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4.監視

 次の目的地のペインズの町は、コッパーの訓練場から北東に向かって四、五日の距離に位置する片田舎の町である。
 ベルグ達は真っ直ぐそこを目指そうとしたが、道中に“ワルツ”の手の者が潜んでいる可能性も考えられるため、“スキナー一家”の勢力下を通る迂回ルートを取っていた。
 そのため、ペインズの町の手前にある【ディルズの町】に着いたのは、コッパーを出てから約十日後の事である。

「や、やっと着いた……」

 ボロボロの連れ込み宿のベッドの上に、シェイラは倒れ込むようにして横たわった。
 何のシミか考えたくないものが顔の傍にあり、身体にチクチクするような感覚がするが、今の彼女にはそんな事を気にしている余裕などない。
 時計に目をやれば、あと数刻で日付けが変わろうかとしている頃だ。
 ここに来るまで、ずっと狭い馬車の中か、物置のような小さな部屋で縮こまるようにして眠ってため、身体を伸ばして眠れることが何より嬉しかった。
 槍と鎧の準備を後回しにしても、今はこのひとときを満喫したいようだ。

(いくら対策を立てていると言っても、安眠はできないけど……)

 ベルグとカートは別の部屋に入っているため、この部屋にはシェイラ一人である。
 女だから別室……と言うわけではない。
 彼女が戦うであろう相手は、悪魔とも言われる《ドッペルゲンガー》なる存在。
 ならば、毒には毒を――ぐにゃり、と空間を歪ませながら這い出てきた《彼女》を頼った。

「――ふぅ、まだ安全そうね」
「あ、そ、そっか……」

 シェイラは、同族である《サキュバス》の知恵を借り、対抗策を練っていた。
 一応は悪魔同士でもあるので、《ドッペルゲンガー》の気配は()()()()探知する事が出来るようだ。
 なので、シェイラが一人になる時は、こうして《サキュバス》が監視している。

「ほ、本当にこんなので倒せるのかな……」
「さぁ? アレは同族って言っても異質だからね」

 《サキュバス》の“まだ”と言う言葉は、『いずれやって来る』と言う事である。
 敵地に近づいて来ていると実感し、シェイラは緊張で胸や胃が痛くなってきていた。
 仲間・心腹の友に化けて襲ってくるため、基本ツーマンセルで動かねばならない。
 なのに、いくら悪魔の監視があると言えど、部屋に女一人……今の彼女は、あまりに危機感が無さすぎるだろう。

(えっと、一時間おきに印を変えなきゃいけないから、次は“星”印かな。
 まだ早いし、もうちょっとしてからでいっか――)

 滑らかな女の肌をしたその甲に目を落とすと、黒い“丸”印が入っている。
 シェイラも戦う事を決心してから、ずっと自分なりに作戦を考えて来た。しかし、《サキュバス》にとっても謎の多い“存在”を相手に、この作戦の成功率は未知数でもある。
 ベルグはこれに難色を示したものの、以前のビュート湖のような強い否定まではしなかった。

(私を信頼してくれている、って事なんだよね……?)

 それに、シェイラは心が熱くなるのを感じていた。
 胃に穴が開いたり、()()()()のようなハゲ頭になったら責任とれ、と言われてしまっていたが……。
 どうにかなる範囲でなら、ベルグも頑なに拒否するつもりはないようであった。

「――しっかし、おねショタを飛ばして夫婦になんてねぇ」
「ま、まだ決定じゃないから!?」
「でもキスしたんでしょ? 男と女の」
「う、うん……もしかしたら、夢だったかもって思ってるけど……」
「ふふっ、いくら私でもそんな甘ったるい夢は見せないわ」

 今思い出すだけでも、シェイラの顔が真っ赤になってしまう。
 しかし、それからしばらく経っても、ベルグに何のアクションが無いのである。
 そのため、最近では『現実との狭間で見た夢』と、疑念を抱いていた。
 顎に手をやり、思案に耽る彼女の姿に《サキュバス》はクスリと微笑んだ。
 恐らく無意識なのだろう、彼女はどこか不満そうに唇を尖らせているのである。

