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06th.08『静かな始まり』






 夜風の吹く暗い空の下を、二人の男が歩いていた。

「にしても、何で支部長は急にあんなになっちまったんだろうな?」

「何でだろなー。薬とか?」

「支部長が?」

「飲まされたのかも知れない」

「誰にだよ」

「さぁ、そこまでは」

 二人は前衛兵に巡回として出された衛兵だった。

「何だよ腕を向けただけでリーフィアちゃんを気絶させたって……本人は憶えてないし」

「空飛ぶってのも信じ難いよな。()(とぎ)(ばなし)かよ」

 二人は前衛兵の言う事をまるで信じていなかった。普段は真面目な前衛兵だが、二人の中にはあんな荒唐無稽な証言を信じてもらえる程の信頼は無かったのだ。彼らの様な衛兵は決して彼らだけではなく、他にも一定数が居る。

 前衛兵は真実を有りの侭に話したが為に、部下の制御を失い掛けているとも言えた。

「御伽噺と言えば……夕方の奴も有るよな」

「んあ? あぁ、どうして夕方は、空がオレンジになる時間は有るのかってな」

「昔は夕が長かったなんて言われても信じらんねぇよなー」

「本当にそう。俺達は産まれた時からあの短い、夕を」

 片方の言葉が途切れた。代わりに、ガチャリと、装備が落ちる音が鳴った。

 もう片方が怪訝そうに顔を向けると、そこには倒れた男が居た。

「……え?」

 もう片方は思考を失う。

 そしてそれを取り戻す前に⸺前衛兵の話を思い出し、それと結び付ける前に⸺彼も、糸の切れた操り人形の様に崩れ落ちた。

 夜風が吹く。



     ◊◊◊



「……ニヨールとアルノールが帰ってこんな」

 前衛兵は空に浮かぶ星の位置を確認し、そう呟いた。

「何か有ったのでしょうか?」

()()()んだろうな。⸺始まるぞ」

 前衛兵は消息不明となった二人に開戦の火蓋を見た。恐らく、捕まったか、巨女と同じ様に気絶させられたか……殺されたか。元より犠牲者無しでは乗り切れると思っていないが、それでも最後の可能性は余り考えたいとは思えなかった。

「総員に告げろ。次の巡回には出なくていい、代わりに防備を固めろ、と。それと二人の巡回ルートの近くに敵が居る可能性が高い、一小隊で見てこい」

「了解」

 傍付きの衛兵は駆け出して行った。

 彼は数少ない、前衛兵を完全に信じている衛兵である。多くの衛兵は半信半疑だったり無信全疑だったりで、モチベーションに疑いが有る。なので前衛兵は士気の高い全信無疑の衛兵に、伝令や現場指揮といった重要な役割を任せていた。なので有能な者ほど前衛兵を信じる傾向に有ったのは有り難かった。普段の行いという奴だろう。

「……………………」

 現在、彼が居るのは詰所の目の前である。

 衛兵達はそこを中心として、詰所の四方を守る様に展開していた。敵の狙いが全く読めない為、取り敢えずの撃退を狙った陣形である。どこからか敵が攻めてきた場合、先ず伝令が走り、それから話を聴いた他の衛兵達がそこに集合する形である。

 また、周辺の住民は離れた所に避難させていた。それの管理は他の詰所がやってくれている。

「…………衛兵を舐めた事、後悔させてやる」

 前衛兵は決意を口に滲ませ、本格的な敵の襲来に備えた。



     ◊◊◊



 建物の中は空っぽだった。

「……………………」

 ()(らん)(どう)の一階エントランスを見て、トイレ男は潜んで損したなと思った。

 詰所には、トイレ男の見た限り、右衛兵とトイレ男しか居なかった。恐らく、戦闘員でない者は帰され、戦闘員は皆防衛に駆り出されているのだろう。

 トイレ男は階段の最後の一段を降り、一階の床を踏み締めた。

「……………………」

 嘗て⸺と言うのも変か。二回目の時は、あちこちに衛兵が横たわり、正に死屍累々としていた場所である。確認してはいないが、恐らく三回目や五回目もだろう。それらの時からタイミングは遅れるが、四回目もこうなっていた筈だ。それが今、誰も居らず御覧の通りである。「…………」、少し感慨を覚えた。今回はまだ誰も犠牲になっていないのだ。それを実感する。

