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事件

キュル……キュル……キュル……

乾いた反響音が、深夜の冷たい空気を震わせる。

人気(ひとけ)の無い街路は、死者を(いざな)う冥府の入り口を想起させた。

徐々に強さを増す反響音が止んだ時、一つの影が路の先に立っていた。

淡い街灯に映し出されたそれは、ひとりの紳士だった。

ダークなチェック柄スーツに中折れ帽、黒い手袋の先には大型のキャリーケースが握られている。
先ほどからの反響音は、キャスターの放つ摩擦音だったようだ。

特筆すべきは、その人物の容姿だった。

痩せ細った顔は青白く、目は(くぼ)み、およそ生気と呼べるものは見当たらない。

ただ一つ──

両眼の奥に揺らめく怪しげな輝きだけが、その男の存在感を強調していた。

どのくらい、そうしていたか……

やがて遠方から、微かな足音が聴こえてきた。

慌ただしく、そして小刻みに響くその靴音は、明らかに女性のものだった。

(おもむろ)に、紳士の口角が吊り上がる。

そして持っていたステッキを握り直すと、キャリーケースを小さく小突(こづ)き始めた。

コン……コン……コン……

強弱は無く、ただ一定のリズムで叩き続ける。

コン……コン……コン……

しばらくして、闇の向こうに白く揺れるものが見えた。

それは次第に大きく、そしてある形を取り始めた。

若い女性だ。

白いロングコートに、ツバの広い婦人帽を被っている。
コートの胸元を握り締める姿が、緊張の度合いを示していた。

警戒するように周囲を見渡しながら、足早に歩を進める。

突然、何かの気配を感じ、女性は足を止めた。

恐る恐る振り返った表情が、一気に豹変する。

色を失った顔に、大きく見開いた目──

全身が驚きと恐怖で硬直し、呼吸が一瞬停止した。

「……あうっ!?」

言葉にならない声が、咽喉から漏れる。

彼女が目にしたもの……

それは、漆黒のマントに身を包んだ怪しげな人物だった。

黒いシルクハットの下で光る二つの眼光。
真っ赤に染まったそれは、明らかに人のものでは無かった。
何も言わず、身じろぎ一つせず、ただじっと女性を眺めている。

「あ……あなた……は……?」

女性は、やっとのことで言葉を絞り出した。

【我は……()い寄る混沌……】

頭の中に声が響く。

男とも女とも、人間とも動物とも、有機物とも無機物とも判別できぬ声だ。

「……這い……こん……とん……?」

震える声で女性が呟いた途端、黒マントの人物が動いた。
バサっとマントを広げると、有無を言わさず女性に覆い(かぶ)さる。

「……ひぃっ!!」

短い悲鳴が、あたりに木霊した。

女性を包んだマントが異様な形に(うごめ)く。
時折ヌチャ、ヌチャと音をたてながら、不規則な蠕動(ぜんどう)運動を繰り返した。

もはや、女性の声はしなかった。

見る者に嫌悪感をもたらすその光景も、ほどなく終焉を迎えた。
動きを止めた人物が再びマントを広げた時、そこに女性の姿は無かった。

黒マントはブルンと一度肩を揺すると、そのまま静かに後退し始めた。
いや、歩くというより、吸い込まれると言った方が適切かもしれない。

静かに、音も無く、離れていく。

そして、次第に暗闇と同化し……

……消えてしまった。


一部始終を見ていた紳士の顔に笑みが浮かぶ。

満足そうに息を吐き出すと、くるりと背を向けた。

そして、相変わらずの乾いた反響音を響かせながら、何処(いずこ)ともなく姿を消した。

キュル……キュル……キュル……


************


俺の名は、ナイトメア神父。

教皇庁(バチカン)お抱えの闇祓い(エクソシスト)だ。

俺は今、お(かみ)の命により、ロードアイランド州プロビデンス郡フォスターに来ていた。
人口五千人にも満たない小さな町だ。

今この町は、ある事件で大騒ぎだった。
この数ヶ月の間に、実に十三名もの行方不明者が出ていたのだ。
無論これだけなら、あくまで警察の範疇(はんちゅう)であり、俺の出る幕では無い。

つまり、問題はそこでは無いと言う事だ。

説明しよう。

最初の失踪事件には目撃者がいた。

そしてそれは、偶然にも警ら中の警官だった。

夜間、微かな悲鳴を聴きつけた彼は、一目散に現場に駆けつけた。

そこで目にしたのは、黒装束の不審な人物に襲われる女性の姿だった。

その人物は黒いマントを羽織り、同じく黒いシルクハットで顔を隠していた。

そして次の瞬間、警官は一気に凍りつく。

そのマントから突き出たものが、明らかに【女性の頭部】だったからだ。

首から下はマントに覆い隠され、何やらブヨブヨと異様な動きをしている。

女性の表情は、苦痛というよりは、むしろ恍惚感に酔いしれているようであった。

その異様な光景に、警官の全身は総毛立った。

どうにか気を取り直した警官は、警棒を大きく振り上げた。

「おいっ、コラ!」

声を上げ突進する。

あと数メートルまで近付いた時、それは起こった。

突如、二人の姿が消失したのだ。

たった今まで目の前にいたのに、掻き消すように消えてしまったのである。

警官は狐に(つま)まれたように、その場に立ちすくんだ。

いくら見回しても、周りに人気(ひとけ)は無い。

痕跡を探してみたが、何も見つからなかった。

暑に戻った警官は、すぐにこの事を報告した。

そしてその日以降、この女性は行方不明となった。

失踪する理由は勿論、他に目撃者や痕跡も無い。

あるのは警官の目撃談だけであり、異常な事件としか言いようが無かった。

この日を境に、原因の分からぬ行方不明者はさらに増え、今や十三人にのぼっている。

もしかしたら一連の失踪には、【人ならざるモノ】が関与しているのかもしれない。

怪物か、妖怪か、それとも……悪魔の仕業か?

そんな噂が、町中を駆け巡った。

マスコミがこぞって押しかけ、州警察まで駆り出されたが、いまだに解決していない。

事態を重く見た教皇庁(バチカン)は、調査のため俺を派遣する事にしたのだった。

黒マントにシルクハットねぇ……

俺は心中で呟いた。

まるで、安っぽいマジシャンだな。

俺の知る限り、そんなふざけた様相の【悪魔】は存在しない。

だが、もし警官の体験が事実なら、どう見ても普通の人間とは思えない。
そのマジシャンもどきが、人外の力で女性を連れ去ったのだ。

人を連れ去り、一体何をする気なんだ?

隷属か?何かの実験か?

それとも……まさか……

「……ここか」

瞑想しながら歩いていた俺は、一軒の家の前で足を止めた。

煉瓦(れんが)造りの古びた屋敷だ。

俺が、今回の調査対象と狙いをつけた人物……

著名な小説家──チャールズ・ミラン・ダルボットの邸宅であった。

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