「――で、物足りない、男らしくもっと来なさいよ、ってことね」
「そんなここと、あ、あるわけないじゃないっ」
「じゃあ、そのやる気満々な“下着”は何なの?」
「いや、これはその……そうっ、モニター中なのっ……!」
「モニター? 効果はもう実証済みなのに?」
「う、うん。なんか今回のは、改良版の“Mk.Ⅱ”らしくて……」

 シェイラは、テアの母親が作成した下着・“皇帝の新しい服”を着用していた。
 しかし、今のそれは、ビュート湖にて男たちの視線を集めた物ではない。
 出発の前日、テアからシェイラ宛に小包が届けられ、その中に“皇帝の新しい服・Mk.Ⅱ”と、請求書と手紙が同封されていたのだ。

【ビュート湖で働いていた、将来有望の新人さんへ――。
 貴女の働きぶりに感激し、母が再びバカみたいなのを作ってしまいました。
 モニターをよろしくとの事です。報酬は小金貨一枚でいいです、はい】

 どこで聞きつけ、どうしてモニターなのに金を払わなければならないのか――。
 シェイラは様々な疑問を感じながら、中身を確認してみたのだが……、

「“下着”と、護身用ナイフの収納スペースを追加、かつ通気性の向上って……。
 アンタ、完全にそっち方面の“商売女”に転じるつもりなの?」
「そんなわけないじゃない!?」

 《サキュバス》の言葉通り、それは明らかに男の寝首を掻く、“商売女仕様”となっていた。
 従来の下着の上に、蠱惑的な下着を重ねただけであるものの、“脱いだら裸”と言う問題も解消されている。
 黒歴史となったそれを思い出してしまいそうなので、クローゼットの奥底にしまっておくつもりであった。
 しかし――あの日以降、ベルグが何もアクションも起こさないため、シェイラはどんな反応を示すのか……と、今日は試しに着てみたのだが、

「でも、いつも通りなんだよね……本当にあれ何だったんだろ?」
「なら、元からアンタの身体が理想、って事じゃないの?」
「えぇぇぇッ!?」
「または、月の影響か、女の身体にこだわりがない、か……。
 と言うか、《ワーウルフ》にも女の好みってあんの?」
「あ……る、んじゃないかな?」

 ベルグの母親は確かに美人だった、と思い出していた。
 ぼんやりとした記憶であるが、幼いながらも『こんな人になりたい』と思えるような女性だったのは覚えている。
 あの村で別れて以降、ベルグの両親とも会っていない――シェイラはふいに当時を思い出し、故郷が、家族が恋しくなってしまった。

「……これが片付けば、きっと家族にも会えるわよ」
「うん……」
「でも、今の家族じゃなくて、将来の家族を考えた方が気が楽になるわよ?」
「将来の……? きゅ、急に何を言い出すのよっ!?」
「ふふっ、子はいずれ親になるものよ」

 もう一度近くを見て回って来る、と《サキュバス》は空間の中に溶けた。
 言い逃げに近いそれに、シェイラは一つため息を吐き、ベッドをギシりと鳴らした。

(家族、か……)

 将来の、と言えばベルグとのそれになる。
 確定ではないが、確定である――想像をしても、全くイメージができない。
 昔の両親の姿を入れ替えて見ても、人が犬に、しかも幼馴染の“弟”のようなそれであるため、違和感が勝ってしまっているようだ。

(家族って、やっぱり子供もいるよね――)

 過程を想像してしまい、顔から火が噴き出そうになってしまった。
 女一人では子は成せぬ。シェイラとて、それくらいは知っている。
 たとえ、相手が“神の遣い”と言われる役目を負った獣人であっても、神から受胎を告知されるわけでもない。互いに異なる性が交わって産まれてくるのである。

