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13.カシャンボ様

 桃姫と雉猿狗が左右に切り開かれた木々の間を歩いて進むと、唐突に開けた空間が現れた。
 火の灯った燈籠が左右に並ぶ石畳が神社の参道のようにまっすぐ続いており、その先には古びた青い鳥居が建っていた。

「……この鳥居の先が、河童の領域のようですね」
「……うん」

 雉猿狗の言葉に桃姫が頷いて返すと、広い空間を取り囲む木々の間から河童たちの視線を感じながら参道の上を歩いていく。
 すると、青い鳥居の奥に槍を持つ細く長い河童と刀を持つ太く短い河童、そんな二体の河童の石像が目に入った。
 そして、左右を河童の石像によって護られるように注連縄の巻かれた台座の上に鎮座する巨大な青い御神岩が威容を放っていた。

「……っ」

 思わず息を呑んだ桃姫。雉猿狗はそんな桃姫の様子を横目で見たあと、青い鳥居の前で一礼する。
 同じく、桃姫も一礼すると、二人並んで鳥居をくぐって河童の領域に足を踏み入れた。
 そして、桃姫は左の細長い河童の石像の前に、雉猿狗は右の太く短い河童の石像の前にきゅうりの詰め込まれた籐籠を置くと、二人は参道まで戻り、雉猿狗が青い御神岩を見上げて声を発した。

「河童の領域にお招きくださって感謝を申し上げます。私の名は雉猿狗と申します」
「……私の名前は、桃姫です」

 二人はあたりを取り囲む木々の間から河童たちの強い視線を感じつつ名乗りをあげた。

「私たちはとある事情で旅をしています。そして、村の方々からの頼みを聞いて今宵こちらに参りました」

 ざわざわ……と木々の奥からざわめきの声が桃姫と雉猿狗の元まで漏れ伝わった。

「──よそもんが、いったいなんのようだべなァあ……?」

 雉猿狗の言葉に返すようになまりの強いガラガラとした低い声があたりに響いた。
 そして、青い御神岩がもぞもぞと動くとぐるりと反転して桃姫と雉猿狗にその真の姿を現す。

「……あっ」

 思わず桃姫が声を上げる。御神岩の正体、それは背中に甲羅を背負い、ゴツゴツとした岩のような青い肌を持つ巨大なイボガエルであった。

「──つまらん用件なァら、このカシャンボ様がぺろォりと喰っちまうだァよ……」

 べろぉん……とこれまた巨大な太く黄色い舌を大きな口から出して舐め回すようにぐるんと動かしたあとに口内に戻したカシャンボ。

「……カシャンボ様、あなた様が河童たちの長、なのですね……?」

 その巨体に圧倒されながらも雉猿狗がカシャンボに向けて言うと、桃姫が一歩前に進み出て声を上げた。

「カシャンボ様……! お願いです! 村の子供たちに尻子玉を返してください……!」
「桃姫様……!?」

 桃姫の切実な訴えに、雉猿狗はしまったという顔をした。

「──あァん? 尻子玉返せだァあ……?」
「桃姫様、その話は河童たちと友好関係を築いてからにしましょう……!」

 カシャンボはカエルの目を細めて桃姫を睨みつけながら言うと雉猿狗は桃姫の背中に声をかけた。

「そんなこと言ってられないよ雉猿狗! 今にも村の子供たちのお腹は破裂しそうなんだよ……!」

 振り返った桃姫は真剣な顔で雉猿狗に言うと、カシャンボを再び見上げて口を開いた。

「お願いします……! きゅうりを差し上げますので! 尻子玉を返してください!」
「──返せねぇべなァあ」

 桃姫の悲痛な願いにカシャンボは冷たく言って返した。

「……どうして!?」
「──なぜなァら、おらがぜェんぶ、喰っちまったからだァよ……! ゲロっゲロっゲロっゲロっ!」
「そんなっ!」

 上目を向いて愉快そうに笑うカシャンボに桃姫は悲鳴のような声を上げた。

「──がきんちょどもの尻子玉ァあ、ぷにぷにして美味かっただァよ……ゲロっゲロっゲロっゲロっ!」
「この人でなし……! 河童でなし……!」

 笑い続けるカシャンボに対して桃姫はぶつけるように声を上げるがそれすらもカシャンボにとっては嘲笑の対象となっていた。

「……桃姫様、帰りましょう。どうやら私が想像していた以上に河童というのは、いじわるな妖怪だったようです……残念ですが」

 雉猿狗が桃姫の背中に向けて言うと、桃姫はため息をついて肩を落とした。

「じゃあ、どうするの……? 村の子供たちは」

 悲しげな桃姫が雉猿狗の目を見て言うと、雉猿狗は静かに首を横に振ってから口を開いた。

「あとは村の方々が決めることです……私たちは別の場所を目指しましょう」

 そう言って参道を去っていこうと歩きだすと、木々の中からザザザッ……! と河童たちが姿を現した。
 驚いて振り返った桃姫と雉猿狗。二体の石像のように細長い姿をした河童たちとずんぐりむっくりな姿をした青い河童たちは、籐籠のきゅうりに我先にと手を伸ばし、パキパキと音を立てながらくちばしでかじってむさぼり始めた。

