。何があった?」
 廊下でメイドに尋ねる、メンタルマジシャンのモリヤの声がする。

 未だショックからか、声にならない声で答えながら部屋の中を指さすウルフィラ。その先、部屋の中を一瞥して即座に何が起きたのかを知った。


 いつも以上にひんやりとする厨房の室内で、ドクターと探偵、老婦人とマジシャンを中心に重苦しい会話が始まる。

 ドクターがおもむろに立ち上がり、横たわる少年を一度悲しげに見て一呼吸置くと、静かに言った。
 「専門家ではないことを最初に断っておくが、死後硬直の具合から考えて、彼が死亡したのは4,5時間前、つまり夜中だと考えられる」

 ミスターモリヤが核心をつく疑問を口にする。
 「こ、殺されたのか? 無敵の小僧が?」

 「当然きちんとした検死をしなければ、断定はできないが……目立った外傷はない」

 ある程度の納得を得るまで調べを済ませたマーヴェルが床を示す。
 「そ、そこに飲みかけのオレンジジュースのペットボトルが転がっている。匂いは普通……それで……少し舐めてみたけど……微かに舌に違和感を感じた」

 「毒物か?」

 老婦人が遠い過去を思い浮かべるように視線を上にして言う。
 「あの子は、物理的攻撃ではそう簡単に死なないだろうねぇ……晩餐の揉め事あっただろ? その際あたしの急襲に見事に対応してた。何とかバリア? って言ってたね」

 まだまだ浮かぶ数々の疑問、様々な思いはそれぞれあったが、初心者が奏でるリズムの全く合わないセッションのように、ぎこちなく途切れ無言の時間が流れる。


 咳ばらいを一度して、外科医が口を開いた。
 「さて……どうする? 分かっているとは思うが、本来ならこれは警察へ連絡すべき事件」

 モリヤもそれは分かっているとばかり二度ほど頷き答える。
 「よくは知らんが……殺人事件ならば、後々の現場検証を考えると……このままもう手を触れずに保存しておかないといけないのか?」

 「だが、ここは閉ざされた島。謎の主人や執事が出てこず、連絡も取れないとなれば……少なくとも後数日の間は……」

 クナ・スリングが言葉を挟む。
 「さてさて……お二人さん、そうはおっしゃいますが……果たしてこれが警察の手に負える出来事かね? この閉ざされたヘンテコな世界へ自ら足を踏み入れた以上…………あたしたち自身で解決しなきゃあならないんじゃないかい」

 常識ある大人、今まで常識の世界で生活してきた社会人としての顔で、向かい合い彼女の言葉の意味を反芻する。

 「老婆心ながらついでに言わせてもらえば……もっと重要な事、守るべきねぇ……あるんじゃあないかい? この子の尊厳とかさぁ……こんな状態で置いておく必要あるかね」

 「ロクロウ……可哀そう、冷たい床で」
 クリスの呟きにマーヴェルは深く頷く。

 「腕の良い? 医者もいる、探偵だっている。あんたらで納得できたってんなら……あたしはいいんだと思うけどね」

 「ロクロウ君を、部屋のベッドに連れて行こうと思います」
 マーヴェルはそう言ってロクロウの傍らに膝をつく。

 「部屋も隣ですし、僕が連れて行こうと思います」
 そう言って、順番に皆の顔を見るが誰も反対の意思は無い。

 この場で最も屈強な体躯をしたドクターが声を掛ける。
 「抱えられるかい? 私が変わってもいいが」

 「大丈夫」
 ロクロウを抱きかかえた。思いのほか軽かった。細く痩せた手足、筋肉の無いガリガリの小さな体。それが魂の抜けたサイキック少年の肉体の重さだった。

 マーヴェルは歩き出す。出口で立っているウルフィラの前に来ると
 「すみません。ウルフィラさんにも手を貸してもらえますか」

 「はい」と小さく返事をして後ろに従う。

 「部屋の鍵は? あるの」クリスが聞いた。

 「……彼は身に着けてない。きっと……カギは開いたままだ」

 探偵は廊下を歩きながら、軽くクラクラする様な浮遊感に捕らわれてしまう。ロクロウの死体の重さで、運ぶ事に疲れたという訳では決して無い。

 階段の手前に来て思わず少しよろけると、ウルフィラが後ろからそっと支えてくれた。

 「あ……どうも、すみません、……前が…………少しぼやけて」

 ちょっとゆがんだ顔のメイドが、ちょっと心配そうに微笑みかけている。

 「大丈夫、大丈夫ですよ。きちんと運べますから」

 前を見据え一歩一歩、大切に階段を上って行くマーヴェル。

 「ねぇクリス……。なんだか目がおかしいよ……」

 マーヴェルの細い腕に優しく抱かれたロクロウ。眠ってるようにも見える彼の頬に残った跡にそって、また雫が滑り落ちる。

 「……それは涙。流したらいい……涙だから」


 マーヴェルには解決できなかった。この涙の理由がなんだったのか? 悔しい、悲しい、恐ろしい、何故流したのか分からない涙。

 しかしこの時、心に深く楔が撃ち込まれた事だけは紛れもなかった。

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