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8話

 そして、思い出す。あの日、人々の世界観が頭上に浮かび上がった日。

 葦原はまだ五歳だった。
 春の終わり。保育園からの帰り道。
 母に手を引かれながら歩いた夕暮れの街でそれは突然起こった。
 空を、無数のカラスたちが飛んで行く。カッと空が光った。
 通りを歩いていた人々が、目を眇める。いきなりのことに気が動転した母が、葦原をサッと抱き上げた。

「ねえ……ママ。あれ、なに?」

 葦原は母の腕の中指を指した。人々の頭の上に、何かが浮かんでいる。

 乾いた土地と、草で編まれた船、ピラミッドのような神殿が浮いている人。
 妖怪のような小さな異形の者たちが遊んでいる神社が浮いている人。
 綺麗だけど、何処か歪でおぞましさを湛えた教会が浮いている人。
 妖精やドワーフ、剣士たちが冒険している森が浮いている人。
 現代のようだが、魔法が飛び交う街が浮いている人。
 ロボットが飛び回る灰色の街が浮いている人。

 その人が《《どんなことを考えているか》》。《《どんな嗜好をしているか》》が、目に見える形で世界に現れ始めていた。

「ママ! ママの頭にもあるよ!」
「何なの!? 何なのこれは!?」

 母が葦原を抱いて逃げるように走り出した。けれども、世界観は押し寄せてくる。
 悲鳴があちこちで上がる。街がまるごと、<他人の内面>で満ちて行く。
 誰もが、自分の世界を隠すことができなくなった。

 <世界観可視化現象>

 それは、その始まりだった。
 母が通りを曲がる。葦原は、母に抱かれて背後へと飛び退っていく風景が面白くて、上機嫌だ。
葦原は、思わず歌い出した。彼は機嫌のいい時、良く歌うのが癖だった。

幼い日の手のぬくもりを忘れない

この手を 離さずにいよう

風がよみがえる 時が帰って来る

それでも きみと歩いていたい


世界が一つになるその日まで

ぼくらはずっと 手をつないでいよう



葦原の、まだ高い声が夕間暮れの街に響く。良く行く公園を突っ切って、母が自宅に逃げ帰ろうとしたその時だった。

「きゃっ!」
「!」

 母が誰かにぶつかって葦原ごとよろめく。葦原は、母の腕から転がり落ちた。

「だ、大丈夫!?八千矛!?」 

 母が葦原の名前を呼んで抱き起し、土を払う。そして、ぶつかった人物に謝ろうと顔を上げた。

「すみません……!前を見てなくて……!」
「……いえ……」

 葦原もその人を見上げる。
 そこには、白いワンピースを着た少女が静かに立っていた。

「わあ……!」

 葦原が感嘆の声をあげる。彼女の頭上には、美しい花畑が広がっていた。

 風に揺れる草の音、蝶のはばたき、優しい色彩。
 静寂に満ちた、他の誰よりも美しい世界。
 彼女が葦原を見る。

「怖くないよ」

 葦原に近づき、少女は屈みこんで彼の頬の砂を払う。彼女の瞳に葦原の世界観が映り込んでいた。
 その時、はじめて葦原は、自分の世界観を認識した。
 ちいさな小川のある丘が浮かんでいる。
 丘に、光が差し込んで……その中に、花が一輪、咲いていた。

「素敵な歌だったね」

彼女は、そう言って微笑んだ。











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