「なァに見てんだけろ……! さっさとけぇれけろ……!」

 太っちょの河童が雉猿狗と桃姫に向かって言うと、桃姫と雉猿狗は互いに顔を見合わせてため息をつき、また鳥居へと歩き出した。

「──おっとお! なんでそげな嘘つくけろっ……!」

 桃姫と雉猿狗が鳥居の手前まで来たそのとき、可愛らしい声が後ろから響いた。
 桃姫と雉猿狗が振り返ると、桃色をした太っちょで小さい河童がカシャンボの前に仁王立ちしていた。

「──なんだァあ、たまこ、嘘って、なんだァよ……?」

 困惑したような声でカシャンボが言うと、たまこと呼ばれた桃色の小さな河童はぴっと短い腕を伸ばしてカシャンボを指さした。

「……おっとお! ほんとは、尻子玉食べてないけろ!」
「……えっ?」

 たまこの言葉を聞いた桃姫が驚きの声を漏らした。

「──な、なに言ってるだァよ、たまこ……お、おらは尻子玉さ、ちゃんと食っただァよ……」
「……食べてないけろ! あたい知ってるけろ! 本当は尻子玉なんてまずくて食べたくないって、だって食べたふりして後ろの箱に戻してるとこ、あたい見たけろ!」
「──うっ……! そもそも、たまこ……! おめェが村のがきんちょどもにいじめられたから、おらたちは仕返しをしたんだァよ……!」
「……っ!」

 カシャンボとたまこの口論を聞いていた桃姫が思わず駆け出して、きゅうりをむさぼる河童の群れをかきわけると、たまこの隣まで行ってたまこに問いかけた。

「たまこちゃん、村の子供たちにいじめられたの……?」
「……う、ううけろ……」

 桃姫の問いかけにたまこは言葉を詰まらせた。

「──ああ! たまこが勇気を出して川遊びに混じろうとしたんだァよ! そンしたら気色悪いと言われて石を投げられたんだべな! だァから、おらたち河童は怒ったんだァよ……!」
「……そういうことですか」

 カシャンボの訴えを聞いた雉猿狗が得心いったように呟いた。

「それなら、私が村の子供たちにそのことを伝えて謝らせます……! どうか、それで許してあげてください……!」

 桃姫がカシャンボに向けてそう言うと、深々と頭を下げた。

「──うー……どうすべかなァあ……!」
「おっとお……尻子玉返してやってけろ……」

 カシャンボとたまこの会話を聞いた雉猿狗は、桃姫とたまこの隣までやってくると口を開いた

「カシャンボ様、尻子玉は子供たち全員分あるのですね?」
「──人間のクソの味がする玉なんて、どんだけぷにぷにしてようが、おらが食うわけねェべよ……」
「よかった……! 一生うんちが出なくなる子供はいなかったんだ……!」

 カシャンボの言葉を聞いた桃姫が心底安堵するように喜びの声を上げた。

「──おい! まだ、尻子玉返すなんておらァ言ってねェべよ! さっさと村の子供たちここまで連れてきて、たまこに謝らせるだァよ……! いいか! 連れてくるのは子供だけだァよ……!」
「わかりました、カシャンボ様! 雉猿狗、行こう!」
「はい、桃姫様……!」

 カシャンボの要求に応じた桃姫は、雉猿狗と声を出し合うと、青い鳥居をくぐり抜けて山道を降っていった。
 そして、いまだ会議をしている村人たちの元に行くとカシャンボとの会話の内容を伝えた。

「子供だけ河童ンとこに送れだぁ……!? そんな与太話信じられるかよぉっ!」
「よそもん……! さてはおめぇら河童の手先になっただな……!?」

 桃姫と雉猿狗に対して、疑いを通り越して敵意すら向ける村人たちだったが、源助の母親がピシャリと声を上げた。

「いい加減にしなよあんたらっ! 本当は河童の領域に行くのが怖いくせにさっ!」
「……うっ」

 源助の母親の言葉を聞いて騒いでいた村人たちが黙り込む。
 そして、桃姫と雉猿狗の顔を見た源助の母親は二人に近づいて口を開いた。

「一刻も早く、息子を助けたいんだ。お願い、できるかい……?」

 切実に発せられた息子を想う母の言葉を聞いた桃姫と雉猿狗は深く頷き、そしてその様子を見ていた村長が声を上げた。

「実際にカシャンボと会ったこの方々の言うことに従うべきであろう。今からお二人には子供たちを河童の領域に連れて行って頂く。皆の者、それでよいな?」

 そう言って村人たちを見回した村長に誰も反論の声を上げることはなく、桃姫と雉猿狗は尻子玉を抜かれて苦しむ5人の子供たちを連れて再び河童の領域へと向かうのであった。

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