「いけないいけないっ、私ったら何を……」

 黒い染みだらけの天井を見ながら、シェイラは息を吐いた。
 先ほどの《サキュバス》の言葉が気になる。
 獣人族(ライカンスロープ)は、基本的に動物的な本能に忠実であり、月の満ち欠けや血の味などで凶暴化する事も多い。
 しかし、人間的な文化を持つ《ワーウルフ》はどうなのだろうか、と。
 モニターにかこつけ、それとなく聞いてみようか、と考えていた時――ふと、淑女のエルフから貰った、 “契りの短刀”が目に留まった。

「そう言えばこれも、エルフの女性が使う物だったっけ」

 納めていたケースから、シュッと引き抜いた。
 先端が鋭く尖ったそれは、短刀と言うより、“鋲”と言った方が近いだろう。
 相手と契約を結ぶ、儀礼用のそれでもあるが、逆に契約を“千切る”ものである。
 天井を背景に、その恐ろしく尖った先端をじっと見つめていると、淑女のエルフに問われた言葉が頭をよぎった。

 ――もし“弟”のような存在が言い寄って来たらどうする?

 淑女のエルフは、これを使って結ばれようとしたのか……それとも切ろうとしてたのか定かではないが、これを問われた時、シェイラは『自分の心に従う』と答えた。

(なんか、無責任なこと言っちゃったな……)

 エルフの淑女と全く同じ“選択”の狭間に立たされているが、シェイラには“自分の心”が良く分かっていない。
 無責任な発言の罰で、そのエルフの女が取ろうとした“決断”が自分に回って来た、とすら考えてしまう。
 じっとその短刀を切っ先を見つめていると、ふと彼女の頭に何かが閃いた。

(――そうよっ!
 この方法ならいけるかもしれないっ!)

 急いでシェイラはベルグの下に向かおうとした時である――。
 この時、誰も外の廊下をギシギシと揺らし、部屋に近づく者の存在に気が付いていなかった。
 突然、扉がコンコン……と小さくノックされ、シェイラは身を固くしてしまう。

「だ、誰……?」
「……」

 返事をしない音の主に、シェイラは思わず身構えた。
 しかし、宿の中に、“ワルツ”や悪魔の“存在”があれば、《サキュバス》が気づくはずだ。
 そう思うと、シェイラは警戒を緩めて扉に向かった。

(あ、短刀――。ケース遠いし……ちょっとだけだから、ここでいっか)

 少し横着だとは思ったものの、抜き身のままの短刀を握ったまま迎えるわけにはいかない。
 しかし、再びノックされたそれに、彼女には考えている時間もなかった。
 ゴソゴソと急いでそれを隠し、扉を開くと――。

「え……」
「シェイラ……おお、シェイラか……!」
「お、お、お父さん……?」

 一瞬、家族のことを考えていたからか、とシェイラは思った。
 だが、目の前にいるのは()()()シェイラの父――〔フラディオ・トラル〕である。

「お父さんっ……でも、どうして……」
「“ワルツ”がここに、“裁断者”がいる、と。
 私を人質にするつもりで連れて来たんだ……思い切って逃げて来てよかった……」

 白髪混じりの父の言葉に、シェイラはハッと息を呑んだ。
 壮健だった父の記憶とは大きな差異が生じているものの、まさに“父”の姿である……。
 スポイラーに捕えられていたせいか、父の身体は痩せ細っており、どこか衰弱しているようにも見受けられる。しかし、それよりも父の“老い”が目立つ。
 その姿に、“娘”は動揺を隠せなかった。それと同時に、彼女の心に様々な“思い”が湧き上がって来るのを感じていた。

「とりあえずここじゃ何だし……部屋に入って」

 ぐっと奥歯を噛みしめ、それが表に出ないよう、父に背を向けた時だった――。
 シェイラの父〔フラディオ・トラル〕の身体がぐにゃり……と歪み、漆黒の“影”へと姿を変えたのである。

しおり