エピローグ
翌朝、沢木一代の遺体と熊の死骸が運び出されると、近所の住宅街は物々しい雰囲気に包まれた。
「あの人、熊を守れとかさんざん言ってたくせに、結局自分が襲われるなんて皮肉よね」
ゴミ出しの途中で話し込む主婦たちの小さな笑い声が漏れる。その表情には悪意というよりも、無関係な事件への興味本位な好奇心が浮かんでいた。
「いつも偉そうに文句言って回ってたけど、やっぱり本物の熊を見たら、何もできなかったってことでしょ?」
近隣の主婦たちは、日頃の一代の高慢な態度を思い出し、口々にそんな皮肉を囁き合った。
皮肉なことに、一代が生前投稿していたXアカウントの存在も瞬く間に特定され、「自分の意見を押し付けてばかりで自業自得」「あれほどクレームつけておいて、いざという時は自分が逃げ腰か」と冷ややかなコメントが相次いだ。
自治体や猟友会でも同様の反応が見られた。市役所の職員たちは電話が静かになったことで少しの安堵感を覚えながらも、一代の死に対する同情心は驚くほど薄かった。
「まさかあの沢木さんがねぇ……」と呟いた中年の職員の声に同僚がすぐに返す。
「あれだけ私たちを非難しておいて、皮肉なもんだよ。本人は熊を守れと言いながら、結局熊に襲われるなんて」
その場にいた職員たちは軽い苦笑を漏らした。いつの間にか一代は、彼らにとってただの「厄介なクレーマー」でしかなくなっていたのだ。
猟友会の佐藤は熊の処理を終え、市役所への報告書を書きながら静かに呟いた。
「これがあんたらが言う『可愛いクマ』だ」
報道機関は数日間、一代の悲劇的な死をセンセーショナルに取り上げたが、やがて次のニュースへと移り、人々の関心も自然と薄れていった。
***
数か月後のある朝、市役所の窓口では再び電話が鳴った。
「はい、市役所です」
「また熊を駆除するってニュースを見たんですけど! 熊がかわいそうじゃないですか!」
電話口の職員は思わずため息をついたが、冷静に対応を続ける。
「あの、以前にも似たような意見をいただいたことがありますが……」
その言葉の続きを飲み込み、職員は再び日常業務に戻った。
街の日常は何も変わらず淡々と続き、人々は皮肉な出来事すらもすぐに忘れていく。沢木一代の死は、一瞬の話題として消費され、すぐに社会の無関心の中に埋もれていった。