 この侭犠牲を出さずに襲撃を乗り切れる為に、トイレ男は歩き出す。

 少しの後には、その手には襲撃を止められる⸺かも知れない物が握られていた。

「……………………」

 右衛兵には『襲撃を止める方法』と断言したが、実の所そんな確証は無い。止められるかも知れないし、止められないかも知れない。そんな方法である。少なくとも、相手も無視はできない筈だが。「…………」、本番が近付いてくると自信が無くなってくるのは生来の(サガ)か、段々それすらも怪しくなってきた。「…………」、まぁ、大丈夫だ。大丈夫だろう。その筈だろう。多分。

「……………………」

 さて、とトイレ男は出入り口を見る。

 出入り口は閉ざされていた。向こう側から人の気配がする。そう、この向こうには人が⸺具体的には衛兵が居るのだ。本来は監禁されている筈の脱走者であるトイレ男が遭遇するのは大変宜しくない。右衛兵を籠絡できたのは、これまでのループの中で彼を知っていたからである。他に知っている衛兵となると、もう顔も憶えてない左衛兵か、トイレ男をここまで逃がしてくれた衛兵しか居ない。「…………」、そう思うと右衛兵とあんなにも関われたのは最早運命なのでは? そう思えてきた。「…………」、トイレ男は運命で結ばれるならトイレとが好かったな、と思った。そう言えば、あのトイレは今も前衛兵が持っているのだろうか? 隙を見て取り返さねば。

 話が逸れたが、兎も角、この出入り口を使う事はできない。ならば建物の外に出る方法は(ただ)一つ。そう、裏口である。

「……………………」

 でもなぁ。そう思った。裏口は衛兵なら誰でも知っているであろう。果たしてそんな裏口の近くに衛兵が居ないだろうか? それに、四回目の時は裏口を開けた直ぐそこに白女が居た。敵も裏口の存在を知っている。果たしてそんな裏口の近くに敵が居ないだろうか? 「…………」、その敵が白女だった場合は、いい。今トイレ男が最も望んでいるのが白女との邂逅だ。白女が最も、作戦が成功する可能性が高い。他の敵、黒女や黒男だった場合は、作戦が通るかどうか判らない。なので遠慮したい。衛兵? さっきも言ったが嫌である。

 まぁそれでも行くしか無いので、行く。人が居ない可能性を願えばいいだけだ。

 四回目の記憶を頼りに道を進み、二階の脳内地図と照らし合わせて『ここか?』という場所まで来た。裏口の扉は壁とほぼ同化している為判り辛い。

「……………………」

 向こう側に人の気配は、無い。だが、どういう訳か白女は目の前に居ても気付かないぐらい気配を薄くできるので、油断はできない。トイレ男は、ゆっくりそうっと、ドアを押した。ノブの無いドアは微かな抵抗の後に開き、冷たい夜の隙間風を呼び込む。

「……………………」

 少し開けても反応が無かったので、一気に開けてみた。隙間風は消え、冷たい風が服と頬を撫でる。

「……………………」

 闇の帳が光に照らされ、消える。とは言え見えるのは狭い範囲だ。その外側は見えない。

「……………………」

 目を凝らすと、段々夜に目が慣れてきて、先ずは壁が見えた。少し離れた所に有る、向かいの建物の壁だ。四回目の時は気にする余裕が無かったが、どうやら裏口の外はちょっとした広場になっているらしい。

 それから物陰等を観察する事暫し、目が完全に適応し、広場の様子もよく見える様になった。

「……っ、」

 広場の様子をよく見て、見間違いでない事を確認してから、トイレ男は絶句する。

 ⸺多くの衛兵が、広場に倒れていた。

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